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最終話 彼女

 四月二十三日。

 午前一時。

 僕はソロソロと二階の自分の部屋から音を立てずに階段を下りた。

 そして静かに玄関の鍵を回し、一階で寝ている親を起こさぬように扉を開けた。

 スニーカーを履いて外へ出る。

 今日は空気も澄んでいるのか、夜空は雲一つない上に満点の星に埋め尽くされていた。

 そのまま玄関前の芝生を横切り、隣の駐車場へと向かう。

 姉貴の置いて行ったスクーター。

 此処でエンジンを掛けると、親が起きるかも知れない。

 スクーターを押して僕は駐車場から前の通りへ、そして更に道路を三十メートル程押して歩く。

 自宅との距離が取れたのを確認するとスクーターに跨りエンジンを掛ける。


     ドオルルルル


 原チャリ、50ccらしい軽いエンジン音。

 半キャップのヘルメットを被り、ゆっくりとアクセルを回わす。

 僕は深夜の静かな住宅街で、どうしても軽いエンジンの高音が気になるのだけれど、なるべく静かにスクーターを発進させた。




「私を守ってくれるんでしょ? ねえ!」


 答えられなかった圭子の質問が頭をよぎる。


「じゃあ、お前は、圭はどう思ってんだよ? お前は、俺を信じているのかよ」


 馬鹿な事を訊いたと思った。


「いつだって信じてる。私がどういう風になったって、最後は必ず浩ちゃんが側にいて助けてくれるって思ってる」


「ずる!」


 彼女の口からあっさり出た言葉に、僕の口から思わず出た言葉はそんな言葉だった。


「バイクで置き去りにされた日の事覚えてる?」


 彼女は更に続けた。


「ああ」


「本当はあの時、嬉しかったの。大学生に絡まれて、助けて貰って、嬉しかったの」


「何で今更。ってか、あの時にそう言えば、あんな喧嘩にもならなかったのに。謝れって言っても謝らなかったし」


「思っている通りに言えない事もあるの。あの時浩ちゃん凄く怒ってたし」


「そりゃあ」


「だから信じてる。今は遠く離れていても、偶に声を聞く位かも知れないけど、いつかきっと、また会えるって、信じてる。私は信じてる」

 



 スクーターはいつもの海へと続く一本道へと入った。

 人っ子一人いない。対向車ともすれ違わない一本道。

 僕と圭子の思い出の道。

 そしてあの時の圭子の言葉は、僕には別れ話に聞こえた。

 遠い先を信じる。

 それは明日や明後日の圭子の時間は、圭子のものだという事。

 それは、いつかまた何処かで会った時お互いにフリーならと言う話に聞こえてしまう。

 だから僕は、


「そう……か」


 と言った。

 何故ならそれは綺麗事にしか聞こえなかったから。

 

 あの時僕は、本当に圭子が遠くに行ってしまった気がして、居ても立ってもいられず、無性にあの海が、浜辺が見たくなったのだ。


 まだ整備されていない津波による土砂や家屋の残骸等が両脇の田んぼを見る影もなく汚していた。

 登り坂に差し掛かる。

 此処を越すとT字になって、その先が浜だ。

 何度も来たその登り坂で僕は気が逸り、アクセルを全開にした。

 と、その時、突然目の前にバリケードが現れた。


   キイィィー!


 僕は慌ててブレーキを掛けた。

 その為急ブレーキにより前輪をロックしたスクーターは、その突然の急停止で、僕の体を前方へと投げ出して、それからそのまま倒れ、飛ばされた僕の後ろを滑って来た。

 スクーターから投げ出された僕は、咄嗟に体を丸め、数メートル前の道路を滑った。


  ゴツ!


