第二十一話:悠遠の約束
「リョウコ=シオン二佐ですね、こちらアルト=コウザキ二佐です」
そう言って、灰色の軍服に身を包んだ男は仰々しく敬礼して見せた。
「リョウコ=シオン。よろしゅう」
同じく軍服の女性は、愛想良く微笑んだ。
どこが陰のある笑顔だとアルト=コウザキは思った。
それが、彼らの初めての出会いだった。
この時アルト=コウザキ、リョウコ=シオン両二佐は地球である国の軍隊に所属しており、戦闘航空機乗りとして戦場を駆け巡っていた。
「ねぇねぇ、コウザキ二佐。転属してきた人、なかなか可愛くないですか?話し方は独特だけど、それもまたいいっていうか。なんかね、前の隊が全滅したらしいですよ」
「カシムか、不謹慎だぞ。そんなことを考えている暇があったら、訓練でもしておけ」
アルトの部隊員で軍内でも情報通のカシムが軽口を叩きにきた。どうも軍人としての心構えに欠けるようで、アルトは普段から口を酸っぱくしてくどくど忠告していた。
「お前、いつか命を落とすぞ」
「大丈夫ですよ、なんたって二佐がいますからね」
そう言って、カシムはへらっと笑った。その様子をアルトはやれやれといった様子で見ていた。
アルトが訓練を終えて、宿舎に戻ろうと歩いている時のことだった。
訓練等を行う軍の基地から宿舎まではそれなりの距離があったので、歩いて通わなくては行けなかった。基地も宿舎も海のそばに建てられていた。アルトは顔に粘つく潮風が、あまり好きではなかった。精密機器にとってもいいとは思えなかったのだが、この地点は防衛上重要な意味を持つことは知っていたので、責任感も感じていた。港町はもともとが寒村だったこともあったが、住民はほとんど避難を余儀なくされていたので、夜になると明りがないといっても過言ではなかった。木々を縫うように作られた一本道が、基地と宿舎を結ぶ唯一の交通路であった。
僅かな街灯を頼りに、暗闇を突き抜けていく。ふと見慣れぬものが目に飛び込んできた。
「明り……?」
自然発生的でない光を認め、アルトは足を止めた。ここは確か、軍の共同墓地のはずである。数多もの殉職した魂が眠っている。墓地といっても、墓石が並べらているわけではなくて、巨大な石碑がひとつどっしりと佇んでいるだけである。常時、墓前には誰かによって花が供えられていた。石碑には亡くなったものの名が刻まれている。
近づくとそれは携行用のランプの明りであることが分かった。そして人一人分の影が、照らされた地に幾何学模様を作りだしていた。
こんな時間に墓参りだろうか……、もっともここにいるのは軍関係者しかあり得ない。アルトは警戒心を持ちながらも、その内心多少の好奇心が湧いてきていた。恐る恐る声をかける。
「そこにいるのは誰だ?」
ビクッと、その影が震えた。
気付かなかったが、人影は石碑にもたれかかるようにしてうずくまっていた。その影は、ゆっくりと立ち上がりアルトの方を振り向いた。
「貴女は確か……シオン二佐。こんなところで何を……」
「コウザキ二佐やね。ちょっとびっくりしたわ」
リョウコの瞳は潤んでおり、目じりからは幾つもの涙の跡が見えたのでアルトは瞬時に状況を把握した。
「前の隊の弔いを……」
「あんた……、うちの隊がうちを除いて全滅したこと知ってるんや?」
「話は聞いていた……すまない」
触れられたくないことかもしれないと、アルトは思った。人のプライベートに踏み込むのは趣味ではなかったし、そんなことをしたいとも思わなかった。罰が悪くなって、謝罪の言葉が口をついて出てしまった。
「ええんよ。まだな……気持ちの整理がつかれへんのよ……」
「軍人なら、殉職は必ずしも悪い結果ではない。立派だと……思う」
アルトは、リョウコを励まそうとかけた言葉のつもりだった。しかし、その言葉でリョウコの顔に動揺が走ったことにアルトは気付かない。
「へぇ、あんた仲間を亡くしたことは?」
「まだないな……。俺たちの部隊の担当区域はそこまで戦闘が激化していない」
そか、それなら何よりやとリョウコは微笑した。だが、すっと表情を歪めると睨むようにアルトを見据えた。
「ほな、うちの気持ちは分からん。責めてるんと違うんよ?うちもこんなんになるまでは、あんたみたいな考え持ってたしな」
突然のリョウコの態度の豹変に、アルトは目を丸くして驚く。
「悪い、変な話したな。そろそろ帰ろに。うちに付き合わせてえろう悪かったな」
