第二十八話
145日目 朝 ジラコスタ連合王国 コルナ村 正面陣地建設現場
「工事は順調なようですね」
いつものように巡察を行っていると、眼前の光景に思わず声が漏れる。
工事は母の丘陣地構築の時のように一日の休みもなく、それどころかファンタジー的なアイテムのお陰で昼夜突貫で継続されていた。
そのお陰で作業開始からそれほど時間が経ったわけではないが、それでも確かな進捗の後を見て取ることは容易に出来る。
ああ、もちろん精神面の疲労を加味して交代制で休みを取らせてはいるが。
戦闘ではなく労働だからといって、労働者たちの精神的な疲労を無視してはならない。
肉体疲労が一晩で治るからといって、来る日も来る日も休む間もなく仕事というのはよろしくない。
まあ、だからといってこんな辺境の村に歓楽街があるわけもなく、後方まで休養のために交通手段を用意する余裕もないので、せいぜい無料で酒と煙草を与えるぐらいしかできないのだが。
それはそれとして、天下の大通りの真ん中を歩くのは褒められたものじゃないな。
ほら、荷馬車が後ろから来ているじゃないか。
「荷馬車が通るぞ!道を開けろ!」
道のど真ん中を歩いていた工兵隊員たちが慌てて左右に分かれる。
石材を満載した馬車は加速に大変な手間がかかるので、路上において人間よりも優先されるのだ。
それにしても、主要な作業場所まででも石畳を優先して作らせておいてよかった。
これが土であれば、今頃は数時間に一度は轍を潰して整地する作業に人手を取られていたはずだ。
段取り八分とは言ったものだな。
「頑丈な石畳の道、腰程度までは積み上がりつつある城壁、そして木製ながら櫓もある。
この短時間でここまでのものを作れたのだから、大したものですね」
賑やかな建設現場を巡察しつつ、いずれは城下町となるべき場所へと足を進めていく。
市壁に囲まれるとはいえ、城塞とは別になるのだから城下町でいいはずだ。
いや、厳密に言うと総構えというのだったかな?
よく覚えていないが、まあそんな感じだ。
とりあえず最優先で中央通りを作っただけあり、実に立派なものだ。
道だけは。
その周囲には相変わらずのコルナ村が広がっている。
兵士たちが寝泊まりする天幕村、将来の倉庫になる集積所、厨房建設予定地である井戸と竈の集合体など、重要そうなものが点在する風景はシュールである。
必要なものから作っていくという方式は、後になって計画を現実に無理やり変更させなくてはならなくなるので良くないのだが、根拠地しかないのでそこを要塞化していくという計画のため仕方がない。
まあ、大げさなくらいの規模を想定して計画を練っているので、最悪でも中庭に小規模な建物が点在するような形で落ち着けられるだろう。
それに、ドワーフ達がここを完成させるのが一生に一度の大仕事であると考えてくれているそうなので、少なくとも無様な完成形にはならないはずだと信じたい。
「しかし筆頭鍛冶殿、あのルディアという臨時隊長は、馴れ馴れしいのはさておき役に立ちますね」
天幕を出てからようやく初めて声を発したと思ったらこれか。
ミイナさん、どうして貴方は他の人がいないところでは同性と仲が悪いんだ。
他の人間の前ではあんなに思慮深い様子なのに。
まあ、実務に影響は出していないようなので、今のところは曹長に任せてあるし、途中経過の状態でここまで随分と丸くなってきているからな。
今後も彼に任せておけば問題あるまい。
「ミイナさん、そんなことを言っては失礼ですよ。
彼女だけではありませんが、とにかくエルフの皆さんがいなければ、今日の辺境伯領は無かったのですから」
強調するまでもなく、エルフたちは非常に役に立ってくれている。
彼女たちは覚えている全ての魔法と知識を駆使して、俺の拙い計画を何とか形にしようと日夜行動してくれているのだからそうでなくては困るが。
