第4話 週末の恋人達 その②
スクーターを停めた駐輪場まで来ると、僕は黙って半キャップのヘルメットを圭子に手渡した。
そして跨ると、エンジンを掛けて後ろを振り向き、顎で後ろに乗る様に促した。
圭子は俯いたまま、やはり黙って後ろに乗った。
後ろから抱きついて来る腕は、いつもの様にギュッとではなく、何処かよそよそしかった。
駅前は警察がいるので本当は二人乗りなどしたくなかった。その上僕はノーヘルだ。
しかし、そんな事を気にしてる場合じゃなかった。
早く誰もいない静かな所に行きたかった。そう、いつもの浜辺が僕の頭の中には浮かんでいた。
(早くあそこに行って、ちゃんと話を聞きたい)
国道6号線を突っ切り谷田川に向かう。この時点で警察に見つからなかったのは奇跡だ。それから左に折れ愛谷町を抜け、両側が田んぼの一本道に入る。ここまで来れば一安心。
このまま走り続ければ、あと十五分程でいつもの浜に着く。
スクーターだから最高でも六十キロ程しか出ないが、それでも僕はアクセルを回して、目一杯のスピードで一本道を飛ばした。圭子は途中からスピードに怖くなったのか。いつもの様に僕の腰に回す手がきつくなった。
空は曇天模様。星一つ見えない、今にも雨が降り出しそうな夜空だった。
丘を登ると海沿いを走る道路が横たわるT字にぶつかる。そこでウインカーを右に出して海沿いの道を少し行くと車一台分程の駐車スペースが海側にあり、僕はそこでスクーターを停めた。
ザー ザザーー
エンジンを切ると波の音が聞こえて来た。
僕はスクーターから降りると、目の前の一メートル程の高さのある防波堤に腰を掛けた。
圭子はスクーターから降りて、半キャップを取って、黙って脇に立っていた。
一~二分の沈黙。
「何やってんだよ! あんなの連れ込まれたらアウトだぞ!」
何も自分から話さない圭子に業を煮やした僕は、気持ちの高まりのまま待ちきれず叫んだ。
しかし圭子は下を向いたまま、やはり何も話さない。
「どっかに連れてかれたら、もう分んないんだ。何されても、助けられないんだ。丁度俺が来て、気付いたからいいけど」
訴えかける様に、説得する様に話す。
「分ってる」
やっと圭子が口を開いた。
「分ってたんなら何であんなとこいるんだよ! 友達に誘われてたのって、ナンパされる事かよ」
「そうだけど違う!」
それまで下を向いていた圭子が顔を上げて、僕の顔を見ながらそう言った。
「友達が週末の夜の駅前が凄い事になってるらしいから、一度観に行きたいって言ったの。ただ観に行っただけ。色んなファッションの色んな人があちこちに立ってて、車がゆっくりとグルグル回ってて、偶に停まってる車と、そこら辺の誰かが話してて。そういう雰囲気を楽しんでただけ」
続けて「それが悪い?」とでも言いそうな感じで。圭子は自分の正当性を訴えている様にさえ僕には思えた。
だから「助けてくれて有難う」とか、「ごめんなさい」とか、そんな言葉を期待していた僕は少し腹が立って、
「そしたら何で車の大学生なんかと話してたんだよ!」
と、またも叫んだ。
「眺めていたら話しかけられたの。側に行って話しをしてただけ」
「そんなのナンパだろ? 手首を掴まれたじゃないか。危なかったじゃないか」
「そうかもしれないけど。誰かと話しちゃ駄目? 楽しい雰囲気に酔って、浩ちゃん以外の誰かと話とかしちゃ駄目なの?」
「そんな事言ってないだろ。あーゆー場所の、明らかにナンパ目的の男と話す事ないと言ってるんだ。これじゃあ俺、お前の事心配でしょうがないじゃん!」
「なんでそんな事言うの。じゃあ私は浩ちゃんがいない時は誰とも話しちゃ駄目? 遊んじゃ駄目? 楽しんじゃ駄目? 私だってちゃんと分るよ。本当に危険な時は逃げようとするし、さっきだって」
圭子の話を聞いていて、どうにも僕と彼女には考え方の違いがある様に思えた。
だからもう僕は、「有難う」なんて言葉は期待するのは止めた。ただせめて、謝って貰いたかった。
