第三十六話
189日目 夜 ジラコスタ連合王国 コルナ村 アリール辺境伯領軍仮設拠点 西第三監視塔見張り台
領主様が少し付き合ってくれとおっしゃるので同行したが、まさかこんな場所まで移動することになるとは思わなかった。
まあ、確かにこの拠点で人払いができる場所といえば、いつもの兵舎か領主様の居室ぐらいしかないし、未婚の女辺境伯が部下の男と夜に密室で二人きりというのは外聞が悪いか。
「疲れているところに悪いな」
疲れている事は否定しないが、今の状況で個人の疲労云々と贅沢は言えない。
誰もが忙しいし、誰もが疲れている。
やるべきことは増える一方で、やらなければならない規模は拡大の一途だ。
「いえ、とんでもございません。
疲れが無いといえば嘘になりますが、寝れば済む程度のものですし」
実務を担当する俺もそうだが、責任者である領主様も同様である以上、日本人的回答をしておいた方が良いだろう。
それに、正直なところ嘘ではない。
オハヨウからオヤスミの間ずっと拘束してくる携帯電話も無いし、通勤も昔のように満員電車に揺られて二時間といった非人道的な環境ではない。
むしろ、執務室として与えられた部屋と、ありがたいことに場所を自由に選ばせてもらえた俺の私室は徒歩一分の距離程度しかないのだ。
インターネットやパソコンがない点は致命傷と言える大幅なマイナスだが、余程の緊急事態以外では起こされない事を考えれば、総合ではプラスと言っても過言ではないだろう。
「うん、頼もしい事この上ないのだが、今日呼び出した理由の一つはそれについてだ」
なんとも嬉しくない話のようだな。
今の状況は昔に比べれば随分とマシだが、これ以上を求めてくるのであればさすがに辛いぞ。
人間には、自分のこと以外何も考えないで休める時間が絶対に必要なんだ。
最低でも、七日間のうち一日ぐらいは。
「誤解してもらっては困るので最初に言っておくが、もっと働いてくれという話ではないぞ」
領主様の視線は厳しい。
我々の業界ではご褒美ですと言いたいところなのだが、ああ、いや、やはり俺は疲れているな。
「となりますと、やりすぎ、という事ですか?」
思いついたことを質問してみると、案の定領主様は目を丸くしてこちらを見てきた。
まあ、思わないではなかったが、そういう問題が出てきていたか。
「そこまで見えていたのであれば、もう少し考えてほしかったがな。
ああ、当然だが、ヤマダの辺境伯領への忠誠と貢献について異論があるわけではないぞ?」
いくらなんでもそれについて領主様に思うところがあるとは考えられない。
俺は控えめに言っても仕事量が多い方であるし、軍事と政治の両面を任されていながら、それなりの成果は出し続けているつもりだ。
「だがな、お前に任せている文官の候補者たち、あるいは新たに文官として召し抱えたすべての人間が、お前を基本とした仕事の仕方をしている。
今の状況が良くないことはわかっている。
だが、来年も、その先も辺境伯領を担っていく文官たちの仕事としては、今のやり方はあまりにも無理が過ぎているのではないか。
そのような心配を、私はしている」
オーバーワークが過ぎるという事か。
確かに、今の文官団は人手不足を言い訳に、人体の限界を追求するような仕事の仕方をしている。
今日できることは今日やるのは当然として、明日でもいい事も今日やる、明日でなくてもいいことでも今日できるのならばやる。
明日でしかできない事しか無くなったのであれば、眠って明日やる。
それでも仕事がなくならない現状にそもそもの原因はあるが、とにかくこれはオーバーワークと言えるかもしれない。
「領主様が仰ることはわかります。
ですが、今の辺境伯領には、いや人類には、時間がありません」
そこで言葉を一旦切る。
領主様は俺が思った通り不思議そうな顔をされている。
「今の我々は、敵が攻めてきていないから生きていられるだけに過ぎません。
敵の規模も、戦い方も、それに我々のやり方がどこまで通じるかも、全くわからないのです。
準備をし過ぎて余るということはあり得ません。
むしろ、どこまでやっても不足しているという想定でいることが必要です」
俺の言葉に領主様の表情が歪む。
ああ、そうなるからこういう話はしたくなかったのだが。
「それは、確かに、そうだったな」
絞り出すような声。
自分たちが優勢だと誤解しかねない状況で生まれ始めていた心の余裕が、いま押しつぶされてしまったのだろう。
言い方を考えるべきだったな。
油断と余裕は似ているようで全く異なるものだ。
前者はあるだけで害悪だが、後者が無ければ正常な判断能力を奪われてしまう。
「兵士たちに暗い話をし続けても良いことはありませんから、この種の話題は控えていました。
しかしながら、どこまでやっても不足しているという考えは、決して悲観的なものではないと考えています。
特に、だから諦めようなどという弱音を吐けない私達のような立場の人間は」
そこで言葉が途切れてしまう。
自分で話していて、気になる点があった。
どこまでやっても不足していると考える、その不足しているというものは何か?
