-> "story": return "episord 4: First Quest (part 2)" (1/4)
琥珀色だった月の輝きが、いつの間にかルビーのような紅い妖しさに包まれていた。眠気が結構きてるのに、見つめているとなんだか力が湧いてくる気がする。
ときどき吹き抜ける風が、牧草を掠めながら音を奏でていく。夜の牧場は静かだった。バカは全頭眠ったし、虫の鳴き声は聞こえるけどコオロギの音色っぽくて、耳障りじゃない。
家畜小屋の出入り口の脇であぐらをかいていた俺は、立ち上がって小屋の内部を見回った。壁掛け時計を見ると、見張りを始めてから二時間が経った。
そろそろ起こすか。
納屋に戻ると、藁の上で仰向けに寝ていたミアが横向きになっていた。
「ミア、起きて」
起きない。
「……ミア」
まだ起きない。口元がむにゅむにゅと動いた。なにか美味いものを食ってる夢でもみているのだろうか。
気持ちが綻んだのも束の間、これは不可抗力だ——、と俺は自分に断りながらしゃがみ、ミアのほっぺを人差し指の腹で軽く押した。マシュマロのように柔らかくて、つまんでひっぱりたくなる。ローブの胸元から無防備に覗く肌を突つきたくなるのも不可抗力だ。
「……はがっ」
ミアの瞼が開き、天井に腕を伸ばしながらぐぃっと体を起こした。手の甲で目を擦る仕草はまるで猫のようだ。
「すみません。寝てしまいましたね」
「はじめての睡眠はどうだった?」
「体力の回復を感じます。あと、睡眠中に制御外の映像をみました。夢という現象ですね。……普段は、指示の時に切り捨てている優先度の低い情報の断片が、映像となって浮かびました」
「映像?」
「人間の歴史のようなものです」
「へぇ……」
歴史か。そういえば、AIの思考は確立演算型だ。応答の精度を上げるために関連情報を空のように広げて展開し、不要な情報を除去している。
人間になった今もそうなのだろうか? 今までの応答を見ていると、そこは変わっていないように思える。
……気になるが、今は仕事中だ。
家畜小屋の前に移動して、俺はミアに一人で見張りをしていた時のことを共有した。と言っても、この小屋を中心にあちこち見回るくらいのことしかできなかった。
「……とまぁそんなわけだ。何も起きなかったよ。怪しい影とかもみなかった。こっちから探そうにも、小屋を離れるわけにもいかないから他の場所も見回れないしな」
じいさんの話によると毎日現れるわけではないらしい。今日は来ない日なのか、これから現れるのか、それとも別の要因があって諦めたのか。なんともいえないな。
「もしかしたら、ユウトさんが小屋の近くにいたから、チュパカブラが警戒して近づいてこなかったのかもしれません。ご依頼は家畜の護衛ではなく駆除ですから、私たちの姿は見せない方法をとりましょう」
ミアが詠唱を始めた。今までのように手のひらで作ったハートの中にコードの糸を組んでいく。そして、片手のひらを天に向けた。
「……ファンクション モンスター|センサー《Sensor(check)》」
ミアの手のひらから極細の無数の糸が放たれる。月光に反射してチラチラと瞬く光の軌跡を追うと、それがネットのように広がりながら、家畜小屋を包み込んだことがわかった。
「これでよし、と」
「なにをしたんだ?」
「この小屋にトライキャッチ付きの格子状のセンサーを張りました。チュパカブラに似た生き物がセンサーを通過すると例外が発生して、ユウトさんのチョーカーと私に、アラートを投げるように処理を組んであります。私たちは納屋の中で待ち構えしょう」
「すごいな。けど、そんなことできるんだったら寝る前に仕掛けてくれればよかったのに」
「へへへ、それもそうですね」
にへらと笑みを浮かべて誤魔化すミアの幼な顔は、俺の疲労を幾分軽くしてくれた。
しかし、やっぱりミアは指示がないと、自発的行動が苦手のようだ。これも確立演算型の特性なのだろう。端末の中で人間からの指示に応答するには都合が良いが、こうして人間として活動すると、あらゆる場面で後手になってしまうのだ。
その後、俺たちは交代で仮眠をとりながら一晩見張った。
夜明けが近づくにつれて、月の色が琥珀色の輝きを取り戻していった。変化といえばそれくらいで、朝陽が差し込んでから二人で家畜小屋の中を確認したが異常はなく、結局、チュパカブラは現れなかった。
* * *
「ユウトさん、魚がいますよ、ほら」
牧場から市場街へ続く畦道、その傍を流れる小川には、数匹の小魚が群れを成して優雅に泳いでいた。頭部から尾にかけて、波打つような長いヒレが左右に生えていることを除けば、見た目は俺もよく知る普通の魚だ。
「あれだ、スカイフッシュみたいだな」
正体は虫だったけどな。カメラのモーションブラー現象のせいで、ハエのような昆虫の姿が引き伸ばされて映り、カメラの映像の中にしか存在しない謎の空飛ぶ生物が生み出されたわけだ。
「この生き物にも、きっと名前があるんでしょうね」
