side:Cullen. "Reason"
再開です。今回は完全に一人のお話。
そこは、暗闇だった。
視界が奪われるという意味でもそうだったが、何よりもそこには光がなかった。私にとっての光は理由だった。存在の証明であった。それなのに……。
初めて任務を失敗した。屈辱でもあり、不甲斐なくもあった。静かな、それでも熱を帯びた慟哭が身体中を駆け巡った。
期待に応えようと思った。
恩を返そうと思った。
あの人の為になりたかった。
私を私としてくれた、その全てに報いようと思った。
――――――出来なかった。
光なき闇が私を覆い、全てを無に帰していく。体中から、心から、大切なものが抜け落ちていく感覚。
私はそれを初めて知った。しかし、それで皮肉にも、私にもかけがえのない物が芽生えていたことに初めて気づいたのだ。
それでも、もう遅い。何もかもが遅い。恐らく、私達の希望は全て削がれて灰になっただろう。
終焉――――――。
それは、私の光が消え失せることも意味していた。私は理由を欲した、生きる為の。それを月にいた仲間に話すと、『そんなの誰だってそうだ』と笑い飛ばされたこともある。そうかもしれない。私だけが苦しんでいると、そんなことを主張するのは、ただの我儘で傲慢なのかもしれない。それでも、私が他の誰より理由を欲するのにはそれなりの要因がある。
今から二十余年前、私は地球で生まれた。いや、正確には“造られた”。今となれば、その詳細を知る由はない。けれども、私は激化する戦争を終わらせる為にこの世に産み落とされた。オブラートを包まずに言うなれば、私は戦いの道具として、その理由を伴い、その存在を許されたのだ。私がその事を知ったのは、いくつだったか。それでも物心つくころに私は自分の使命を感じ、そしてそれを遂行することで、何かを満たしていたんだと思う。けれどそれは、小さな穴のあいた容器に水を汲み続ける作業のように、いつかは枯れ果ていった。
身も心も壊れていく……、それを辛いとは微塵も感じなかった。今思い返すと、やはりこの時の私は、どこかおかしかったのだと思う。心が壊れるとは奇妙な表現なのかもしれない。しかし、私が完全に壊れることはなかった。それが幸か不幸かは別の問題として、私は生き延びる事が出来たのだ。
私は、義父さん、つまりオーベルト=アケルト隊長によって救い出された。
月でのスパイ生活は、悪くなかった。再び、途切れる事のない緊張の連続の毎日だったけれど、それでも私は壊れてはいかなかった。義父さんは、マーゼ・アレインは、私にとって、何だったのだろう。冬の日の陽だまりのように、求めるべきもので、自ら向かうような綺麗なものではなかったかもしれないけれど、それでも私にとって生まれて初めての“居場所”であったことはまぎれもない事実だ。
「お疲れ様っす、カレンさん」
「?、大丈夫だ、疲れてなどいない」
「まま、そんなこと言わずに。お着替えお手伝いするっす」
「結構だ。私に構わなくていい」
「うぅー……」
月での基地の任務中、随分と私の後ろをついてきた少女がいた。快活で、明朗、それでいて素直な少女で、何故私達の仲間になったのか、当初は疑問に思っていた。私達が、世間一般に受け入れらていないことぐらいは私にも分かっていた。もちろん、自分達の行いに確信と信念があったのも事実だが、それが全ての人々の認識であるはずもなかった。彼女を鬱陶しく思い始めた頃、一度聞いてみたことがある。
「ねぇねぇ、カレンさんー。何かすることないっすかー?」
「何もないと言っているだろう!……ふぅ、ところでお前に一つ聞きたいことがある」
「お!私に質問なんて珍しいっすね!何すか?」
その少女は目を輝かせて私の問いを待った。
「何故、私達の仲間になった?お前の求める世界とはなんだ?」
「決まってるじゃないっすか。戦争のない、平和な世界っす」
