第二十七話:セブンス
ラグリプス発動より、約一週間前――――――――。
「ライト。一体、どういうつもり……?いきなり、あんな書置きを残して……。クーは無事なんでしょうね?」
「君なら来てくれると信じていたよ。愛すべき妻よ。クーの事なら何の心配もないさ」
サクラはその言葉を聞いて、怪訝そうにライトを見つめた。
ライト=セブンス。リクとクーの父親にしてサクラの夫である。もっとも、ここしばらくは会うことすらなかった関係なので、それを夫婦と呼んでいいのかは分からない。
失踪したクーの病室に残された書置きの内容は、ライトからサクラに宛てたものであったが、その内容は“サクラの地球への呼び出し”であった。普段のサクラならば、いくら夫の書置きとはいえ、多少の猜疑心を持って万全の準備の下、ここに来ていたのだろう。だが今の彼女は情報部長としてではなく、一人の母親としてここに来ているのだ。武器も機体も、何もない。
「……信じていいんでしょうね?どこにいるのよ?」
「ふっふふ……夫の言葉くらい信じて欲しいものだな。それにクーは私の大切な息子だからな。まずは君にわざわざ来てもらった理由を話したい」
二人は、火星政府の研究所の一つにいた。セレナが生活を送っていた所とは別の施設である。ライトが地球での研究の拠点にしていたところであるが、人員を最小限に抑えてあり、かつ彼らの口を完全に塞いでいたので、今までその居住が誰にも知られることがなかったのだ。
ライトの部屋は薄暗く、生活に必要最低限の物しか置いてなかった。殺風景な部屋のテーブルに、二人が向かい合うようにして座っていた。
サクラとよく似た茶の髪をかき上げて、ライトは話を始めた。
地球を滅ぼしたい――――――――。それが、ライトがサクラに話した彼の目的だった。その為に、サクラの力を借りたいと言うのだ。理由は単純明快、地球でメシアが造られたように、地球の存在が火星での暮らしに悪影響を及ぼす可能性があるからだ。もう既に火星での暮らしは安定している。地球を残しておく利益などないと考えたからだ。
「私の地球での研究も成熟した……。もう全てを消し去って、火星に戻ろうと考えている」
「随分勝手な話ね……。貴方の様が済んだから、はいおしまいと言って地球を滅ぼす!?馬鹿げているわ……」
「本当にそうかな……?」
「……?」
ライトの意味深な態度にサクラは、問いかけるような眼差しを向けた。
「クーだよ。あの子だって、おかしなテロリスト団体がいなければ傷付くこともなかったのではないか?あの者たちが強気になった理由は、地球で機体が造られたからだろう?」
「そ……それは……」
クーの件を持ちだされると、サクラは言い淀んでしまう。彼の話している論理が正論にすら思えてくる。確かに、“私達”だけの事を考えるならば、いや今火星で生活を送っている大多数の人の事を考えるならば、地球は十分危険因子になり得る。サクラの先程の意見も角度を変えると偽善にだってなりかねない。今、地球に残っている人々を火星に移住させる為のスペースはまだ確保できる見込みもないのだ。サクラ達は、安穏と……とは決して言えないが、少なくともいつ訪れるか分からない星の崩壊に怯えることはないのだ。
「ふふふ……、私だって君の能力を買ってわざわざ呼び出した訳じゃないさ。今、火星も荒れているのだろう?心配なんだよ、夫としてな……」
ライトはわざとらしく、にんまりと笑った。サクラはそれを見て嫌悪感こそ覚えれ、微笑み返す事などは決してしなかったが、先程の話は即断できるものでもなかった。
「時間が欲しい。貴方ももう少し考えた方がいいわよ」
「そうはいかない……。もう準備に入っているのだから。それに君には選択肢はないんだよ。わざわざ話したのは私の優しさゆえかな」
「なんですって……!?」
「……クーに会いたがっていたね。おいで」
ライトは、サクラを先導するように歩き始めた。サクラもそれに従ってついていくとこしか出来ないので、同じように歩を進める。
研究所の内部は他の研究所や、火星の施設内と同じ造りになっていた。シアンカラーで塗られた廊下の壁に沿うように二人は歩いていく。
サクラは、二人が出会い結ばれるまでの日々を回想していた。甘く酸っぱい思い出は、時々後悔も混じり、自分を苦しめることもあった。それでも、リクとクーを授かった事だけは絶対に間違いじゃないと思っていたし、これからもそう思い続けるだろう。だからこそ、彼女は彼らを守る為ならなんだってするつもりだった。その為ならば、地球ですら惜しくはないとも思いつつあった。
「ここの部屋に“彼”がいる……」