そう言って、リョウコは闇の中に溶けるように去っていった。
アルトの胸に積もった靄のような不安は彼女が去った後も拭いきることが出来なかった。
転機は突然訪れる――――――――。
「カシム!」
「に……にっ二佐あっ!うわあああああっ!」
一瞬の出来事だった。危ないからやめろと制止するのも振り切り、先陣を切っていたカシムが墜とされた。機体は空中で爆発四散して、粉塵と化した。
「アルトっ!何をしている!?動きを止めるな!」
上官からの叱責も耳に届かなかった。いや、外界からの全ての因子がアルトに影響を及ぼさない。世界から隔離されている感覚。アルトの瞳に映るは空虚。あらゆる物事がフィルターを通すかのように第三者的にしか感じられなかった。アルトは、直面する現実に打ちひしがれていた。
だから、目の前に接近する殺意に満ちた敵機にも気付かない。
「アルトっ!」
アルトははっとした。少しずつ、意識が世界と繋がっていく。それに従い、ようやく敵を視認した。しかし――――――――。
(間に合わない)
万事休すかと、そう思われた。
アルトの眼前にまで迫っていた敵機は爆炎を上げて墜落していった。上からの銃撃を受けたらしかった。
危機一髪――――――。言葉にすれば一言で済んでしまうが、アルトは死を覚悟した。
(先程の声は……)
「シオン二佐か……」
しかし彼女は所属こそ同じであれ、部隊は別だ。何故俺を助けたんだ、とアルトは逡巡した。
しかし、今は戦場である。アルトはカシムの死を胸に抱き、機体を駆った。
「今日、俺の部下が一人死んだ。すまない……」
アルトは頭を垂れて、うなだれていた。シオン二佐がそんな謝罪を求めていないことなど分かっていたのではないのか。謝罪して、自分が楽になろうとしているのか。そう考えると、なんて自分が浅ましいのだろうという嫌悪感がアルトの胸に巣食っていった。
「二佐の……言うとおりでした。人の死は……こんなにも……」
「重い……か?」
リョウコは、抑揚のない声で言い放った。
自分の言うことが見透かされているようで、アルトは若干身をすくめた。
「せや。人の死なんて、一番近くにあるように感じるけど、事実一番遠くにある。特にうちらみたいな事してるとな」
アルトは応えるべき言葉が出てこない。それに対しリョウコは淡々と話を続ける。
「せやろ?アルトだって、あの墓に花を供えたことぐらい一度や二度あるやろ?でもよう思い出してみ。その行為がどれだけあんたに影響を与えた?いや、どれだけあんたを救った?名も知らぬ味方の軍人ですらそうなんや。敵兵の命の重みなんて分かるはずない」
ずしんと胸の奥に沈み込んでいくような言葉だった。もし心が湖の様なものならば、そこに一つの巨大な石を投げ込まれたかのような。そして、その水しぶきは湖の外まで飛び散って容赦なく辺り一面を濡らした。
「でも、うちらは違う。うちもあんたもその“死”を身近で感じた」
「二佐は今日俺を守る為に、人を殺した」
シオン二佐の言っていることは、分からなくはない。ただそれを受け入れるのは、何故かたまらなく苦痛だった。だから、意味のない反論をしてしまう。
「あぁ、そうや。それはあんたに死んで欲しないから。酷い矛盾やとも思う。でも、こんなの皆が気付いていることやねん。やけど目を背けてしまう。こんな巨大なうねりは変えられず、やがてそれは常識へと昇華する」
アルトは押し黙るだけ。観念したように、リョウコの言葉を聞いていた。
「うちも自分が戦ってることに、理由が欲しいだけなのかもしれん。眠れない夜に襲いかかる背徳感から逃げたいだけなのかもしれへん。それでも構わん。うちは、こんな戦い早う終わらせるべきや思てる。それがうちの答えや」
綺麗事だと切り捨てたかった。死ぬのが恐いだけだろうと詰りたかった。だが、どの言葉も空しく響くだけだと分かっていた。今まで自分の信じていた地盤が揺らいで、どこに立っているのか、どうやって立てばいいのかすら分からなくなりそうになる。
「俺も……、こんな戦い早く終わらせるべきだと思う。だが、二佐の言葉が全て正しいとも思えない。今まで死んでいった奴らには死んでいった奴らの信念がある。カシムは、お前の為に死んだわけじゃない!二佐の言うことはもっともだ!だが、そうやって独りよがりに考える奴が戦争を始めたんじゃないのか!?」