とにかく、お陰で農地の拡張は当初の想定通りの早さで進んでおり、更に精霊魔法を使って農作物の収穫を数日単位のレベルにしていた。
正確には、ドワーフ達が大地の精霊に働きかけて土を生き返らせ、そこにミイナさん達が祝福をかけ、止めにエルフたちが成長促進をかけているのだが。
何はともあれ、この複合技は驚くべき成果をあげていた。
小麦の収穫まで七日、その他の野菜は程度の差はあれど五日以内。
牧草はなんと三日というありえなさだ。
まあ、ゲームの仕様で言えば何も不思議なことはないのだが、現状の常識から言えば、これは異常事態であるといえる。
つまり、必要な数の農民と、それを支える魔法職さえいれば、十万人でも百万人でも軍隊を支えられるということになる。
実際には農地を作らなければならないし、短期間とはいえ維持もしなければならないし、収穫もしなければならないので、それほど簡単な話でもないが。
ところで、本来であればドワーフとエルフは非常に仲が悪い。
いや、別にここでも大問題にならないという程度で、関係は良好というよりも、たまにしか問題にならないというレベルで悪い。
そんな彼らが、鬼気迫る様子でこの農業試験には積極的に参加していた。
さすがにおかしいので話を聞いてみると、どちらも本国の食糧事情は全くよろしくないそうだ。
諸王連合軍の敗走の原因を思い出すと、ゲームの世界が現実になるというこの狂った世界の仕様は、食糧問題というどうしようもなく現実的な問題まで引き起こしているらしい。
当初は自分たちさえ何とかなればそれでいいと考えていたが、検証中のこの農法については、しっかりとテキスト化した上での配布が必要になってくるな。
欲を言えば辺境伯領だけが持つ謎の農法で世界の食糧事情を牛耳るというのも悪くはないのだが、今の我々にはそのような事を楽しめる余裕が全くない。
後方からの食料輸送を最小限に抑えつつ、地産地消を最大限に拡大するという程度が着地点とすべきなのだろう。
必要な量を十分に確保した上で、品質改良や新しい食材の開発を目指すのも楽しそうだが、もうそこまで来ると完全な後方での仕事だな。
色々と考えさせられる事はあったが、とにかく収穫までの時間が解決したので、それではとりあえずそこら中に農地を作っておけば問題ないのかというとそうでもない。
無防備な可燃物を拠点の周りに張り巡らせる趣味はないし、そもそも人間は野菜だけ食べておけばなんとかなるという都合の良い構造はしていない。
ある意味当たり前であるのだが、しばらく肉抜きの生活が続いた結果として、野菜だけでは士気ではなく栄養学的な面から生命を維持できないと判明したのだ。
そうなると、家畜の成長速度は現実世界準拠なのかという疑問が湧いてくる。
大変ありがたい事に、家畜についても魔法が猛威を振るってくれた。
どうやら、人間に対して以外は、驚くべき効力を発揮してくれるようだ。
これらの情報はもう少し経過観察をしてから全世界に発表するとして、人類の問題は大体解決したのかというとそうではない。
まず、人間を増やすには魔法は役には立たない。
いや、この世界の技術レベルで考えれば、死んでなければ助かるというのは大したものではあるが、これは直近の頭数を揃えるという観点の話だ。
ムニャムニャと呪文を唱えれば若い男が出来上がるというのも困るが、まあとにかく、人間が軍隊で役立つレベルまで育つには、最低でも16年前後の時間は必要なようだ。
そういうわけで、とりあえずは余裕を持って食料を作れるという状況を駆使して片端から難民を掻き集める事となった。
しかしながら、困ったことにここは中途半端に現実的な世界だ。
徴兵ボタンを押せば、一ターンで定数を満たす兵士が湧いてくるわけではない。