 更に僕の後ろを遅れて滑って来たスクーターが僕の背中に当たる。


「くっ!」


 思わず声を漏らす程の痛みが走る。

 それから静かに目を開けると、まだ点いていたスクーターのライトが後ろから、僕と、更に一メートル程先のバリケードを照らしていた。

 全身筋肉痛の様な鈍い痛みを感じながらも僕は素早く立ち上がり、倒れたスクーターを起こす。

 スクーターは正面のカウルがひび割れたり、欠けたりして壊れていた。

 僕自身はジーパンの膝や脛の辺りが擦り切れて血が幾らか出ているのをこの時気付いた。

 火事場の馬鹿力というやつなのだろうか、それでも僕はそれ程激しい痛みは感じず、体を動かす事が出来た。

 スクーターに跨り、とりあえずエンジンを掛けて見る。


    ドオルルルル


 相変わらずの軽い音と共に掛かる。

 そのままアクセルを回して走らせて見る。

 スクーターは若干左に寄りながらも、問題なく走った。


(ホークが曲がったか?)


 少し運転はし辛いが、とりあえず帰れる見込みはたったので、僕はスクーターをそこに置くと、バリケードの方へと目を向けた。

 鉄パイプで組まれた立ち入り禁止の、安全用のバリケード。

 僕は組まれたパイプに足を掛け、跨ぎ、バリケードを越えた。



 津波によりなぎ倒された松林。

 その先の防波堤から、コンクリートの階段を降りると、下弦の半月が、海面に揺らいで見えた。


(戻って来た…)


 そんな気がして、周りを見渡した。

 海も、砂浜も、何も変わっていない様な気がして、不意に月の光に照らされて、踵で砂浜をグリグリやる圭子を思い出した。今思い出すと、ツイストでも踊っている様で、思わず僕は笑みを溢す。

 懐かしい二人の思い出が心を温めた。

 それから、出会ったばかりの頃に、一度だけ彼女の水着を見た事を思い出した。

 それは此処ではない、別の大きな海水浴場だった。

 花柄のセパレートの水着を恥ずかしそうに、腰にパレオを巻いていた。

 細いウエストと、バランスのとれたプロポーション。

 今でもはっきりと覚えている。

 それからこの浜で過ごした幾つもの夜。

 それは二人だけの、二人きりの時間だった。

 誰にも邪魔されない、邪魔させない時間。

 そんな彼女の全てを思い出しながら、それが自分の手の届かない所に行ってしまった辛さでか、僕は胸の辺りが苦しくなって行くのを覚えた。


「いてぇ…」


 違う。それは先程の転倒の所為だ。急に寒気と共に全身に激痛が走り、思わず僕は声を出して、自分の体を抱きしめた。そしてそのまま砂浜に跪いた。

 寒気が、痛みが、僕の心を更に不安定に、寂しい気持ちに変えて行く。

 温かい思い出から一転、孤独感が僕の中を埋め尽くして行った。



 圭子が僕の知らない誰かと歩いている。

 圭子が僕の知らない誰かと話している。

 僕の知らない誰かに優しく微笑んでいる。

 僕の知らない誰かと手を繋いでいる。

 抱き合っている。

 キスしている。

 そして二度と得られない圭子の唇の感触。



 心臓がバクバクと高鳴なって、体がブルブル震えるのは、転倒して体中痛めた所為だけではないのかも知れない。


ー誰とも知らない男への嫉妬ー


 僕の大切な宝物が、何処かの誰かに奪われてしまうのではという不安と、嫉妬。

 僕はそのまま砂浜に倒れ込み、丸くなって、震えた。

 凄く寒くて、凄く体中が痛くて、絶望しかなくて、震え続けた。

 二人の浜辺には、今はもう僕しかいなくて。

 二人の距離は埋める事が出来ないくらい遠い様な気がして。

 知り合わなければ、こんな思いはしなくて済んだのか?

 好きにならなければ、こんなに辛い気持ちにならなくて済んだのか?

 環境や状況が、どうしようもない事が、僕らを引き裂いて。

 僕らには購う術がなくて。

 ずっと続くと思っていた時間が途絶えた。


「圭子ぉ……」


 砂浜に蹲りながら小さな声で思わずそう呟いた。


   ザー   ザザー

        ザー     ザザー


 聞こえて来るのは波の音だけ。

 僕は胸の所に手を当て、震えながら目を閉じた。


 そこにいるのは僕一人と、下弦の半月と、満天の星だけだった。






            おわり

 

 

今まで読んで頂いて、有難うございました。

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