-> "story": return "episord 2: Whole New World" (4/4)
店を後にした俺たちは早速、飴を舐めてみた。赤っぽい見た目からも想像できた、チェリーの味だ。材料はわからないが、少なくとも味に関しては間違いない。
ミアにもそう教えると、
「これがチェリーの味……、相反する味が混じり合っていますね」
「甘いのと酸っぱいのだな」
「……はぁ〜ん、美味しいです〜」
片手のひらを頬に添え、ウットリ顔のミア。俺はその甘いひとときを邪魔しないように見守った。彼女にとって、『食べる』という行為も初めてなのだ。
もしあの森で遭難していたら、そこらに生えていた草や木の実に手をつけていたかもしれん。最初に食ったもんがこんなにも美味い飴で良かったなぁミア。
緩やかにカーブするメインストリートをしばらく歩く。露店に隠れていた石造りの民家と商店が次々と姿を見せる。路地裏のゴミ箱の上にいたのは黒猫だった。この世界にも猫がいるのだ。ただし、黒い羽が生えていたけど。
街灯も無くなったが、窓から漏れる灯りや、建物の壁にかけられたランタン、松明の火のおかげで、陽が落ちても道の形はよくわかる。
人はまばらだが、心なしか冒険者の姿が増えた気がする。
「そういえば、あの飴屋での最後の言葉、『ありがとう』でいいんだよな」
「グラーティア マクシマ、ですね。その通り、合っています。でも、ユウトさんの発音は……」
ミアがくすっと笑った。
なんだよ。
「……『グラウィア・マクラ』に聞こえたので、もしかしたら別の言葉に聞こえたかもしれません。ふふっ」
「え? 意味は?」
「グラウィア・マクラは、深刻な染み、という意味です」
うん、やっぱり習得は諦めようか。
俺は軽く滲んだ目を拭うように、そっと瞼を閉じる。
「ああいうのは、伝えようとする気持ちが大事ですよ、店主さんも笑顔でした。大丈夫です」
気を落とした俺を気遣うミアの優しさが胸にくる。
自分の力でなんとかしたい。その気持ちは十二分にある。
せっかく歩けるようになった。やりたいことだって山ほどある。
でも、俺はもう学生ではないのだ。
食っていくための行動をしなければならない。
空を見上げたのは、ため息を夜空でかき消したかったからなのかもしれない。
俺を否定する星なんて、一つもなかった。
「……ミア、俺がこの国の言葉を習得するのは、一生かかっても無理だと思う。プログラムの力でなんとかできないか?」
ミアの眉に若干しわが寄る。
「私もユウトさんの言語障壁問題の解決方法を考えているのですが……、私の力は、ユウトさんの肉体そのものには実装できないのです……。自然言語応答システムもアプリ化するには容量が大きすぎますし……、できたとしても実装の方法が——」
「なるほど、実装の方法かぁ」
「技術的には可能なんですよ?」
それ現場の人がよく言うやつー。
——というツッコミはさておき、
俺自身に実装するには無理。
じゃあ、ミアが生み出したものなら……、
自分の体を覆う革と鎖の防具を見やる。
「この装備品、ホームページなんだよな」
「はい、そうです。エイティエムエル6をベースに、この世界のライブラリも使って描画しています」
「それなら……、エイチティエムエルにフォームを実装、聞こえた音声をテキストに変換、自動入力させてポスト。バックエンド側で受け取って、日本語とラテン語を相互変換しつつフロントエンド側に返す……ってのはどうだ?」
ミアを見やると、パチクリとした目で俺を見ていた。
なんだよ。
「ユウトさん……、プログラムの勉強ってどれくらいされてるんでしたっけ……」
「車椅子生活になって、高校に入ってからだから……、一年くらいだけど?」
「すごいです。私は世界中のエンジニアからの質問に答えてきましたが、同じ解答を出せるマスターエンジニアがいるかどうか——」
