第二十五話
86日目 早朝 ジラコスタ連合王国 鉱山都市ニム 中央広場 宿屋「ロング・トリップ」付近
油を詰めたツボを満載した馬車が道を進んでいく。
進行方向には別の馬車が停車しているが、既に馬は放され、自力で動くことはできない。
宿屋の壁すれすれに止められているそれは、通行の阻害要因以外の何物でもないが、御者は気にした様子もなく針路を変更する。
荷台を宿屋の入り口の目の前に来るようにゆっくりと進めさせ、そして止めた。
「さーて、お仕事しないとね」
飄々とした口調で口を開いた彼は、手早く馬を解き放ち、尻を叩いて逃してやる。
すぐさま身を翻して馬車から降りると、盗賊にしかできない軽い身のこなしで路地裏へと消えていった。
同じような怪しげな動きは随所で見られた。
ある集団は薪を束ねた大きな荷物を道端において談笑しており、通りがかった乗合馬車は妙に重々しい音を立て、さらに宿屋の隣で停車した。
いつもならば賑やかに行き交うはずの行商人たちも、今日は誰一人として見かけない。
その代わりに、普段は見ることのない風変わりな集団が、静かに通りを進んでいた。
「前進、隊列を崩すなよ」
慌てず、騒がず、素早く。
この狂った世界でも、彼らは軍事組織としての能力と、それを維持向上するための訓練は欠かしていなかった。
その結果がこれである。
最前列は仲間を守る大盾。
次列には貸与したファイヤーロッドや槍を担いだ兵士。
続いて弓兵。
数が少ないとはいえ、俺とともに進む誰もが無駄な雄叫びも、余計な私語も無しに任務に励んでいる。
部隊は速やかに大通り一杯に展開し、そして静かに命令を待っていた。
あちこちの建物からちらちらと布を振る腕が見える。
どうやら、すべての部隊が配置についたようだ。
現役も、退役兵も、狩人も、冒険者も、腕に覚えのある町民も、今回は総動員している。
冒険者ギルドに頼み込んで、盗賊ギルドまで動員対象に盛り込んだだけあって、今のところは順調だ。
「どうやら、周囲を監視してはいないようですね」
傍らを進んでいたローレリアが静かな声で報告する。
大きな音を立ててはいないとはいえ、これだけ盛大に部隊を動かしても敵が反応しないのはありがたかった。
こちらを侮っているからなのだろうが、とにかく油断してくれるのはありがたい。
これから始めるのはあくまでも盛大な嫌がらせにすぎないが、思いつく危険性の幾つかを排除できる有用な手段でもある。
敵の油断でそれが問題なく実行できるのであれば、それは良い事だ。
息を吸い込み、口を開く。
「攻撃開始!」
その瞬間、俺の周囲にいる部隊を除いて全てが動き出した。
あちこちの路地から人影が姿を見せ、あらゆる建物の窓が開かれ、武装した兵士たちが武器を構える。
周囲の路地から、通りの反対側の建物から、宿屋の左右の家屋から、一斉に火属性攻撃魔法や火炎瓶が投げつけられる。
強い戦士や優れた魔法使いではなく、鍛冶屋という能力を持ってこの世界に来たことを感謝する瞬間だ。
まあ、やればやるだけ成長できるという反則的な力があるので、決して俺の戦闘能力が凡夫のものというわけではないが。
火炎瓶の大半は作りが甘く、壁にぶつかっても割れるだけであったが、殺到する攻撃魔法がそれらをしっかりと炎上させた。
「どんどん撃て!全て燃やせ!」
閉められたままの木戸が炎上し、壁を伝って炎が広がる。
攻撃開始から一分と持たずに、宿屋ロング・トリップは建物の全周が火災で覆われていた。
土台こそ石造りではあるが、目標を構成するいくつかの部分は木材で構成されている。
さらに、屋内に関して言えば大半が木製だ。
何しろ中にはいったので、その確認はしっかりととれている。
そこに、明確な意図を持って放火を同時多発的に行えば、効果がないはずがない。
「第二波!攻撃開始!」
もちろん、建物を燃やしておしまいではない。
