第二十九話:Will-未来を守って-
一万二千超えました。
携帯の方はご注意を。
「はっ!」
「……右からの攻撃、防御……」
ヴェクトの駆るメギドとアルファ、つまりクーの駆るメギドは互いに剣を交え、鈍い音を周囲に響き渡らせた。音の反響が、誰もに現実を知らしめる。
「ヴェクトさん!駄目だ!それにはクーが乗ってるんだっ!」
「ヴェクト!」
リキは張り裂けるようにヴェクトに向かって叫び、ティラナもそれに言葉を添える。今回ばかりは、看過できない。
「分かってる!だが、いつ君達を傷付けるか分からんだろう!?戦闘能力だけでも奪っておかなくては……」
ヴェクトも額に脂汗を滲ませて、唸るように怒鳴った。
「無駄だよ……、いくら彼が手だれだろうと、所詮人間に相手出来るものではない」
幾分かの落ち着きを取り戻したライトが一人呟いた。その表情には、絶対の自信が満ちている。
「うおおおおおおお!」
「…………」
ヴェクトの攻撃はことごとくクーには通らなかった。あらゆる角度からの波状攻撃も、防御ないし回避されてしまう。そして、反撃も早かった。ヴェクトが攻撃から防御に移る前に、既に剣を撃ちこむ態勢に入っているのだ。
劣勢なヴェクトをリキもフィエンも皆心配そうに見つめていた。ただ一人、ティラナを除いて。
「あれなら……大丈夫」
自分にも言い聞かせるようにティラナはぼそりと言った。ただ、例え相手がどのような怪物でもヴェクトは屈しないという確信は抱いていただろう。
「はっ!」
「…………!?」
一転、ヴェクトのメギドの攻撃がクーのメギドの各所を捉え始めた。先程とはまるでパイロットが入れ替わっているかのように、反対の動きだった。クーが防御に入る前に、ヴェクトが攻撃を当てていく。斬撃は機体に傷を与え、打撃による衝撃はパイロットに動揺と疲労を与える。
「…………っ!」
クーは思うように行かず呻き声を洩らした。
「馬鹿な……!どういうことだ……!」
「簡単ね。身体能力だけなら、確かにあの子の方が上みたいだけれど、戦い方が単純すぎるのよ。さすがに戦術パターンまで叩きこむことは出来なかったようね。そして、ヴェクトだって身体能力が劣っている訳では決してない」
狼狽するライトにティラナが淡々と事実を述べる。
「ふっ……ふふ。はっはっはっは!そうか、そういうことか。だが、構わんさ。もうそんなことはどうでもいい」
ライトは一人で狂ったように笑い、頭を抱えて俯いたと思ったら、今度は目を剥いてティラナ達を睨んだ。衰える事のないその鋭利な眼光に、誰もがまだ自分達が瀬戸際に立たされている事を再度認めざる得なかった。
しかし、痛めた肩を庇いながらもフィエンが身を乗り出して叫んだ。
「動くな!ライト=セブンス!私は貴方の企みを理解出来ているつもりでいましたが……どうやら違うようだ。何を考えているか知らないが、もう……やめましょう……!」
フィエンがピストルをライトに突き付けて言った。ただ、その態度とは裏腹に語尾は徐々に弱々しくなっていった。彼はライトに対する畏怖の念をまだ払拭しきれていなかった。
「それでどうするつもりだ?私を殺そうとでも?浅はかだな……。私は今まで自分の野望は達成してきた。そしてこれからも!私の死ごときがそれに影響を及ぼしたりなどしない!」
ライトは、尚も威厳を保って吠えた。その迫力が彼に纏っているのは、それが決して言葉だけのものではないから。今までの彼の経験が、どんな困難も苦行をも乗り越えて辿り着いた境地が、彼に味方をしていたからだ。
「…………!ま……さか……そんな…………」
フィエンの脳裏に一つの最悪なシナリオが生まれた。
「気付いたようだな、だが同時にそれに対抗する手段などないことも知るだろう」
「何…………?どういうこと?」
ティラナは二人の会話が分からず、一人問答を繰り返していたが、ファイリスにも心当たりがあったようで青ざめて口に手を当てた。