どうしたものかとしばらく悩むこととなったが、解決策は向こうからやってきてくれた。
149日目 朝 ジラコスタ連合王国 コルナ村 正面陣地建設現場
「よーし、引けー!」
作業場に入れられ、馬を外された馬車から石材が引きずり出されていく。
昼夜兼行の作業が続けられているだけあり、建設のスピードは非常に早い。
不思議なことに襲撃が行われないこともあるが、それより何より、三交代制で絶え間なく作業が行われている事が最大の理由だろう。
もちろん、待遇や福利厚生に力は抜いていないぞ。
訓練も兼ねて負傷者に対しては速やかな治療を行っているし、保存の問題がないことから持ち込まれた食料は全て買い取っているので、質はともかく食事の量に不足はない。
食事の質については、まあ将来の課題としておくべきだろう。
糧食班には、とにかく最低限の質を維持しつつ量をこなせる方向でスキルと経験を伸ばしてもらわなければならない。
そして費用や賃金については、仕方がないことであるが今しばらくは俺の持ち出しだ。
きちんと帳簿につけているのでごまかしようがない。
まあ、領主様が献身ご苦労といえばおしまいの話ではあるが、あの人はそういうやり方は好かないだろう。
ご丁寧なことに、一定数量の金額を超えるごとに借用書を書いてくれるのだ。
まったく、あれで辺境伯だというのだから、この国の貴族というのはどれだけ真面目な人々なのだろうか。
いや、まあ、そんなに貴族の知り合いがいるわけではないので、例外的な存在なのかもしれないが。
「次!すぐに来るから準備しろ!」
ドワーフ達が声を張り上げ、工兵隊員たちがあちこちを走り回る。
そのような中、次から次へと石材が積み上げられていく。
荷降ろしまでが雇われた運送業者の仕事で、加工するのがドワーフ、積み上げるのが工兵と労働者たちと綺麗に分業がされている。
しかし、城壁の作り方はさすがにわからなかったので助かった。
彼らのお陰で遅々として進まなかった街道を石畳で統一する作業も、城壁の建設も前半の遅れを取り返すどころか予定の繰り上げになる程の進捗を見せている。
後者については素直に喜んでおけば良いだけの話であるが、前者については随分と一悶着があった。
便利な補給路を建設するということは、敗走時には敵軍に便利な進撃路を用意するのと同義だという反論である。
前線から後方に向けて道を作るという行為の危険性は十分承知しているが、将来的には大軍をここを通して敵地へと向かわせなければならない。
そう考えれば、敵の進撃路の補強工事になるという恐れは、飲み込むべきリスクとすべきだろう。
何より、石材の運搬を今まで以上に円滑に進めるために、この工事は行わなければならない。
そういうわけで、何とか身内の説得は終わらせることができた。
ある意味で一番この話に参加しておかなければならない神聖騎士団の皆様には、きちんと招待のための伝令を派遣したのだが、話も聞いてもらえずに追い返されてしまったのだからしかたがないな。
というわけで、石畳を敷き詰める作業は今日も進められている。
「全員揃っているな!」
不意に聞こえてきた声に意識を戻すと、装具を整えた一個小隊が整列していた。
ああ、そういえば朝から長距離偵察を出すとか言っていたな。
「領主様よりのご命令を達する。
これより我々は旧ナルガ王国方面の偵察に出撃する。
期間は四日間、いつも通りの何かがあるかを探すという任務ではあるが、敵が現れる可能性はある。
油断せず、怪しいものを見つけたらすみやかに報告するように。では出撃!」
正門建築現場に集まっていた一団が動き出す。
集団で動く一個小隊、途中の集積所維持のために追加で二個分隊。
輸送部隊が専属の護衛も含めて全部で二個小隊相当、その護衛に追加で二個分隊を割り当て。
