第三話
2011年6月13日
会話文の主人公の立場についての表現を修正しました。
36日目 日本サーバー 【アルナミアの街】
いい加減顔なじみになりつつある衛兵に挨拶をしつつ街に入る。
この街は初期エリアの拠点としてそれなりの規模を誇っていたのだが、生身で訪れてみるとそれなりどころではなかった。
いわゆるヨーロッパ風の家々が立ち並び、それらを取り囲む外壁が建てられている。
そこには目的地でもある専門店街があり、市民が利用する市場があり、その他自治体を構成する様々な施設がある。
村落やただの街では絶対にありえないほどに全てが充実している。
そんな場所に、俺は必要な物資を買い付けるために来ていた。
「しかし酷いな」
街並みのことではない。
先ほどすれ違った衛兵といい、時折見かける巡察といい、装備が明らかに劣化している。
いや、正しく言うなれば、装備の手入れがされていない。
これは一体どういう事なのだろうか?
確かここの領主軍には『鋼のバルニア』と呼ばれる鍛冶レベル3のNPCがいたはずなのだが。
「おい、お前鍛冶屋か?」
すれ違う兵士たちの装備を酷評しつつ歩いていると、不意に声をかけられた。
振り返ってみると、そこに立っていたのは領主直属の魔法剣士隊員である。
「ええ、まあ」
見たところ年齢は20歳前後だろう。
見事な金髪を大胆にカットしてしまっている勿体無い美女だ。
名前は確か、エーリアとか言ったかな?
冒険者クエストの序盤でお世話になる人物で、近場のダンジョンの下層階にランダムで出現していたはずだ。
洞窟の下層階で、山の山頂付近で、草原の深部で、彼女はいつも物資不足や整備不足や力量不足で立ち往生している。
それぞれの得意分野で助けてやるのだが、複数のレベルが必要値に達していると、全部で助けてやらなければならないという酷いNPCだ。
攻略サイトでは「雑魚」だの「経験値作成機」だのとあんまりな表現をされていた記憶がある。
「随分と若いが、まあいい。
お前、剣や鎧の手入れはできるか?」
随分と失礼な物言いだが、準貴族である魔法剣士が一般市民相手に言い放つのであればギリギリ丁寧なレベルだろう。
それはさておき、彼女のような階級の人物であっても、その装備は手入れが行き届いていない。
この世界、分業が行き届きすぎており、軍人たちは前線での最低限の掃除レベルしか装備を整備することが出来ない。
鍛冶レベル1で手に入る『武具整備スキル』すら持っていないのだ。
「装備の手入れでございますか?
人並みには出来ると自負しておりますが、何かご奉仕させて頂けることが御座いますか?」
準貴族と言うだけあり、言葉遣いには気をつける必要がある。
無礼討されそうになっても返り討ちにできるだけの力は余裕で持っているが、わざわざ波風を立てる必要はない。
ちょいとばかりただ働きをしてやれば全て丸くおさまるのであれば、そうするのが賢い社会人というものだ。
「できるのならばいい、私の武具を触ってみたいとは思わんか?」
あくまでも上から目線で接したいのであろう。
相当困っているはずだが、それでも俺から頼むような表現を求めていらっしゃる。
「それはもう、魔法剣士様の武具に触れさせていただけるなど、私ごときにしてみれば望外の喜びでございます
そのような機会はないでしょうが、もしあれば末代までの誉にしたいところですな」
もしかして、領主軍に属する鋼のバルニアに何かあったのだろうか?
例えば過労死とか、不慮の事故による負傷とか。
何にせよ、たった一人に頼り切りだった状況が、今回裏目に出ているのだろう。
「ふむ、そうか。
そう言ってくれるか」
どうやら俺は回答を間違えてしまったらしい。
本当にバルニアに何かあったのだろうか?