それは兵站能力だ。
正直な話、兵士を訓練する能力についてはあまり問題を感じていない。
レベルとスキルというこの世界独特の要素を考えれば、あとは軍隊の構成員としての教育だけを施せば十分な戦闘能力を持たせることができるからだ。
「だがなヤマダ。お前だからあえて恥を晒すが、私はお前の言う問題のない状況というのがどうしても見えてこない。
ああ、いや、出されている報告書は全部読んでいるぞ?
今何人の兵士がいて、一日当たりどれくらいの食糧が必要で、どの程度の装備を必要としており、それがどれだけ供給されているか。
その辺りはわかっている」
さすがは領主様だ。
現状の把握に抜かりはないな。
文官たちと一緒に報告方法の試行錯誤をした意味があったな。
「そうですね、確かに何をもって足りているのか、というのは答えが無い問いに見えるかもしれません。
ですが、目標とすべき完成形はそれなりにできています。
簡単に言ってしまえば、持続可能で、かつ発展可能な組織。
この辺境伯領をどうするのかは領主様のお考えに従うものですが、それを実現させるために必要な今できる完成形はそれではないかと考えております」
この辺境伯領をどのように発展させるのか。
それは領主様のお考え次第だ。
連合王国の軍事拠点としての立場を突き詰めるのか、バランスを保った領地とするのか、あるいは農業、商業、工業などを突出させ、この国の一機能を担う重要拠点となるのか。
戦争中であることは一旦置いておけば、取れる道はいくらでもある。
そのいずれの場合においても、下地となる最低限度の経済的発展は不可欠である。
そして、ベースとなる辺境伯領の能力が高まれば高まるほど、この戦争でも有用であるし、戦後の発展も加速させることが出来るはずだ。
「この領地をどうするのか、つまり、戦後、か」
塔の外へ視線を向けると、領主様はそう呟かれた。
不思議に思って同じ方向へ視線を向けると、そこには明かり一つ無い最前線へと向かう道が微かに見えるだけであった。
この道の先に、敵がいる。
どれだけ強いのかもわからない、どれだけいるのかもわからない。
それどころか、この先の、どこあたりにいるのかもわからない。
偵察は出している。
城壁付近の警邏だけではない。
小規模な部隊による長距離偵察や、冒険者によるスキルを使った特定地点の定期偵察もだ。
だが、それでも相手の動向が掴めない。
いや、待てよ。
「戦後、この領地をどうするのか、どうしていくのか。
そこまでを考えてくれているのだな。
私は、嬉しい」
外を向かれているので表情はわからないが、きっと言葉通りに領主様は喜んでくれているのだろう。
実務を任せている人間が、中長期的な展望を持つことの大切さを相変わらず忘れていないのだ。
俺でも部下がそんなことを言ってくれたら喜ぶ。
それはいいとして、偵察についてだ。
どうして俺は今に至るまで、軍隊と冒険者を分けて考えていたのだ。
人類人類といつもうるさく自分で言っていたではないか。
「ありがとうございます領主様。
それでですね、唐突ですがご提案があります」
微かに聞こえた溜息は、きっと聞き間違えではないだろう。
おそらく、オーバーワークについて咎める場で、新しい話をしようとしている俺に少し呆れたのだろうな。
だが、領主様には申し訳ないが、大事の前の小事だ。
この提案を最後までお聞きいただければ、自己管理を徹底して頑張れという結論でご納得頂けることだろう。
190日目 早朝 ジラコスタ連合王国 コルナ村 アリール辺境伯領軍仮設拠点 第一兵舎 大会議室
余りにも会議や密談を開きすぎていたためか、いつの間にか兵舎の一部が設計変更されており、会議室が作られていた。
まあ、あって困るものではないので問題はない。
「早朝よりお集まりいただきありがとうございます」
今のこの部屋には、領主様、冒険者ギルドの担当者、エルフ精霊レンジャー小隊長代理と俺がいる。
ああ、言うまでもないが曹長は後ろだ。
「冒険者ギルドは他のギルドに負けずに朝が早いことで有名です。
どうかお気になさらず」
深夜の伝達、早朝の招集にも関わらず、彼女はしっかりと身だしなみを整えている。
昼前には冒険者たちへの仕事の分配を完了させなければならない関係で、冒険者ギルドの朝は早い。
電灯による照明が存在する現代社会とは異なり、この世界では夜になれば野外でのまともな活動は望めない。
そのために、できるだけ早い段階でのその日の仕事の割り振りを行って、冒険者たちの活動時間を可能な限り長くするのだ。
