持たない者同士だからこそ解る
ジャンルードが革の手袋を外した時、カイドは自分の運命がやはり神に示されていたものだと理解した。あの日湖にいた美桜を自分が保護しなければと思った訳も。最愛の妹。体が弱く領内どころか、領都の市に出かけることすら滅多にかなわない、それでも日々笑顔で皆を癒していた『バクストンの月姫』。その妹のたった一人の忘れ形見、ジャンルードの『唯一』を自分が救うことになるとは。
「サーシャ! 来てくれ!サーシャ!」
ドアをあけ放って大声で呼ぶカイドに、ハリスとジャンルードは驚いた。とりあえず座れ。とソファを示され、ジェームズがタイミングよく持ってきたワインに手を付ける。そうしている間に軽食を持ったサーシャが入ってきた。
「まぁまぁ、カイドったら。そんなに興奮して。よっぽど『宵闇の君』に逢えたのがうれしかったのね。初めまして。ジャンルード様。カイドの妻、サーシャと申します。あなた様のことは結婚する前から聞いておりました。逢いたくても逢えぬと。御逢いできて光栄です。」
サーシャはゆっくりとほほ笑むと優雅なカーテシーをとった。
「こちらこそ、御挨拶が遅れて申し訳ない。ジャンルードです。伯母上。初めてお目にかかります。」
「まぁ。伯母上ですって。嬉しいわ。それで私に御用なの?カイド。」
「これを見てくれ。」
カイドがぐっとジャンルードの手をサーシャの前に突き出す。サーシャはその紋章を目にして「まぁ・・・」と呟くとカイドの隣の椅子に腰かけた。ジェームズもカイドの後ろに立ち、眉間にしわを寄せている。
「ジェームズは元々俺の爺やだ。信用していい。話せ。ジャンルード。」
ジャンルードはカイドに嵐の夜、雷とともにこの花が現れたことから今までのことを話した。この国にない花で、アランから「落ち人」の可能性があるといわれたこと。神官長殺害の疑いをかけられ幽閉されたこと。父と兄の様子がおかしく、何かあったに違いないことを。
「お前が無事で本当によかった。そしてお前が『唯一』を見つけたことを本当に嬉しく思う。少々てこずるとは思うがな。」
「伯父上…それでは。」
「あぁ。美桜がそうだ。」
カイドは美桜と出会った時のことを話した。森の中、たった一人でいた時のことを。
――なんということだ。あの嵐の夜、一人で森の奥にいたとは。
ジャンルードはその時の美桜のことを思うと、無性に自分に腹が立った。自分はその後二日目覚めなかったのだ。
「それは仕方がない。俺も色付きだったからぶっ倒れた。色付きの男は、自分の持つ最大限の力を持って選び出す。自分の花を。それでな。あいつは今やっと日常会話ができるようになったくらいだ。知識もまだ乏しい。そして自分の存在をまだこの世界に適合させることができていない。拠り所がないんだ。そしてな、あいつは多分、『生きるため命を奪う』という概念がない。」
「伯父上。それは一体・・・」
ジャンルードは首をかしげる。『命を奪えない』とは。
カイドは組んでいた長い足をおろし、両膝に両肘をおいて前のめりの体勢で溜息をつく。
「あぁ。あいつのいた世界では、肉はもう解体された状態で売られ、よほどのことがない限り、食べ物を得るのに危険はないのだそうだ。女が一人で旅行もし、夜中に外を出歩けるらしい。大多数の人間は武器を持たないし、扱い方も知らない。『命のやり取り』が日常的にない。だから、美桜は自分が生き残るために他人の命を奪うことを、おそらく本能的に避ける。多分よっぽど誰かを守りたいと思わない限り、攻撃魔法も発動しないだろう。」
――そうだ。魔法はイメージ。殺す、息の根を止めるとイメージできなければ、攻撃魔法は使えない。
「そんな安全な世界から夜にリンフォールの森で一人・・・ですか。神様も酷なことを。それで、彼女の鑑定は・・・できるはずないですね。『落ち人』なら」
『落ち人』は世界中から狙われる。ハリスもまた、彼女の境遇に同情したふうにため息をついた。
「そうだ。だから美桜はまだ自分が何者で、この世界で何ができ、どう生きていくかの指針すら持てない。必死でこの世界に馴染もうともがいている寂しい、悲しい娘だ。」
いつの間にか、外は静かに雨が降り出していた。優しい雨が果樹園の木々を濡らし、蛙が遠くで鳴いている。
「・・・・彼女に家族は? 伝承では『帰りたい』と強く願っていた者が帰ったとききましたが。」
