始まり 世界の現実
「……ねぇ、ねぇってば……………」
「……………」
「ちょっと、話聞いてる?」
「………あっ、ちょっ、勝手にイヤホン外すなよ」
「何よ。さっきから声掛けてるのに、全然反応しないのが悪いんじゃない」
「……ごめん。話聞いてなかった」
「………だから、外の世界ってどんなところなんだろうって話。暑いのかな?寒いのかな?それとも両方?」
「……そ、そんなこと、僕が知る訳無いじゃないか。だって僕たちは生まれてこの方、外の世界になんて出たことが無いのだから……………」
少女と少年がいる場所はとある建物の中。
そこには何故か窓の一つも無く、薄暗い空間だけが広がっていた。
その広さは意外にも広く、彼らの他にも数名の人の姿がいる。
皆でキャンドルの火を囲い、僅かな明かりを共有する。
そこに灯される光に映るは、この部屋を施錠する分厚いドア。それは厳重に閉ざされ、こいつを見るたびに生きた心地のしないものである。
反対に別の部屋に続くドアは至ってシンプルな作りをしており、そこを開けばトイレなどが設けられている。
天井を見上げれば外からの吸気口が続いており、壁には空気濾過機と脱出口が備え付けられている。
明らかにここが普通の建物では無いことが窺える室内施設、その正体は地下シェルターであった。
何故彼らはそんなところにいるのか、実の話分からないでいた。
どうして自分はこんなじめじめとした空間にいるのだろうか?
現在十四歳の自分がそれよりも幼かった一昔前に一度、この空間に嫌気が指して抜け出そうと、そこにいる同年代の彼女と一緒に脱走を試みるも失敗。
中にいる大人の一人に見つかってしまい、“お前のような子供が興味本位で外に出てはいかん!外は危険がいっぱいだ。迂闊に出て行けば、あやつらの餌食になるぞ!”と強く叱られたことを今でも覚えている。
あやつらとは一体、何のことだろうか?
昔の自分ならそんなことを考えていたが、今となってはそんなことはどうだって良い。
外にどんな奴がいようがいまいが、少なくともこの中にいる限りは安全だ。
若い大人がこの部屋を行き来しては、足りなくなった食料を調達してくれる。
缶詰やレトルト食品、乾パンなどがその大人達の手によって運ばれては、それを食べて生活をする毎日。
たとえ外が危険だろうと、大人達が食料を運んでくれるのだから、案外慣れてしまえばこの生活も悪くない。
ただ一つ、不満があるとすればそれは―
「あー、退屈なんですけどー!なんか面白い話とか無いの?」
「………ずっとこんなところにいる訳だしな。目新しいことも無い。だから僕はこうして何度も本を読み返すって訳さ」
「………君って奴は、ほんとその本が好きだね。飽きないの、それ?」
「他にこれと言った娯楽も何も 無いからね。けど、本は繰り返し読み返す度に新しい発見があるんだ。
その時々の心理状態によって、全く違う内容に感じることもあれば、それまでは気付かなかった著者の真意に触れたりすることもある。新しい発見の連続さ」
眼鏡を掛けたヒョロヒョロのこの少年-菊間鐡跎は物心ついたその頃には両親と呼べる存在がいなかった。
若い男女家族だった菊間一家は、食料調達に駆り出され、この空間を一度出て行ったきり、二度とここへ戻ることは無かった。
そんな彼の元に残ったのは、この一冊の本。
ここにいる大人の一人に“君が四歳の誕生日を迎えた時、君の両親にこれを渡してくれと頼まれていた”と言われ、良く分からず受け取ったあの日のことは、彼の頭の記憶の中でつい最近のことだったように思い出される。
「……あっ、本と言えば私達、この本で言葉を覚えたんだよね。鐡跎と私、互いに親と言える存在がいなかったから、ここにいる大人の人達にあれこれ聞きながら、この字は何て読むのか、何て意味なのか、あの時は色々と教わっていたっけ」
「そんな日もあったね。けど千紗ってば、未だに読めない漢字、結構あったりするよね。ほらこの漢字とか、読める?」
少女の名は白波千紗。
鐡跎と同い年で、彼女もまた幼くして両親を亡くした境遇を持つ、悲しき仲である。
互いに似たところが多くあったこともあってか、気付けば何でも話し合える良き友達としての関係へと発展し、今に至る。
「……え〜っと、これは“ゆにゅうみち”?」
「違うよ、これは“輪入道”。さっき千紗が言ったのは他国から物を買い入れるって意味の“輸入”であって、こっちは円形を意味する輪っかの輪に入ると書いて“わにゅう”。
相変わらず、漢字が読めないところはやっぱり変わってないんだな」
「何よ〜!鐡跎のくせに生意気なぁぁ〜!」
決して普通では無い日常だが、それでも何不自由無く生活していた鐡跎達だが、ある日のこと、それは突然だった。
「……鐡跎、ここから脱走しよう」
「……えっ?」
いきなりの発言に驚く鐡跎。
「何でまた、急にそんな……だっそ、もごもご…………」
「しーっ!迂闊に喋らないでよ。当然、周りの人達には秘密なんだから」
彼の口を押さえ付ける千紗。
その状態で話を続ける。
「実行は明日の朝、三時頃。その時間帯が一番、大人達の見張りの警戒が薄いわ。半分眠っているような連中を気絶させるぐらい、鐡跎と違って毎日のように身体を動かしていた私にしたら、簡単なことよ。
偏った食生活のせいで身体作りにはそれなりの時間を費やすことになってしまったけれど、これでもう準備万端よ。
鐡跎は気付かなかったかもしれないけど、裏で数日分の食料や水、その他必要そうなものをいくつか集めて、私と鐡跎、二人分の荷造りをもうすでに済ませてある。
だから、明日の早朝―」
「…………僕は行かないよ」
「……えっ?」
「大人達が言っていたじゃないか。外は危険がいっぱいあるって。
そりゃあ、僕たちだってあと何歳か年を取れば、実際に外に出て食料の調達に行かなければならないけれど、今はまだ子供だ。
いくら千紗がここにいるのが退屈だって言っても、何でまたそんな死に急ぐようなことをしようとする?」
「そんなの、今度こそあの日出来なかった、私たちの両親を探しに行くんだよ!今こそ―」
「それが言えるのは千紗、君だけなんだよ。君の両親が帰らぬ人になってしまったのは、三歳の頃。だが僕はそれより前のことだ。
当然、両親の顔など一切覚えていない。僅かでも両親の顔を記憶している君だからこそ、そんなことが―」
バチンッ!
