-> "story": return "episode 1: System Awake" (2/4)
人差し指を画面から離す。
さっきよりも笑みの増したスティーブと渚。
右には、頭にはてなマークをつけた父と母。ちゃんといる。
ここは病院の地下応接室で、自分たちはテーブルを挟んで椅子に座っている、わかっている。
遥花はもう一度、画面を触ってみた。
森だ。
周囲を見回してみる。
自分はいま、樹木や草木に囲まれた空間にいる。
地面には落ち葉の絨毯に、見上げれば枝葉の隙間から青い空が。
「なにが見えてるの?」と母。父母からはキョロキョロと室内を見回しているとしか。
「森。わたし今、どこかの森にいる、すごいよこれ……」
ほぅ、と父が静かに頷いたが、遥花には見えない。
小学生の頃、兄が買ってきたVRホラーゲームをやったことがある。リビングにいるはずなのに、自分の脳が廃墟の中にいると認識した。あの不思議な感覚は今も覚えている。
その何百倍も、これはすごい。
「次、私やらせて」
遥花は指を離し、端末を母の方に寄せた。その時、「お母サマ、どこかみたい景色ヲ、端末に向かって、言ってみてくださイ」とスティーブが。
「はい、じゃあ…………」
理実は顎に丸めた人差し指を載せた。数秒の検討。そして、端末にやや顔を近づけてから、選択を声にした。
「……〝海の中〟」
画面の文字が -forest- から -under the sea- にかわった。
母が観る景色に想像がつき、遥花の口の端が自然と緩む。
左手の人差し指を画面に載せた母はすぐ、右手で口を押さえた。
「……ン! ……ハッ……、うっそ……」
呼吸の可否を確かめるように息を吸って吐く母。一瞬、息ができないと思ったのだろう。そして、遥花と同じように室内を見回しはじめた。
「わぁ……、これは……、言葉にならないですね」
周りには色鮮やかな魚たちの群れが。
見上げれば、太陽に照らされてきらきらとゆらめく海面が。
海底には、虹のように鮮やかなサンゴ礁がどこまでも広がっている。
理人の番になった。四つのニコニコ顔に囲まれている。
画面には指示の通り - The Pyramids of Egypt - の文字。
意を決して指を載せると——、突如、目の前に大きな石の階段が現れた。
見上げるとそれは、エジプトのピラミッドだった。
「おぉ……、これは……」
声にならない驚きと、感動。
生きている間に、一度は実物をみたいと思っていたピラミッドが今、目の前にある。
いや、自分がいま、エジプトのピラミッドの前にいるのだ。
照りつける太陽に、砂一面の地面。
と、いうことは……。振り返ると、ガラビーヤを着た現地人らや観光ツアー客の先に、スフィンクスがいた。
「こちらはアウェイクのシステムを応用したもので、アライズと言います。VRにかわる次世代仮想映像技術として、アウェイクと並行して開発を進めています」
渚が画面をフリック操作してホーム画面を表示した。画面にはAriseの文字を冠したアイコンが一つ。
アライズはアプリだった。
これが実用化されれば、スゴイことになる。遥花はもう心を奪われていた。学校の勉強だって、教科書の内容に対応した映像を——、たとえば顕微鏡でしか見られないミクロの世界や、簡単には行くことのできない宇宙や深海、地球の核—— きっとコマーシャルの常識だって変わる。ゲームや映画だって——
理人と理実も同じことを考えていた。このアプリをつかって、世界中の歴史遺産を巡る自分、クライアントの心理療法への応用——
「資料ノ、五ページ目を開いてください。……ァライズは映像を見せるだけなので、信号は、この視覚野などの限定された部位だけに送られます。対してァウェイクは、脳のほぼ全てに、信号を送りまス。ですから、ユウトさんは、ァウェイクのつくりだす世界の中デ、現実と同じレベルでの活動ヲすることが、できるのでス」
母が説明を聞きながら、資料の他のページにも目を通していた。
「もしかしてこれは、次世代のニューロモジュレーションシステムということになるのですか?」
「流石お母様、よくご存知で」と渚が頷く。
遥花は父と同じ顔で母に説明を求めた。