「そう言って頂けると助かります。
ルディア小隊長代理殿もありがとうございます」
長期間にわたって小隊長代理を務めているエルフのルディア殿にも礼を述べておく。
本来の小隊長であるシルフィーヌ殿が前線を離れて久しい。
他所様の国の人事に口をだすつもりはないのが、もうそろそろ小隊長としての正式な辞令を出してあげても良いのではないだろうか。
「確かにエルフはそこまで朝が早いわけではないのだがな。
お前の話は素直に聞いておいた方が良い。そう精霊が囁いたのだ」
なるほど、詩的な表現だな。
それはさておき、今日も変わらず協力的な姿勢でいてくれるらしい。
ありがたいことだ。
「ありがとうございます。
さて、今日お願いしたいのは、冒険者ギルドへ発注している当領地の兵士への研修内容の拡張です」
その言葉に、冒険者ギルドの担当者は表情をやや固くし、ルディア殿は不思議そうな表情を浮かべた。
「ああ、とは言ってもあくまでも依頼として報酬を支払いますし、その結果として得られた技能は軍隊としてしか使用するつもりはありません」
これだけで警戒を解いてはくれないとは思うが、念のために正直に話しておく。
ギルドの担当からすれば、これは字面だけでは受け取れない内容のはずだ。
彼らの仕事は現代でいうなれば民間軍事会社としての業務も含む総合派遣業とでも言うべきもので、二つの側面を持っている。
一つは失業者に対するセーフティーネット的な意味合いを持つ日雇い派遣としての側面だ。
軽作業であれば手ぶらでも、戦闘的な職務であれば必要最低限の装備さえ持参すれば、冒険者ギルドは誰でも受け入れる。
その人間に前科などの問題が無ければ、最低限度の研修の後にはランク制度と需要の許す限りあらゆる仕事を割り振るのだ。
二つ目の側面とは、これも同じく寄せられた依頼を冒険者によって解決するというギルド本来の業務ではあるが、より商業的な意味合いを持っている。
つまり、程度の高低は別として、何らかの技能を必要としている業務を請け負い、その技能を持つ冒険者を派遣することでギルドに収益をもたらすというものだ。
ここでもたらされた利益は、ギルドという組織を維持発展させ、人件費から考えれば持ち出しに近いレベルとなっている初心者や低ランク向けの依頼の原資の一部ともなる。
そういうわけで、たとえ領主の軍隊であったとしても、技術をギルド外の人間に教えるという事は、遠回しなギルドの影響力を削ぐ行動とも取れる。
有事に付け込んで必要な措置の一環として申し入れている点からすると、ある意味では冒険者を徴用するよりもタチの悪い行動だ。
申し入れている側の言う事ではないが、ギルド担当者の表情が硬くなる理由もわかる。
「ご心配なさらずとも、ギルドの皆様にご迷惑をおかけする結果にはならないと思いますよ。
確かに私の目的は、数十人の兵士に必要な技能を身につけさせ、領主様の思うがままに使える軍隊を作り上げることです。
ですが、あくまでも目指すところは軍隊の強化です。
ギルドだけでは手に負えなくなった時に駆けつける事はあるかもしれませんが、それは今でも変わらないでしょう?」
この世界におけるギルドというのは、先ほども言ったように民間軍事会社としての機能も持つ派遣業者のようなものだ。
例えば商隊を護衛したり、村に依頼されてモンスター退治を行っている。
しかし、それは小規模な事象に対する対応か、初動対応までとなる。
護衛任務で捕らえた盗賊を裁くのは衛兵隊であるし、個人レベルでは対応できない脅威に対しては騎士団が動員される。
今の発言は、その原則を崩すつもりは無いという宣言である。
「軍隊を動かすためにはとにかくお金がかかります。
向こうの村でゴブリンを見たという話があった。
ここにある一台の馬車で行商をする商人に護衛が必要だ。
そのようなことに、毎回何十人もの兵士を動員して、更に動員した兵士たちの本来の業務を行う人員を用意して、その全員に必要な物資を整える。
決してギルドの皆さんの仕事を貶めるつもりも、領民の皆様を軽視するつもりもありませんが、それでも問います。
領主軍が、そこまで小回りの利く存在になると思いますか?」
卑怯な聞き方ではあるが、この質問は相手の懸念を解消できると信じている。
元の世界の日本でもそうであるが、例えばイベントの整理に、街中の警邏に、民間施設の警備要員として、何故完全武装の歩兵連隊や戦車大隊が毎回出張ってこないのか。
警棒しか持っていない警備員よりも、拳銃しか所持していない警察官よりも、自動小銃を装備し、装甲車両や重火器を配備された軍隊の方が間違いなく戦闘能力には優れている。
