第四十三話
241日目 昼 ジラコスタ連合王国 コルナ要塞付近 アリール辺境伯領軍
ようやく面倒を済ませ、王都からコルナへと戻る帰路は平和だった。
連合王国軍は有事であるが故に主要な街道の警備に力を注いでおり、更にアリール辺境伯領では密度の濃い巡回警備が行われていたからだ。
ここのところ行く先々でトラブルに巻き込まれる筆頭鍛冶一行であったが、現在の状況は、それまでの面倒事を解決したからこそと言える。
開戦初期での防衛戦、その後の遅退防御戦闘、辺境伯領軍の再建、上級魔族を用いた後方攪乱と王都での騒乱未遂の鎮圧。
これら全てに関わり、そして一定の成果を出し続けてきたからこそ、戦時下に主要街道を敵性勢力に脅かされずに行軍することができている。
一行は、新米たちに行軍の指導を行いつつ平和な旅路を楽しむことができた。
「報告!前方より巡回が接近中、辺境伯領軍です!」
隊列の前方から戻ってきた斥候が報告する。
辺境伯領軍の中でも特に実験的な試みが行われているこの部隊では、主力である歩兵を補助する目的として捜索騎兵小隊が加わっている。
捜索と部隊名につけられているだけあり、彼らは偵察、伝令、襲撃などを任務としていた。
全軍の方針が守勢防御となっている現在では、即座に行動できる伝令としての仕事が主であったが、逆に言えば、今の辺境伯領軍にはそのために専門の部隊を用意できる余裕があるということになる。
その日に寝る場所すら困っていた過去からすれば、大変な進化と言えるだろう。
「報告ご苦労、前進は継続させろ」
曹長が筆頭鍛冶に代わって答える。
王都からの増援、その先遣隊が出発していることは既に伝えられていた。
そのため、巡回の部隊にわざわざ立ち止まって状況を知らせる必要はないという判断だ。
報告を受けてから答えるまでの一瞬の間、それも目線だけでの会話ではあったが、彼が筆頭鍛冶の許可を得て回答している事は言うまでもない。
「しっかりとやってくれているな」
伝令と曹長とのやり取りに口を挟まなかった筆頭鍛冶は、伝令が更に後方の部隊へ馬を走らせた後で口を開いた。
そこにあるのは、自分の部下たちが仕事をきちんと行っているという満足感だ。
「今の辺境伯領で筆頭鍛冶殿のご指示に従わない兵士はいないと思いますが、しかし任務がその通りに行われている光景は、いつ見ても気持ちが良いものですな」
あとを任せられる人材を残していたとはいえ、自分たちの指示が完全に実行されている事は喜ばしい。
不安の払拭ではなく、信頼が実績で返されていることを曹長は喜んでいた。
身分以外は通常の兵士と何も変わらない奴隷徴用兵を含めれば、総数数千人の規模に達しているアリール辺境伯領軍は、極めて高い士気と練度が特長となっている。
従来の概念を覆す制度改革が続き、銃という新たな兵器の導入が進められるなか、兵士たちは唯々諾々と、ではなく、積極的にそれらを受け入れていた。
ある者は魔族を討ち取る強者である筆頭鍛冶に間違いはないと断言し、別のある者は糧食も給金も遅滞なく支給してくれる筆頭鍛冶に返すべきものがあると頷く。
別の者は、エルフ、ドワーフ、冒険者、徴用兵と次々と友軍を揃えていく手腕を見て、そこへできるだけ早期の加入を自ら宣言していた。
理由は様々であったが、いずれもが実績に基づく評価であり、悪くは無いどころか良質である待遇を持って彼らの士気は高まっていったのだ。
そして、兵士の練度とは、高い士気の元で初めて手に入れることができる。
巡回とすれ違いつつ部隊は前進を継続する。
後方からやってきた輸送部隊に追い越しの許可を出し、小休止を何度か取り、さらに進んで街道整備の現場に到着した頃には、コルナ要塞の勢力圏に入っていた。
