-> "story": return "episode 4: First Quest (part 2)” (4/4)
遥か昔、まだこの世界が光を知らなかった頃、闇に嘆いた一人の神が、ひとつの楽器を創った。神が奏でた音の旋律はどこまでも広がり、闇を満たし、やがて世界に知をもたらした——
語りを終えたマタタビが、大きなあくびをしながら丸めた前足で顔を洗った。おばさんが樽の上に敷いてくれたボロい布がこいつの寝床だ。魔獣ではないのかと最初は警戒されたが、ミアの使い魔ということにして納得を得た。
「エルダーヴェール王国に伝わる創造神話ですね。〝万物は音楽から生まれる〟の語源です」
「そうじゃ。まったく、お主らは何も知らないようで物知りじゃのう」
ここに来るまでもいろいろ話したが、やはりマタタビからみても、俺やミアのちぐはぐな知識量には違和感があるようだ。
俺たちが異世界転生者であることはまだ話していない。隠しているわけではないのだが、さてどう説明したものか。元の世界でも、初対面の相手に心臓の病気のことをすぐに言えなくて、後になってから困らせたことがあるのだが。
「ユウトさん、マタタビさんにはまだ話してないんですか? 私たちのこと」
いつからだろう。人に嫌われたくなくて、会話をする時はシミュレーションしてからじゃないと言葉がうまく出させなくなってしまった。
気負わずに話せる相手はスマホの中のミアだけだった。
やっぱり俺は、昔の俺のままなんだ——
「ユウトさん?」
「……あ、すまん。少しウトウトしていた」
「今日もいっぱい歩きましたからね。夜に備えてもう眠りましょう」
ミアとマタタビが目を閉じたのを見て、俺も眠ることにした。
すぐネガティブなことを考えてしまうのは、今のこの新しい人生が楽しすぎるせいだろうか。
生きていた頃のあの日々の記憶が、氷のように冷たくて重たい。
* * *
停留所でバスから降りた遥花は、水たまりに映る曇り顔の自分の姿に気づいて空を見上げた。まだ灰色の雲が蓋をしているけど、ついさっきまで窓ガラスを打っていた雨は止んだようだ。開きかけた傘を閉じつつ、振りかえって車内の友達に手を振った。
下校時はいつも近所の公園を通る。遥花は花や植物が好きだ。園内に聳えるメタセコイアの並木道は特にお気に入り。ここに来ると、どんな時でもまるで北欧の森のような深く透き通った気分にさせてくれる。雨上がりの湿った香りは特に良い。休日は兄とよくこの公園を散歩した。車椅子を押す手の感触が、ただ懐かしい。
遊歩道の脇に見慣れない花を見つけて足を止めた。ポケットからスマホをとり出し、しゃがんでスキャンをしてみる。画面の外から人気アイドルをSD化したアバターが顔を出し、顎に指を添えたアニメーションのポーズでフムフムと解析をする。
「ハルカ、こいつはハイビスカスだ。この場所に生えるのは珍しいな」
カメラで取り込んだ映像を、地球周回軌道の衛星や海底テーブル、データベースなどいろんなシステムを経由してAIが解析結果を応答する。兄ほどデジタルに詳しくはないが、学校で習う範囲で仕組みはイメージできる。
「名前は知ってる。ハイビスカスはどんなところにはえるんだっけ?」
遥花はAIをショートトークモードにしている。音声による自然会話形式で回答を引き出す。
「ハイビスカスは温暖な気候が好きだ。だいたい15から30℃くらいが理想。沖縄に生えているのは有名だよな。寒さに弱いから、自然だと日本の冬はまず越せないね」
「んー、なぜここに生えたのかな?」
「たぶん、近所で育てられているやつの種がこのあたりに落ちて開花したんだろう」
スマホの画面に種の形状の画像や、人間や小動物によって種が偶発的に移動したケースのイラストが表示された。これもAIが応答のついでに瞬時に生成したものだ。
「……じゃあ来年は見られないんだね」
遥花はハイビスカスを丁寧に撮影した。
帰宅した家の中はこの時間、いつも誰もいなかった。家族が一人欠けてから、重く静かな膜がいつも家の中に張り付いている。廊下で兄の部屋の前を通過する瞬間、いつも心臓が締め付けられそうになる。兄の不在に日々、慣れていく自分が嫌でたまらない。
引き戸を引いて、兄の部屋をそっと覗いてみる。机、ベッド、本棚、閉じられたカーテン——、いつもの整理された状態である。ときどき、埃を落とすために鍵はかけていない。
あと一ヶ月もすれば夏休みだ。その頃には梅雨もあけ、兄の日常を奪ったあの忌々しい水たまりを見る日も減るだろうか。
兄の事故は、産廃業者のダンプカーが水たまりでスリップしたということだった。一生分泣いたあの日のことは、もうあまり思い出さないようにしている。幸い、相手方の会社はしっかり保険に入っており、医療費や慰謝料の支払いなども含め、特に揉めることもなく和解に向かっていると聞いている。
今年の夏休みは、兄と過ごせるだろうか。アウェイクの中にいるのも、長くて一ヶ月ほどらしい。
