4 白髪の男
男は、肩まである白髪を首の後ろで無造作に束ねており、壮年というより老年といって差し障り無いような年齢に見える。また、変わった服を着ており、一枚の布を体の前で合わせているそれはまさに”和服”であったのだが、腰には細身で少しそりのある長剣を差していた。
軽く腕を組みながら、のんびりとした調子で話しかけてくるその姿は、微塵も緊張感を感じさせず、知り合いにちょっと声をかけただけのような気軽さがうかがえる。その姿は、ハイトが見ても、まったく隙だらけに見えてしまう。彼は、この人物をどう扱ってよいのかすぐには判断できず、とりあえず、何が起こっても対処できるようにして、成り行きを見守ることにした。
どうなることかと、興味深く観察していると、荷車の男は、ゆっくりと立ち上がり、白髪に向き直ると、彼の問いに、新たな問いで答えた。
「あんたは”スカシ野郎”かい?」
「そう言って、無事でいる奴は、もう数えるほどしか残ってないはずなんだけどね。」
白髪は、口元に、ニヤリとした笑みを貼り付けながら、荷車の男をじっくりと観察してくる。一方その見られている荷車の男であるが、こちらは突然の”本命”の登場に、少し困ってしまっていた。このままはなしをはじめてもよいが、金髪の存在は気にかかる。ワルイ男ではなさそうだが、できれば話すのに余人を交えたくはない。さて、どうしたものかとハイトのほうに視線を向ければ、察しの良いこの男は、
「それじゃ、眠くなってきたし、宿でも探すかな。今日は楽しかったぜ。今度会ったら、その時こそ、飯でも食いに行こうぜ。」
と、これまでのしつこさが嘘のように、さっさと去っていこうとしてしまう。荷車の男にとってはありがたいのだが、このまま別れられてはそれも困るので、あわてて引き止める。自分が先ほどの商売で注目を集めた目的は、目の前の白髪に会うことであって、実際の売り上げはどうでも良かったと、先ほどの稼ぎのすべて、金貨40枚をハイトに渡そうとすると、
「お前に貸し借りは作りたくないな。それじゃあ、半分だけ貰っていくことにしよう。なに、これだけで十分だ。それじゃ、またな。」
驚くほどアッサリと、目の前から消えていく。荷車の男は、少し拍子抜けしつつも、そのまったく何も聞かない見事な去り際に感心しつつ、深く感謝した。
彼は、あらためて白髪に向き直ると、今度はきちんとフードを外した。そこにあった素顔は、どこかしら幼ささえを残すほど若々しく、その落ち着いた物腰からすでに成人しているように思われがちだが、実際は少年と呼べる年齢を出ていなかった。くすんだ黒髪は、雑に切りそろえられ、意志の強そうな目をした面立ちは、美男子とは言えないが、それなりに整っており、これから先の成長への期待をうかがわせた。
「オヤジは死んだ。オヤジからアンタに言伝を預かっている。
『オレが死ぬのは、これが寿命だ。他の奴らよりはチイと短いかもしれないが、充分に楽しめた。ちょっとばかり、先に行っとくぜ。』
アンタには、これで十分だといわれた。」
白髪は、寂しそうに笑いながら、
「アイツは苦しんだかい?」
と聞いてきたので、用意していた答えを返す。
「前の日まで稽古を付けてもらっていた。次の朝には、眠ったまま死んでたよ。なんだか笑ってるようだった。」
実際には、不治の病に侵された体は、最後にはかなり細くなり、痛みも酒でごまかしているようだったのだが、この男にそれを伝えるつもりは無かった。
白髪は、そうかいと笑いながら、問いかけてきた。
「それで、お前さんはアイツとどういう関係なんだい。息子という割には、えらく似てないようだが。」
「息子であることは間違いないが、血はつながっていない。」
無言で先を促されたので、
「オレはオヤジに拾われた。その後は、旅をしながら、いろんな町を巡って、最後はレオ爺の山小屋に住み着いた。レオ爺は猟師で、それからは猟をしながら3人で暮らして、二人とも死んじまったんで、ひとりで迷宮都市へ来た。」
「迷宮都市を目指したのは、オヤジの遺言だ。
『迷宮都市に行け。いろいろと世界を回ってみたが、やっぱりあそこが一番面白かった。世の中にはいろんな奴らがいるぞ。そう言えば、オレの腐れ縁もまだしぶとく生きているはずだから、ついでに伝言を頼む。』
オヤジが死んだ後は、言いつけどおり、16になるまで待って、ここへ出てきた。」
白髪はついに声を出して笑い出しながら、
「オレはついでかよ。というか、お前まだ16だったの? 落ち着いてんねぇ、もう20歳くらいかと思っちゃったよ。それしにても、アイツらしいわ、まったく。」
ひとしきり笑った後、「他には何か言ってなかったとかい。」と聞かれたので、少し考えてみれば、思い当たることがひとつあった。
「そういえば、ひとつだけワケのわからないことを言っていた。大した意味があるとは思えないけど、一応言っとく。
『枝は送った。』
確か、そう言っていた。」
それを聞いた途端、白髪の雰囲気がガラリと変わった。見た目にはまったく変わらないのだが、なんというか、体の真ん中に一本芯を通されたような、明確な緊張感が生み出される。