道幅が広がり、部隊や物資を満載にした馬車が忙しなく行き来するなか、時折上空に空中パトロールを行うペガサス騎兵たちの姿が現れる。
馬車は軍用のものだけではなく、各地の都市や商会の所属であることを示す色とりどりの紋章が飾られており、護衛の冒険者たちも状態の良い装備を身に着けていた。
巡回の密度も増し、それだけではなく小規模な警戒陣地すら目に入る。
そして前方には、要塞へ入るための最後の検問所があった。
「止まってください」
命令が発せられる。
ここはコルナから3キロほど離れた場所に置かれた検問所であり、後背を守る防衛拠点でもある。
かつては最後に嫌がらせのために立て籠もるための予備陣地でしかなかったが、今は違う。
「任務ご苦労、筆頭鍛冶殿ほか15名。
王都からの増援の先触れでもある。
通行許可を求む」
胸を張って通行許可を求める曹長の先には縦深を持つ陣地が広がっており、あちこちには木製の監視塔や、複雑に張り巡らされた柵が広がっていた。
さすがに石積みの壁を設ける余裕はなかったようだが、これでも相当な労力が投入されている事は容易に理解できる。
どうやら、領主様は積極的に物事を進めることに意欲を感じられているようだ。
配下の者としてとして、誠に喜ばしい限りだな。
「はい、曹長殿。
直ちに門を開けさせますのでお待ちください」
字面だけみれば唯々諾々と命令に従っているようだが、実際には異なる。
辺境伯領軍は、指揮系統が極めて近代化されている軍隊である。
そのため、偉かろうが、急いでいようが、事前に話が通されていない者は自由に行き来することはできない。
だが、事前に話が通っていれば、知らぬものが見れば驚くほど簡単に移動することができるだけだ。
241日目 昼 ジラコスタ連合王国 コルナ要塞 アリール辺境伯領軍本営
「よく戻ってきてくれた。王都での仕事ぶりはここまで聞こえてきているぞ」
領主様は上機嫌だった。
誰だって、規模が拡大する一方の組織で、外部に派遣されていた複数の文官が戻ってくれば上機嫌にもなる。
おまけに、連合王国上層部の意思確認と、増援の手配までできたのだ。
これで相手が不機嫌だったら、寄せられる期待の重さに耐えられない。
「領主様」
言葉を返そうとしたが、領主様はその出だしから不満そうな表情へと変わってしまった。
「いい加減にアリールと呼んでも良い」
付き合いも長いのだから他人行儀はよせ、ということだろうか。
親しみやすい上司という存在は、部下からすれば非常に付き合いやすい相手だ。
もちろん、部下の側がきちんと物事の道理を理解できていれば、という前提はあるが。
「ありがとうございます、アリール様」
途端に表情が変わる。
まさに花が咲くようにという形容詞がふさわしいほどだ。
これが恋する乙女的な理由であれば嬉しいのだが、実際には違うだろう。
当たり前であるが、王都は大貴族が居住しており、ブルア殿のような大商人も、各国の大使もいる。
そんな場所に予定よりも長く派遣されていた腹心が、何の躊躇もなく私は貴方の腹心ですと返す。
その意味は、どう考えても絶対の忠誠だ。
このやり取りは、面と向かって問題が無かったか、という婉曲な質問に正答したという事になる。
辺境伯とは国で上から数えたほうが早い立場であるが、連合王国の王都であれば、それ以上に高い立場の者がいてもおかしくない。
今後も仕えてくれるんだよな?と質問したくもなるだろうが、そう聞くこと自体が問題になる可能性はあるのだ。
いや待てよ。
それにしては随分と嬉しすぎるように見える。
ひょっとして別の理由があるのだろうか。
例えば、そうか!