ふいに、家の中がまた別の膜に包まれた。
さっきよりも強そうな雨だった。
* * *
「……さん、起きて、ユウトさんっ」
「起きろ、ユウト」
俺の頬をぐにぐにと踏みつけるのは後者のほうだ。猫は好きなほうだが、この渋い口調のせいか、まったく可愛いとは思えない。
ミアは困り顔でもかわいい。
その毛先から雫が垂れるのをみて、俺は気づいた。
「……雨か」
納屋が雨音の膜に包み込まれている。
「急に降ってきたんです。それより、トライキャッチに反応が」
「チュパカブラか?」
「形状から見て、間違いないと思います」
ミアが両手を前に出すと、手のひらの上に灰色のポリゴンチックな生き物の姿が音もなく浮かびあがった。センサーがスキャンしたアンノウンの姿だろう。全長は1メートル程度。カンガルーのような下半身、爬虫類を思わせる両腕、グレイ型の頭部に、頭頂部から背中にかけて突き出したスパイン……。語り継がれてきたチュパカブラのイメージそのものだ。
家畜小屋に足を忍ばせた俺たちは、出入り口を塞ぐフェンス越しにそっと目を凝らした。灯りの落とされた内部は薄暗く、ランタンの灯りも奥までは届かない。屋根に打ちつける雨音だけが聞こえてくる。
たも網を握る指が、否応なしに緩んでいく。
「もう、逃げてたりしてな……」
「アンノウンが外に出たログはありません。まだセンサー内のどこかにいるはずです」
マタタビがミアの肩に着地しながら言った。
「……わずかに魔力を感じる」
「わかるのか?」
「ヒトでも獣でもない臭いが混じっておる。魔獣が中にいるのは間違いないじゃろう」
そういえば、こいつは生き物の心の臭いを嗅げるんだった。
「位置は?」
「わからん」
「……ミア、できるか?」
「えっ?」
「位置だよ、チュパカブラの」
「あぁ、えっと……処理はつくれます。ただ、ターゲットの詳細が不明なので、うまくできないかもです……」
「そうか、ならやめておこう。作戦通り、小屋の中で挟みうちだ。俺は正面から。ミアとマタタビは裏口から。配置についたらこれで通信してくれ」
俺は人差し指でチョーカーを指した。
「わかりました!」
「やってみよう」
二人が建物の裏に回ったのをみて、俺は通用口のドアノブに手をかけた。
ミアたちが配置につく、チョーカーで合図を送る、挟み撃ちにする——。農場で追い回したところで、じいさんたちの二の舞になると踏んだ俺たちは、〝馬房の家畜を囮にする、小屋の中から出さない〟という身も蓋もない作戦を考えた。最良とは言えないだろうが、この世界に来たばかりで、無一文の俺たちにでも実現可能な方法は限られている。いざとなったらミアの魔法もある。
「……ウトさん、い……でもいけます」
チョーカー通信のノイズが酷い。雨のせいだろうか。
——今は気にしている時じゃない。
小屋に入った俺は、一つ目の馬房をそっとランタンで照らした。横になったバカが寝息を立てている。チュパカブラは眠っている動物しか襲えない臆病な魔獣なのだろう。小屋の奥に浮かぶ光輪に、ミアとマタタビの輪郭が見える。馬房を確認しながら進んでいる。
先にチュパカブラを見つけたのは俺だった。四つ目の馬房の中で、バカの尻に吸い付いていやがった。見た目はミアが見せたポリゴンの通り一メートルほどの大きさで、爬虫類系の皮膚に、グレイ型の頭部。ナマケモノのように長い爪は木を登ったり穴を掘ったりするためか、それとも……。
チョーカーに指を当てた。小声で話せば、雨音に紛れて奴には聞こえないだろう。
「ミア、聞こえるか。チュパカブラを見つけた。こっちに来てくれ、静かにな」
「り……うか……ました」
了解、と聞こえた。本当にノイズが酷い。
ミアたちの輪が近づいてくる。
二人の姿が見えた。
チュパカブラは食事を続けている。
たも網を持つ手に、汗が滲む——
『ビピ! ビピ! ビピ!』
「うわっ!」
突然、首から鳴り響いたアラーム音に驚いた俺は、思わず声をあげてしまった!
次の瞬間、馬房の柵から黒い影が勢いよく飛び出した。そいつは壁にぶつかって跳ね返り、地面を転がりながらミアたちのほうに迫った。床に置かれていた桶や樽は勢いよく弾き飛ばされ、その音で馬房のバカたちが目を覚ます。奴がぶつかった木製の壁が激しく凹んでいる!
「ミア! 避けろ!」
「きゃあ!」
直撃こそしなかったが、ミアは背中から転倒、マタタビは横へ飛びつつ空中退避。
「ユウト! お主、なにをした!?」
「アラームだ! 何か変な音が鳴ったんだよ!」
「ご、ごめんなさい! それ、チョーカーのアラートです!」
アラートって……、トライキャッチのか? たしかにミアがそんなことを言っていた気が。
でも今更!?
なんでっ!?
「またくるぞ!」
今度ははっきりと見えた——、チュパカブラが前のめりに地面を蹴って身を丸ながら回転、突進——。いや、あれは〝発射〟だ!