しゃがんだミアが、川面のきらきらに細い指先を沈めると、寄ってきた小魚が口先でつんつんした。
ミアの笑みからは心の優しさが溢れていて、俺は胸がむず痒くなった。
「……コンビニの雑誌の表紙を見れば、流行がわかる。いつも気にしていれば、流行の変化がわかる。お前でもわかる歴史だってな」
「お父様の言葉ですね。歴史学者の」
ミアには一度聞かせたことがあった。
「そ、今は身に染みてるよ。生きてくために、教わる前に自分から理解しなきゃいけないから。街に着いたら、まず図書館を探そう。この世界のことをもっと知らなくちゃな」
「はい、トゥルーですっ」
おばさんが納屋に運んでくれた温かいスープとパンで腹を満たした俺たちは、情報収集のために城下町を探索することにした。昨夜、通った右手の林道はどうやら遠回りだったらしく、街の人がよく使うこの道を教えてもらったのだ。
左手にはさっきの小川を挟んで、小麦色の田畑がどこまでも広がり、更にずーっと向こうには王都を守る外壁が薄らと見える。
この世界は俺のいた世界とだいぶ違うけど、人の暮らしや精神は変わらないのだろう。食べ物や生き物、そしてこの文明がその証だ。そう確信させるのは、歴史学者の親父の教えだった。
* * *
冒険者ギルドの前を竹箒で掃き掃除しているのはセシリアさんだった。顔を上げてこちらに気づいたセシリアさんが、手を止めて微笑んだ。
「おはようございます。ユウトさん、ミアさん」
もう名前を覚えてくれたようだ。俺たちも挨拶を返した。
「依頼者のところには無事に辿り着けましたか?」
「大丈夫っす。それより、どこかに図書館ってないですか? いろいろ調べなきゃいけなくて」
「それなら、王都図書館が東区にありますよ。噴水からイーストロードを進むと良いでしょう」
「ありがとう! ミア、行こう!」
「あ、ユウトさん待って! セシリアさんありがとう!」
俺は逸る気持ちを抑えきれず、駆け出していた。
楽しくて楽しくて、たまらないんだ。
* * *
—— WHO神経科学研究センター
神経科学研究棟1F 会議室
臨床試験二日目 ——
渚が会議室に着いた時、スティーブとアナリティクスチームの室長、篠原 解はもう着席しており、二人とも渋い目でレポートに目を通していた。
その違和感に、渚の体はドアノブを握ったまま硬直する。
「……遅れました……」
と呆然と言いつつ、右手首を裏返して腕時計を見る。五分前だ、遅れていない。
「おう」
レポートから視線を逸らさず声だけを飛ばしたこの男、篠原は渚の同期だ。こいつが時間通りに来るとは珍しい。いつも五分、十分は平気で遅れてやってくるのに。
「大丈夫、渚遅れてないヨ。篠原くんは前の会議からそのままそこに座ってるだケ」
「そゆこと」と、軽い口ぶりの篠原。
こいつのこういう砕けたところが、どうしても好きになれない。
渚は肩でため息をつきながら着席した。脇に挟んでいたタブレットを机に置き、自分もレポートに目を通す。エネミーオブジェクトが大量発生した事象に関するデータがまとめられている。
「……揃ったところで、単刀直入に聞くヨ? ……オブスタクルエスカレーションは、ないよネ?」
机に両肘をついて口元で手を組んだスティーブ。彼は重い話の時、いつもこのポーズをする。
オブスタクルエスカレーションとは、イベント難易度が連鎖的に上がってしまう現象である。Awakeは常時、被験者の感情フィードバックをモニタリングしている。現状の難易度が低いと評価すれば少し上げ、被験者の能力からみて高すぎる場合は下げる調整を行う。
過去、この評価システムの調整がうまくいかず、難易度が無限に上昇してしまうことがあった。
問題はその先、難易度が上がり過ぎてしまうことにより、被験者が仮想現実内で死を体験してしまうことにある。死の体験は睡眠状態の被験者にさえ強烈なストレスとなることがわかっている。
植物状態の被験者の場合、脳が「死んだ」と理解し、神経伝達回路の活力が著しく低下する恐れがある。最悪の場合も考えられる為、絶対に起きてはならない現象の一つである。
篠原はきっぱりと答えた。
「その兆候はないです。ガイドAIのイベント解決力をアウェイクが高く見積り過ぎている為で、このあとは安定すると思われます。疑似AIを用いた試験中にも同様のケースを確認済みで、アップデートの過程で再発しないことを確認しています。結論として、一過性の事象と考えます」
渚も頷きながら続いた。
「私も同意見です。被験者は十七歳の年齢相応のフィードバックを返しており、難易度を過度に上げる要素は見当たりません。ガイドAIも十六歳の年齢設定ですが、フィーリングパラメータにおかしな値は見受けられません。ただ、ガイドAIは被験者の手により対話システムがカスタマイズされており、同じタイプよりもスムーズな応答が可能です。その為、アウェイクが一時的に、人間二人分の難易度に調整した可能性があるとみています。システムはオールグリーン、正常です」