今回の別の増援の内訳はいろいろだ。
先鋒かつ最大戦力は、もちろん我らがジラコスタ連合王国軍だ。
連合王国を構成する様々な貴族が派遣した軍隊によって構成される。
何人いるのか知らない王子殿下の誰かが名目上の司令官になるが、指揮系統は忖度の限りを尽くした複雑怪奇なものになるはずだ。
続いて、諸王連合各国から派遣される遠征軍も無視できない規模だろう。
読んで字の通り多国籍軍であるこれは、人類の危機に対応するための柔軟性を持ちつつも、最大限の複雑さを持ち合わせているだろう。
そして恐らくだが、既存の部隊の増派という形で、エルフやドワーフは別口でさらに部隊を派遣すると考えられる。
農業技術や銃火器開発、魔法技術の応用方法を持ち帰る際のやり取りからして、彼らはこの地で行われている活動に大変な興味を寄せていると思われるからだ。
人間の大群がそこに押し寄せることで、彼らにとっての重要な技術開発やその報告が途絶えないように、戦争の面でも、それ以外の面でも、自由にできる戦力を抽出するはずだろう。
それに加え、大手を振って支援ができるようになった各ギルドの職員や構成員が大挙として押し寄せてくる。
商家だけではなく、中小の商会もおこぼれを狙っているのは考えるまでもない。
何しろ我が国は、おそらくこの世界で初めて、本気で総力戦を行う場所になるからだ。
そのような状況で、神殿が部隊を派遣しないはずがない。
彼らがどうしてそこまで世俗に塗れているのかはわからないが、とにかく彼らは権力と利権が大好きなようだ。
今までの実績から考えるに、そいつらは主導権争いを楽しむためならばこちらへの妨害を目論まないはずがない。
例えば、将軍のように振舞っている平民を相応しくないと指摘したりとかな。
「うん、それでいい。
さて、大体はヤマダが事前に出してくれた伝令で聞いているが、改めて報告してくれ」
やはりそういう話だったか。
それにしても、指摘されるまで問題点に気が付けていなかったとは我ながら情けないな。
最前線の実権を握る女性の辺境伯と個人的に親しい男性指揮官。
そのような存在がいれば、攻撃対象は辺境伯へと向かう。
どこまで行っても平民である俺は、最悪の場合切り捨てればそれでおしまいだ。
だが、領主たるアリール様は違う。
彼女は死ぬまでその地位から逃げられない。
それでも領地のために、効率を考え、自らを被害担当とする。
恐るべき覚悟と、敬服するしかない愛国心だ。
無粋ながら付け加えるならば、色恋に捕らわれた辺境伯だが、成果を出しているので戦中は大目に見るという判断を引き出す程度には裏工作を決意されているはずだ。
戦後の事は政治が解決するとして、戦争中については自分の対処できる範囲内で物事を収めようとされる。
まったく、恐ろしい方だ。
「はい、報告いたします。
まず、連合王国軍司令官閣下へ信書をお渡しし、辺境はk、アリール様へ宜しくお伝え下さいとのお言葉を頂いております」
いかんいかん、辺境伯様と呼ぼうとしたところ、表情を曇らせてしまった。
訂正したところ表情をにこやかにされたので、今のところは失望されていないようだが、注意しよう。
こういうことは咄嗟の場合ほどボロが出やすい。
身内しかいない会議などで慣らしていくしかないな。
「増援は、諸王連合軍も加えて最大二万人とのことです。
先遣隊は連合王国軍単体で三千名、既に王都を出発しています。
コルナ要塞はいまだに建設途中ではありますが、そもそも増援はここから先に向かうために来ています。
一時的に手狭にはなるでしょうが、時間が解決してくれると考えています」
二万人の増援と言っても、いきなりその全員が押し寄せてこれるわけではない。
少なくとも王都を出る時点では先遣隊の準備が整いつつあった段階であるが、連合軍である以上、集結にはかなりの時間が必要となるだろう。
この先、どれだけ受け入れ準備を行えるのかが腕の見せ所となる。
「幸いなことに、冒険者たちを使って作り上げた地図があります。
これを元にすれば、この地域への展開は問題がないはずです。
先遣隊の皆様には申し訳ないですが、一日程度の休憩で最前線に向かってもらう事になりそうですね」
本来であれば、彼らは本隊受け入れの準備に没頭する必要があっただろう。
だが、コルナ要塞は今の時点でも後方支援の拠点として十分な能力を持っているし、旧ナルガ王国との国境地帯の調査は既に完了している。
増援はここを足掛かりに腰を据えて準備するのでは無く、通過点として役立つかの確認を行い次第、先へと進んでいってくれるはずだ。
「地図を作りたいと言われた時には何事かと思ったが、やはりヤマダに任せておいて良かったな」
領主様の表情は明るい。
長い時間が必要とはなったが、増援は既に向かっているし、彼らを有効活用する準備も終わっているのだ。
我ながら、自画自賛したくなるほどに順調に物事が進みつつある。
「失礼します!緊急の報告です!」