ライトはそう言って一つの扉を指さした。
二人が辿り着いたのは一見普通の部屋だった。アパートやマンションの一室のようにも思える。ただ、入り口が厳重に封鎖されている事を除いて。
「アルファ。お前にお客さんだ」
ライトは鍵を解くと、部屋の中に向かって言った。
「アル…………ファ?」
ライトの言っている意味が分からず、サクラは心配そうな様子でクーが出て来るのを待った。本当ならば、自分が部屋に飛び込んでいきたいのだが、ライトによってきつく制限されていたので、クーの方からやってくるのを待った。
「はい……」
消え入りそうな声と共に、パイロットスーツを身に纏った少年が二人の前に現れた。ライトは、サクラの方に手を向け紹介でもする様に言った。
「サクラさんだ。お前に話があるらしい」
アルファと呼ばれた少年は、じっとサクラの方を見据える。
サクラの視線とアルファの視線が空中でぶつかった。
「クー……?クー……」
震えた声でサクラがなぞる様に優しく言う。アルファであり、クーである少年は虚ろな瞳で空を見つめたまま全く反応を示さない。だが、少し首を傾げてから呟くように言った。
「…………おかあ……さん?」
その声は紛れもないクーのものであり、そのイントネーションや仕草までも彼であった。どれ程、その声を聞かなかっただろう。そう思うとサクラの胸は締め付けられるように痛んだ。
「クー!」
サクラは駆けだして、抱きすくめようとクーに近づこうとした。だがそれを、ライトの手が阻む。
「やめろ!馬鹿な……!もう自我など……残していない筈……!」
「離して!クーは……私が……私がっ!」
すがるようにサクラはライトの手を振り払おうとした。だがライトもまた、頑なにサクラとクーの接触を阻んだ。まるでそうすることで何かが失われてしまうように。
「まさか……意外だった。君がそこまで母として想われていようとは……」
ライトはサクラと会ってから初めて焦った表情を見せた。クーとサクラの再会により、この様な状況になるとは想定もしていなかったのだ。
クーはライトによって火星から連れ出された後、地球での治療により再び息を吹き返して、外での生活も出来るようになった。ただ、ライトが行ったのはそれだけではない。彼自身が遥か昔に生み出した技術、人智を超え悪魔の所業と言われた“デザイン”のものを流用して、肉体を強化していたのだ。そもそも彼が生み出した“デザイン”は完全に零から、戦闘に特化させた人間を生み出す。それに対し、既に普通の人間として生きているものにそれを転用させるのは並大抵のことではない。クーはその弊害として、以前までの記憶、そして自我を失いつつあった。ライトにとってはそれすら都合がいいのかもしれないが。
「よくもそこまで酷いことが出来るのね……」
ライトがクーを無理矢理元の部屋に戻した後、二人は廊下で顔を突き合わせていた。サクラは鬼気迫る表情でライトを睨みつけていた。
「そう言ってくれるな。そうでもしなくてはクーが生き永らえることは出来なかったのだと、私が言ったらどうする……?」
ライトは試すような調子でサクラを挑発した。
「それを言うのは卑怯ね。私では確かめようがない。で……私は何をすればいいの」
「君は頭の回転が速くて助かる。だから好きなんだよ。地球を全て滅するのに効率のいいラグリプスのシミュレーションを頼みたい。私がそういった電子的なものが苦手なのは知っているだろう?君以外だと信用できなくてね……」
「クーは……元に戻るんでしょうね」
「……君次第だよ。我が妻」
それを聞くと、サクラは苦々しげにライトを一瞥し、踵を返してそこを後にした。
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「サクラ、君に彼の素行を調べてきてもらいたい」
「……はい!」
私が地球でまた新米のオペレータ諜報員として活動している頃、一つの指令が下った。ライト=セブンスという科学者についての身辺調査である。地球内がピリピリしている時であったので、天才的な科学者や危険思想を持つ革命家などは、常にどこかの国の誰かが見張っているような状況だったのだ。つまり私に託された任務自体も特別珍しいものでもなかった。ライト=セブンスという名自体は、そこそこ有名であったが、まだ何を成し遂げたという実績がある訳でもなかった。
私は研究員として、彼の研究所に潜入することに成功した。そこで彼は、孤立していた。誰にも相手にされないような研究に、憑りつかれたように一人で没頭していた。彼自身の能力は確かに目を瞠るものがあったが、彼の目指している先は、まさに誰も描けていない領域だったのだ。それを誰もが冷たい目で見ては、嘲笑していた。