「そうだ!最後のラグリプス!それがこの研究所の地下に埋まっている!」
**********
「ラグリプス……ってあの…………?え、じゃあ私達はっ!?」
ティラナは、ファイリスに答えを求めるように視線を向けた。しかし、ファイリスも言葉にすることすら出来ないようで、黙って首を振るだけだった。
「落ち着いてください、ティラナさん。ラグリプスには発動する為の条件があります。そして遠隔での起動も出来ません。ですよね、ファイリスさん?」
「……!はい……!間違ってはいません。そして、ライト部長が少し前にここに立ち寄った時に仕掛けたものだとすれば大体の位置も分かります……!」
顔面蒼白だったファイリスは、フィエンの言葉を聞いて少し顔に赤みが戻った。そして記憶を辿る様に、過去の日々を回想する。仮にもここは自分が長い間住み込みで研究していた施設なのだ。その細部に渡るまで構造は把握している。
「ならば、まだ希望はある……!」
「無駄だ!私が、何の準備もなくこんなことをのたまっていると思うか?アルファアアアァァァ!」
フィエンの言葉に被せるように、その希望を摘み取る様にライトは尚も両腕を振るう。ライトの命を受けて戦闘中だったクーは、ヴェクトとの距離を置いて研究所の格納庫の入口方まで飛んだ。
「出番だ……!ベータッ!ガンマッ!」
クーがメギドを操り、その剣で格納庫のシェルターを叩き割った。そして、内部のコード数本も同じ要領で切断する。それと同時に、格納庫の暗闇が幾線もの光線に彩られ、無機質な機械音ともに不気味な協奏曲を奏でた。それは、ライトが仕組んでいた最後の切り札だった。
「新たな機体だと!」
ヴェクトは思わず叫んだ。
格納庫より二体の機体が飛び出し、研究所の入口まで飛行する。ヴェクトはティラナ達を庇うように仁王立ちになるが、対するは三体の機体である。そして、パイロットはどれも人間離れをした能力者ばかりなのだ。
「はぁ…………はぁ…………」
しかし、クーは苦しそうに薄い呼吸を繰り返し始めた。長引く戦闘で、彼の体が悲鳴を上げ始めているのである。反射能力や敏捷性は強化されていたが、持久力及び心肺器官だけは、そう変えられるものでもなかった。そして、ここには彼に精神的に動揺を与える人物もいる。
「クー…………」
リキが心配そうにクーのいるコックピットを見つめる。彼を救いたいのに、今自分には何も出来ない。そう考えるとやっぱり悔しくて、瞳には涙が溜まっていく。
「また、泣くんですか……?」
その様子を見て、セレナが悪戯っぽく笑った。
「泣かない!もう泣かないって……あの日、決めたんだ!俺達で、世界を変えるって!」
「そうです、だから…………諦めてはいけません。きっとチャンスはきます。クーさんを救えるのはきっともう貴方だけなのですから……」
セレナはリキの肩に手を置いて優しく言う。もっともその笑顔にもあの時リキを元気づけたほどの光はない。セレナも希望を信じていない訳ではなかったが、今の状況が好転しようなどとも思えなかった。
「一体、どういう状況なんだ……?」
新たな機体が二機空より舞い降り、地へと足を着ける。漆黒のメギドと純白のメシア。並ぶとそのコントラストはより一層映えて、美しくみえる。
「誰だ……!?その声はシンランか……?」
女性の声を聞き、ライトは怪訝そうに機体を見上げた。その顔を視認したシンランは驚いて声を上げた。
「ライト……部長?何故、こんなところに?一体、これはどういう……」
ライトの姿を認めると、シンランは少しの安堵感を覚えた。彼女の中ではライトは同じ火星政府の部長という同志であり、信頼するサクラの夫でもある。このような状況下でこれ程頼れる人物もいないと思っていた。
「シンランのようだな。話がある」
