第九話
40日目 昼 ジラコスタ連合王国 国境付近の川 警戒陣地
「もう少し前だ!そう、そこ、下ろせ!」
即席の柵を埋め込む兵士たちの声が飛び交う中、俺は多重結界石の設置を行っていた。
俺の意見が全て採用されたことにより、主力の前に警戒部隊を配置することとなったのだ。
「それではよろしく頼む」
冒険者たちが兵士に命令を伝えられ、地図を片手に森の中へと入っていく。
ここはいわゆる警戒陣地であり、少数の敵であれば撃退できる程度の、言い方を変えれば一瞬では全滅しない程度の戦力が置かれている。
我が方の戦力が全く不十分である以上、地形障害を活用しつつ、騎士団を使った機動防御を行うしか方法はない。
「筆頭鍛冶殿、このようなものでよろしいでしょうか?」
設置工事を監督していた年配の兵士が尋ねてくる。
視線を向けると、今直ぐに水浴びしたくなるような綺麗な浅瀬だったそこは、最前線の香り漂う陣地へと姿を変えていた。
「素晴らしい出来です。一旦休憩して、今度は私たちが使う施設を作りましょう」
施設と言っても、別に立派な宿舎を建てるわけではない。
多重結界石の周りに天幕を張り、雨風を防げるようにするだけだ。
最終的には恒久陣地としてのそれなりの設備も作ってやりたいところだが、余りに露骨にやりすぎていいことはない。
「しかし、筆頭鍛冶殿は素晴らしい腕をお持ちですな。
普通、鍛冶屋といえば剣や鎧の類を扱うだけのはず。
それが筆頭鍛冶殿ときたら、薬に魔法具に、このような柵まで作り出せてしまうとは」
だいぶ調子に乗りすぎてしまっていたようだ。
まあ、今更のことなのでどうしようもないのだが。
「あれこれと思いつくままに手を出したかいがありました。
時間ができたら小屋でも作りますかね」
確か三階建ての住宅までは生産フラグを開放していたはず。
鍛冶レベル→建設スキル→生産フラグ→住居と、開放までに必要だった経験値を思い出すと今でもうんざりする。
もちろんだが、以前使用した回復薬も、作り出すためには鍛冶レベル→薬学スキル→生産フラグ→回復薬となる。
開発会社としては最初の方向性を生産・剣・魔法で分けたかったらしいが、だったら鍛冶ではなくて生産と書いてくれればよかったのだ。
おかげで、リリース当初は鍛冶レベルを上げて回復薬を作るという、一見すると意味不明な流れを初心者に説明するのが大変だった。
「よし、設置完了」
規定の手順に基づいて多重結界石の設置を終えると、すぐさま淡い光が灯り始める。
これでよし。
あとは明かりの設置を急がせれば、徹夜で全員を働かせることが出来るな。
決まった賃金で、24時間連続で、そして毎日働く労働者。
全ての産業資本家たちの夢が、このファンタジーな世界で実現しようとしている。
「気持ちよく働いてもらうためにも、夕食には興奮剤を入れておくか。
あとは弓矢だが、ああ、武器の製造は主力陣地でやらないとまずいな」
あれこれと考えをめぐらせつつ建設現場を見る。
川岸のこちら側の防御柵、構築完了。
多重結界石、設置完了。
休憩用天幕、展張中。
陣地周囲の防御柵、地ならし中。
食事用の釜戸、石積み中。
うむ、予定していた進捗よりも10%増しといったところかな。
三日以内に最低でも10人が週単位で駐屯できる施設を構築しなければならない。
そうでなければ、提案者にして責任者でもある俺は、未完成の陣地を置いて主力陣地に武器の整備のためだけに戻らなくてはならない。
「橋をかけるか浚渫か、早いところ決断しないといけないな」
取り急ぎは斜面を切り崩して乗り降りをやりづらくしている川原を見つつ、視点を先に広がる旧ナルガ王国領土へと向ける。
空は相変わらず憎々しいほどに澄み渡っており、街道の先から立ち上る土煙が見えるほどだ。
うん、あの様子からして、全力疾走の馬車かよほどの大軍でも来ているんだろうな。
うん?
「総員作業中断!作業員は全員直ちに主力陣地まで退避!」
冗談じゃないぞ、こんな中途半端な状況で敵の攻撃を受け止められるものか。
せめて非戦闘員だけでも逃しておかねばならん。
「狼煙上げろ!伝令も出せ!
