第1章
家の洗面台の前で、かれこれ5分くらいずっとへばりついていた。
……なんだってわけがわからない。
……そういえば昨晩のあれは、なんだったのか。
幻かなにか……? ていうか夢じゃなかったの?
(いやー……)
しかし僕の身体には、きちんと寝る用のパジャマが着させられている。裸だったのは? いよいよさらにわけがわからない。
……相変わらず自分は身長高いまんまだし。気持ち悪い。
僕は洗面所を出た。すぐ斜め前のリビングへ入ろうと足を進める。と、そこでふとその動きを止めた。
僕は家族の待つリビングルームの入口前で、ドアに背中をつけて項垂れ始める。
自分の顔を手のひらでぺたぺた触ってみる。
いつもの、あのプニプニした肉感がどこへやらさっぱり。
なんてことだ。一晩にしてこんなにも……あぁ、あってなるものか。
いや、むしろこれが僕の本当の姿だったんじゃ……?
きっとそうだ。だからだよ。僕がいつも学校でハブられるのは、僕が実は超のつくイケメンで、それに自分が気づかなかったために謙虚な態度で「そんなわけないよ〜」と適当に受け流すもんだから、みんなが「原田爽やかすぎてうざくね?」と僕に嫉妬してたんだ。
……アホか。
だが、実際どうしたものだろう……。
家族に何て言ったらいいのかわからない。
あははー急にイケメンになっちゃいましたー、僕もよくわかんなーい、は少々無理がある。英語も上達に1年は必要なように、人だって変身には長い年月が必要だ。いや何を言っているんだ僕は。
増してやこの異常な変化は、もはや研究所に連れていかれるレベルではなかろうか。医学的な面を超越してしまっているような。
「はぁー……」
学校には遅刻しそうだし、でもかといって朝はガッツリ食べとかないと、昼まで胃がもたない。地べたに腰を下ろして深くため息をついた。
「兄さん何やってんの?」
「……あ?」
僕は顔を上げ、声がしてきた方を見る。
するとそこに、階段から丁度降りてきたばかりの妹が立っていた。その赤く切れ長の目で僕を不思議そうに見つめている。
「よぉー芽亜理、グッドモーニングー」
僕は再び顔をガクっと伏せ、力のない手でグッドサインを妹に送った。
原田芽亜理、僕の妹の名前である。いつもならツインテールで結んでいる黒髪を、今はほどいてバサッと下におろしているようだった。薄いウェット姿で僕を見てくる。
……ん? というかちょっと待てよ?
「おい」
「なに」
「お前、今僕のことを兄さんと呼んだか?」
「呼んだけど、それがどーかしたの」
…………なに……?!
普段僕に対して、いつもなら「ブヒブヒうるさい」だとか「共食いしてんじゃねえ」だとか、名前を呼ぶどころかキツく当たってくる妹が。
ーー兄さん、だと……?!
ちょっとまてまて。落ち着け。
まずそこじゃない。
「……僕が分かるのか?」
「は? なんかキモいんだけど、熱でもあんの?」
一瞬みせる毒舌っぷりは、まさしく普段の妹そのものだ。
だが、なぜだ……。
僕を見て、なぜ何も思わない。おかしいでしょ明らかに、ええ?あなたのお兄さんイケメンになっちゃってますよ? ええ?
「ちょっとおデコかして」
「お、おう……」
僕が顔を前に出すと、芽亜理は自分のおでこを僕の額に重ねる。熱があるかどうかをチェックしているのだろうか。
気持ち悪いぐらいの優しさ……。なんなのねえ、気持ち悪い。
しばらくじっとしていると、僕の目の前に迫っていた妹のピンク色の唇が動き。
「熱ないじゃん」
そう吐き捨て、僕を足で邪魔だとどかしてリビングへと入っていってしまった。
「……意味わかんねぇー」
今朝からいろんなことが重なりに重なって、もう本当に熱が出てしまいそうな勢いだった。
結局僕は、再びリビングの入口で項垂れ始める。