総勢四個小隊の戦力が拘束される。
総兵力からすれば大盤振る舞いもいいところなのだが、これは必要な任務だ。
一人あたりどれだけの糧食が必要かということは計算できている。
そのため、大人数だろうと、少人数だろうと、事前にわかっていれば必要な物資をすぐに手渡せるようになった。
おかげで、部隊行動が非常に素早く行えている。
なんでもかんでもマニュアルだ書類だとは批判されがちな話だが、規格化することは大切だ。
何人いると、一日どれだけの物資が必要になるか。
それを計算式で簡単に把握できるようにするだけで、部隊を行動させるための手間が大幅に減る。
問題になるのは、現実をマニュアルに合わせようとするからだ。
いやもちろん、一度ルールを決めたのであれば、簡単には変更させない頑固さは必須である事は否定しない。
高度な柔軟性と無計画は似通って見える点もあるかもしれないが、両者の間には絶対に越えられない壁があるということだ。
そういった次第で、彼らは無理をして用意された戦力を用いて、極度に硬直化されたルールでの長距離偵察を実行することとなっている。
願わくば、大した損害もなく、しかし大量の問題点が見つかってくれればいいのだが。
「視察中のところ失礼します!」
色々考えつつも部隊を眺めていると、伝令らしい兵士が声をかけてきた。
安全な後方であっても、しっかりと指揮系統が維持されていることを見るのは非常に心強いものだ。
現在の辺境伯領軍には、まだまだ下士官が足りない。
新しいルールと理不尽を兵士たちに押し付ける力が圧倒的に不足している。
「何だ?」
いつからいたのかはわからないが、とにかく曹長が代わりに尋ねる。
まあ、彼がいつの間にか現れるのはもう慣れた。
周りの人間が驚いていない所を見ると、少なくとも瞬間移動で出現しているわけではないのだろう。
「はい、裏門建設予定地より筆頭鍛冶殿へご報告があります」
ちらりと曹長がこちらへ視線を向けてくる。
軽く頷いて返しておこう。
報告書ではなく伝令、かといって手順を飛ばすほどの緊急性はない。
つまり、重要だが緊急ではない内容なのだろう。
「何かありましたか?」
ここまでくると格式張ったやりとりは無用だ。
率直に尋ね、速やかに回答するという流れで構わない。
「はい、奴隷商人のフレングス様が手勢のみで来訪され、筆頭鍛冶殿にお会いしたいと申しております。
また、ヴィトニアのブルア家よりの使者殿も来られています。
こちらも筆頭鍛冶殿にご相談があるとかで、現在どちらも陣地内にてお待ちいただいております」
なんとまあ、まず間違いなく面倒事が遥々俺を訪ねてやってきてくれたのだろう。
困ったことに、名指しであるがゆえに断ることができない。
フレングス氏については連合王国とのパイプ役であるし、ブルア家は糧食に限って言えば必要なくなりつつあるが、今後も経済界との窓口として重要だ。
「とりあえず、フレングス氏からお会いしますよ。
案内してください」
どんな厄介事をふっかけられるのかはわからないが、とにかく重要そうな方から済ませておこう。
書状ではなく面会を求められるあたり、どちらも確実に面倒な話だろうがな。
149日目 朝 ジラコスタ連合王国 コルナ村 裏門建設現場 臨時詰め所
「これはこれは筆頭鍛冶殿。
お忙しいところお時間を割いて頂き、このフレングス感激の極みにございます!」
フレングス氏は面倒な口調で、完璧な貴人に対する礼をしてきた。
悪い人ではないのだろうが、対応が面倒だ。
少し前に曹長が貴人に対する礼儀を再確認したいので見てほしいと言ってくれなければ恥をかいていたな。
それはともかく、先方の礼に対して答礼しておく。
「フレングスさん、なにかお急ぎの用事があるようですね?
