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—— WHO神経科学研究センター
神経科学研究棟1F Awake運用試験室
臨床試験二日目 ——
システムメインモニターのパネルには、被験者の身体情報の他、アウェイクの診断ログ、現在のアクティブモードなどのフィードバックステータスが、テキストベースで表示されている。各項目の右側には小数点第一までの数値とカラーマップが並び、一目で現在の状態を把握できる。
ユウトくんとアウェイク、オールグリーン。
カジュアルモードで運行中——。
ビデオウォールや携帯端末でも同じデータは確認できるが、目視による定期チェックは欠かせない。渚は現在時刻と診断結果をクリップボードの用紙にさっと記録した。
次に、パネルをタッチして被験者のシステムテーブルをベッドモードに切り替える。T字に広げられていた腕も、ベッドの変形によりゆっくりと折り畳まれ、水平になりながら渚の前まで静かにスライドした。
ニトリル手袋をつけた指先で、ユウトの瞼をそっと捲り上げる。ペンライトを当て、目視で瞳孔の反応を確認する——。光に応じて瞳孔はわずかに収縮したが、その他の反応はない。ペンライトに内蔵されたAIも同じ結果を示す。側面の小型ディスプレイには緑色の文字で『Pupils R / NR』と表示され、音声も同じ内容を告げた。
筋肉や呼吸など、身体の微細な変化はシステムテーブルのセンサーが二十四時間モニタリングしているが、この瞳孔の反応検査だけは人の手と目による検査方式を採用している。『瞼を捲る』という単純な行為でも、その奥には眼球という脳の一部に相当する部位が収められていることを考慮すると、メカニカルアームに任せるリスクが軽視できないからだ。
「室長、解析班からログのファーストレビューが上がりました」
オペレーターコンソールデスクから、待ちに待った一報だ。軽く手を上げて聞こえたことを示した。
被験者の行動や生成された世界は、アウェイクから取得したログを解析しなければ知ることはできない。ファーストレビューは、被験者や周囲のオブジェクト、そのコーディネイトやラベルの情報で構成されており、これを時系列に読み解くことにより、被験者の置かれている状況や行動を概ね推測できる。
オペレーションチームは被験者からの事前ヒアリングなども考慮してレビューを精査し、分析の妥当性を評価する。そのフィードバックはセカンドレビューに反映される。
自席に戻った渚はキーボードを操作してレビューを開いた。黒背景のコマンド ライン インターフェースにログデータが昇る。左からタイムスタンプ、座標、ラベル、その他の補足情報が並び、別のウィンドウには、ラベルがワイヤーフレームに置換された簡易的な動画が連動して表示される。最も、ラベルに手足のようなディティールはなく、単純な立体記号の形状だ。
ユニットリストを見る。ラベル名一覧の先頭にある「protagonist」「MIA」はユウトとサポートAIのミアのことで間違いない。「Obj_Tree_01〜N」「Obj_Flower_02〜N」「Env_Sky」などの名称からみるに、ユウトたちは森にいると推測できる。ゲームやファンタジーの世界を好む被験者によく見られるスタート地点である。被験者の年齢からみても、剣と魔法の世界である可能性が高い。
ファーストレビューでは発話の内容まではわからない。それでも、protagonistとMIAの座標がほぼ同じであることから、二人は協力して行動していると推測する。
早速「Enemy_01」と遭遇したようだが、MIAの「Effect_01」で撃退に成功したようである。Effectは魔法や超能力などにAwakeがよくつけるラベルである。映画やゲームの世界にしか存在しないはずの魔法を、現実のものとして目撃したユウトの驚いた顔が浮かび、思わず口元が緩んだ。
被験者のユーザーコマンドはロックされており、特定条件が満たされない限り実行できない。コマンド実行による予期せぬ挙動や、常時行われるモード評価への過度な干渉を防ぐためである。対して、ガイドAIには自然言語応答システムの実体化や、一部のライブラリが解放されている。
アウェイクが生成する仮想世界は、必ずしも人間が適応できる世界とは限らない。これまでのテストでも三次元とは異なる構造や、常識の通用しない世界が生成されたケースは少なくない。その度にアウェイクに対するプロンプトを見直してきたわけだが——、そのような環境においても、最低限のアクティビティを維持することが、ガイドAIに期待される役目である。
被験者は、脳の活力が覚醒に適した水準へ達したとき、初めて覚醒の手段が解放される。それまでは、ここがアウェイクの世界であると知られるのは望ましくない。ゆえに、ガイドAIでさえその事実を知らされていない。
ログを見る限り、地上や空が存在する。適応可能な世界とみて間違いないだろう。
そう安心したのも束の間、突如ログ上に流れだすEnemyの数に、渚は口元へ近づけていたペットボトルをデスクに戻した。
……Enemy_02、Enemy_03、Enemy_04……、なによこれ——。
被験者が戦闘能力を十分に習得したあとならまだしも、開始してすぐに、大量のエネミーオブジェクトに追い回されるイベントはこれまでに例がない。
急激なY座標の変化は高所からの落下を意味し、X座標の変化の速さは、何かに飛ばされたか流されたと読み取れる。ラベルには確かに、「Env_Cliff」「Env_River」の単語がある。
その後、座標の変化速度が歩行レベルに落ち着いた。
現実であれば生命の危機に相当するイベントが発生している。
「……ギサ」
アウェイクの診断ログを開く。常時グリーンで、イエローやレッドになったことは一度もない。
システムは正常……。エラーもない。これがカジュアルモードだっていうの? ありえない——。
「ナギサ」
その声と共に肩をポンと叩かれ、渚はびくっと振り向いた。
「きょ、局長、すみません。いらしていたんですね」
「今のは不可抗力だかラ、セクハラいわないでネ」
呼ばれても気づけない、渚は何度もやらかしたことがある。その度にスティーブは同じ冗談を微笑みながら口にした。
その顔が固くなり、渚も気を引き締める。
「ファストレビューのことで話がありまス」
「はい、私も丁度みていました」
「ナギサはどう思ウ?」
「ガイドAI……、ミアの存在が、アウェイクの診断に過干渉している可能性があります。以前、元プロボクサーのテストケースで、熊と遭遇するイベントが起きたことがありましたよね」
スティーブは頷きを返した。
「……私も同意見でス。午後にアナリティクスチームとミーティングを入れましょう。それと、この後のユウトくんの家族の面会ですガ、システムは正常と告げてくださイ。エネミーとの大量エンカウントについても伏せておきましょウ。ご負担をかけないようニ」
渚も同意見だった。ファーストレビューは断片的なことしかわからないし、家族にはどう伝えても、心労の負担になるだけだろう。
「承知しました。オペレーションチームは、今後のシナリオプレディクションを見直します」
スティーブが席を離れてすぐ、渚はコンソールモニターに視線を戻し、評価作業を再開した。
想定外はいつものこと——
そう繰り返し、胸のざわめきを意識の中で押し返した。