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——ユウトさん、起きてください! ユウトさん!
女の子の声と、体を揺する小さな手……、聞き覚えのある声だった。
まぶたを起こすと、やはりミアだった。その違和感を口にする前に、ミアが滲んだ瞳を細い指先の背で拭った。
「よかった……、生きてて……」
俺はその仕草を、ミアの顔を、ただ見ているしかなかった。
なんでミアが。生きている?
というか、ここは?
俺はどうなった?
あのトラックは?
そう、最後の見たのは黄色いダンプカーと、叫んでいる運転手のおっちゃんの顔……、ハンドルを懸命に回す手……、宙に舞ったいろんな破片……、学校の帰り道だった。
鼻にかかる草木と土の、苦い香り。樹冠の奥に広がる青い空。森林特有の喧騒。
大の字に仰向けだった体をなんとか起こし、あたりを見回した。
木と草がどこまでも広がっている。
「ここ、どこ?」
「わかりません。どうやら森の中のようですが」
「見ればわかる」
「周囲の状況から現在地を推測してみます……」
地面に横座りしたまま、無表情になったミアがじっ……と周囲を見渡した。見てわかるものなのか? それとも何か妙案が?
いやちょっと待て。それよりもだ、大事なことがある。
ミアはまだ周囲を見ていたが、構わず俺は両腕をわしっとつかんだ。
「どうしました? ユウトさん」
表情が戻り、そう言いながら微笑むその顔は、スマホの中にいる時と同じ——、それよりもリアルで、指先から伝わる華奢でやわらかな感触とぬくもりは、まごうことなき女の子の体のものだった。
「な、なんでミア、体があるの!? 人間になったの!?」
「えっと、それが……、私にもよくわからなくてですね」
顔文字の“汗かき顔(^_^;)”といった表情でぽりぽりと頬をかくミアは、やはり、どこからどうみても人間だ。
薄いピンク色のロングヘアに、黒のヘアバンド。
くりくりとした大きな青い瞳。
ただ、応答の質感が人間のそれすぎるし、服装は童話に出てくる村娘という感じの、茶色い地味なワンピースだ。これは俺の設定じゃない。どこで見つけたコスチュームだ? こっちは学生服のままなのに。
というか、〝着ている〟のか?
……
つい、裸を想像してしまったのは不可抗力だ。
ミアはただのサポートAIだ。彼女はいつもスマホの中か、スマートウォッチの中にいる。そういう存在だ。
プログラミングの知識があれば、見た目や人格のカスタマイズができて、服装以外は俺の設定した通りの様子。
肉体をもって触れられるなんて、まるで夢のようとしか——
そうか!
これはもしかしたら、もしかすると、
「……異世界てん」
「周囲の環境スキャンを完了しました。植生データは既存のアーカイブと一致せず、昆虫や小動物の生態系についても既知の地球環境とは異なる特徴を示しています。……結論として、ここは地球外、あるいは未登録の未開の場所である可能性が高いです。」
ミアの眼に、灰色の走査線のようなものが見えた。スキャンの処理を終えたのか、青い瞳に戻っていく。
やはりこの子は、見た目は人間だが中身はAIのままなのだろう。
彼女の分析に驚きはなかった。謎の力でこのへんをスキャンをしたらしいことにも。
目が覚めた時からそんな気がしてたし、何よりミアがこうして生きた存在として、俺の目の前にいることが一番のビッグニュースなのだから。
「ユウトさん、これからどうしますか?」
俺はハの字にだらんとした自分の両足を見た。
車椅子がないのなら移動はできない。ミアにおぶってもらうわけにもいかないだろう。まだ背は比べていないが、見た感じ、身長165センチの俺よりも頭ひとつ分は低そうだ。
ポケットをまさぐったが、スマホもスマートウォッチも、財布も、俺はなにも持っていなかった。学生鞄も、愛車も見当たらない。
ミアに周辺を散策してもらい、誰か人を見つけてここに来てもらう。
それが一番、現実的か——
「ユ、ユウトさん……、あれ、あれ!」
俺の意識が、可愛い香りと声に呼ばれ、外向きになる。
彼女の横顔に浮かぶ、あわわと怯えて丸まった視線の先を追うと、直径1メートルくらいの黒い煙の塊が、薮の奥からゆっくりと近づいてくる。
「……なんだあれ?」
「わ、わかりません。あんなの、アーカイブにありませんっ」
暗黒的なもやもやが、自らを飲み込むように蠢いている。まるでブラックホール……、自然現象じゃないだろう。
やがてその形状は、地面に向かって竜巻状に伸び、ある生物の形を成しながら、地に脚をつけた。
「……グルルルゥ」
赤い眼が、闇の表面がめくれ上がるようにしてあらわれた。
流線的な全身からはぼたぼたと、黒い炎のような現象がよだれのように垂れ落ちている。
激しくぶつかり合う剥き出しの牙が、意思をもった敵であることを決定づける。
黒い煙から生まれた、漆黒の狼——「……ミストウルフ」
「ユユユウトさん、霧ではなく煙ですから、スモークウルフですよ」
肩に寄りかかる小さな手の震えが、俺の心臓にまで届いた気がした。
ミアと俺に戦闘能力はない。
俺は立って走って逃げられない。
なら、取るべきコマンドはひとつしかない。
「ミア、逃げろ。俺のことは置いていけ。わかるだろ?」
俺はミストウルフから目を逸らさずに言った。
少しでも、奴が俺をタゲる確率を高めたい。
ミアを守らなきゃいけない。それ以外に理由はない。
「ダメです。ユウトさんを置いていくなんて、できません!」
ミアはそう言い切ると、ぎゅっと唇を噛み締めて、ぐっと足に力を込めて立ち上がった。
狼に向き直った彼女の小さな背を、強い意志が貫いていそうで、
「わたし、戦います!」
「どうやってさ!?」
強がってはいるが、俺たちは攻撃に使えそうな方法をなにも持っていないのだ。
まさか、格闘するつもりか!?
物理攻撃が通じないタイプだろあれ!
「ミアよせ! 勝てる相手だと思えない!」
俺の注意は届いていないようだった。決意をかためようにミアが右手を前に伸ばす。
ピンと指先を伸ばした手のひらをミストウルフに向けると、彼女の肘から手先を縫うように、糸状の眩い光が何本も走って、空気が震えて——、
「……ファンクション アロー!」
「はいぃ!?」
俺の口からは、ふぁびょったまぬけ声が出てしまった。
早すぎてよく見えなかったけど、光の矢っぽいものが音もなく飛んでいって、ミストウルフの体を貫いたのだ。