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prologue


──異世界と化したこの地球(ほし)で、僕たちは宗教裁判からやり直すことになりました。 prologue ──







 ──この光景を、知っている気がした。


「ねぇ、先輩」

「どうしたの……?」

 

 色で言うなら透明。そんな彼女の力ない声。どこか眠そうで、消え入りそうなそれが、僕の耳に届くのに時間差なんてほとんどないはずなのに、それでも、その声は遠い距離を泳いできた気がする。

 

「知ってますか?──この先の未来の事を」

 

 おかしな問いかけだと思う。

 僕が見ていた「今まで」は何だったんだろう。

 

 ここから始まったはずの日々はなんだったんだろうか。

 

 虐げられて。

 打ちのめされて。

 声をあげようにも、世界はキミの味方で。

 

 僕は耐えるしかなかった。

 そんな、確かにあったはずの苦しい未来は……なんだったんだろう。

 

 夕日の茜色よりも、僕の頬は赤らんでるんじゃないかって思うくらい震えていた。

 シチュエーションとしてもありふれた場所で、ありふれた告白をして。

 キミが、簡単に「いいよ」って返事をする。

 張り詰めた空気を乗り越えて一世一代の告白が報われて、膝から崩れ落ちる僕を見たキミが柔らかな顔でほほ笑んだ。

 

 ……そんな安堵がまるで嘘のように、それからの僕には、向かい風が吹き続けた。

 

 僕が彼女を初めて見たのは、面倒ごとに巻き込まれて職員室に呼び出されてこっぴどく叱られた時のことだった。「今」と同じように美術部室には茜色が差し込んでいた。僕は廊下から、たまたまカンバスに向き合うキミの横顔を見つけた。ありきたりな構図なのに、でも新鮮で……それ以上に本当に美しくて。だから近づきたかった。高嶺の花に触れたくなった。

 

 だけど、キミは僕という額縁の中になんか収まるべきじゃないほどに価値のある人間で、僕はひたすら、キミの才能に苦しんだ。美術も理解しない美術部員の僕が本当に興味があったのはキミだけだったけど、そんな僕にも分かるほど、キミの絵は凄かった。だから僕は苛まれ続けるのだった。

 僕のオタク趣味に合わせてキミはたくさんの二次キャラの絵を描いてくれた。本当に魅力的なキャラクターで、頭を擦り付けてでも拝んでいたいと思ったほどだ。キミが書いてくれたのは神々しいエルフのイラスト。カンバスに描かれた金髪エルフ。淡いタッチで今にも消え入りそうなほど儚げな翠眼のエルフ。

 僕の心を震わすには十分だったけど、顧問の先生はとても怒っていた。

 

「キミにそんなつまらないものを書いている時間はない」

 

 彼女が天才だったから。

 毎年、コンテストで賞を獲るのが当然で、世界からも注目されているほどのアーティストだったから。

 僕が頑張ったって、たどり着けない世界の住人だということを、思い知らされた。

 

 僕の汚れ役の人生はキミと出会った頃から始まっていた。

 キミは海外の大学からの誘いを嫌がった。──僕のせいだと責められた。

 僕が、キミの背中を押して、キミは正しい未来を選んだ。

 それでも、キミがスランプに陥ったら僕のせいにされた。

 僕だって大学にいる四年間、キミの事が気になって、満足な大学生活を送れなかったのは同じだったけど、キミを悲しませた僕は悪人だった。

 それでも、僕は頑張ってキミのいる国で仕事に就けるようになって、僕たちは再び一緒になって、結婚をして子供が出来た。

 僕は家で、仕事と家事と育児をした。キミは絵を描き続けた。

 キミの絵の一枚は僕が死ぬ気で十年働いても届かないような値段が付く。

 それでも、キミに縋るのが、キミの才能に縋るのが怖くて、家計は僕の収入でどうにかしていた。

 

 そこまでの悪夢は、辛うじて見続けることが出来ていた。

 困ったのは、僕の唯一の娘だった。

 才能のお腹から産み落とされたのは、才能を超える才能だった。

 二歳のころ、娘が己の母を真似てカンバスに向かって筆を打ち付けているのを見つけた。

 

