父の後悔
「だから申し上げたのです。我が国の色を持たぬ子など臣下の養子で十分だと。なのに陛下は私の言葉などお聞き入れくださらず・・・! 結果あんな得体のしれぬ花の紋を浮かび上がらせるなど、王家にあってはならぬ醜聞です! 陛下! 聞いていらっしゃいますの!?」
(あぁ・・・また王妃殿下が騒いでいる・・声が近いな・・・)
「ユジェーヌ、仮にも意識をなくした者の前で何を言っておるのだ。もうよい。下がれ。そもそもお前にこの離宮への入室は許可しておらぬ。」
バタンという大きな音とともに周りが静かになったことでまた意識が遠のき始めた時、
ジャンルードは気づいた。
(陛下・・? 国王陛下!がなぜここに!?)
まだぼんやりする頭を奮い立たせて、身を起そうとするジャンルードに、国王アレクセイは鷹揚に手を振りながら
「よいよい、寝ておれ。突然のことで体が追いついておらん。クリストファーもそうであったが、お前もかなり困難な道になりそうだな。」
と枕元の椅子に腰掛け、2日ぶりにやっと目を開けた息子の顔をじっと見つめた。
「私にいったい何が起こったのですか? 父上」
「そなたにもやっと花が咲いたのよ。ただな・・・少し問題がある。アレンがな、『事典に載っておらぬ』と言いおってな。それで王妃が騒いでおったのよ。」
「載ってない花?」
手を持ち上げて見ると、右手の見慣れた紋章の中に見たことのないハート型に似た花弁が5枚ついた花が浮き上がっていた。しかも桃色よりもさらに薄い、白にも見て取れる薄いピンク色がついている。
【色付き】は滅多に表れることはない。事典に載っている花が刺青のように浮かび上がるのが通例なのだ。現に国王の花は【色なし】だ。クリストファーが【深紅の薔薇】という【色付き】だったからこそ、その花を探し求め、婚約者を決めるのに5年もかかったのだ。
「私に・・・【色付き】ですか・・・。しかもこの花は一体・・・」
「アレンも解らんというばかりで、城中の古書を読み漁っておるよ。少し時間がかかるかもしれぬ。お前はとにかく体を休めよ。【色付き】が出た者は魔力も体力もその出現に大半を持っていかれて倒れるのが常だからな。」
「はい・・・ありがとうございます。父上」
そういって薄く微笑む息子の頭に手をのせ、年老いた父は静かに言葉を紡いだ。
「あれを赦せとは言わぬ。本当にすまぬ。あれがあのような女になったのは全て私の不徳ゆえなのだ。」
「私は大丈夫です。父上・・・」
前国王が他の王子よりも紋章を円に近くなるほどに己を鍛え上げた現国王を王太子と定めた時、それに不服を唱えた兄王子が王および王太子の暗殺を企てた。神託に反する行いに王宮内は混乱を極め、未だ花も顕現しないままだった王太子は王となり、独身のまま国を治め始めた。【色なし】の椿が右手に現れたのは王が32歳の時で、次代を待ち望む周りに押され、赤椿を胸に刻むアスター侯爵令嬢ユジェーヌを王妃として迎えた。2年後王子クリストファーが誕生、続いて王女ウィステリアが誕生し、王家は安泰だと国中が安心したのもつかの間、王は真の花を見つけてしまった。他国を訪問した帰りに訪れた辺境で。バクストン辺境伯令嬢、白椿を刻むキャロライン。ジャンルードの母である。
「元々、唯一に出会うものは少ない。見つけるまで独身でいるというのは平民はいざ知らず、王侯貴族には無理な話。神託を下された神もそれは御存じであったからこその【色なし】なのであろうと思う。相性の良いものが持つ花という意味で今ではとらえられておるからな。しかしながら、出会えないと思っていた唯一と出会ってしまったとき、私は己を止めることができなかった。キャロラインもだ。お互いが唯一であると見た瞬間解ってしまったのだ。離れることもできずそのまま王都へと連れ帰ってしまった。王妃をどれだけ傷つけるかなど、考えもせずにな。」
「父上・・・・」
愁いを顔に張り付けたまま、国王は笑った。
ジャンルードにとって、目の前の父がそのような懺悔めいた言葉を紡いだこと、後悔を露わにしたということは青天の霹靂だった。父王は賢王と呼ばれ、良い父であり、偉大な王であった。豪快に笑い、確固たる信念で間違えることなどないのだと。そういう人物だと思っていたのだ。