「抽象的だな。では、その為にしなければならないこととはなんだと思う?」
「今日はまた、熱心っすね!」
「茶化すな。真面目な話をしている」
「そういう所好きっすよ。そうですね、一人でもたくさんの人に笑顔になってもらうことっすかね。だから私はここに来たんすよ。」
そう言って彼女は、はにかんだ。意外と言えば意外な答えだった。彼女の価値観に?倫理観に?もっと漠然とした、茫洋としたものだった。
私はその日から、彼女のことを『ユウ』と呼び、少しずつであったが会話を交わすようになった。彼女の言葉に感心し、親しくしようと思ったとかそういうものではなかった。むしろ、その日から今までの摩擦が嘘のように滑らかに彼女と付き合うことが出来たのだ。せき止められていた川の流れが、一つの大きな岩を除去した後のように、私達の交流は深まった。
彼女に私のことはカレンでいいと言っても彼女はカレンさんと呼び続けた。私はよく分からなかったが、何かしら憧憬の念を抱いていたのだろうか。今となってはもう分からない。
それでもそんなささやかな二人の関係は無残にも引き裂かれることとなってしまうのだった。
丁度その頃は、地球より火星への移住も停滞し始めた時分で、政府への不満が各地で出没し始めていた。月もその例外にもれず、いくらか暴動のようなものも起きていたのだ。私は火星政府にスパイとして入りこんでいた為、その生々しさも脳裏に焼き付いている。もちろんマーゼ・アレインも、その活動に先陣切って参加していたし、それを上手くコントロールしようとも画策していた。これはチャンスであった。いくら政府といえども、大きな人民の動きがあれば、態度を改めなくてはいけない。私達にも希望の光が差し込んできたか……と感じたその刹那、事件は起こった。
暴力に依る一斉鎮圧――――――――。
月という、火星より距離を置いた環境のせいだったのかもしれない。とにかく、政府は強硬手段に出たのだ。
彼女は、凶弾に倒れた。そこからはあまり覚えていない。両方入り乱れての乱闘騒ぎであった。
火星では、過激派を鎮圧するために、やむなく武器を使用したとでも、報道されているのだろう。詳しいことを知ろうともしなかったが、そこから私達の活動は、急激に収縮していった。
彼女は、望んでいなかった戦いでその若い命を散らせてしまった。私は彼女を守ることが出来なかったのだ。あの日は今でも夢に見る。戦う為に生まれた自分が、戦うことで誰かを救えない矛盾。失いそうになる、自分の存在理由。それでも、そんな私が自暴自棄にならず、自らを傷付けなかったのは、彼女の言葉が私を繋ぎ留めておいてくれたからだ。挫けそうになると、その言葉を思い出す。
『生きてるだけで辛いなんて当たり前っす。だから、人は笑顔を探すんすよ。自分が不幸だなんて認めたくないから。でもそれは何もみっともないことじゃない。とても素敵なことだと思うっす』
彼女の見せた笑顔も私が幸せになる為に見つけた一つの笑顔なのだろうか。
私にはまだ分からない――――――。
ここは恐らく火星政府の牢獄。本当ならばそろそろ尋問が始まってもおかしくないのだが、一向にその様子はない。防衛部部長アルト=コウザキによってここに連れられてから、どれくらいたったのだろうか。時折食事を無言で置いていかれるのだが、食欲があるはずもなかった。その内に無理矢理にでも点滴を受けさせられるのだろうか。途方もない考えが浮かんでは消えていった。
「……?」
いつもと違う気配が漂い、半開きだった瞳を上げた。足音も食事を置きに来る衛兵のそれではなかった。もっと激しく、感情的な、大雑把に例えるならば獣のような……。
やがてそれは徐々に大きくなり、ここに近づいていることは明らかであった。気にならないと言えば嘘になるが、それ程注意を払うことでもないだろう。もっとも、そんな気力も今はない。
殺気立ったその気配は、実態を伴い私の前に現れた。十五、六ぐらいの少年と青年の中間ぐらいの男。