今度はシンランのコックピットにライトの声が響いた。部長同士、それぞれの機体の識別コードは把握しているので、ライトはインカムを通じてシンランに個人的な話を持ちかけたかったのだ。
ライトはシンランに二言三言の言付けをした。シンランはそれを聞くと血相を変える。
「本当……なのですか……。サクラ部長もそこにいるのですね……?分かりました。レータ……私の友人なのですが彼にも伝えるので、その時刻にステーションで落ち合いましょう」
「宜しく頼む」
シンランはライトとの通信を切ると、今度はレータに連絡を繋いだ。そして、ライトから受けた話を伝え、お互いの役割を確認する。
「…………」
だが、レータは何も答えない。
「レータ!いい加減にしろ!私達はまだ死ぬわけにはいかないだろう!?お前が今まで守ってきたあの家の者たちだって見殺しにするのか?」
レータの態度を見兼ねてシンランは叱責する。だが、シンランにレータとリンの仲の事など知る由もない。そのことがレータを更に苛立たせた。
「シンラン……!頼む、今は黙っていてくれ……!」
「………ッ!レータ。私はお前を信じる。伝えた事、頼んだからな!」
シンランはそう言葉を残して飛び立っていった。
レータは尚、拳を握りしめてコックピットでうなだれるだけだった。
**********
「突然で悪いが、状況が状況だ。貴方は誰だ……?」
レータのコックピットに精悍な男の声が届いた。そうそれは、以前地球に攻め込んできた男の声だった。レータはあやうく墜とされそうになったが、あの時はリンに救われたのだった。そう、リンによって。レータの中に、この男に対する憎しみなどはもうなかった。もう、どうでもよかった、そんなことは。
ふと視界を下げて地上を見下ろすと、そこには見知った一人を見付けた。
「フィエンさん……?聞こえるかい?…………誰なんだ!?こんなことをしでかしているやつは!?」
レータの金切り声がスピーカーを通して辺りに響いた。そして名指しで呼ばれたフィエンは一瞬考えるように腕を組んでから、ふぅとため息をついて苦笑いを浮かべた。そして、人差し指をある男に向けた。
「あの男ですよ。ライト=セブンス。私達の敵、火星政府の人間です」
その言葉を受けて、ライトは思わず吹き出した。
「はっ!大体事情は呑みこめたが、お前も私並の悪党だな!フィエン!」
ライトは笑いを堪えながら叫ぶようにそう言った。
そのライトに広く重い影が落ちる。メシアとその剣だった。
「うらああああああああっ!」
「ベータ!」
レータは剣を構えると、ライトめがけて振り下ろそうとした。しかし、ライトの掛け声に反応するように一機のメギドが瞬時に現れて、それを防いだ。
「なんだこいつは……!邪魔をするなぁっ!」
レータはバックステップで距離をとると、腰から射出機を取り出して粒子ビームを乱射した。しかし、ベータの駆るメギドにはかすりもしなかった。
「さて、私はそろそろ失礼しよう…………」
ライトは一人そう呟くと研究所の方へ向かって歩き出そうとした。
「待て!そんなことはさせないっ!」
「ガンマ!」
フィエンがライトを追おうと走り出そうとしたが、そこにガンマの機体が現れて立ちはだかった。
「フィエンと言ったな!お前の話を受けよう!話がある!」
ヴェクトは辺りを見回して、もう一刻の猶予もないと悟る。とにかく希望を紡いでいく為には、取れる手などそう残ってはいない。
「クー!」
リキがあっと声を上げた。
レータの攻撃を受けて、クーの乗る機体が崩れ落ちようとしていた。レータにとっては三機の機体はどれも自分の邪魔をする存在に過ぎなかったからだ。
「くっ……今しかない!」
ヴェクトはそこまでぐっと距離を詰めると、装甲が剥がれ落ちて崩れゆく機体のコックピット部分だけを
掴み、すぐさま離脱した。機体はすでに誘爆を繰り返して、無残なものとなりつつあった。
「ティラナ!」