 ただの悪ふざけや戯れの類だと思った。

 だけど、描かれたものを見て戦慄した。

 膝をついて、絶望した。

 完璧な絵なんかじゃなかったけど、それでも、その絵がキミの横顔を描いていることに簡単に気づいた。なにより色彩が本当に美しかったんだ。夕日がキミの頬を染めているところまで表現されていて……まるで、キミを初めて美術室で見つけた時の光景にどこか似ていた。

 親バカじゃなくて、本当に危機感が警鐘を鳴らしたんだ。この子にはとんでもない才能があると。

 それから娘の画家としての人生が始まった。

 

 全人類を対象に考えてみる。

 持たざる者と与えられし者。その比率は圧倒的に前者の方が多いはずだ。

 だけど、僕の世界では1対2だった。持たざる者は僕だけで、キミと娘が与えられし者。

 いつだって英雄は後者で、僕はそうじゃない。

 

 持たざる者は与えられし者のため存在する。

 だから、僕の人生はキミたちのためにあった。

 

 それがたまらなく苦しかった。

 特に、娘が十の時、中年男性の運転する車が娘を目掛けて突っ込んできたことがある。

 僕はとっさの判断で娘を突き飛ばして、娘を庇った。

 しかしこれではミッションコンプリートにならなかった。突き飛ばした衝撃で、娘の左手の骨が折れてしまったのである。最悪な事に、左は娘の利き手だった。ただの左手じゃない。何億もの値段が付く絵を生み出す未来を期待された左手だった。

 僕はとにかく責められた。娘に何度謝っても、うわのそらだった。

 僕の腰椎の怪我が治るよりも幾分か早く、娘の怪我は完治したけど、それでも、たった一つの怪我で失われた彼女の時間と、感覚というのは僕の人生なんかよりも何倍も価値があるらしい。

 

 僕は悪人だった。二人の天才に寄生する極悪人だった。

 世間は、二人に問題が起こる度に僕を責め立てる。

 僕がしっかりしていないから。

 僕が未然に防げないから。

 僕がクズだから。

 僕が……持たざる者だから。

 

 

 そうして、僕は二人のもとをこっそり去った。

 

 

 これは罰だ。

 僕を軽んじた世間への罰だ。

 僕がいなかったら二人とも本当は生きていけない生活破綻者なんだぞ。

 

 ……なんて思いながら、宛てもなく逃亡した。

 野垂れ死にしようが、僕の不在が嘆かれればいいと心のどこかで期待していたんだ。

 

 僕の最後の絶望はこれからだった。

 

 キミと娘の評価は、それからも「世界最高の画家」のままだった。

 

 本当に、なんら変わりなく。

 

 間違っていたのは世間じゃなくて僕だった。

 僕はずっと心を封じてまで、黒子に徹していたつもりだったのに。

 二人にそんなのは必要なかった。

 全てを否定された気がした。

 

 僕の人生は。何だったんだろう。

 茜色が差し込む美術室から始まった僕の全ては何だったんだろう。

 

 僕は、キミの活躍が……キミたち親子の活躍が取り上げられる美術関係の月刊誌を握りしめてから、力の限りアスファルトに投げつけた。

 

 

 ──その瞬間、世界が歪んだ気がした。

 

 

 その歪みは、僕の精神状態が見せた幻なんかじゃなくて。

 本当に、世界がトランスフォームしている気がした。

 

 

 ──時間を巻き戻されているみたいな。

 

 

 だって、僕は。

 一人冷たいアスファルトの上で、打ちひしがれていたはずで。

 キミを追いかけてたどり着いた異国で冷たい風に吹かれてそろそろ死ぬんじゃないかなんて思いながら、生まれてきたことを嘆いていたはずで。

 

 

 ──この光景を、知っている気がした。

 

 

 僕が物理的にいるべき場所とは相違がある。学校の屋上。

 制服を着たキミと僕。

 呼び方だって、僕が「ミト」って呼んで、キミは「あなた」と呼んでいたけど、今は僕が「先輩」って呼んで、キミが「後輩君」といった方がしっくりくる。

 

「この先の未来のこと──?」


 無表情なままキミが僕の言葉を反芻する。この瞬間のキミとは、苗字すら違う未来の話。

 何が起こっているのか分からないのはお互い様だけど。

 今、ここにいるキミを、その訳の分からない話に巻き込むことに罪悪感を禁じ得ない。

 