「……なっ?」
そこには彼の頬を強く平手打ちした彼女の姿があった。
密閉空間ゆえにその音は強く響き、何事かと周囲の大人達の視線が一斉にこちらへと傾く。
「両親の顔など一切覚えていない?鐡跎の中では自分を産んでくれた両親のことをその程度にしか思っていなかったの?鐡跎、君は大事なことを忘れているよ。
顔が分かるとか分からないなんてものは関係無い。
大事なのはこの世界がどんなに残酷であったとしても、今日まで自分を生かしてくれたのは誰でも無い、ここに置いてくれた両親が鐡跎をここまで生かしてくれたんだよ。記憶に無かろうとこれは紛れもない真実。
ロクに面倒をみてもらえなかったからと言っても、それだけでも十分に感謝に値することだとは思わないの?それに何一つ、手掛かりが無い訳でも無いでしょう」
そう言って、千紗は彼の持っていた本のページを開き始め、最終ページのちょっとした余白部分に書かれた両親の文字と思しき誕生日メッセージを目の前に見せた。
“愛しの鐡跎、四歳の誕生日おめでとう。これが最初で最後のお誕生日プレゼントだ。大事にして欲しい。 菊間昭善、菊間麗華―”
「……きくましょうぜん、きくまれいか。数少ない僕の両親の手掛かり、か。こんな名前など知っていたところで、世界の広さも分からない。それこそ、この部屋の何兆、何京、何垓、何秭倍と無限のように広がっていたら、仮に両親が生きていたとしてもその程度の手掛かりなんて何の意味も―」
「まーた、そんなひねくれたことを言う。もう一度、引っぱたかれたいのかな?」
「……分かったよ。もうそんなことは言わない。だけど、一緒に外へ出るって話は別だ。僕は絶対に行かない。自殺願望の趣味は無いからね。だから千紗もそんな馬鹿げた計画は止めて―」
「……とか言っちゃって、これで外に出て行ってでもして私が死んでしまったらどうしようなんて、心配してくれてるの?」
「……そっ、そりゃあ心配ぐらいするだろうが!未知の場所に足を踏み入れるとなれば、どんな危険があるものか分かったものじゃないんだぞ」
「確かにね。けどいつまでもそうやって知りもしない恐怖にビクビクと怯えたままでは、いざ外へと駆り出されるその時、何も出来ずに死んでしまうかもよ」
「それは一理ある………が、千紗はここから抜け出そうとしてんだろ。その為の事前調査として、ほんの少し外に出てみようってんなら未だしも、ここを離れるってことなら話は別だ」
「おい、お前達いつまで起きてやがんだ!子供達はさっさと布団に包まって寝ていろ!」
丁度、脱出口の見張りをしていた大人が交代で現れ、彼らを黙らせる。
「…………」
彼女は何か言いたげな様子だったが、二人は静かに布団に包まっていった。
それから数時間後―
彼が静かに眠りについていると、何やら肩に強い衝撃を感じた。
「………行くよ、鐡跎」
振り返ればそこには二人分の荷造りリュックを片腕ずつ器用に背負い込んだ状態で彼の肩を叩く千紗の姿があった。
「……ちょっ、千紗痛いって。と言うか、僕は行かないってあれほど………………」
「これを見てもそれが言える?」
そう言って彼女の手にあったものは、彼が肌身離さず持っていた例の一冊の本であった。
「それって………おまっ、いつの間に。返せ、返せってば」
「やだね~!返して欲しければ、私を追い掛けてごらんよ」
「くそっ………返せ、この野郎!」
「野郎じゃありませんよ~っと」
彼は布団を翻し、勢いよく起き上がると、本を持った千紗のことを追い掛け出した。
「よいしょ~!」
千紗はハシゴを駆け上がり、脱出口の中へと入り込む。
良く見れば、近くで見張っている筈の大人二人が見事に白目を向いていた。
恐らくは鐡跎を起こす前に下準備を済ませていたのだろう。
そうして彼女を追い掛けるようにしてまんまと外に出てしまった彼の先に広がっていた世界は………何もかもが廃れていたのだった。
私が投稿しているもう一つの小説―“ピヤー ドゥ ウイユ”は何かとキャラクターごとの台詞が長いので、
こちらは台詞短めで話が展開していけたらなと思っています。
(ピヤー ドゥ ウイユの方は人間の心理描写を細かく描きたいという思いから、どうしても長くなって
しまうんですよね。自分が含め、上手くいかない人生に悩みを抱える人達に何か一つでも共感してくれることを願って、これからも書き続けていきますので、今後とも応援よろしくお願いします)