「えぇ!」
ヴェクトはそのコックピット部分をティラナ達のいるところにそっと置いた。そこにティラナもリキも皆が駆け寄った。リキは必死に入口をこじ開けて、クーの身体をコックピット外に運び出そうとしていた。
「ファイリス、貴方は医学も博士を持っていたわね?」
「えぇ!診てみます!」
ティラナの呼び掛けにファイリスは力強く頷いた。
「フィエン……!話がある。この状況で取れる手は少ない」
ヴェクトがベータの攻撃を防ぎながら一気に言った。ベータとガンマはクーより強靭な肉体を持つようで、戦闘中でも息を切らす様子を見せずに淡々と剣を振るい粒子ビームを乱射している。ガンマはレータを敵と判断したようで、そちらでも火花が散っていた。
「きっと私の考えていることも貴方と同じだと思います……けどね」
フィエンもヴェクトに向かって返事をする。
事実二人の考えていた事はほとんど同じだったので、これから先の計画もすんなりと練り上げられた。
守るべきものを守る為に、過去の敵同士のしがらみからはもう既に解き放たれていた。
「決まりだな。だが、お前はいい。ティラナ達と共に行け」
「……お断りですね。自分の始末くらいつけさせてください。最後まで、足掻きましょう」
「……ふん、勝手にしろ」
ヴェクトの提案はフィエンによってあっさりと断られてしまった。もっとも、最初から自分の言う事を聞くとも思わなかったので、ヴェクトもそれ以上は言わなかった。いや、むしろ自分の目の前に迫る敵機とのせめぎ合いで手いっぱいなのである。
「問題は移動手段ですね……。車ということになるでしょう」
「うぅむ……」
フィエンの言葉に、ヴェクトは困ったように黙り込んだ。
その二人の間に新たな声が響く。
「僕が……運びます!場所も分かりますし、守らなければいけないもの……僕にもありますから。信じてください。リン、彼女が守ったもの……僕が必ず繋がなければいけない……。例え、この命果てようとも……!まずは、こいつを倒してからですが……!」
先程までのヴェクトとフィエンの会話を途切れ途切れながらも聞いていたレータが名乗りを上げたのだった。しかし、彼は息も切れ切れにガンマとの戦闘を繰り広げていた。シンランとの一戦、そして難民からの施設の防衛。今日一日だけでも、かなりの戦闘を行ってきているのだ。身体に負担がない筈がない。
ヴェクトとフィエン、彼らの作戦と呼ぶには簡略すぎる計画はこうであった。
ヴェクトが機体の足止めをし、フィエンがライトを追ってラグリプスの発動を止めさせる。その間に、念のために他の者をステーションに送り宇宙への脱出準備を整えておく、というものだ。
ただ、そのステーションまでの移動手段がないということだ。車では遅すぎる。しかも、もう既に乗り込める機体は他にないのである。
そこでレータが、皆の運搬を行うと主張したのである。
「ヴェクトさん。レータさんに頼みましょう。ここからステーションまでは、距離があります。少しでも短縮できた方がいい」
「あぁ、そうだな。だが…………!」
ヴェクトは、自分の請け負っていたベータを吹き飛ばすと、レータとガンマの間に割り込んで言う。
「こいつは私が引き受けた!急いで行け!」
「ということです。皆さん、迅速に行動に移してください」
フィエンはティラナ達の所に行くと事情を説明した。ファイリスはクーの様子を診ており、それをリキとセレナが心配そうに覗き込んでいた。フィエンが来たことに気付いたファイリスはすっと立ち上がると、フィエンに向かって言った。
「……私はここに残らなければいけません。ライト部長を追うのでしょう?内部構造は貴方達が思うより複雑です。案内が必要だと思います」
「だが、クー君は?」
「クー君に関しては応急処置を既に施してあります。あとは、火星で治療する以外にありません。精神がやはり錯乱しているようです」
