第二十八話:Over the day limited
リキはとても面白くなさそうな顔で、二人を眺めていた。ここの所、自分以外の誰かに訪問客がすこぶる多いのだ。
そして、本日の相手は特に気に食わない。セレナに免じて一度は許した相手とて、彼の事を心から信じている訳ではなかったからである。
「フィエン、本当に久しぶりですね……。会いに来てくれて嬉しいです」
「セレナ、無理はしていなかったかい?でも、もう終わりだ……。話がある」
「話……ですか?」
フィエンは真面目な顔でセレナを見つめていた。対してセレナはきょとんとした様子で、小首を傾げる。
研究室の玄関ロビーでリキはセレナと談笑していた。すると、突然フィエンが二人の前に現れたのだ。その姿を見て、リキは一瞬頭に熱が上り心の中で煮えたぎる想いが溢れだしそうになったが、セレナが嬉しそうに駆けだしていったので、気が抜けてしまった。
セレナはリキに、“フィエンの事を信じてくれ”とは言ってないし、許してやれとも言ってない。それでもリキは、セレナの笑顔を見ているとどうしてもフィエンを憎むことが出来ない。
どうしようなく馬鹿な自分を許して、そして暖めてくれた人だから。
相変わらず不器用だよなぁと思いながら、リキは一人苦笑いを浮かべるのだった。
「ん……?」
バタバタと騒々しい音が奥の方から聞こえてきたので、リキはふいと振り向いた。
「セレナ達……、こんなところにいたのね。貴方達も早く避難の用意を……!」
ファイリスが慌てた様子でロビーに飛び込んできた。息も切れ切れにそう言うと、後ろからさらに二つの人影が現れた。その内の一人はロビーに着いた途端、はたと足を止めると、殺気を放ちながら獣の様な唸り声を上げた。
「貴様は……っ!!」
その視線の受け手も、眼鏡の奥底の瞳を丸くして驚いた。
「貴方は、火星の……っ、何故こんなところに!?」
ヴェクトとフィエンは思いもよらぬ形で再会してしまった。もっとも、フィエンを捕える為にヴェクトは地球までやってきていたので、いずれ出逢っていたのかもしれない。それでも今はあの時とは状況が違い過ぎた。
二人の不穏な様子に息を呑む、ティラナ、ファイリス、リキ、セレナ。誰もが状況の把握に時間を要した。
「お穣さん……その男から離れろっ!」
ヴェクトは腰から銃を抜くと、フィエンの額に照準を合わせるように構えた。
セレナは声を受けたのが自分だと分かっても、その場を動こうとはしなかった。その場に戸惑っていたのもある。だが、フィエンが命を狙われているのは火を見るより明らかだったからだ。自分がここを動けば、間違いなくフィエンは撃たれてしまう。
「ヴェクトさん……!貴方達二人の間に何があったかは私は存じません……!ですが、フィエンは私を救ってくれた人なのです……。どうしようもない暗闇で溺れ落ちていた私を救い上げて、生きる為の希望を与えてくれた。もっとも、彼がどんな事を考え、何故そんなことをしてくれたのか。そして、彼についての何かを知っている訳でもありません。それでも……彼はっ!」
セレナは両手を広げて庇うようにフィエンの前に立つと、声を張り上げて訴えた。
自分が彼について知っていることなんて何もない。それでもそんなことはどうでも良かった。彼に何かの思惑があって、私を救う意志なんてないのだとしても、結果的に私は救われている。生きる希望を見つけて、そして兄にも会わせてもらった。
その結果だけで良かったのだ。
ヴェクトは苦虫を噛み潰したような顔になったが、銃身を下ろすことはしなかった。セレナを撃つつもりなど毛頭なかったが、ここでフィエンを逃がすことと天秤にかけると心が揺らいだ。
一度は逃がしてしまったのだ、二度とそんなことは出来ない。
「やめろっ、ヴェクトさん!いきなり何キレてんだよ!」
今度はリキがセレナを守る様に、ヴェクトとセレナの間に立ち塞がった。当然、銃口に一番近い位置にくることになる。
恐怖がない訳でない。それでも体が勝手に動いたのだからしょうがない。リキはよく似た感覚を以前も味わっていた。
クーを助ける為に、こっそり宇宙船に乗り込んでティラナに懇願した時である。
クーにもセレナにも死んで欲しくない。その為に自分の命を投げ出すのか?と聞かれても、そんなわけない。死にたくは、ない。
それでも、友達の為だから。
リキは歯ぎしりをして、噛み締める。自分の願いを貫く為には、力が必要だという事を。
「リキ」
ティラナの澄んだ声が辺りに響いた。迷いのない凛とした声だった。
リキは一瞬助かったと思った。ティラナがヴェクトを止めてくれるものだと思ったからだ。
「どきなさい。これは命令よ」