荷車の男、いや少年か。少年は思わず体が反応してしまい、そんな自分に軽く舌打ちをする。オヤジには、実力は極力隠すべし、相手に力量を悟られないようにしろって言われたのにな、と後悔しつつも、すぐに気持ちを切り替える。相手は、どう見積もっても、自分より実力が上である。最悪の場合、この場からどう逃げたものかと、考えを巡らせ始めた。
そんな彼に対して、白髪はまったく変わらないまま、
「オマエさん、それがどういう意味かわかってるのかい? さっきの感じだと、本当にわかってなさそうだが…。ギルのヤツめ、本当に面倒ごとは全部コッチに押し付けやがる。」
目の前には、悪いなと豪快に笑う大男の姿が浮かんだような気がした。彼は、一瞬、緩みかけた口元をあらためて締め直すと、少年に声をかけた。
「別にオマエさんをどうこうするつもりはないが、さっきの言葉を聴いたからには、確かめてみたいことができた。スマンが、ちょっと手合わせに付き合ってもらえないかな。そっちの得物は何でもかまわないぞ、とりあえずケガは…するかもしれないが、なに、すぐに治すさ。」
物騒なことを言いはじめた白髪に対して、ケガはするのかよと心の中で毒づきつつも、どの道、そのうちに手合わせは頼もうと思っていたのだから都合はよい、夜も更けて、周囲に人の姿がなくなったのも好都合だ。
少年は、荷車から、愛用の木刀を素早く引き抜くと、慎重に構えはじめた。
「ほう、本命は腰に差している小刀かと思ってたんだが、それにしても木刀とはまた変わったものを持ち出してきたねぇ。しかも、そいつはどうやら迷宮産の変り種だ。見たところ、魔力さえ通せばそこそこの切れ味にはなるんじゃないかな? なかなかどうして、初手からいろいろ楽しませてくれるね。」
見ただけでこっちの手の内はバレバレか、わかってはいたことだが、実力の差はいかんともしがたいようだ。彼は何とか思考を戦闘に集中させるべく、軽く息を吐いていく。
少年の構えは、少し独特であった。半身になりながら木刀を右肩に担ぐようにして、自分の体で刃を相手から隠し、浅く腰を落としながら体のバネをためていくその姿は、傍から見れば不恰好ともいえるものであった。彼は、体制を整え、十分に準備ができたところで動きを止め、ジッと相手を見ながらタイミングを測る。
一方、動きの止まってしまった二人を遠巻きに見ながら、暗がりの中で話し合う二つの声があった。
「御前様、楽しんでるねぇ。若いのも、なかなか面白そうなことをやってるけど、まあ、相手がわるいわな。」
「そうですね。ボウヤが踏み込もうとした瞬間に、体重移動だけで気勢を制して攻撃を潰してる。それがわかって、ボウヤもいろいろ試しているようですが、小手先だけじゃ、お頭には通用しないですね。」
「これって、オイラ達が結界しいてまで人払いするほどのもんか? あのガキがそんな価値あるとは到底思えないんだけど。それより個人的には、さっきまで一緒にいた金髪のニイチャンの方がオイシソウだったんだけどなぁ。」
「黙って、動きますよ。どうやら、覚悟を決めたようです。」
暗がりの二人の言うとおり、この勝負にもそろそろ決着がつこうとしていた。
少年は、相手のプレッシャーに乱れはじめた息の中、むしろどこか楽しそうであった。これだけの実力差があれば、いつもなら逃走に切り替えるところだが、白髪と対峙している感覚は、父親のギルと鍛錬している頃を思い起こさせ、彼のその選択肢を取らせなかった。今だ剣すら抜いていない相手に、こちらに対する殺気までは感じられない。先ほどの言を信じるならば、命までは取られることはないはずである。どうにも越えられない壁のような存在を目の前にして、少年の思考がまたひとつ切り替わる。
ならば、全力をぶつける。今できるすべてをこの攻撃にかける、出し惜しみはなしだ。
彼は、勝負に出るべく、さらに魔力を練り上げると、必要なところに送り込めはじめる。それは、相手を倒すための武器であり、己を守るための服であり、そして…。
少年は、意を決して一歩を踏み出す。滑らかな体捌きで距離をつめつつ、肩口の木刀を抜き打つ。それは、これまでの生活の中で自らあみ出した刀術だった。狩人の生活の場である、森という障害物だらけの場所では、剣を振り回すのは非常に困難である。そこで、最小の軌道で、最速で刀を振り抜くために、柔軟な間接を作り上げ、必要な筋力を鍛え上げた。速さに特化した、稲妻のような太刀筋であった。それは、遠めに覗く影の二人にさえ、ホウと思わず言葉を漏らさせるほどの見事な一撃であった。
しかし、届かない。
振りぬいた刀の先に相手の姿は無く、刃を交えることさえ許してもらえない。少年に落胆している暇は無く、すぐさま左側面から魔力の乗った攻撃特有の気配を感じる。間に合わないとわかってはいたが、体は無意識に反応し、木刀を動かそうとしたところで、彼の意識はぶっつりと途切れた。
少年が意識を取り戻すのに、それほどの時間はかからなかった。
目を覚ましたとき、近くには白髪が座っており、
「若いって言うのはうらやましいね。もう目が覚めたのかい。それとも、オマエさんが特別頑丈なのかな?」
かけられる言葉は、少年の耳には届いていなかった。彼の胸のうちは、何もできなかったことに対する怒りのようなもので満たされ、体はカッと熱くなり、ただ己の未熟さにうちひしがれるその心を焼いている。だが、白髪の発た次の言葉で、それは急速に冷やされることになる。
「あれは、妖精眼だね。」