ジャンルードがそう聞くと、サーシャが涙目になりながら、首を振った。
「私たちもその伝承は調べたわ。あれは正確には『帰りたい、帰ってこい』と『願い願われ』なければならない。美桜は恐らく「帰れない」。強く願うはずの者たちがいないのよ・・・。美桜に家族の話を聞いたことがあるの。『母が亡くなり、父が若い妻をもらい、跡取り息子ができたので、6歳から親元を離れ、祖母の死後は逢っていない。』と言っていたわ。」
――そんな。6歳など、まだ子供ではないか。と問いただすと、美桜の世界では6歳から長ければ20代まで学ぶ機会が与えられ、特に15歳までは学業は「義務」なのだと笑っていたあの子。寮に入って友達もできて、長い休みは祖母の家に戻って、それなりに楽しく過ごしていたのだ。と何でもない風に言ったあの子。
「そんな美桜が、やっと好きになって嫁入りしようと家財道具持ってその人の元に旅に出たら、相手は他の女と逢っていたそうよ。その別れの帰りに、ここに落ちてきたの。私はね?殿下。あの子を返すつもりはないの。どんなに進んで安全だろうと、あの子を大事にしない世界に、私の娘を戻してなるものですか。あの子はまだ言葉もつたないうちから「母様」と呼んで必死に学ぼうとしてくれた。母様の風は優しくてきれいだと。あの子はもう私のものよ。バクストンに連なるもの、ヴェルノウェイの女よ。返さないわ。絶対に。」
ボロボロと涙をこぼしながら、それでもサーシャはまっすぐにジャンルードをみる。控えていたジェームズがそっと言葉を発した。
「お嬢様は、「一人で生きる」ということが「当たり前」で、頼ることも甘えることも本当に下手でいらっしゃる。いつもまず周りを見て、他人を気にかけていらっしゃる。それがいじらしくてならないのです。この屋敷の者はみな。見も知らぬ世界に落ちてきて、怖くないはずも淋しくないはずもないのに、あの方はいつも笑っていらっしゃるのです。この屋敷に来たその日から。」
ジャンルードは先ほどの美桜の笑顔を思い出していた。何も心配などしていない、魔法ができて純粋に喜んでいた彼女の笑顔。あの笑顔が素のままの彼女であるのなら。どんなことをしても守ってやりたい。
「しかし、神はよくもまぁ、いいめぐり逢いを用意してくれた。お前なら理解してやれるだろう?親のいない寂しさも。家族の団欒に交じれない悲しさも。居場所と自分の存在意義を探し求める熱も。」
「えぇ。俺は知っています。それがどんなものなのかということを。ようやく解りました。俺の花がどうして『落ち人』なのか。ありがとうございます。伯父上。伯母上。彼女を救っていただいて。」
まっすぐに自分たちを見つめる甥に、彼らはようやく美桜にとっての「鎹」を見つけた。と安堵した。あの子の悲しみを、それを知るこの王子なら癒してやれる。だがしかし。
「・・・すぐには嫁にはやらんぞ? 手出しもダメだ。ちゃんと大事に扱え。無理強いはだめだ。いいか。解ってるな?」
そう言い始めるカイドに、サーシャとジェームズは笑いだす。
「何言ってるの? 私に対してあなたがしたのはどんなことだったかしら。あの子が幸せになるのなら、何したって私は殿下の味方よ? でも泣かせたり、悲しませたりしたら・・・私の風で切り刻むわ。解ってるわよね?」
そうこちらを見る伯母にジャンルードは慌てて告げる。
「えぇ。解っています。大事に、ちゃんとまっすぐ向き合います。泣かせたりしません。」
慌てるジャンルードを見ておかしそうに、ハリスが言った。
「大丈夫ですよ。こいつ、逢ったばかりで二言三言話しただけの彼女が忘れられなくて、2週間も悶々としてましたし。どんな御令嬢にもなびかなかったのに、逢ったばかりの子に『綺麗だったな』ですよ? ずっと傍にいて初めて聞きましたよ。そんな言葉。「唯一」っていうのはすごいですね。俺はまだ花すら顕現してないのでわからないんですが、普通に好きになるのとは違うんですね。」
サーシャは嬉しそうに笑った。
「それが『色付き』の「唯一」よ。逢っただけでわかるの。相手に好きになってもらえたら、余計に感じるわ。世界が変わるから。」
確かに。自分の世界は変わりつつある。ほんのりと温かい自分の心に、ジャンルードは冷えていた自分を今更ながらに気づかされていた。