そんな淡い希望は粉々に打ち砕かれる。ティラナは、自分が火星を離れてからずっと頼ってきた人だった。自分の無茶な願いも聞き入れてくれて、そして新しい世界を見せてくれた。
だから、信じた?いや違う。そんなのは、自分にだけ都合のいい話だ。
「勘違いしないで。貴方がどかなくてもヴェクトは撃つわ。私は貴方には死んで欲しくないの。だから、どきなさい……」
ティラナの声には若干の憐憫が交じっていた。きっと、リキの気持ちが分からない訳ではないのだ。リキがセレナを守りたい気持ちを痛い程分かるのだろう。それでも、ヴェクトの想いをここで自分が邪魔など出来ようもない。
「少年……。人は誰しも命を張ってでも守りたい人がいる。私にも、そしてお前にもだ。お前がどかぬならそれもお前の自由。だが、勇気と無謀とは違う。今は、“その時”ではない」
ヴェクトが落ち着いた声で言った。殺気を緩めてはいなかったが、表情は優しく、リキを宥めるような口調だった。
「ふっふふ……!みなさんお揃いでこんなところで何を……?」
突如現れた来訪者に、ヴェクト、ティラナ、ファイリス、リキ、セレナ、フィエンは皆、目を奪われた。
「共に滅びゆく者たち同士、仲良くしようではありませんか……!」
ライト=セブンスは、まるで舞台で演目をこなしているかのように優雅に両手を広げると、全員の中心まで滑る様に歩いていった。
「ライト……さんっ……何故ここに……?」
まず声を上げたのはフィエンだった。自分の見ているものが信じられないとでも言うように、驚き戸惑っている。
「白々しい事を……、いやいい。お前には感謝している。今までよく働いてくれた」
ライトの言葉にフィエンは押し黙る。自分の描いていたシナリオ通り進まなくなったようで、苦渋の表情を浮かべた。
・・
「だが、ここを失敗させたのはわざとだな?誰かに情でも移ったか。どちらにせよ無駄なことだ」
「私は……貴方と協力するとは言ったが仲間になった覚えはないんでね。自分の目的が果たせればそれでいい」
「フィエン……貴方は一体……?」
セレナには話の行く先が全く見えず、それがつい声に出てしまった。
フィエンはそれに気付くと、困ったようにセレナに微笑みかけた。
「すみません……。私の事は良いのです。ただ、貴方は死なせない……。貴方が歩む未来だけは嘘も偽りも何もないものであって欲しいのです」
フィエンは、マーゼ・アレインとして地球の研究所でスパイを働き、同時にセレナの守護役も任されていたが、そこでライトに出逢った。そして彼の思想に賛同し、協力もしてきたのだ。ライトには、サクラにすらまだ話していないこの計画の真の目的があったのである。
そして、この地域でのラグリプスの発動を失敗させたのはフィエンの思惑に依ることだった。
「どうせ、難民どもをけしかけて優秀な科学者の元へでもやったのだろう。だが、何故だ?何の為にそんな事をした?」
ライトはフィエンを詰る様に、問いかけた。もっとも、その言葉に重みは感じられなかった。ライトにとってはそれは興味本位に過ぎないからだ。
「ただ一人の少女の笑顔と未来を守りたい、友が見出だした希望を紡ぎたいでは…………理由になりませんか?」
フィエンは、リキとセレナの前に立って柔らかく言った。しかし、その瞳は光をたたえていた。
「…………ふっ、十分だ。だが、変わったなお前も……人の命などに執着しようとは」
ライトは尚もねちっこい口調でフィエンを刺した。
「私も最初は貴方と同じ考えでしたよ。母なる地球の上での人間の愚行は許されることではない……、けれど人は変わることが出来るというのを私は識ることができたのです。だから……ただ、もう少しだけ見届けたいんですよ」
もっとも、私が生きていればの話ですがとフィエンは心の中で付け足しておいた。
「ねぇ、ヴェクトさん……でしたよね? 私と手を組む気はないですか?」
「馬鹿な事を」
フィエンはヴェクトの方を向いてなるべく笑顔を装って言ったが、ヴェクトは一考することもなく切り捨てた。
「貴方の大切な人……守れなくてもいいんですか?」
フィエンはティラナを一瞥すると、先程よりやや強めの口調で言った。
「何だと……?」
その言葉で、ヴェクトの表情が変わる。フィエンの言い分を信じている訳ではなかったが、先程のライトとフィエンのやり取りで何かしら厄介なことが起きているのは想定できる。そして、ライト=セブンスの名も知っている。少なくとも、平和な噂は聞かない。
「フィエンよ、私たちの言葉では彼らも信じられぬだろう?ファイリス、君から説明したまえ」