「僕は……知っている気がするんです」


 こんなありふれた場所で、僕がキミにありふれた告白して。

 キミが、無表情のまま、簡単にいいよって返事をする。

 僕は、安堵のあまり膝から崩れ落ちる。

 それを見て、無表情だったキミが小さく微笑む。

 

 そんな未来。

 

「──それから僕たちは、ヨーロッパで再会して。結婚して、子供もできて。そんな中で先輩は絵を描き続けて、子供もまた絵を描き始めて、二人は親子で絵画の世界を席巻していくんです」


 そんな未来。

 

「……そう。私と……後輩君が、結婚する未来」


「はい。僕は、先輩が……紫苑寺 美翔(しおんじ みと)が、とんでもない絵を世界に発信し続けて、それを僕が隣で見続ける未来を、知っている気がするんです」


 きっと、キミは付いてこれない。だってキミからしたら、今僕が語っていることは全て、妄言で、狂言なのだから。

 

「そんな未来を……先輩は、知りませんか?」


 分かりきったことをあえて問うてみる。キミが無表情の中に隠し切れなくなった戸惑いや動揺は手に取るように伝わったから。

 

「……知らない。でも──」


 だけど、キミは。いつかと同じように小さく微笑む。

 

「──その世界の私は幸せだったと思う」


 続く言葉が僕の心を激しく揺らした。


「本当にそうでしょうか。先輩ほどの凄い人の隣にいるのが僕なんですよ?」


 だから、少しだけ自棄になった。そういえば、未来でキミはどんな顔をしていたんだろうか。

 ……思い出せない。二歳の娘が書いた絵画の中の眩しいキミの横顔だけが僕の記憶に蓋をしているのだ。

 

「幸せ。……だって、私が今欲しいもの。……その私は全部持ってる。後輩君も、絵画も……全部」


 屈託もなく、まるでそこには嘘が含まれていないようにキミは言ってのけた。

 

「嘘ですよ、そんなの。未来の先輩にそんな事を言われた記憶なんてないですもん」


「……えっ、と」


 僕の口から出る低い声にキミは不思議そうな顔をする。

 違う。なんで僕はキミに当たっているんだろう。

 

 キミは悪くない。

 悪いのは全部僕だったじゃないか。

 

「ごめんなさい、独り相撲ですよね、こんなの」


 もう一度状況を整理する。

 これはタイムスリップという奴だろうか。

 

 過去に訪れたはずの光景。

 僕がキミに告白するシーン。

 

 僕にとって終わりの始まりとなった人生の分岐点。

 

 そう分岐点。

 つまり、僕がここにいる理由は。

 

 それは、多分間違った未来をやり直すためだ。

 

「僕は、先輩の事が好きです。だから先輩と僕は今、ここにいるんだと思います」


「……そう」


 あの日の……いや、この日の僕は、先輩に告白するために先輩を呼び出した。

 だからキミと僕がここにいる。それに間違いはない。

 

「先輩……先輩は僕のことを嫌いになれますか」


「……えっ?」


 でも、目的は「今」は違う。

 

「もう、嫌なんですよ。あんな未来。先輩の事を好きになって、先輩の隣で肩身の狭い思いをしまくるだけの未来が」


「……どうして?」

 

 あれだけ息苦しい未来だったけど、それでも、僕が頑張って向き合った世界だ。

 いざ、その未来を消そうとすると息が詰まる。胸が苦しくなる。どうしようもなく、辛くなる。

 

「どうして、か……。そうですね、強いて言うなら、僕と先輩が別の世界の人だからだと思います」

 

「そんなこと……!」


「──あるんですよ、先輩。紫苑寺美翔はとんでもない画家なんです。僕には到底、理解できない世界の人間なんです」


「でも……それで……どうして、私が後輩君のことを嫌いにならないといけないの……?」


「それは──」


 言葉が足りなかった。だってそれは、僕のエゴだから。

 お互いが嫌いあっていたら、救われるのは他でもない僕だ。

 

 一方で、キミは救われるわけではない。

 ただ、なんら変わりないだけ。僕がいてもいなくてもキミは化ける。凄い人になる。

 未来の婚約者を失うだけ。そして今、僕の事を好きでいてくれるのであれば、きっと精神的にも負荷がかかる。

 