アルトは吠えた。たまらなくなって声を張り上げた。
「じゃあうちは……じゃあうちはどうしたらええんよっ!うちはどうしたら……」
冷静を保っていたリョウコもアルトにつられて叫び声を上げる。
「……二佐の言う、巨大なうねりを変えれば……いい」
考えて考え抜いて出た言葉じゃなかった。リョウコの紡ぎ出した答えに比べればなんて稚拙で甘い、と心の中で苦笑してしまった。だが、これしか思いつかなかった。
「俺達だけでは、難しいかもしれない。すぐには難しいかもしれない。だけど、これから変えていこうと意思を持って動けばそれは必ずしも不可能ではないと……思う」
「リョウコさん……つまりハルカの母さんは、この後どういう反応をしたと思う?」
「えー……笑った?うちなら呆れて笑いそうやなー」
「半分正解だな。笑って、そして泣いた」
「え、なんでや?」
アルトはふっと笑って誤魔化した。
「それで結局、俺は母さんと結婚することになるんだが……」
「え、そこまでのプロセスはどうなん?誤魔化さんといてや」
「まぁ、それはいいだろう」
滅多に見せない父親の照れた表情にハルカは自然と笑みが零れた。ハルカは、久しぶりに会う父の顔をぼんやりと眺めているだけで、不思議な安心感に包まれていた。
アルトから呼び出しを受けたのはエルドに忠告を受けた次の日のことだった。
「いや、今は上官と部下の立場でなく、父と娘として話そう」
父からそんなことを言われたのは、私が配属されてから――――つまり部下と上司の関係になってから――――は初めてじゃないだろうか、とハルカは驚いた。常に規律を重んじ人一倍責任感の強い父は、例え娘であろうと他の部員と同等にハルカを扱っていた。寂しくないと言えば嘘になるが、父のそういったところも尊敬できる所以だったし、いつか自分もそんな風になりたいとハルカは思っていた。
そして、母の話を切り出された。父から母の話は幾度となく聞いた事があったが、これ程事細かに、かつこれ程深遠に触れたことは今までになかった。母の言葉を丁寧に、滑らかに諳んじる父にとって、やはり母は大きな存在だったのだと改めてハルカは思った。
「俺はその場にいなかったからハルカに対して何も言う権利がない。ただ、世界中を敵に回してもハルカの味方でいる……というのはくさいかな」
アルトは、そう言って苦笑した。ハルカはその様子を見て目を細めた。
アルトは、ハルカに話さなかった事を一人回想していた。
「春に生まれたから、ハルカいうんはどうや?アルトは、どう思う?」
「リョウコさんらしくて、いいんじゃないかな。この子には、俺たちの様な思いをさせたくない」
「うちは……そうは思わんけどね」
「どういうことだ?」
「別に?うちらの都合でこの子の可能性を狭めとうないだけや。ハルカが、何を目指そうと、何をやろうとうちはそれを応援してやりたい。だから、アルトもうちと約束。この子の未来はこの子が決める」
「本音を言うと、ちょっと不安だけどね。リョウコさんに言われると敵わないな」
「おおきにな。遥か遠い未来までの約束や――――――」
「ハルカにもう一つ意味が込められたね」
「あはは。そうやな」
リョウコさんにはこうなることが分かってたのだろうか。大雑把に見えて、かなり繊細で思慮深い人だったから。ハルカが自分達と同じ道を選び、そして同じ悩みを抱える。それでも、この悩みは自分で解決するしかない。その手繰り寄せた答えの先が、俺達と同じとも限らない。だから、どんな道を選ぼうとも俺とリョウコさんはハルカの味方でいよう。例え命尽きようとも、この想いは涸れない。
、、
これが、俺達の導きだした答えだ。
**********
「シアル……」
俺は、掌に収められた写真を見つめていた。そこに映っている笑顔の少女はもういない。
「俺が殺したから――――――」
そうだ。俺はあいつを守ってやることが出来なかった。どうしようもなく屑だった俺に希望を与えてくれたあいつを守ってやることが出来なかった。あいつをマーゼ・アレインに入れたことは正しかったのか?無理強いをしたわけじゃないなんていうのは、体のいい免罪符だろ?俺の後ろをついてくることなんて分かっていたんだろ?いや、違う。
、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、
それを期待していたんだろ?
