第2話 NIGHT LIFE
「彼女が出来てから、付き合いが悪くなった」と言われた。
十月の教室。昼休み。
平晃彦は僕の机にやって来て、開口一番そう言った。
「パノラマ一緒に行こうって言ったじゃんか」
それは近くの山の上にあるパノラマ展望台の事だ。
街の夜景や、周辺の山並が一望出来るデートスポット。
しかし僕らの目的はそこじゃない。
その展望台へと続く上り坂と麓に下りる下り坂。
週末の夜ともなると、バイク・車好きがこの峠を攻めに来る。
平晃彦は名前が平忠彦(伝説の元GPライダー)に似ているだけあって大のバイク好きだ。その上自宅が山奥で、高校まで距離があるのでバイク通学が許されている。
僕は何度も平とパノラマ攻めを観に行こうと約束しては、ドタキャンしていた。
理由は簡単。
平より圭子の方がイイからだ。しかしそんな事は言えない。
「悪い」
平の目を見ず、下を向き、自分の机の隅の方を見ながら僕はそう言った。
「確かに美人だと思うけど、そんなにあの彼女がいいのかよ? ちょっと、気が強そうじゃね」
(ちょっと所じゃない)
僕は心の中で呟いた。
「ま、いいけどさ。しょうがないから一人で行って来たよ。観に」
「えっ、行ったのか?」
その言葉に驚いて、僕は思わず顔を上げて聞き返した。
平はニヤニヤしていた。
「展望台の駐車場にバイク置いて、下りカーブの所まで歩いて行ったんだけどさ。土手の所上って、しゃがんで見てた。結構ギャラリー来てたな。スゲーよ! 皆一杯までバイク倒して。中にはツナギ着て膝すりだよ! 膝パット付いてるからな~ 倒し過ぎてかマモラ乗りになってた人もいたよ!」
「マジか~ しかしランディ・マモラなんて古いの出すな~」
「馬鹿! マモラは伝説だぞ! バイク全盛は八十年代だぜ! マモラにガードナー、ローソン。バイクもレーサーレプリカ! フルカウル全盛の最高の時代だ。あ~あの頃生まれてればな~」
「ははは」
嬉しそうに語る平に僕は苦笑いした。
「全くお前はバイク好きだよな~ お前の愛車は中古のヤマハTZR250Rだもんな。2ストの」
「バイクは2スト! 4ストロークのセルモーターなんて信用出来ん! 被ってエンジン掛からなくなっても2ストならキックを何度でも出来るから。だからお前も、早く中免取れよ!」
僕の振りに調子に乗った平は、そこからご機嫌に自分の愛車の自慢と、自説を語り始めた。
「だからさ、今週末はそいつとパノラマ行こうと思って」
その日の夜も僕は圭子と二人乗りで、新舞子浜に来ていた。
昼間の心地良い気候とは一遍して、浜風は少し寒いくらいだった。だから圭子は今日はお気に入りのバンドのピンクのパーカーを着て来ていた。
この浜には普段からあまり人は来ない。平日の夜の上に、近くに薄磯海岸というメジャーな浜があるからだ。あっちには灯台もある。
気分はいつも、二人きりの貸切の夜の浜辺。
偶に後ろの松林に遮られた海岸沿いの道路を、車が走り過ぎる。
その瞬間車のライトが、漆黒の海を灯台の照明の様に照らし出す。
僕らは浜へ降りる為のコンクリートの階段に腰を下ろして、今日は海を眺めていた。
とは言っても今日の天気は曇りで、空と海の区別が余りつかない。目を凝らさなければ分らない様な暗さだった。
「いいよ。私も友達に誘われてるのあるし」
「そお?」
僕としては意外な答えに思わず聞き返してしまう。
「うん」
相変わらずあっさりと答える彼女。しかし事の詳細は語らない。