「もういいよ。圭の話は分ったよ。じゃあせめて、こんなに心配かけたんだ。謝ってよ」
静かに優しい声で、彼女の顔を見ながら僕はそう言った。
「やだ! 何で悪い事してないのに謝るの」
彼女は今度は僕を睨みながら、口を少し尖らせてそう言った。
「負けず嫌いもいい加減にしろよ! お前俺と別れたいの? もうついて行けない! 頭来た!」
彼女の言葉に流石にカッとなった僕は、そう叫ぶと防波堤から降り、スクーターの側に行き、跨るとエンジンを掛けた。
「いいから謝れ。心配かけたんだ、謝んないと此処に置いて行くぞ」
横に立つ圭子の方を見ながら僕はそう言った。
「やだ」
彼女は顔色一つ変えず、相変わらず僕を睨んだまま、一言そう言った。
「付き合いきれねーよ。勝手にしろ! もう自分で歩いて帰れ!」
僕は意地悪をしてそう言うとスクーターを反転して海沿いの道へと出した。
サイドミラーから見えた彼女の顔は相変わらず睨んだままで、ただその瞳からは涙が流れていた。
彼女を置き去りにして海沿いの道路を走る。
本当は少し脅して、五分も走ったら連れに戻るつもりだった。
それでもまだ僕は、彼女が好きで、別れるつもりではなかったのだ。
ただ、反省させたかった。
滑津川が海へと繋がる所の橋を渡る頃、ポツ ポツと、小雨が降り始め、向こうから一台の車が走ってくるライトが見えた。
車は程なく僕とすれ違い、圭子を置き去りにした方へと走って行く。
紺色のピックアップトラック。
圭子と別れてからまだ三分も走っていない。
「ちっ!」
僕は舌打ちをするとスクーターを反転させた。
雨が降り始めたのが心配だった。
さっきすれ違った車が心配だった。
(俺は何やってんだ~)
自分で自分が分らなかった。
きっとこれから先も、こんなすれ違いや、気持ちの行き違いばかりなんだ。
二人でいて楽しい日もあるけど、辛かったり、苦しかったりする日もきっと少なくないんだ。
それでもただ、やっぱり圭子が好きなんだという事だけは分っていた。
(結局、好きな方の負けか…)
そんな事を思っている時、スクーターのライトが正面に人の姿を映し出した。
圭子だ。
僕はその場にスクーターを停めて、圭子の側へ歩き出す。
「マジで歩いて帰る気だったのかよ」
道路に出て来て、ここまで歩いて来た圭子に僕はそう尋ねた。
「だって、そう言われたから」
彼女は気丈にそう言い返す。
「さっき車通っただろ? 大丈夫だったのかよ」
「何にもなかった。ただ通り過ぎて行った」
「こんな大きな黄色のリボン付けて、びしょびしょのポニーテールの女の子が歩いてて?」
「お化けだと思ったんじゃない」
少しも笑わずそう言う彼女に、思わず僕は失笑した。
(全く。可愛いよ)
僕は、びしょ濡れの圭子をその場で抱きしめた。
そして言った。
「キスしてくれたら許してやるよ。もう謝らなくてもいいよ」
これが僕の最大限の譲歩だった。
彼女はすんなりと僕の唇に自分の唇を重ねて来た。
彼女のキスは、雨に濡れた所為か冷たかった。
それから唇が離れると彼女は顔をクシャクシャにして泣き出した。
雨と涙が彼女の頬を伝って、落ちて行った。
「こわかった……」
彼女はそれだけ言った。
それが、ナンパの事なのか、置き去りにされた事なのか、二人の関係なのか。
僕には分らなかった。
スクーター二人乗りで彼女を家に送る途中、雨はあがった。
風が濡れた服を乾かし始める。
彼女の胸の感触は相変わらず分らないけど、僕の腰にしっかり腕を回し、全体重を背中に預けているのは分った。
過ぎた事は仕様がない。
これから先も色々あるだろうけど、少しずつお互いを理解して行けば、きっと上手く行くと僕は考えていた。二人の関係がどうなるかは分らないけど、僕らにはまだ、時間は幾らでもあると思っていたからだ。
確かに僕はそう思っていた。
五ヵ月後にあんな事が起こるまでは……
つづく
いつも読んで頂いて有難うございます。