そんな俺の甘さが、あいつを殺したんだ……。
涙なんか流せなかった。そんなことが許されているわけなかった。だから、俺の取るべき道は決まっていた。
復讐。
そんなことをシアルが望んでいる訳はないと仲間は言った。そんなこと俺が分かっていないと思ったのか?と笑い飛ばした。当然だ、シアルがそんなこと望む訳ない。だが、それで構わない。このまま悲劇のヒーローを気取って一生を終えるつもりなんて毛頭ない。勿論、正義なんて振りかざすつもりもない馬鹿馬鹿しい。シアルはきっと天国で幸せに暮らしているだろう。好きだった歌も歌って演劇もやっておいしいものをたくさん食べて笑っているだろう。それを確かめることが出来ないのは惜しいけど、悔しいけど、それでも全然構わない。
俺は地獄に堕ちようと、世紀の大犯罪者として語り継がれようと、全然構わないんだ。
世話になったマーゼ・アレインに迷惑をかけることになるかもしれない。それはちょっと心苦しいかもしれない。でも、許してくれ。
俺は……あいつのなんだったんだろうか。というより、俺はあいつをどう思ってたんだろうな。好きだったとか?ありえねー。あんな餓鬼。同情?あぁ、それが近いんじゃないの。……違うか。俺はあいつを羨んでいただろ。あいつの放つ光にただ見惚れていただけなのかもしれないな。
だから、許せないんだ。あいつを奪ったその事実が。
「ハヤブサ……」
「あぁ、エクスルか。どうだ?あいつらは無事なのか?……そんな辛気臭そうな顔してんじゃねーよ。俺まで哀しくなるだろ」
「あぁ、すまない。彼らはカレンの救出に成功し、施設内に潜伏しているとのことだ。つまるところまだ計画は完遂していない。それに――――――」
「その先は言うんじゃねぇ。まだ……言うんじゃねぇ……」
「そうだったな……。では次のフェイズもお前に動いてもらっていいんだな?」
「みなまで聞くなよ、たりめーだ」
宜しく頼むと、そう言ってエクスルはハヤブサの前から去っていった。もうすぐ、計画の次段階へと移る。本来計画が成功していれば有り得なかったパターンだけに、エクスルもオーベルトも頭を抱えていた。それに、シアルの死がもたらした影響は大きかった。火星政府の所有する兵器を全て鹵獲ないし、破壊せよという意見もあった。実際にそれを行うとすれば半々で成功するだろうとハヤブサは思っていた。地球で造られた機体の性能が政府のものより良いのは分かっていたし、なにより捨て身の俺達と守るべきもののある向こうでは、戦い方も変わってくるだろう。それでも、それを遂げてしまえば世論の支持なんてものは全て失ってしまうだろう。
「どっちにしろ俺には関係ないか……」
彼にとっては復讐を遂げられればそれで良かった。だから、計画が好戦的な方向に傾けば傾くほど都合が良かった。
「俺は…………やる」
彼の願いは成就するのだろうか。しかしそれは彼も知っている通りシアルの願いではないのだろう。
**********
次回、『第二十二話:マーゼ・アレイン』
抗う者たちが描くは、希望か絶望か。