そんな、余裕に溢れた自画自賛をしたのが良くなかったのだろう。
またもやトラブル発生らしい。
それにしても、お目通りを願う無駄なやり取りは無し、もちろんアリール様からも身分を問うような言葉もなく、単なる兵士が勝手に部屋に入ってくる。
教練を曹長に任せていたとはいえ、兵隊として素晴らしい形に仕上がっているな。
「報告しろ」
領主様の反応は早い。
この世界の標準的な貴族として考えれば失格もいいところであるが、前線指揮官としては満点だ。
「母の丘守備隊より敵襲を知らせる狼煙を確認。
数は三本以上、大規模と予測されます。
既に即応の騎兵隊が現地に向けて出撃しました。向こうからの早馬はまだ来ていません」
腕木通信はまだ未整備か。
使いこなせる人材は既に増えつつあるが、現地への設置が間に合わなかったのだろう。
だが、それでも狼煙のリレーぐらいは間に合ってくれた。
極めて単純な内容しか送れないが、視認できるということは光の速さで情報が伝わるという事だから、原始的とはいえ素晴らしい。
「失礼します!」
続いて伝令が駆け込んで来た。
「アルーシャ王国ペガサス騎兵が航空偵察のために離陸を開始。
目的は守備隊の状況確認と、敵情偵察です。
可能な範囲で、ええと、阻止攻撃?も実施するとのことです」
彼らがここにきて随分となるが、しっかりと協力体制が確立されている。
普通に考えて、各国の軍隊が同居している場合、よほど調整能力に長けた指揮官でなければ烏合の衆となる。
さすがはアリール様だな。
「ヤマダ、戻ったばかりですまないが、増援の指揮を頼む」
まったく、魔王軍の皆様は勤勉で困る。
恐らくだが、王都での作戦失敗が何らかの方法で察知され、こちらの攻撃を止めるために先手を打ったのだろう。
魔王とやらが余程優秀なのか、優れた軍師がいるのかはわからないが、とにかく面倒な連中だ。
「お任せください」
仕事を命じられた公務員は、いつだってこう答えるしかない。
とはいえ、信頼できる部下たちを率いて、来ることが約束された増援を待つわけだ。
そうそう悲観することもないはずだろう。
245日目 夜 ジラコスタ連合王国 アリール辺境伯領軍 母の丘守備隊陣地
「前線は久しぶりだと喜んでいたが、さすがに困ったな」
先ほど撃退が終わった夜襲で、最初の通報時から数えて18回目の敵襲となる。
よくもまあこれだけの命を浪費できるものだと呆れるが、まあ、相手のことだし、どうでもいいか。
「新しい死体穴が必要ですな」
無表情にも見えるが、親しいものが見れば心底うんざりしている事がわかる表情を浮かべて曹長がコメントを漏らす。
「まあ、倒した敵がゾンビになって絶え間なく攻められても困るしな。
何度かあったところから見るに、それでこちらが少しでも消耗してほしいという意図はあるだろう。
さっさと焼いて、朝飯に影響が出ないようにしよう」
兵士たちは疲れ切っているが、その動きにはまだ余裕が見られる。
とはいえ、素直に喜んでいられる状況ではなくなってきていた。
「負傷兵はすぐに復帰させられるというのがせめてもの救いですな」
曹長の言うとおりだ。
ありったけの多重結界石を投入しただけあり、救護所どころか陣地のそこかしこに回復できるポイントを設けてある。
それにより、重傷者であっても即座に対応できる体制は整えた。
だが、ポーションも手持ち全てを投入すると決めた事で、軽傷だけではなく相当な重傷であっても対処可能となったが、精神的疲労まではカバーしてくれない。
人間は、疲れるのだ。
「砲も投入しますか?」
悩ましい提案だ。
曹長の言う事であり素直に従いたい自分がいるが、戦況に与える影響を考えると躊躇してしまう。
当然であるが、守勢側であっても、というよりも守勢側であるからこそ、大砲を使用するメリットは大きい。
ここは平地の中の唯一の丘であり、そこに砲兵陣地を設けれは、敵の圧力を低下させる効果を期待できる。
使用に際しては裁量権を与えられた状態で持ってきているし、補給線が切られていないことから弾薬の消費を気にする必要もない。
だが、贅沢な悩みではあるが、大砲のデビューは大規模な会戦までは取っておきたいのだ。
それまで増産に努め、敵にその存在を教えず、そして無防備に集まってきた敵軍に対して、火力を集中させて決定的打撃を加える。
この戦域で行動している彼我の戦力比がわからないが、仮に予想よりもはるかに敵が多かったとしても、一度に多くの敵を倒せることには価値がある。
「航空偵察の結果は明日だったな?」
ペガサス騎兵による航空偵察は、今回の敵襲から初めて本格的に運用が始まった。
そのため、偵察結果をまとめることに時間がかかっているらしい。
なんでも、地上からも確認可能な目標をいくつも作り、それを用いて精度の検証も行っているのだそうだ。
初めて、変更、久しぶりの3Hの場合に特に慎重さを求めるという概念は、むしろ俺は徹底させていた側だから文句は言えないな。