防空レーダーによる監視や航空支援まであれば、相手がクーデター軍であっても良い勝負が期待できる。
それ以下の、例えば包丁を振り回す異常者や、拳銃を所持した犯罪者が相手であれば、勝敗の行方を予想するまでもない成果が期待できるのだ。
だというのに、まともな先進国ではそのような体制を取っていないのは、ごく単純な理由からである。
すなわち、その程度のことに国軍を動員する事は不経済極まるのだ。
盗賊団やモンスターといったファンタジー極まるこの世界であっても、それは同様だ。
「ええ、まあ、確かに筆頭鍛冶様の仰ることはわかります」
幸いなことに、感情的な反対だけはやらないでくれるようだ。
相手の権益を侵さないつもりという大前提を崩さずに話を進めれば大丈夫そうだな。
「とりあえず、今考えているのは偵察関連のスキルです。
遠見、聞き耳、追跡、気配察知と地形把握。
この五つ、もし他にお勧めがあればそれもお願いします」
今回は偵察要員の育成と強化が目的なのでこれだけだ。
いずれは兵科分けを徹底し、他の様々なスキルも会得させて自己完結力の高い軍隊を作り上げたいとは思っているが、直近で必要なものを揃えていかねば時間すら稼げなくなる。
「エルフの皆様には、森林踏破と食料採取を教えていただきたいと考えています」
今回教育を考えている偵察兵たちは、最初は偵察専門の兵科として運用するが、究極的には深部偵察を行える精鋭を目標にしたいと考えている。
軍事的な知識、スキルに応じた結果が生み出されるこの世界固有の現象、そこに実戦経験が加われば、きっと良い兵士が育つに違いない。
「なるほど、そして、あくまでも教官としての仕事はギルドの方や我々だけとするのか」
相変わらず話が早いメンバーで助かる。
「もちろんです。そして、教育を行うという事は、長い目で見ればそちらにとっても損ではない話になるかと」
別に軍事に限った話ではなく、教育を施すという事は、それを行う側にとってもメリットがある。
それは知識の再確認となり、歩んできた道の復習となり、あるいは苦手な部分の克服に繋がる場合もあるからだ。
場合によっては、長年の疑問の解決の一助となったり、新しい発見の下地になる事すら考えられる。
ついでに言えば、技能を教える職務をギルドやエルフの関係者に限定することで、技術の根幹の部分は彼らの手元に残し続けることができる。
将来的には体系化した知識として軍の財産にするつもりもあるが、それは戦後に考えるべきことである。
「未来の話は別として、今のお話は問題ないと思いますわ。
ただ、私だけで決められるレベルの話ではないとも思います」
そこまで言うと、冒険者ギルドの担当者は領主様の方を向いた。
見込みのある数人相手ではなく、さすがに部隊単位での教導ともなれば政治が顔を出すか。
「ヤマダ、予想でよい。
お前抜きでここの砦は耐えられるか?」
この要塞がどこまで耐えられるか。
それも、俺抜きで。
つまり、連合王国王都で、冒険者ギルドだけではなく、できる限りの相手に交渉をして、増援を早く引っ張ってこいとのことなのだろう。
その期間と、その間の防衛についての質問だ。
「問題ありません。
建設中の要塞の今後はガルボ殿率いるドワーフの皆様に、それ以外の部分は工兵隊が。
そして、兵士たちにはドルフ兵士と曹長がおります。
一か月でも、一年でも、持たせることができるとお約束できます」
諸王連合軍の増援は間違いなく来る。
連合王国軍だけの先遣隊も、俺が王都でうまく立ち回れれば早期派遣が期待できる。
少なくとも、余程のミスをしなければそれができるように領主様が手紙なり嘆願書なりを用意してくれるはずだ。
そうでなければ、長期間この要塞を留守にする事を前提にした質問などするはずがない。
恐らくだが、同行する護衛に根回しのための要員も混ぜてくれるつもりなのだろう。
「頼もしい言葉だが、ヤマダ抜きで一年もここに籠るというのはぞっとしない話だな。
あまり長期間開けてもらうのは困るが、王都での任務を与える。
仕事はしっかりとしてもらわなければ困るが、それ以外の時間は羽を伸ばすことだ。
言うまでもないことだが、女遊びなどするのではないぞ」
なるほど、出張期間は成果が出るまで、ただし最短でやる事、というわけか。
羽を伸ばすだの、女遊びだのというのは恐らく領主様なりの冗談だろう。
いつものことであるが、裁量権の渡し方を心得ている上司は、ありがたいが恐ろしいものだな。