彼女の装備といい、兵士たちの装備といい、確実に今までとは違う何かがあったのは間違いないはずだ。
「お前、名前は何という?」
これはまずい。
ただ働きフラグが立ちそうな感触を覚える。
その程度で損害を抑えるのが賢い社会人だが、もっと賢い社会人はそれを回避することが出来るものだ。
「いやいや魔法剣士様。
私ごときの名前など、恐れ多くてお耳に入れるわけにはいきませぬ」
速やかに避難しなくてはならない。
何があったのかは知らないが、領主軍に関わるなど、一匹狼の鍛冶屋としてはあってはならないことだ。
ここは一つ、卑屈な男としての唾棄すべき一面を前面に押し出しておくべきだろう。
彼女が単なるNPCではなく人間である以上、極端に気に入られると厄介ごとに巻き込まれる可能性が上がる。
領主様が俺の作ったものを気に入っている以上、今更かもしれないが、それでもだ。
「鍛冶屋よ、私は名を尋ねている。
それとも、領主様の軍勢に名乗れない理由でもあるのか?」
まずいな、どうやら彼女は相当切羽詰まっているようだ。
いきなり険悪なムードになる。
これはまずい、厄介ごとに巻き込まれる可能性が高そうだ。
「とんでもございません。
わたくしめはスズキというしがない鍛冶屋でございまして、魔法剣士様に名乗れるような立派なものではございません」
偽名でもなんでもいい、とにかくこの場を逃れなくてはならない。
しばらくの間は鍛冶屋ギルドの代理人に買い付けを命じるとしよう。
経費がもったいないが、面倒事に巻き込まれるよりはよほどマシだ。
「ヤマダさーん!」
最悪の事態とは、最悪のタイミングで発生する。
例えば偽名を名乗った直後に本名で声をかけられたりな。
声のする方を見れば、先日あったばかりのガルダン武器店の使いがいた。
勘弁してくれよ。
「ほぉう?貴様、魔法剣士である私に嘘をつくか」
エーリア嬢は嫌な笑みを浮かべて剣に手を滑らせている。
するりと抜いた剣で俺を一刀両断する前に腕ごと切り飛ばす自信があるが、そんな事をすればタダでは済まない。
魔法剣士に武力で対抗したとなれば、それが正当防衛であったとしてもこちらが一方的に悪くなるだろう。
限りなく貴族に近い彼女と、どこまで行っても平民である俺との間には、それだけの立場の違いがある。
「ああ、申し訳ございません。
貴方さまの余りの美しさに、動揺して母の名前を言ってしまいました。
私はヤマダと言うケチな鍛冶屋見習いでして、今日の夕飯代にも苦労するような者でございます」
出来る限り卑屈な笑みを浮かべて白状する。
ああもう、めんどくせぇなぁ。
「ヤマダさーん!無視するなんて酷いじゃないですか!
今日は買い付けですか?
領主様の騎士団に入れる武器を作っていただくんですから、買い付けぐらい言ってくれればウチで手配しましたのに。
もちろん、アナタほどの腕を持った鍛冶屋さんに仕入れるんですからお安くしますよ!」
誰か、目の前の小娘を黙らせてくれ。
ペラペラと個人情報を連発しやがって。
個人情報の保護に関する法律に違反した疑いでしょっぴくぞ。
それに、商人を通したらどうやっても利益を取られてこちらの儲けが少なくなるだろうが。
「なるほど、お前があの剣を作ったのか。
それほどの腕で、今日の夕飯にも困るなどと言うのだな」
ゆっくりと鞘から刀身が現れ始める。
これが脅しのつもりなのだから困ってしまう。
しかしながら、ここは異世界のようなオンラインゲームではなく、オンラインゲームのような異世界である。
社会的な地位というものは、個人の力量の差など吹き飛ばすだけの圧倒的な力を持っているのだ。
「いや、申し訳ございません。
魔法剣士様の武具を触らせて頂けるのではないかと内心では期待しておりました。
しかしながら、今の私は領主様より命じられた騎士団向け装備の製造を行わなければならないのです」
もう正直に言ってしまおう。
アンタより偉い人から受けた仕事があるから、申し訳ないがただ働きは勘弁してくれ。
大事の前の小事と言うつもりはないが、言いたいことはわかってくれるだろう?
「なあに、あれだけの剣を作れる男ならば直ぐにできるはずだ。
さあ、詰所まで来てもらうぞ」
彼女は満面の笑みを浮かべて俺の腕を掴んだ。
わかってくれなかったようだな。
万が一にでも間に合わなくなったら遠慮無く責任を取らせてやる。
「ああ、親方に伝えておいてくれ。
こっちの仕事次第では納期に間に合わないかもしれないとな。
なんでそうなるかも隠さず説明しておけよ」
恐らくは無償で騎士団の装備をフルメンテナンスなんて、真っ当な人間がやることじゃないぞ。
利益は望めないかもしれないが、必要経費ぐらいは絶対に回収してやる。