「てんかんやパーキンソン病の治療などに使われている技術よ。電気信号で神経伝達回路のパターンを調整するの」
「睡眠状態の被験者による臨床試験は無事に通過し、開発はファイナルフェイズを迎えました。ここからは、植物状態の被験者による試験が中心となります。その一人目に、ご子息のユウト様になっていただきたいのです」
「ァウェイクは、今までに蓄積さレた医療技術の恩恵を受けながラ、つくられました。もうすぐ、そのウブゴエをあげようとしていまス。どうか、よろしくおねがいしまス」
スティーブと渚が立ち上がり、深く辞儀をした。先ほどまでの笑みは消えていた。
遥花と理実が父を見やる。
「顔をあげてください」
二人が体を起こした。そして、真っ直ぐな目で理人を見つめた。
「システムの力は、十分に伝わりました。専門外の私たちにも、こんなにもわかりやすく……、心よりお礼申し上げます。ぜひ前向きに検討するためにも、このシステムのリスクや、息子が選ばれた理由……、いや、私たち家族が選ばれた理由まで、これから全てを話していただきます。こうしている間にも、ユウトは弱っていく。私たち家族は、今日中に全てを知るべきなのです」
渚が軽く握った拳を胸に掲げた。
「私共も、そのつもりで今日のスケジュールを組んでおります」
家族の力強い頷きをみて、渚の拳に力が入る。
スティーブだけが、その繊細な変化に横目で気づいていた。
* * *
—— 二日後
WHO神経科学研究センター ——
ガラスの向こうで、白い患者着に包まれた兄が、三百六十度回転するフルポジションシステムテーブルに寝かされている。
頭部は内側にシリコンを組み込んだ、カーボン製のヘッドギアにすっぽりと覆われ、両手首と両足首にも、リングの形状をした器具を装着している。信号を送ったり、脳や体の反応をモニタリングするための装置だ。
回転する際は、テーブルの側面からカーボン製のアームが伸びてきて、兄の全身をしっかりと固定した。無駄のない、スムーズな動きである。
周囲にはパソコンや各種装置に向き合う数名の研究員が。
壁際には、高さ二メートル程の筒状の水槽があり、その中にAwakeが収まっていた。兄の運命を握っている存在だ。水冷システムを採用しており、全身が夜光虫のように薄らと青白く輝いている。
資料の写真で見た通り、巨大なタワー型パソコンのような見た目だが、赤く点灯したランプがまるで眼のようで。
その全身から、生物的な気配を感じるのは気のせいだろうか。AwakeのシステムAIは対話型ではない、制御型と記されていたけど——
兄の状態も、この室内——Awakeの装置も、説明や資料で見た通りだった。顔色もよく、ただ眠っているだけのように見える。
病院の地下応接室で、Awakeの説明を受けたのが二日前。
兄が被験者になる承諾をして、家族で数えきれないほどの書類にサインをした後、システムの作動に立ち会ったのが昨日の夜。
今日は悠翔の状態を確認する、最初の面会日である。
室内にいた渚が、家族の到着の連絡を受け、こちらを向いて手を振った。
その笑みが、兄の無事を告げていた。
「システムは全て、正常に稼働しています」
三人は、胸の奥に篭っていた重たい息をようやく吐き出すことができた。最初の山を越えたのだ。どんなシステムも最初は安定しないし、それはAwakeも例外ではない。そう聞かされていたし、だからこそ今日の面会日が組まれたのだ。
渚の表情は豊かで、落ち着いていた。職業柄、理実は人の言葉の真意に注意を向けるが、嘘をついているようには思えなかった。
システムは稼働してからまず、被験者のコンディションを数時間かけて精査し、そのフィードバックから、信号レベルの強さや世界を構築する。被験者の趣味嗜好も考慮される。だから今日まで、家族は悠翔のいる世界を知らなかった。
「息子は、いまどんな世界にいるんですか?」と、理人。
「ご子息は今、中世風の世界の、剣と魔法のファンタジーの世界にいるようです」
「ふぁ」
「ふぁんたじー?」
驚いて目を丸くした父と母。
三人の中でただ一人、答え合わせのできた遥花は、全身から込み上げた笑いを抑えきれず、口元を抑えた。
「ぷっ……、お兄ちゃん、ゲームとか異世界転生のラノベ好きだから、ふふっ」