フィエンは一瞬迷ったように視線を宙に投げたが、ファイリスの言っていることはもっともだった。自分では正確なラグリプスの位置も、内部の構造すら分からない。
「そうですか……なら、宜しく頼みます」
「ティラナ、子供たちを頼む!」
ヴェクトはガンマとベータ二機を相手に、鬼気迫る勢いで機体を振り回していた。その合間を縫ってティラナに希望を託した。
「分かったわ」
ヴェクトに対して、ティラナは即答した。
「…………ありがとう」
それを聞くと、ヴェクトは頬の筋肉がふっと緩み、それだけを呟いた。ここにいるのがティラナで本当に良かったと思った。彼女と組んで来れて本当に良かったと。
「何でここでお礼を言う訳?来なかったら許さないから」
「……あぁ」
**********
皆が去った後に残ったのは、ヴェクトとベータ、ガンマだけであった。
どういう命令を受けたのかは分からないが、ベータとガンマはティラナ達の後を追おうと駆けだそうとした。それをライフルと剣を駆使してヴェクトは阻止する。
「ここからは一歩も行かせん!」
言葉は強かったが、反対に長引く戦闘で身体は各所がガタが出始めていた。戦術パターンが甘いとは言え、自分より遥かに優れた能力を持つ者を相手にするのは、やはり一筋縄ではいかなかった。そして、相手は二機である。こちらがいくら相手にダメージを与えようと、相手は変わらず起き上がって立ち向かってくるのだ。話を聞いた後では、ヴェクトとて相手の命を奪ってしまうことになるのは胸が痛む。彼等はライトによって生み出された罪もない者たちなのだ。
「何度立ち上がってこようが構わん……!」
『…………ライト様の為……!』
ベータとガンマはうわごとのように同じ言葉を繰り返すだけであった。
「しまっ……!」
一瞬の隙を突かれて、ヴェクトは左肩に直撃レベルで被弾してしまった。その爆発で煙が巻き起こり、辺り一帯を覆う。左腕が千切れる寸前まで損傷を受けて、ぶらりと垂れ下がってる状態となってしまった。当然、左手に持っていたライフルは下に落としてしまう。
しかしヴェクトはひるむことなく、その霞を突っ切り右手に携えた剣でベータのコックピットを突き刺した。スパークが辺りに帯びて、少しずつベータの機体を包んでいく。
「許せ……!」
機体は誘爆を繰り返して四散した。
ヴェクトは顔を歪めて、ベータに一瞬の祈りを捧げていた。しかし、ガンマがステーションの方角に向かって飛ぼうとしていたので、再びすぐにレバーを握る。
もうヴェクトに武装は残されてはいなかった。しかし、ガンマをここからティラナ達の元へ行かせる訳にはいかない。
「うおおおおおおおっ!」
ヴェクトは半壊していた左手を自ら引き千切り、それをガンマの機体めがけて思い切り投げつけた。
機体は、それに直撃しバランスを崩すと地上へ落下していった。
**********
ティラナ達はクーが乗り込んでいたコックピットに入り込み、それをレータが持って飛行していた。まずは彼が他に助けないといけない人がいるという施設まで向かっている。そこまでいけば、もっと快適に移動できるようになるという。
「クー……大丈夫か……?」
相変わらず目を覚まさないクーの髪をリキがそっと撫でた。
「うぅ……あぅ……」
「クー!」
かすかにだが、クーは反応を見せるようになっていた。
その様子をじっとセレナは祈る様に見守っていた。今までの事情を知る彼女だからこそ強く願った。二人がまた笑顔で相見えるように。青空のもとでなくてもいい、星雲の中でだって、冷たい研究所の中でだっていい。
生きているなら。巡り合わせは変わってくるから。
ティラナは壁に身体をもたれるように預けて、窓から眼前を見下ろしていた。束の間の休息……と感じている余裕もなかった。確かに緊張の連続で身体は疲労に満ちている。