鬼気迫る表情で、私を睨みつけている。その視線が矢のように私を射抜いたが、今の私の心は凪いでいた。
「お前か……お前が…………ッを!」
雄叫びを上げて、その少年は牢の鉄柵にしがみついてそれを揺らした。小さくない音が閉鎖された空間に響いた。
「お前らのせいでっ!お前らのような、犯罪者たちのせいでっ!」
むき出しの感情的な言葉が、雨のように私を打った。
私は責められている――――――。
私には何の弁解も出来ず、またそのつもりもなかった。いつかは、その罪を背負うつもりでいたし、どんな目に遭おうともそれを受け入れる覚悟もあった。でも、まだ何も成し遂げてはいない、その一点で、私の悔恨で塗られた心は陰った。ここで、朽ち果てるべきなのか、それとも……。
「クーが死んだらっ!……お前もっ……お前もっ……!」
その少年は、嗚咽を漏らしながら、言葉を絞り出していく。
私は、無責任にも胸が痛んだ。そして、聞き覚えのある名前に、貫いていた沈黙を破ってしまう。
「クー……?クー=セブンスのことか……?」
一度だけ開いたフォーラムでの記憶。まだ、遠い昔の話ではないのに、私の中ではすっかり色褪せてしまっていた。マーゼ・アレインが私に居場所を与えたのならば、あのフォーラムは、その居場所に新たな色彩を与えてくれた。鮮やかに変わりつつあった私の世界は、再びモノクロに戻りつつあることに気付かされてしまう。
「あぁ!?クーの名前をっ……お前が呼ぶんじゃねぇ!!」
「クー、いや、あの少年に何かあったのか!?」
激昂する少年を前にして、私の口からは言葉がこぼれていく。自制が効かない、体が震える。記憶の覚醒を肌で感じる。あの日の、フォーラムのシーンが、ユウが死んだ夜の追憶が、螺旋のように私を取り囲む。
「何かあっただとぉ!?白々しいこと言うんじゃねぇ!クーはな……、弟は……お前らに殺されかけたんだぞ!……いや、もしからしたら……いや!死なせない!あいつは絶対、死なせない!」
少年の声が過ぎ去りし日の私の声と同調して響いた。
『ユウは絶対に死なせないっ!』
私はかぶりを振って、それを打ち消そうとする。
「君は……あの少年の兄なのか……?」
「あぁ……そうだよ!たった一人の弟すら守れないクソ兄貴だよ!」
たった一人の弟すら……。
人を一人救うことがどれだけ大変で、辛くて、血反吐を吐いても成し遂げられるかすら分からない事だなんて信じたくはなかった。
それでも、事実はいつも目の前にあって、過去はいつだって私を取り巻く。逃げられない、永遠に。
どうして、人はこんなに無力なんだろう。
どうして、守ると決めたものを一つも守れないのだろう。
どうして、失うことの痛みに耐えられないのだろう。
「そうだ、私もっ、何も……っ……守れない……!誓いも……仲間も……未来も!」
押し殺して震えた声が漏れる。
誰に向けた言葉でもなく、それはあてもなく虚空に漂い続けた。誰も受け取ってくれる人は、ここにはいなかった。
その少年はいつの間にか、眼前から消え失せていた。クー=セブンスの兄だという彼も、私と同じような道を辿ってしまうのだろうか。話によると、まだその命が消えてしまった訳ではないらしい。
こうやって祈る資格がないのは、分かっている。
私になんの力がないことも、分かっている。
それでも…………助かって欲しい。未来を紡いでいって欲しい。これも、私の自己満足なのだろうか……。
私は自由の効かない身体を冷たい壁に預けて、瞳を閉じた。
祈りは、本当に届かないのだろうか―――――――――。
私はこの時、この壁が微妙に揺れたことに全く気付かなかった――――――。
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次回、『side:Vect."Justice"』
誰の為に剣を振るう?