「大したことないって。ミアはたぶん、自発的に考えるのに慣れていないんだ。人間として生きていくなら、それは乗り越えなきゃな」
偉そうなのは百も承知だが、多少は煽るのも必要だろう。
このままだとミアが指示待ち人間ってやつになってしまうかもしれん。
「……負けてられませんね」
ミアが強気に眉を内側に寄せた。
「実装の問題は解決しました。あとはユウトさん用のインターフェイスです。ゴーグルのようなものを描画して、そこに翻訳したテキストを表示しましょうか? これならすぐにでも——」
「いや、できれば俺の声がリアルタイムにそのままラテン語になってほしいし、周りの言葉は日本語で聞こえてほしい。不可能ではないはずだ」
「なるほど。リアクティブ処理を応用すれば可能です。でもマイクやスピーカーがないとその実装は無理です。この国の科学レベルでは、そのようなデバイスは存在しないと思われます」
「でも、でもさ——」
俺は立ち止まり、推論の言語化を試みた。
不思議なことに、自分の実力を超えた何かが頭に振ってきて、勝手に口が開いた。
これが噂に聞く、プログラマーズ・ハイってやつかもしれない。
「……声って、所詮は音の振動だろ? あの時計台の鐘の音と同じだ……。例えばさ、動的に口がかわる笛のようなもので……、聞こえる声と俺の声の音波を、動的に変化させる処理はできるはずだ。AIのきみなら……」
地面を向いていた視線をミアに戻す。
バネのようにぎゅっとした顔が、ぱっと花が咲いたように明るくなり、息を弾ませた。
「ユウトさん……、あなたは天才です!」
両手を高く掲げて興奮を解放したような——、そしていつもの詠唱を始めた。
「こんなにも素敵な指示を実現できるなんて……、AI冥利につきます。この気持ちが、『幸せ』という感覚なのでしょう」
手のひらでつくられた器の中で、光の糸が高速で渦を描いていく。その渦はやがて、黒みを帯びたサークルの形を成していった。
できあがったのは、黒い輪っかだった。
「これはチョーカーのつもりです。首につける装備品です。ユウトさんのアイデアを詰め込んであります」
そう言いながら、ミアが正面から俺の首にチョーカーを取り付ける。陶器のように整ったミアの顔と、純白のローブから露出した鎖骨付近の肌が目の前に迫り、視線のやり場に困る。
「このチョーカーは全体がナノサイズの共振空洞になっていて、その形状はリアクティブ処理の応用で、人間の声に合わせて動的に変化します。あと喉の動きや鼓膜から伝わる振動も考慮します——」
カチっという音と共に取り付けが終わった。
「ユウトさんが発した声は全てラテン語に、聞こえた声はすべて日本語に変換されるはずです」
しかし、変化がわからない。
ちょうど周囲に現地の人もおらず、テストもできない。
「ミア、ラテン語で話してみてくれよ」
「ふふっ。私、もうラテン語で話していますよ」
「え? まじで? じゃあ俺の声もいまラテン語なの?」
「はい、厳密にはこの国の言語は、ラテン語に似た別言語なので、少しカタコト気味だと思いますが、会話に支障はないでしょう。ネイティヴだと逆に怪しまれるかもしれませんし」
「十分だよ! さすがミア! ありがとう!」
ミアがいつものように右腕を控えめに上げたが、ウィンクの前にその手を下げた。
「……お安い御用でーす、と言いたいところですが、今のMVPは間違いなくユウトさんですよ」
褒められることに慣れていない俺は、ミアの賞賛にどう反応していいのかわからくて、口元の端を少し緩めるくらいのことしかできなかった。
そんな俺を、ミアは優しい笑みで包み込むように見守ってくれた。
ただ嬉しくて恥ずかしくて、これじゃあミアのほうが全然人間らしいじゃんって、思ったりもしたのだった。
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