本当はもっと詳しく友達との予定の内容を聞きたいけれど、女々しく見えそうで、不安がっている様に思われそうで、僕は見当違いの言葉を漏らした。
「信用してるから」
「何それ? 信じていないみたい」
直ぐにきつい目で睨みながら、口を尖がらせて彼女が言った。
(やべ…)
思わずそう思い僕は口を噤む。
気の強い彼女はそんな僕に更に畳み掛ける。
「浮気なんかしてないからね。浩ちゃん私の事信じてくれてると思ってた。もっとデンと構えて、私の事守ってくれる人かと思ってた。そんなに私信用なくて、付き合ってて不安なんだ?」
「あ、いや…好きだから不安なんだ。圭、美人だし。誰かに取られちゃうんじゃないかって。勿論圭を守るよ。ずっと守っていくよ。でも、自分の知らない、一緒にいられない時間もあるじゃないか」
相変わらず睨んだ目つきで僕を見る圭子に、僕は少し笑いながらそう言った。
僕の顔を見ながら、僕の話を聞き終えた彼女は、少し寂しげな、優しい目つきになり、僕のコンクリートの階段に付いていた手の上に手を重ねて、口を開いた。
「そういう話は、ヘラヘラして笑いながらしないで。もっと自信を持って。不安なのは私も同じなんだから……全く。私がどれだけ浩ちゃんの事好きなのか、教えてあげたい」
そう言うと圭子は僕の方に体を寄せ、顔を僕の顔に重ねて来た。
唇が触れ合う瞬間、彼女は目を閉じて、体を僕に投げ出す様に。
僕はきつく抱きしめて、目を閉じて、「ん、ん…」舌を絡ませた。
腰と肩に回した手は、そのまま彼女の華奢な体を服の上から弄る。彼女の皮膚の弾力、厚み、骨格等を確かめる。自分以外の体。目の前の松山圭子と言う人間の存在を確かめる様に。
長いキスと抱擁の後、二人はまだ海を眺めていた。
「そろそろ帰る?」
スマホで時間を見るともう少しで八時を回る所だった。
「うん」
圭子が頷いた。
圭子の親は共働きで、いつも八時を過ぎないと帰って来ないと前に言っていた。
丁度良い時間だった。
僕は立ち上がり、彼女の手を掴み立たせ様とした。
その時、目の前の黒い動く物体に気が付いた。
それが何であるか。
瞬時に僕は理解した。
そして繋いだ筈の彼女の手を離し、僕は一目散に後ろに数歩逃げた。
それは条件反射だった。
「なに?」
圭子を残し、後ろに逃げた僕と、ゆっくりと階段を上ってくる黒い物体を交互に見て、彼女が言う。
ゆっくりと近付いて来る物体。
徐々に輪郭がハッキリしてくる。
「まあ」
目の前まで近付いたそれが何であるか理解した圭子は声を挙げて、そちらの方に手を伸ばす。
「可愛い~仔犬!」
それは仔犬だった。
圭子は犬の頭を優しく撫でながら、後ろを振り返り、きつい目付きで僕の方を見た。
「駄目なんだよ! 犬だけは。子供の頃噛まれた事があるんだ。それ以来トラウマなんだ」
彼女のその目に訴える様に僕は言った。
「ふーん。こんなに可愛いのにね~」
僕の言葉を無視する様に彼女は仔犬の方に向き直り、片手で頭を撫でながら、もう片方の手を仔犬の鼻先へと持って行く。
ぺチャぺチャ クーン
仔犬が彼女の手を舐めながら、鼻を鳴らす。
その様子を見ながら彼女が独り言の様に言い出す。
「守ってくれるって言ったのにね~ ずっと守ってくれるって」
僕は彼女のその冷ややかな言葉に返す言葉がなかった。
つづく
「いや、だから、犬以外なら大丈夫なんだけど…犬だけはちょっと。体が勝手に…」
こちらのイラストは鰒谷ちかうさんに頂きました。有難うございます☆
いつも読んで頂いて有難うございます。