それでも、今ヴェクトは自分達の為に戦っているのだ。彼の痛みを覚えば、自分に降りかかってることなんて微塵もないことなのだ。
だが、だからこそ苦しい。彼の無事を信じることしかできないのは。
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「サクラさん!ここにいるんですね?大丈夫ですか!?」
「その声は……シンラン……なの?なんで貴方がここに……」
「話は後です。早く、脱出しないと!ちょっと待ってください。確かパスワードは……」
シンランはサクラがいると思われる部屋の前に設置してあった機器にライトより教えられた数字を打ち込んでいった。やがて討ち終わると、甲高い機械音と共に扉が開いた。それと同時にサクラが部屋から飛び出してきた。
「ライトは……!?まだ、地球は無事なの?」
「えぇ……詳しい事は聞いてませんが、とにかく地球が大変みたいで、ライト部長とはステーションで落ち合うことになってます」
シンランの話を聞いて、サクラは考えを巡らせる。自分が軟禁されていたのはせいぜい、一日の事だ。その時点ではラグリプスは発動していないと考えていい。しかし、今日発動の予定のはずである。まだだというのだろうか。
サクラは部屋を調べるうちに一つのデータディスクを見付けた。そこに記してあったのは紛れもないライトのこの計画の真意である。それを加味して考えても、情報が少なすぎる。今はとにかくシンランと共にステーションに行くしかなかった。
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「ファイリスさん……、ラグリプスの心当たりがあると言いましたね……?」
「えぇ……。ここはそもそもライト部長が所長を務める研究所だったんです。彼は地下に設置してあると言いました。しかしラグリプスが本当に効果を発揮するのは、より高い地点にある時です」
フィエンとファイリスは、並んで研究所内を走っていた。ライトが研究所内に入っていったのは随分前になる。かなり距離は開いていると考えていいかもしれなかった。
「だから、地下からリフトですぐに地上まで運べる所……きっとそこです」
「分かりました……!急ぎましょう」
二人はシアンカラーで塗られた壁に沿うようにひたすらに走った。
「ところで……フィエンさん。貴方は何者……という方は失礼ですが……一体……?」
「さぁ……?もはや自分でも良く分からない……私は一体何がしたかったのか、何が出来たのかさえも……」
フィエンは苦笑ともとれないような困った笑みを浮かべて憂うような表情をみせた。ファイリスはそれを不思議そうに見つめる。
「たとえ貴方が何者でも……セレナを笑顔にしてくれた事実は変わらない。そのことは感謝してます」
「はは……むしろ心配掛けさせていただけかもしれませんけどね」
「ふふ、そうですね。あの子は心配症でしたから。きっと今も……」
少しの間だが、二人の間に穏やかな空気が流れた。共通の人物を想う気持ちだけが、境遇も素性も何もかも全く違う二人を繋げることが出来た。
「そろそろですね…………あ、あれはっ!」
ファイリスが声を上げ、フィエンも前方を注視する。目的地まであと少しというところだった。そこには鮮やかな深紅の血だまりが、所々に点在していた。大きいものから小さいものまで、そしてそれは足跡を刻むかのように奥へと続いている。
「ライト=セブンスのもの……か?」
「えぇ……そうでしょうね。どこか怪我していたようには見えませんでしたが」
いや、違うとフィエンは考えた。ラグリプスの研究に関わって、かつそれを大量に配備するまで生産に関わっているとしたら、それだけで人体にも多大なダメージを与えるのではないのか。ライトの身体は知らずのうちに、いやもしかしたら本人は気付きつつもこの計画を進めていたのでは……?