 だから必死に言葉を探した。君が僕を嫌いになるのに十分な言葉を。

 でも、未来を消し去るのに十分なインパクトある言葉なんて思いつきやしなかった。

 

 そんな僕を救ったのは。

 

「わかった」


 無表情なキミの言葉。驚く僕に、キミが簡単に「いいよ」と付け足す。

 

「後輩君。……ごめん、ね」


 乾ききった風が屋上に舞った。

 その乾いた空気を心もとなくキミの涙が潤していく。

 

「……なんで先輩が泣くんですか、なんで謝るんですか」


 悪いのは全部僕で、無茶苦茶なのも全部僕だったのに。

 

「だって……ずっとっ、謝りたかった……」


 鼻をすする音が言葉の節々に混ざって、情けなく聞こえる。

 

「謝るって、何を?」


 「今」のキミに悪い所なんて何一つない。「今」も「未来」も悪いのは全部僕なはずなのに。

 

「……何でもない」


 先輩は僕に背を向けて涙を隠した。

 そして少ししたら、キミは彫刻のような綺麗な無表情を取り戻していた。

 

「……ねぇ、これで、お別れって事……?」


 キミが確認するように、それでも感情は隠すようにして聞いてきた。

 

「そう、ですね」


 得たはずの未来は、この返答によりあっさりと失われる。

 複雑だった。あの時の僕はこの瞬間には人生で最大の喜びを体感していたはずだったから。

 

「……そう」


 キミはフラットな感情と抑揚で僕の言葉を受け止めた。

 それでも、どこか悲壮に見えたのは、やはり長年の付き合いがあったからこそなのだろうか。

 

 でも、いま、その長い付き合いは消えたのだから。やはり複雑としか言いようがなかった。

 

「……後輩君」


「はい……っ!」


 何年振りかのぬくもりが僕の頬に与えられる。

 悲しくなるほどに久しぶりなキミの唇の感触だった。

 

「……何してるんですか?」


「ごめん……ずっと。それと私とユイちゃんの事もずっと支えてくれて……ありがとう」


「えっ?なんで僕の娘の名前」


 ひとつの疑念が浮かぶ。

 

「……私のスランプも、ユイちゃんの怪我も全部……悪いのはあなたじゃないのに……全部一人で、批判も受け止めてくれてありがとう」


 そして、その疑念が確信に変わる。


「ミト……なのか?」


 僕の問いかけにキミがもう一度柔らかく笑う。

 無表情が垣間見せるハニカミなんかじゃなくて、どこまでも無邪気な満面の笑み。

 

「──後輩君、幸せになってね!」


 そして、彼女は屋上を去る。

 なんで未来の事を「知らない」なんて嘘をついたんだろう。

 

 なんで僕はキミの嘘を見抜けなかったんだろう。

 

 見抜けていたら、どうなっていた?

 

『──その世界の私は幸せだったと思う』


 きっと、彼女に心をもう一度動かされて、また一人で世間とやらと戦うことになっていただろう。

 でも、あの地獄の日々をキミが一緒に戦ってくれるなら僕は。

 僕は──。

 

「ミト!」


 キミは振り返らない。

 

「待って、ミト!」


 だから僕は追い縋る。

 けれど、キミは振り返らないまま、屋上の扉が占められて、キミの姿が消える。

 

「ミト!聞いてくれ!」


 僕は慌てて駆ける。

 

「──っ痛ぇ!」


 みっともなく躓いて、キミが遠のいていく。

 なんでこんな時に。

 

 慌てて僕は立ち上がる。立ちあが……立ち上がれない。

 

 フラットな屋上にあるはずもない傾斜がそこにあった。

 自分は、急斜面にしがみつくような形になった。

 

「どういうことだよ……これ」


 傾斜がさらに直角に近づく。校舎が崩れ落ちているのだと気がついた。

 僕は屋上から振り落とされる。

 

「死ぬ……のか、……こんなわけわからない形で?」


 もう、何が何だか分からない。

 ただ受け入れるしかない。死ぬのはもう、怖くない。いつだったか覚悟を決めたから。

 

 諦めて、僕は最後の景色を網膜に焼き付けることにした。

 

 僕が最後に見たのは。

 

 ──燃え盛り、崩壊していく、世界の姿だった。

 

 

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