デートは男が奢るもの……?
その日、稲塚君はデートの初めから何か嫌な予感を覚えていた。彼の恋人の唄枝さんは年齢よりもかなり幼く見えるばかりではなく、その見た目相応に性格も幼い…… と言うよりも、依存的と表現した方が良いかもしれないのだが、直ぐに周りの影響を受けるし、あまり深く物事を考えない。その日のデートはレストランでの食事で、彼女はにこにこと笑っていた。そして、いつもよりも化粧が濃かった。化粧は薄い方が彼の好みだったがそれは言わなかった。気を悪くさせてしまうかもしれない。
きっと女友達から何か影響を受けたのだろうな、と彼はそんな彼女の様子にそう思っていたのだが、案の定だった。残るはデザートのみというタイミングで彼女が言った。
「デートは男性が奢るものなんだよ、稲塚君」
んー……
頭を抱える稲塚君。
「それは誰が決めたのかな?」
と、取り敢えず訊いてみる。「誰が?」と唄枝さん。
「別に誰がとかじゃないよ、そーいうマナーなんだよ」
「つまり、風習とかそういうのってこと?」
「そう」
分かっている。女友達がそのように言ったのだろう。彼女をからかったのか、本気でそう思っているのかは分からないが。きっと化粧が濃いのもその所為だ。「女はお洒落にお金をかける代わりに、男はデート代を奢る」とかそんな事を言われたのだろう。
嘆息する。
「僕の知っている限りでは、そんなマナーはないと思うよ。そもそもそんなの社会の側から強制されるような事じゃないでしょ? 二人の間で決めれば良いんだよ」
「んー でもー……」
何か言いかけるのを手で遮って、彼は続けた。
「まずは話を整理しよう。“デート代を男が奢る”という事には、メリットとデメリットがある。そしてそれは女性側からの場合と男性側からの場合でそれぞれ違って来る」
「うん」と彼女。
なんだかよく分からないけど、何か難しそうな事を言い始めたから取り敢えずは聞いておこうとか思っていそうな感じ。
「一気に出すと混乱するから、女性側のメリットから話そう。
女性側のメリットは、もちろん、一つは“金銭的な負担が減る”だろう。でも、それだけじゃないよね?」
それを聞くと、「それだけじゃないの?」と唄枝さんは不思議そうな顔を見せた。
「それだけじゃないよ。まず、“奢れる”のだから、男性側にそれだけ経済力がある事が分かる。パートナーとして、女性にとっては重要な条件の一つだよね。そして、男性がそれだけの金をかける価値が自分にあると思っているとも分かる」
その説明に彼女は機嫌良さそうにした。やっぱり男性側が奢るので問題なさそうだと思っているのかもしれない。
「でも、“金をかける価値がある”と一言で言っても色々とあるよね? そしてそれはその男性がどんなタイプかに因るんだ」
「どーゆーこと?」
「うん。じゃ、ここで奢る事の男性側のメリットを考えてみようか。
1、相手の女性に心酔している場合限定だけど、その女性に奉仕することで喜びを感じる。
2、奢ることで相手の女性に優越感を覚えられる。
3、保護欲求を満たせる。2のケースと似ているけど、先の事例が支配欲求であるのに対して、これは親が子供を守りたいみたいな感情に近くて、そこに違いがある。
4、女性の肉体だけが目当てで、金を出すだけで好意を得られて手っ取り早いと思っているケース。つまり、女性を騙したいと思っているのだね」
「う…… うん」と唄枝さんは返した。何だか話の雲行きが怪しくなってきたと思っているのだろう。稲塚君は構わずに続けた。
「この内、女性側のメリットと合致するのは、1と3のケースだと思う。2のケースの男性は一緒に生活する女性に高圧的な態度を執るかもしれないからね。ま、女性がどれだけ不幸になるかは程度によるし結婚を考えていないのなら大きな問題はないけど。4の場合は言わずもがなでダメだ。1の場合に関しても、長期的に捉えると問題があるかもしれない。崇拝ってのは冷めるもんだよ。宗教の場合なんかだと集団心理で長続きするけど、個人間だとそうはいかな」
そこまでを説明すると、稲塚君はにこりと笑った。
「さて。唄枝さんは、このうちのどのタイプだと僕を思ったの?」
それを聞いて、唄枝さんは分かりやす過ぎるくらいに困った顔を見せた。
「えっと……」
当然、そこまで深くは考えていない。そして、そのうちのどれにも彼は当て嵌まらないとも思っているようだった。そのタイミングで彼は口を開いた。
「当然、先のケースに当て嵌まらない男性も多い。例えば、相手の女性を対等なパートナーだと思っていて、だから女性に奢ってあげることにメリットを感じていないタイプ」
一呼吸の間を置く。
「さて。僕はこの内のどれだと思う?
もし、対等なパートナーだと思っているのなら、“奢って”なんて言われたら、その女性を軽蔑してしまうかもしれない。
そしてこれは女性側のデメリットだね。相手の男性のタイプによっては軽蔑されてしまうかもしれない」
「うー」と、その言葉に唄枝さんはうつむく。そして、「ごめんなさい」と、謝ったのだった。
「うん」と、それに笑って稲塚君。
それでもちろん、唄枝さんは大いに反省したようだった。軽く落ち込んでいる。
女性が“奢って”と要望するのは、相手がどんなタイプで、そして自分が相手の男性に何を求めているかによるのだ。
……ただし、そんな様子の彼女を見て、
“やっぱり、唄枝さんは可愛いなぁ”
などと、稲塚君は思っていたりしたのだった。
つまり、彼女の意図しないところで、確りと効果はあったのである。