「確かに、その可能性は否めません。それ程、ラグリプスとは凶悪なものです……」
ファイリスが怯えるように言う。二人はその血痕を辿る様に、再び走り出していた。
「ここですっ!ラグリプスとライト部長は……!?」
二人は、勢いよくそのエリアに飛び込んだ。そこは吹き抜けで地下であるはずなのに、地上より漏れた光がほのかに差し込んでいた。そして、何より目を引くのが巨大なリフトとそれに設置されている球状の物体である。二人はいやがおうにもそれを目にいれなければならなかったが、それよりはコントロールパネルとライトの姿を探すことが先決である。
ファイリスの声に反応するように、フィエンはライトの姿を探した。
そして血痕の跡がまだ続いているのに気付き、その先を視線で追う。
「ライト=セブンスううううぅ!」
フィエンの構えたピストルの先から閃光が弾けた。そして、緋色の血飛沫が辺りを染める。
「ぐうっ!無駄だ……!」
「やめろ!」
フィエンの放った粒子ビームは、ライトの肩を射抜いたが、ライトはそれを庇おうともせずにコントロールパネルにもたれかかるようにして、入力を続ける。ライトの口からは血が糸を引いていた。フィエンの攻撃によるものではなかった。
フィエンは再び粒子をチャージすると脳天めがけて攻撃を放つ。
しかし、二人の間に地面よりシャッターが飛び出しそれを防いだ。ライトが予め造っておいた機能だった。
だが、徐々に開きかけていた地上へのシェルターも動きを止めた。
「ここの機能を操れるのは、貴方だけじゃないですよ……!」
ファイリスが手元のコントロールパネルを撃ちつけて、操作していたのだった。だが、再びシェルターは動き出してラグリプスは昇っていく。
「我が願い、誰にも邪魔することは出来ない――――――――!」
ライトが叩きつけるようにして、拳骨でボタンを押した。それを覆っていた薄い液晶が割れ、辺りに破片が飛び散った。
ラグリプスが起動を始めた――――――――。
フィエンとファイリスが、ライトを覆っていたシャッターを破壊して彼に近付いた時、彼はコントロールパネルに寄り掛かる様にして、既に事切れていた。パネルは彼の口から零れたであろう血で、深紅に染まっていた。
フィエンはそれを見下ろし溜息を一つつくと天を仰いで言った。
「……ふぅ…………間に合わなかったみたいですね……」
「えぇ…………こんな言い方はふさわしくないかもしれませんが、ある意味ではこの作戦をとっておいて良かったのかもしれません」
「ファイリスさん、この辺りに通信機器はありますか?」
「…………!そうですね、ティラナさん達とヴェクトさんに伝えなくてはいけませんね」
「えぇ…………まずはあの男からですね」
通信機器をファイリスから借り受けるとフィエンはそう言って、ヴェクトに連絡を繋いだ。
「まだ生きてます?それなら一言だけ。逃げてください。間に合いませんでした」
「生きては……いるが、残念ながらもう自由に動ける状態でもないさ……」
「そうですか……ならば最期に、私からの餞別です。回線開きっぱなしにしておいてください」
「…………?」
**********
ステーションでは、宇宙への発射準備を整え終えたシップが、ヴェクト、フィエン、ファイリスの到着を待ち焦がれていた。
ティラナ達のグループに、レータ達の施設に人々、そしてシンランとサクラも加わり、既にシップは大人数の騒ぎになっている。
そんな中コントロールルームでは、浮かない顔をしたティラナ、レータ、シンラン、サクラ、リキ、セレナが痛い沈黙の渦中にいた。クーは別室で休んでおり、顔色も幾分と優れてきていた。ここにいる誰もが、タイムリミットが迫っていることを知っていた。だが、彼らを放っておいて、先に出発できるはずもなかった。
「こちらフィエン……。繋がっ……て……ます?というか、波長これでい……いの……かな」