街道に土煙を確認、大規模な敵軍の可能性あり、騎士団の出動を要請する。続報を待たれたし。以上だ」
俺が声を張り上げると同時に傍らに現れた年配の兵士に命じる。
彼は頷くと、さらに後ろに来ていた伝令兵に同じ内容を伝える。
伝令兵はオウム返しに復唱し、すぐさま待機している馬の所へと駈け出していく。
「わかっているな?まずは弓だ。
俺が前に出て様子を見るから、いきなり剣を抜いて突撃したりするなよ」
極めて残念なことに、兵士たちのレベルは低い。
軍人としての練度などではなく、いざ攻撃だ防御だとなった場合に響いてくるレベルの事である。
五十体くらいまでなら、相手にもよるが一人で何とかなるかな。
そんな事を思いつつ、俺は剣を構えて街道を見た。
そして叫んだ。
「避難民だ!飯を炊け!」
こちらに向かってくるのは、どうやら敵軍ではなく旧ナルガ王国の避難民だったらしい。
やれやれ、恐らくは出撃してしまったであろう騎士団に戻るように伝えなくてはな。
40日目 夕方 ジラコスタ連合王国 国境付近の川 警戒陣地
「報告します」
兵士たちが力を合わせて馬車をこちら側に押している光景を眺めていた俺に、例の年配の兵士が報告する。
何かを言ったわけではないのに、使うものと使われるものの区分けの大切さを知っているようだな。
いや、これはこの世界の人間たちに対して余りにも失礼だったな。
「炊き出しの準備は整いました。
我々に余裕があるわけではないですが、取り敢えず温かい汁物は用意できました」
満足の行く仕事ぶりだ。
現状把握もできている。
こういう奴が下士官を勤め続けてくれれば、俺も気持ちよくここで任務に全うできるな。
「ご苦労様。
食べ物は私が責任をもって補充します。
それで、あちらのお嬢様が私に用があるんですね?」
七台で縦隊を作っていた馬車たちの中心にいた、ひときわ豪華な馬車。
見るからに高貴な人間が乗っていそうなそれには、文句のない人物が乗っていた。
「はい。私も以前に見たことがあるから間違い無いと思います。
ナルガ王国、ああ、もう旧ですが、そこの王女殿下に間違いありません」
やれやれ、最前線で亡国の王女様と出会うなんて、なんてロマンチックなんだろう。
今すぐ勇者様が来ておいしいところを全部持って行ってくれないかな。
馬鹿な事を考えつつ、最後の馬車がようやくこちら側に進みだしたところで、俺は後ろから声をかけられた。
「ちょっと、そこのアナタ」
ああ、面倒くさいな。
なんで俺がこんな貴族にしかできない様な事をしなければならないのだ。
「失礼致しました。
ナルガ王国第一王女、アイリーン・アルレラ=ナルガ様」
この世界に来てから見た貴族たちの動きを思い出しつつ、丁寧な礼を行う。
何も言われないところを見ると、どうやらハズレではなかったようだな。
「あら、どうやら貴方はマトモな教育を受けているようね」
よしよし、第一印象は思っていたよりも悪くはないらしい。
「どう?あんな胸だけ立派な領主に仕えるのはやめて、私の配下に加わらないかしら?
先に教えておいてあげるけど、ナルガ王国復興の暁には、男爵として召抱えてあげてもよろしくてよ」
評価してくれるのは有り難いが、断っても従っても問題を生みそうなことを言うのはやめて欲しい。
じいは、じいはおらんのか。
王女殿下を止めてくれ。
「私ごときにはもったいないお言葉、感激の極みにございます。
されど今は有事。
私なぞは捨て置き、まず王女殿下にあらせましては安全な場所へお戻り頂き、諸王に何があったのかをお話頂きたく」
やれやれ、貴族の言葉は難しいな。
これであっているかどうかも判断がつかない。
とはいえ、今はしたくもない俺の栄達よりも、人類全体の利益が最優先だ。
何があったのかを理解する暇もなかったかもしれないが、それすらもが我々にとっては万金に勝る貴重な情報になる。
魔王軍がこちらに対処する時間を与えずに国を滅ぼす存在だと分かるだけでも、打てる手は無数にあるだろう。
逆に、勇戦虚しく僅差で敗北したとわかれば、それはそれで全人類を奮い立たせる。
じゃあ今度は人類の総力を挙げ、無慈悲な無停止攻撃により残虐な魔王軍を粉砕してやればいいだけなのだから。
「勇敢なだけではない、貴人に対する態度も知っている。
そして、頭も回れば無欲」
頭を垂れ続ける俺の向こうで、王女殿下は何やら言っている。
いいから早く、後方へ撤退してくれ。
「決めたわ。
私は直ぐに諸王を引き連れてここに戻ってくるわ。
その時まで貴方だけでも生き残っていなさい。
いいわね?その時貴方はあの胸だけの領主の下僕ではなく、この私、アイリーン・アルレラ=ナルガの騎士となれるのよ」
どんだけ体にコンプレックスを感じてるんだよ。
大体アンタだってCはありそうなもんじゃないか。
「はっ!非才の身に有り余る幸運。
このヤマダ、感激の極みにございまする!」
一応感謝していることだけは伝えておこう。
今後の展開次第で、彼女が本当に俺の上司にならないとも限らないからな。
「さあ騎士様、可及的速やかに王女殿下を安全な場所へ。
この道をそのまま進めば主力陣地です。お急ぎを」
有無を言わせない口調で近衛騎士たちに命じ、部下たちの作業の監督へ戻る。
時間は有限で不可逆だ。
一秒でも早く人類が早く反撃に移れる可能性があるのであれば、手間や苦労を惜しんではいけない。
これは、恐らくはこの世界初めての総力戦だ。
一切の人としての心を捨て、全人類が全体を構成する一つの部品としての役目を全うしなければならない。
何人いるのか調べたことはないが、赤子から老人まで、組織を構成するすべての人々が、全てを捧げて任務を全うする。
圧倒的劣勢らしい今こそ、全ての個は自分を捨て、全体の幸福のために奉仕しなければならない。
それこそが、最終的に全ての個人に幸福を返す結果となるはずだ。