短いながらも貴方とはそれなりの関係を築けていると勝手に考えています。
どうかお話いただけないでしょうか?」
別に視察にはそれほど時間を割く必要はないが、それ以外のことで時間をかけると、ドワーフとエルフと工兵隊の代表者達が俺の部屋の前で順番争いを始めてしまうのだ。
最近ではやたらと愚痴りたがる領主様と、何かと相談したがるミイナさんも押しかけてきて常に騒がしい。
できるだけ面倒事は減らしたい。
彼は記念すべき最初の商談で、ある程度はこちらの考え方を把握している筈だ。
面倒な挨拶だの前座の会話だのは避けられると信じたい。
「いやいやいや、ご多忙のところ申し訳ございません。
本日こうして筆頭鍛冶殿のお時間を頂いたのには、当然ですが理由がございます」
笑顔かつ無言で先を促す。
これだけでこちらの意志は伝わるだろう。
「失礼いたしました。
前口上が長いという事が私の数多い欠点の一つでして。
先日も王都貧民局の担当者殿にも叱られていたのを忘れておりました」
ムダに長い前口上に露骨な形で意味を含ませているな。
王都貧民局とやらがどれだけ凄い組織であるかは知らないが、技能職をいくらでも紹介できる彼が人手だけを提案しに来たということは、王都方面の口減らしのための施策なのだろう。
商談の前座に無意味なようで意味のある雑談を含めるのは好きだが、今みたいな状況は勘弁願いたいものだ。
「実はですね、前回のような面倒な話ではなく、本日は純粋に労働力と兵力をご紹介しに参りました」
さてさて、何人ほどなのだろうかな。
正直なところ、今は以前とは状況が異なる。
健康であればそれでいいという条件で、百人でも二百人でも雇うことが可能だ。
「それは嬉しいご提案ですね。
以前お会いした時とは辺境伯領の状況もだいぶ変わっています。
それで、どれくらいの人数ですか?」
糧食の問題が解決されつつある今、そして財政面ではまだ余裕がある以上、工事速度上昇のための増員はありがたい。
速やかに手持ちの地域で労働力を創出できない以上、人が余っているところから連れてくるしかない。
今回のフレングス氏の申し出は、彼とその背後の連中からすると困り事なのだろうが、こちらからすれば大歓迎したい内容だ。
「王都も大変なようですね。
近々発表予定としていますが、少なくとも食料の生産については革命的な方法を発見しました。
もしかするとフレングスさんのお仕事を減らしてしまうかもしれませんが、その場合には勘弁して下さいね。
これでも連合王国辺境伯領の一員ですので、全体の役に立つ方法が見つかったとあれば、報告しないわけにはいかないので」
これしきのことで由緒正しい奴隷商人らしい彼の商売に迷惑をかけるとは思えないが、気にかけているという姿勢を事前に示しておくのは大切だ。
逆恨みされたら困るが、それは気遣いを示していようがいまいが避けられないからな。
「それはそれは、何か凄い方法を見つけられたのですね。
どのようなものであったにしろ、連合王国あっての当商会ですから、そこに私ごときが何かを言うことはできませんよ」
表情は全く笑っていないが、目は笑っている。
まったく、もう少しやりやすい商売相手は現れてはくれないものだろうか。
俺は善良かつ無害な単なる鍛冶屋に過ぎないんだ。
戦術レベルは何とかするから、それ以上の問題は持ち込まないで欲しいのだが。
「恐らくですが、フレングスさんの今後にも長い意味では関わってくる内容です。
詳しいことは後で説明させていただきますが、貴方のように顔の広い奴隷商ほど美味しい話になると思います」
奴隷商が全ての飯の種を押さえるのは良いことではないが、それはもっと未来に是正されるべきことだろう。
国がなくなる、貨幣に価値がなくなる、人類が滅びかねないという現状では、ノウハウも有り、資本も持っている彼らにある程度の特権を与えてでも支援をさせるべきだ。
金というわかりやすい共通言語があり、敵対種族に脅かされた同じ種族の国家に所属するという明確な敵味方識別ができる以上、明確な敵対行動だけは少なくとも考えられない。