『ライト?あぁ、あいつは才能はあるが、頭がどうかしてんだよ。もったいねぇ』
『いくつも賞をとってるのにね。良い具合でまとまっときゃいいのになぁ』
そんな話ばかりだった。
その姿は、くしくも自分に重なってしまった。自分も、彼と同じだった。
『サクラさーん、勉強ばかりするのはいいけど、化粧の一つでも覚えたら?』
『きゃはは!そんな必死こいてコンピュータと睨めっこして……きめぇなぁ』
別に彼女たちの言葉に、いちいち傷付いていた訳ではない。それでも第三者の立場から見ると、こんなにも胸が苦しくなるのか。私だからなのだろうか。
努力をして、自分の目指しているものに近づこうとして何が悪いのだろう。
だから、きっと彼もそんなやつらを見返したかったのだ。勿論、意地もあるだろう。
私は彼を見張る立場から、見守る立場へと徐々に移行しつつあった。彼の成功を祈る一人の女性になった。彼は、電子機器の扱いが得意ではなかったが、それは私が得意な分野だった。当時は、きっと私達はバラバラのパズルのピースの様なもので、二人で完全になれると……そう信じていたのだ。
私がライトの足りないところを埋めて、ライトが私の足りないところを埋めてくれる。それは、素敵な夢だった。
だから、彼の研究が成功した時は手を叩いて喜んだ。自分の事のように喜んだ。
だが、世間はそれを認めようとはしなかった。確かに、彼の事を賞賛し協賛してくれるスポンサーの様な者も来るようになった。でも、彼はそれでまだまだ満足しなかったのだ。私も……彼についていこうと思った。
「それで、二人で部長になって……あの時はあんなに喜んだのに。そして、リクとクーを授かって……なんでそれで満足できないのよ……」
サクラは、与えられた部屋のベッドで横たわっていた。自分達は何故間違ったのだろうと過去を紐解いても、どこにも答えは見つからないままで。
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ラグリプス発動より三日前――――――……。
サクラは、ライトの研究室でコンピュータを叩いていた。ライトとの取引の為、ラグリプスのシミュレーションに日夜を費やしていた。しかし、彼女も火星で情報部長として経験を積んできたのだ。ただ、ライトの言うとおり動いている訳ではなかった。クーに関してのデータをなんとか調べようと、あらゆるファイルをハッキングしていた。そういった分野に関しては、彼女は彼に負けているとは思わなかったし、事実そうだからだ。ただ、それ関連のデータは全くと言っていいほど見つからなかった。
「そこまで迂闊ではないのね……。用心深さは変わってないわ」
サクラは一旦手を止めて、ふぅと溜息をついた。天を仰いで、これからの事を考えた。一応、ライトとの取引条件であるシミュレーションは進めているが、はいどうぞと渡すつもりはなかった。ライトが、約束をすんなりと守る保証はなかったし、地球が滅びることに、たくさんの人が死ぬことになるのは、やはり自分の子供と天秤にかけても決断しづらい。
「……!?」
サクラは、部屋の前に気配を感じ、すぐさまファイルを切り替えた。
「サクラ……進んでいるかね……?」
「…………えぇ、順調よ。何もご心配なく」
ライトが急に部屋に入ってきた。何もやましい事がなかったかのように、サクラはライトに調子を合わせた。詮索しているなど、想わせないように。
「それなら結構。明後日が期限だからね。決して忘れぬよう……。我が子の為にも……」
「そうね。偉大なお父様がいて、クーも幸せよ」
サクラの皮肉に、ライトはくつくつと笑みを漏らして部屋を出ていった。
「ん……?」
サクラの端末が振動と点滅を繰り返していた。サクラが地球にいる事を知っているのはミサキだけである。だが、ミサキが地球に来ているはずもない。
「中継通信……!」
直接利用をした事はなかったし、そんな機会もないと思っていた。火星と地球上の間にいくつもの中間ポイントを設置することによって、時間はかかるが相互の連絡を可能にする技術である。
そこまでして自分に伝えたい事実があったのか、とサクラは幾分緊張して端末を開いた。
そこにあるのは、思いも依らない真実。
「…………嘘……でしょ?アルト……が……?」
冷然とした事実を突き尽きられて、サクラは身体中の血が引いていくのを感じた。そんなことが信じられる訳もなかった。しかし、ミサキがそんな虚偽の通信を送ったりなどは、絶対にしない。だから事実なのだ。