「・・・父上は母に会ったことを後悔されておられますか? 私が母の命を縮め産まれたことを憂いておられる?」
「そんなことがあろうはずもない。キャロラインは元来病弱であったから、妃選びの際にも登城しなかった。それでも出会ってしまったのだよ。あれは長くは生きられぬ身で最期の時を共に過ごせてよかった、子を産む奇跡を叶えられたと笑っておったよ。出逢えたこともお前の誕生も心から神に感謝し幸福だと思っておる。しかしなぁ・・今でもふと考える。神託に背かぬように、己を律し鍛えた結果、兄には憎まれ、なるはずもなかった王になった。王になどならなければ、王妃をあのように変えてしまうこともなく、王弟としてキャロラインと出会えていたのではないかと。女二人を不幸にした挙句、お前にもこのような不自由な生活をさせずに済んだのではないかとな。」
「私は不幸だと不自由だと感じたことはありませんよ。王妃殿下が私を嫌うのは当然のことだと思っておりますから。それに兄上は私よりはるかに優秀で王太子として立たれて当然の方。私は臣下として兄上にお仕えできることを光栄に思っております。」
「ジャンよ。お前は少々聞き分けが良すぎる。諦めも早すぎる。なるほど神もよくお考えだ。【色付き】ならば、お前は諦めることは叶わぬものな。」
「父上・・・お戯れを。諦めずに探すことなど、一人で生きていくと決めている自分には無意味です。」
そういったジャンルードに、父の顔から王の顔へと戻った国王が宣言した。
「ならぬ。王子は妻帯が必定。花が咲いた以上、探し求め縁を繋げねばならぬ。しかもお前は【色付き】だ。真の縁を繋げば己の最大の力を得るという。お前の唯一。見事探し出してみよ。」
「・・・かしこまりました」
「ではゆっくりと休め。後ほどアランが来るであろう。」
そう言いながら、子供の時のように頭を撫でる父をみて、あぁ、親子だな。と兄を思い出して苦笑してしまったジャンルードである。
「・・王命かよ・・・。」
王が退室して初めて、力なく呟くと、それは広い自室にことさら響いた。
成人してはや6年。22歳となっても顕現しない花に、もしかして独身のままであるかもと考え始めてもいた。なにせ16の成人の段階で半円程度の紋章であれば、花がその前後に顕現し出会いが何かしらあるのだ。殆どが【色なし】であるため、その花を持つ娘を探し求めその中から気が合い添い遂げられると決意できるものを選べばよい。少し条件のある婚活だと思えば、気安いし、これ以上の能力よりも気に入った娘を選ぶ。というのであれば平民などは顕現した花と違う花を持つ娘と結婚する者もいる。それがどうだ。いきなり花が顕現したかと思えば【色付き】。しかも見たこともない花だという。
「なんなんだよ…この花は…」
右手を顔の上にかざしてじっと見つめる。見慣れた花の紋様とはどこか異なる。単純な形のようにも思えるが調和のとれた複雑さも感じられる。何よりこの微妙な色合い。常春の大陸らしく色とりどりの花が咲くため、我が国の女性に過去現れた花紋を全て記した事典は世界随一の厚さを誇る。そして王宮の書庫ともなれば、各国、各民族の事典も保管されているのだ。それに載っていない花など、あるのだろうか。新種の花紋が現れたなどという噂があれば、あの男が知らぬはずがない。こと花紋に関してはあいつは変態だ。
「あいつの調査次第では、ギルドに顔を出してあっちで生きていかねばならなくなるかもな…」
兄を守る剣となるため生きてきたが、生い立ちのせいか『王子』という身分に自覚はあっても、ことさら執着する理由もない。父が言うように諦めも早く、何に対してもいつも心は凪いでいた。
まったく。いきなりありえない天候になったかと思えば。
いくら悩んでも解決の糸口すら見つからないのだ。未だ全快時の自分とは程遠い。ベッドに深く沈み込み、ゴロゴロと寝返りを打ってはジタバタする以外することもない。
「お悩みだねぇ。第二王子。お加減はいかがかな?」
そうからかうような笑みを含んだ声で自分を呼ぶ声に扉のほうを振り返れば
そこには心配げに自分を見つめる兄と、幼馴染でもあり、当代随一と呼ばれる花紋の変態、いや賢者のミドルガルト侯爵嫡男、アレンデール・フォン・ミドルガルトが立っていた。
「さて第二王子。自分の運命と対峙する覚悟はできたかい?」