「フィエン!」
スピーカーからフィエンのものと思われる声が雑音に混じりながらも響き、セレナが飛びつくように声を上げた。
「えぇ、繋がってるわ。こちらティラナ、状況を教えて」
「率直に言……います。失敗し……ました。私達は間に合いそ……うもありません、逃げてください」
そのフィエンの言葉にその場の皆が凍りついた。誰もが、聞きたくなかった言葉。そして、信じたくなかった言葉。誰もが一瞬は抱いてしまった結末かもしれない。それでも不安をかき消すように、祈った。きっとみんなで、助かることが出来ると。
「みんな……無事についているみたい……だな……。良かった……」
「ヴェクト!」
今度はヴェクトの掠れた声がスピーカーから響いた。それに対し、ティラナが声を張り上げる。
「ティラナか……よくやってくれた。悪いが私は…………」
「嫌よ……来てくれるって言ったじゃない!……来てくれるって……っ!!」
「済まない……。だが、“私たち”はまだ死んでないだろう?まだ希望を紡ぐことが出来たのだから」
ヴェクトはゆっくりと自分自身にも言い聞かせるように言った。その様子から、手負いでありヴェクト自身も重傷なのだろうということが容易に想像できた。
ティラナは彼の言葉を聞いて、震えながら瞳を伏せて唇を噛み締める。唇の端が切れて血が滴った。
「残念ですが、もう時間がない様です……みなさんお元気で……セレナ、貴方にこんなことを言う資格はありませんが……幸せになってくださいね」
ファイリスが急いてはいたが穏やかに言った。
「それでは……急いでください。貴方達が生き残らなかったら、私達も死ぬに死ねませんしね……」
フィエンが自嘲気味に笑った。
「貴方は……なんでそんなことをっ……!」
セレナが大粒の涙を瞳に浮かべながら、しかしそれを堪えるように、言う。
「少年……。いるんだろう?私の言葉、忘れるな。君の勇気、いつかきっと実を結ぶ。それまで……強くなるんだな」
「ヴェクトさん……」
リキももはや言葉になるかならないか程の声で、呟くしか出来なかった。襲いかかる現実は、今の彼が受け止めるには大き過ぎた。
「では……出発します…………!レータさん、サクラさん、準備は……!?」
ティラナがコックピットの前面の液晶を見つめながら、振り返らずに言った。
「こちら、いつでも出れます」
「こっちも大丈夫よ」
二人も感情を言葉に込めず、淡々と言った。
誰もに様々な想いが広がっているに違いなかった。だからこそ、誰も自分の心を吐露しない。誰かが零すと、止められなくなりそうだから。
まだ、助かると決まった訳じゃないのだ。
「発射しますっ――――――!」
ティラナの号令で、皆がそれぞれの操作を行う。
眼前に広がっていた赤茶けた大地が急速にぼやけていく。シップは轟音と共に煙を吹きながら空に舞い上がった。
「セレナ……。ごめんなさいね、これからは普通の暮らしを……」
「こんな最期こそ、私にはふさわしいのかもしれないな。カレン、君に別れを告げられなかったのが唯一の悔いだよ。君とのコンビ……悪くなかった」
「ティラナ。灯し続けろ……お前の正義を!お前が生きていれば、決して消えない……!」
ファイリス、フィエン、ヴェクトは、誰に向けるでもなくそっと最期の言葉呟いた。いや、もしまだ通信環境が生きていたのならそれはシップにも届いたのかもしれない。それはもはや知る由はない。
シップが大気圏に突入しようかといったときに、一点がどす黒い赤に滲んだ。研究所の地点であった。
シップの面々は誰もが、それを言葉なく見つめ続けていた。
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僕らの明日は何色だろう?
赤?青?緑?
何色でもいい、それは可能性だから。多ければ多いほどいい。
次回、『最終話:七色の明日へ』
描こう、たくさんの色彩で。