ライトはファイリスの方をジロリと睨むと、薄ら笑いを浮かべて話を促した。ファイリスはびくっと怯えたような顔をしたが、すぐに覚悟を決めたように唇を結んだ。
「皆さん、これは到底信じられる話ではないかもしれません。けれど、事実なのです。よく聞いてください」
ファイリスは地球で今起こっている事を、順を追ってヴェクト達に伝えた。各地に配備してある計器より異常が見つかり、調べてみての結果だった。当初は自分の目を疑ったが、先程の水柱を見て確信したのだである。
リキとセレナは当惑しつつも、恐ろしい事が起こっていることだけは理解できるようで、ただ立ち尽くすしかなかった。
ティラナとヴェクトも顔を見合わせて、その事実を呑みこむしかなかった。この状況で、冗談で済まされる訳がない。
「ライトさん……いや、ライト=セブンス。貴方は何を企んでいる?何故、彼らにそれを伝える必要が?」
フィエンはライトの方を見やって質問を投げかけたが、その答えは返ってこなかった。ライトもただ黙って瞳を閉じ腕を組んでいるだけだった。
「ただ、貴方の目論みだけは話そうとしないのか……」
ライトからの返答がないままフィエンは言葉を続けた。
「フィエン、君も自分が生き残る道をそろそろ考えた方がいいぞ」
ライトはそれだけフィエンに言うと、予めつけていたインカムを口の方に持ってきて呟いた。
「アルファ、やれ」
**********
「嘘……でしょ……?」
ティラナは茫然として、ただ見上げるしかなかった。そこにあるはずのない“空”を。自分がさっきまでいたのは確かに室内で、今もそのはずである。そう、そして何も間違ってはいない。それも事実なのだから。
ただ、屋根がないという事を除いては――――――――。
そこにいたライトを除く全員は、戦慄するしかなかった。突如屋根が刈り取られて、そこに剣を振り終えた漆黒の機体が佇んでいたのだから。
「メギド……だと……?」
ヴェクトもそれを見て口から不意に言葉が漏れたが、いち早く状況を察知した。
「ティラナ!」
ヴェクトの声を受けて、ティラナもヴェクトの言いたいことを理解する。長い時を重ねてきた二人にこの状況での言葉はいらなかった。
ティラナは無言で頷くと、リキとセレナ、そしてファイリスをかばうように背に抱え込んだ。ヴェクトはそれを見届けてから、どこかへ走り去っていった。
「頼む、ティラナ……。少しの時間をくれ」
ヴェクトはそれだけを呟いた。
「ライト=セブンス……!どういうつもりです……!?」
フィエンは、さすがに困惑が隠せないようだった。ライトの考えていることが全く読めない。
「アルファは完全に覚醒した。もう、お前に話すことなど何もない……。どうせここで朽ちていくのだから」
表情一つ変えずに、ライトは言い放つ。その言葉尻に、フィエンは恐怖すら覚える。ちらと見えた彼の瞳の色は狂気に染まり、今までのフィエンが知っているライトではなかったからだ。
「皆さん、離れないでください……!」
フィエンはティラナ達の元に駆け寄り、考えを巡らせた。宇宙に出るにしても、第二宇宙速度を振り切る為の射出場に行かなくてはいけない。ライトがそれを許すとも思えない。
いや、そもそもライトの考えが分からない――――――。
どちらにせよ、隙が必要である。先程ヴェクトが行動を起こしたが、何をしようとしているかまでは、フィエンには分からない。
「ティラナさん……でしたか?貴方は戦闘に関して素人ではありませんね?一旦外に出る事を推奨します。いつここが崩れるか分かりませんし……」
「賛成ね。ここでは身動きもとりづらいわ」
ティラナがリキの手を、フィエンがセレナの手を引っ張り、ファイリスと共に五人は一斉に外に駆けだした。絶妙にメギドの攻撃をかわせるような角度で。
「無駄だ」
ライトの声に呼応するように、アルファの駆るメギドは素早く剣を翻すと、五人めがけて剣を振り払った。
「しゃがんで!」
ティラナの掛け声で、五人は一斉に床に伏せた。間一髪、剣は空を切った。
しかし身体を起こそうとする間もなく、第二刃が五人に襲いかかった。
「馬鹿な……!」
「そんな……!」
ティラナとフィエンは、同時に悲鳴にもつかない声を上げた。
速すぎるのだ。どう考えても通常の人間には有り得ない動き。フィエンの脳裏を友人の影が過った。彼女と“同じ”動きなのだ。
避けようもないその攻撃に皆、全てを甘受するように立ち尽くすだけだった。
リキも瞳を閉じた。全てを受け入れられた訳ではなかった。ただ、怖かったから。今まで何度も怖い目にはあってきたけど、恐怖が全身を支配するなんて、そんな形容でもなんでもない現実に身体を凍らせるしか出来なかった。
**********
「え…………?」
生きてる?
