喪失
お腹の中の子が消えたのは、妊娠12週を数えた頃だった。
本当は誰にも言いたくなかった。
けれど子どもが生まれることを心待ちにしてくれている人がたくさんいる。
どうにも隠すことの出来ない無情な出来事に、紗枝は疲弊しきり、自分でも自分がどんな状態にあるのかさえ分からなくなっていた。
それでも主人である恭一郎に伝えなければならない。
お腹の中の子は、恭一郎の子でもあるのだから。
深夜、恭一郎が仕事から戻って来るのを待ち、リビングのソファに座ってくれるように頼んで、どう切り出そうか迷いながら、恭一郎を前にした。
「恭一郎さん、あのね、おなかの子が消えてしまったって……」
結局、ただ事実だけを伝えた。
どうか怒りませんように。責められませんように。そんなことばかりを考えていたけれど、本当はただ慰めて欲しかったのだと思う。
しかし、恭一郎はため息ひとつを重く吐き出し、疑うような目で紗枝を見た。
もらえた言葉は労りでも慰めでもなく、欲しくもない現実的な言葉だった。
「本当にそんなことがあるのか? もう一度、病院に行って検査してもらったらどう?」
紗枝は混乱した。ただでさえ初めての妊娠という不安を抱えていた。それなのに理解のできない状況に追い込まれ……。
恭一郎の愛情を疑い、己の体を呪った。
……それでも月日は無情に過ぎ去る。
当時、紗枝は19歳だった。
結婚するなら早い方が良いと母に勧められ、お見合いをした相手が恭一郎だった。少し歳が離れすぎているかなと思う他は、特に何の問題も感じられなかった。容姿も紗枝の理想に近かったし、若く何もできない紗枝には、支えてくれる相手が必要だった。生活面も恵まれている。家は庭付き一戸建てだったし、給料は紗枝に管理できないほど多く、お小遣いも望むだけ与えてもらい、家事が苦手だと言えば、ハウスキーパーを雇ってくれ、習い事も好きにすればいいと言ってくれる。行きたい場所を言えば連れて行ってくれるし、可愛いといって髪を撫でてくれたりもする。何より愛されて暮らして行けることを知り、これ以上の幸せはないのだと思えた。
出会ってからわずか3ヶ月で婚約し、それから半年後に披露宴を行った。新婚旅行はオーストラリアへ1週間訪れた。その後、すぐに妊娠が分かり、恭一郎も恭一郎のご両親も、とても喜んでくれていたのだ。それなのに……。