猫家博則 操り人形だった男
side猫家先生です。
「なんでこんなことに」
あの日から何度この言葉を口にしただろう。
かつての教え子が凶刃によって刺殺された。犯人は俺の軽率な行いで拡大した活動の被害者の息子だった。
教職に就いたのは両親ともに教師の家庭に育った俺が子供の頃から漠然と俺も教師になろうかなって思ってたからだった。
特にほかに夢も見つからず、趣味はあれど仕事としてこれをしたいと思うこともなく、教育学部のある大学にいき、実習生として地元の中学校に赴任した時も、あー将来はここで働くんだな、としか思わなかった。
そんな俺も教師となり、初めて担任を受け持つことになった時は少しだけ嬉しかった。不思議とこれで俺は両親のようになれたと思ったのだ。
だが、うまくいかなかった、担任としての初めて生徒を指導していく中で、思うように生徒を抑えられない、そして、それを一部のベテラン教師からネチネチと嫌味を言われる日が続いた。
生徒人気はあった、一部の生徒とは良く打ち解けていたが、ひとクラスを受け持っている以上、全員と平等に接しなければと思う程に反対に一部の生徒から距離をおかれていると感じる。もしかして、いじめがあるんじゃと不安になっていた頃、嫌がらせをしてくるベテラン教師を頼れずにネットの人生相談に頻繁に出入りするようになった。
そんな中で、ずいぶんと評判のいいサイトがあるとの情報を見つけた。素性の良くわからない人物のブログからサイトへの誘導があり、余り期待せずに相談する。はっきり言えば、この頃は誰かに聞いて貰えるだけで良かったのだ、うちに抱えているより、ぶちまけた方が精神衛生上いいというだけだった。
それでも、丁寧に相談に乗ってくれるこの人物に好感を抱いた俺は度々訪れては相談を重ねた。すると、まるで見てきたかのようにこういう生徒とはこう付き合うといい、こういった話題は盛り上がる、逆にこれは避けた方がいいとやたら具体的なアドバイスをしてくるようになった。半信半疑ながらアドバイスに従うと、生徒たちとの距離が縮まり、クラス全体の纏まりも出てきた、この当たりで俺はこの人物に信奉していた。
今、思えば彼は西ヶ丘中学校の関係者だったのだろう。そして、俺のことに気付いてからかっていたのだ。だからこそ、あの事件の真の首謀者は彼なのかもしれない。でも、結局は実験を始めたのは自分だ。どんなに言い繕っても自分が実験を始めなければ室川真由美さんは自殺しなかったはずだ。
それでも、自分は罪に問われることはなく、教職を続けられないと依願退職したあとは、親戚を頼って各地を転々とした。
猫家の性は目立つため、母方の上野を名乗り、噂が立って居辛くなれば転職するを繰り返していたが、数年もすれば、噂もたたなくなった。
猫家と名乗り直して、新規一転、出身地を遠く離れた北海道で自営の飲食店を始めた。友人も恋人も作らず、仕事だけをして金を貯め、仕事の合間で調理師免許や衛生管理者の資格を収得していた。
始めは閑古鳥のなく店内に、このまま店と心中かなと自嘲気味だったが、次第に常連が出来て、なんとか営業を継続していた。
営業中、ピークタイムをすこし過ぎたころ、生中継のテレビ画面に写る、かつての教え子が収録中のロケ地、それも西ヶ丘中学校の正門前で刺されていた。
大量の出血とともに倒れる元教え子と、ナイフを持って母の仇と叫ぶ青年、カメラ停めてと絶叫が悲鳴とともに飛び交い画面が暗転した。
俺は店を畳んで東京へと来ていた。
かつての被害者の息子は霧島だけでなく、自分の父親も母の仇と殺していたらしい。
裁判をまつ彼は東京拘置所にいる。
「なんで君は俺を殺しに来なかったんだ。俺が全て悪かったのに」
「おじさんは操られてただけでしょ。俺の親父は銀行から示談金をせしめたし、銀行は息子の事件を揉み消した。おじさんはなにしたの」
「俺は…俺は……実験を始めたんだ。俺の実験」
あれは誰の実験だったんだ。なんのために俺は
…この子は…