長期的に見れば人口爆発が発生し、割合としては減ったとしても絶対数で奴隷となる人間が増えるという未来予想図なのだから、この考えには最悪でも無関心に近い肯定ぐらいは貰えるはずだ。
そのような相手を全く信頼していない安心感があるからこそ、全てを伝えることができる。
「その方法というのにはとても興味がありますが、まずは商談を終わらせないといけませんね。
今回の商品は、健康な男女を500人です。
そのうち450人が男性、50人は女性となります。
いずれも14歳以上、36歳未満となり、労働力としても、兵士としても使い道はあると思っています」
ふむ、500人となると、一個大隊強といったところか。
今回は偽装奴隷ではないだろうが、わざわざ健康な、と前置きをしてくるぐらいなので、全く使いものにならない人間はいないだろう。
本人の内面については保証の限りではないだろうが、少なくとも軍役にも労働にも向いていないような者も多くはいないはずだ。
ここにフレングス氏を通じて送り込むという意味を考えれば、そのような役に立たない連中をわざわざ集めて連れてくるという事は考えにくい。
それはそれとして、これだけの人数を売りたいということは、本当の口減らしなのだろう。
通常であれば、この年齢層の男女にはいくらでも使い道がある。
だが、こうして商談を持ちかけてきたということは、あらゆる用途を想定してでも余剰となっているということだ。
繰り返すが、辺境伯領としては有り難いの一言に尽きるのだがな。
「筆頭鍛冶殿も御存知の通り、先ほどの大変に興味深い話はさておき、今の連合王国にはひたすらに食料が不足しております。
そのため、軍も、民も、口減らしのために頭を悩ませております」
これは脅し文句でも売り口上でもなく、純粋な状況の説明なのだろう。
それに対する解決策を恐らくだが無償で提供することになるのは面白くはないが、無償で提供しなければならなかったという事の代金はいずれ大きな形で徴収できるはずだ。
ここは気前よく現金先入金としておこう。
いや、現金ではないが、商売の基本は物々交換とも言うし、技術という形のないものを収めるのだから、利権や何らかのメリットという無形のもので支払いを受ければいい。
踏み倒される危険性はあるにしても、相手に貸しを与え続けるという方法はこの世界でも有効なはずだ。
「その辺りの問題は、ここで行われている試験が成功すれば、恐らく解決できますよ。
それはそれとして、今と前は違います。
消去法であっても戦うことを選択する人々は、等しく連合王国の兵士です。
そして、戦えなくとも働ける人間は、連合王国の守るべき民と言えるでしょう。
今の我々には人々を守るための力が備わりつつあります。
ですから、恐らくは今回ご提示いただいた全員を雇えると思いますよ」
別に、兵士として雇ったからといって、農作業に転用できないわけではない。
戦うことが困難な人材については、全て後方支援の名目で農作業に転用してしまえば良い。
軍の命令として発すれば、それは農業だろうが工業だろうが、全て軍務だ。
おそらく、文句をつけてくる輩はいないだろう。
「いやいやいや、さすがは筆頭鍛冶殿でございますな。
今回の商談は王都のとある高貴なお方からの依頼だったのですが、こういうお話であれば、私も亡命は延期できるというものです。
ところで、ここで行われている試験というものは、一体どのようなものなのでしょうか?」
どうせある程度は調べているだろうに、白々しいことを言ってくれる。
まあ、実は完全なハッタリだったとしても、別にいい。
人口爆発は望む所、どころか速やかに実施してもらいたいので、農法については是非積極的に広めていきたい。
ドワーフとエルフの双方の支援を受けられる地域がどれだけあるのかは知らないが。
「さすがはフレングスさんですね。
商談に入る前に必要な情報を揃えていらっしゃる。
詳しいことはこの後ご紹介させていただきましょう」
このような形で、彼との商談は至極スムーズに終わった。
俺の貯金が減るのは今日に始まった話ではないので、それはもういい。