リキの頭に浮かんだのは、そんな当たり前の疑問だった。恐る恐る目を開けると、自分だけではなく全員が無傷だった。
メギドが刃を途中で止めていたのだった。
「どっ、どういうことだ……?」
誰も何が何だか分からなかった。生きている事を喜べるような余裕もなかった。呆気にとられる五人に対して、ライトだけは一人違う顔をしていた。
憤怒の様な形相で、メギドを睨みつけていたのだ。
「どういうことだ、アルファ……!?」
「出来ない…………何故か、それも分からない……」
アルファの声がスピーカーを通して辺りに響いた。それは独特の甲高さが残っていたが、感情を廃棄したように冷たかった。
だが一人、この声に反応した。
「え……この声は……?クー……なのか……?」
リキはメギドのパイロット席を見つめて、自分自身に尋ねているかのように言った。だが、その事実を自分でも信じられるはずもなかった。だって彼は火星の病院で眠っているはずなのだから。
「貴様……クーを知っていると?」
ライトの鋭い視線は今度はリキに向けられた。獲物を狩る肉食動物の様な眼光に、リキは思わず身をすくめた。ライトは想定していないイレギュラーに苛立ちを隠せないのだ。
だが、ライトの言葉でリキは確信をする。あの機体に乗っているのは、クーであるということを。
「なるほど。貴様の存在がクーに迷いを与えているのか……。サクラのことといい、お前はなかなか未練がましい様だな」
ライトはリキを認知して、一人納得した。そして、不快感に顔を歪めて言葉を吐き捨てた。
「お前っ!クーに何したんだよっ!?クー、俺だよ!分かるだろ!?」
リキは怯える心をを奮いたててライトを威嚇するように言葉を投げつける。そして、メギドのパイロット席に向かって大声で叫んだ。力いっぱい叫んだ。
「聞くな、アルファ!」
リキの声を遮る様に、ライトはインカムに怒鳴る。怒鳴る必要もなく、ライトの声がクーの所には響いているのだが、ライトはそれすら忘れていた。
「お前が邪魔だ……!」
「くっ!」
粒子ビームが瞬いて弾けた。
ライトがピストルを構えて、リキにめがけて狙い撃ったのだ。しかし、それをいち早く気付いたフィエンがリキの前に立ちはだかった。
粒子ビームはフィエンの肩をかすめた。少しの鮮血が飛び散って、辺りを染める。
「誰もかれも邪魔をするなあっ!」
フィエンのその行為に激昂したライトは、執拗にリキめがけてピストルを構えた。
「ぼけっとしないで!」
今度はティラナがリキの体を抱いて転がった。
折り重なった粒子ビームは空を切って、施設内の壁に突き刺さった。光線が煌めいて、壁が抉れる。
ティラナはリキを庇うように身体を抱えていたが、即座に移動に移れるような体勢ではなかった。リキも、非日常すら飛び越えた現実に何が何か分からず、ティラナに抱かれて震えていることしか出来なかった。
「無駄なことだ……!」
ライトは再びピストルを構えなおして狙いをつけた。
しかし、彼も予想していなかった所から光が照射され、続いて轟音が鳴り響いた。
大型の粒子ビームが狙いすましたかのように、先程メギドによって刈り取られて脆くなった所に当たって弾けた。そして、壁の一部が剥ぎ取られて、ライトとリキ達の間に落下して両者を分断したのだ。
「間に合ったようだな……」
「ふっ……遅いわよ…………」
ヴェクトの駆るメギドが、ライフル型の射出機を構えて近くまで来ていた。
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荒野を行くメギドとメシア、それぞれ一機の機体が陽光よりの影を研究所まで伸ばしていた。
「リンを殺したやつら……許さない……」
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ライトの思惑も分からぬまま、傷付いていくフィエン達。
クーの心を取り戻そうとするリキだが、タイムリミットはほとんど残されていない。
そんな中、レータとシンランも現れて……!?
ヴェクトとティラナに残された道とは?
次回、最終回前話『第二十九話:Will-未来を守って-』
もう誰も、死なせない。