そして、火星政府が襲撃を受けそうになり、激しい混戦状態に陥っていたことも同時に知った。それの中心にいたのは地球で造られた“メシア”だということも。
「このタイミングで……偶然にしては出来過ぎよ……」
もし自分が私情で部を空けなかったら、アルトは死ななかったのだろうか。
そんな考えがちらとよぎっただけで、胸を掻き毟りたいほどの激情に駆られた。
いつも仕事に対して真摯で、誰に対しても厳しかったけど、何より自分に厳しかった。それでも、彼は言ってくれた。
『頼りにしてるぞ』
自分の能力を必要としてくれた。それが何より嬉しかった。
サクラは独り、言葉を零した。それに同調するように瞳から涙が零れ落ちた。
「クーを傷付けて、リクを傷付けて、そして、アルトを……」
ねぇ、ライト?終わらせましょうよ、私達で。
そんな悪魔の囁きが、サクラの耳にこだました。
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約束の期日――――――。
「さて、約束の日だ。データを渡してもらおう」
「待って。まずはクーに会わせて。クーを元に戻してからよ」
サクラは噛みつくように言った。
二人は、最初に会話を交わしたライトの自室にいた。同じように向かい合うように座って、相手を探る様な眼光はどちらも緩めることはない。
「まだクーを君と会わせる訳にはいかない。約束は守る。だが、今は無理なんだ」
ライトは唸る様に言った。
「そういうと思った。ちなみに、私は渡さないわ。罪もない人を殺した手で再び子供たちを抱けるはずはないから」
サクラも鋭利な刃物の様に言葉をライトに突き刺す。そして、奔流のように続ける。
「茶番は辞めましょうよ。最初から私の事を当てなんてしてないんでしょ?そこまであなたが尽力した計画を不確定要素である私に任せる訳がない。私を誘いだした本当の理由言いなさい」
ライトは黙っていたが、最後まで聞き終えると、口の端を釣り上げて笑った。
「本当に君は聡明で、鋭い。そう、私には優秀な右腕がいてね。君を騙した理由は…………君を守りたかったからだよ。君だけが、この世界で私を見つけてくれた。君だけが、私を愛してくれた。だから離せない。何かの間違いで君を失いたくないのだ」
ひと時の沈黙が二人の間に漂った。ライトは表情を変えずに、サクラは視線を落として、憂うように瞳を伏せた。
「なんで……今更そんなことを言うのよ……」
「今更も何も、私の答えは変わらない」
ライトは、ゆっくりと立ち上がり、出口に向かって歩き始めた。
「ちょっと!話は終わってないわ!」
サクラはライトの背に言葉を浴びせるが、気にすることもなくライトは部屋を出た。そして、扉を閉じるとなにやらガチャガチャとそれを触っているようだった。
はっとしてサクラは駆けだして、扉を開けようと試みる。
しかし、扉は開かない。
「出しなさい!どういうつもりよっ!」
「君はここにいれば安全だ。最後の野暮用を片付けたら、迎えに来る。その時は共に火星に行こう」
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ラグリプス発動後――――――。
ライトは、発生する水柱を眺めていた。
「なるほど……、この地域は失敗か。マスクも必要ないな、これは」
そう言って、身体を覆い尽くすほどのスーツを取り外した。もしラグリプスが発動して、自分が生身であったらなら、その被害を受けてしまう。それを防ぐために、自らが特別に生み出したものだった。
「だとすると、面倒だな。やはり人手が足りないとはいえ、難民共を使ったのが間違いだったか……。まぁいいさ、アルファ、いやクー。お前の活躍にかかっているわけだ……」
ライトは、マイクを通じてメギドのコックピットに通信を送った。
「はい……」
クーは感情の色を見せずに応えた。
彼等は、ライトの住居を除けば、地球最後の火星政府研究所の目前まで迫っていた。
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「ポイントS-27以外のラグリプスの発動を確認。……全て私の予想通り……。これで地球は……救われる」
眼鏡の奥底の瞳は光をたたえ、青年は液晶を見つめていた。
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次回、『第二十八話:Over the day limited』
「クー……なんだろ?俺の事……忘れちゃったのか?」