人間が相手ならばまだしも、さすがに上級魔族が火災程度で死ぬとは思えないからだ。
「勇者様!僕たちの活躍を見てください!」
戦場とは思えない子供の声が聞こえ、三本の石の槍が高速で宿屋正面玄関に大穴を開けた。
飛行経路にあった二台の馬車は、見事に撃ちぬかれて積載物を向こう側にまき散らした。
「魔法使いが、一番強いんだ!」
別の子供の声が聞こえ、今度は極めて強い指向性を持った突風が、壊れかけた馬車を粉砕しつつ建物へと吹き込んでいく。
その威力は相当なものらしく、馬車は車体の残骸ごと建物内へと吸い込まれていった。
「それも、火属性魔法使いが最強なんだ!」
さらに別の子供の声。
無数のファイヤーアローが開放部分に飛び込んでいき、燃焼を始めていた積み荷たちを激しく燃え上がらせる。
この時点で、作戦目標の3分の1は達成できていた。
なにもないとは思うが、敵の拠点として使われていた建物には、安全を確認出来るだけの処理が必要だろう。
妙な魔法陣があろうとも、巧妙に隠されたモンスターが隠れていようとも、燃やしてしまえばある程度の打撃は与えられるはずだ。
「次!第三波!」
弓兵たちがあちこちから飛び出し、開放部分から屋内へと高価な鉄の矢を次々と撃ち込み始めた。
今回の装備は全て俺のおごりなので、誰もが躊躇なく全力を振るっている。
先ほどまで外壁を狙っていたファイヤーボールも、開放部分から見える内部へと目標を変更していた。
一区画を燃やし尽くす覚悟で始めたこの作戦は、今のところ一方的な展開のまま推移している。
「筆頭鍛冶殿!これは勝ちましたね!」
剣を抜き、油断なく宿屋を睨んでいた俺に、ローレリア衛兵隊長は嬉しそうに声をかけてきた。
確かに、一見すればこれは圧勝に見えるかもしれない。
だが、そんなはずがない。
上級魔族というのは、人型をしているだけで化物であることに変わりはない。
「そう簡単には終わらん。
次!第四波行け!」
ローレリアの隣に立っていた伝令兵が、空に向けて鏑矢を放つ。
背後から雄叫びが聞こえてくる。
開放部分に向けて、馬車をベースに徹夜ででっち上げた即席破城槌が、十名程度の冒険者達によって勢い良く押されてくる。
流浪の神官団メンバーによって補助魔法をかけられた彼らは、人体が出せる限界を上回る力で衝力を獲得していた。
「背後に注意!突撃に備えよ!」
衛兵たちが剣を抜き放ち、破城槌の針路を開けていく。
さあ、これですんなり終わってくれるといいのだが。
「皆の者!ニム衛兵隊の武勇を100年語り継ぐための、キャッ」
俺の傍らに立っていたローレリアは勇ましく演説をしていたが、途中で真横を通過した破城槌と集団の風に押されて可愛い悲鳴を上げている。
ちゃんと後ろに気をつけろといったじゃないか。
それはそれとして、筋力や速力を向上させるための補助魔法がかかっているとはいえ、人間とは思えない加速力だな。
そろそろ頃合いだと判断し、俺も剣を抜く。
破城槌は最後のひと踏ん張りなのか更に加速し、素早く離れた冒険者達を尻目にロング・トリップの正面玄関跡地に勢い良く飛び込んだ。
炎上中の外壁を突き破り、居住スペースだったはずのあたりを粉砕する。
「第五波を放て!」
直後に、石の、圧縮された空気の、強力な炎の槍が連続して飛び込み、崩壊寸前だった建物へ最後の止めを叩き込む。
勇者の仲間としてとはいえ、幼いと言っても過言ではない年齢の少年が三人現れた時にはどうしようかと思ったが、能力は極めて優秀なようだ。
燃え盛る建屋の外壁を砕き、可燃物が燃え盛る中、そこに追加の炎と空気を供給する。
何度まで温度が上がるかはわからないが、少なくとも石造りの外壁に囲まれた室内は、溶鉱炉のようになっていることだろう。
燃え盛る建屋の残骸はいよいよ崩壊し、高熱の残骸の上に燃え盛る二階と屋根を叩きつける。
普通の人間ならば、まず間違いなく死亡だ。
下手な魔族でも、ここまでやられれば大打撃を受けているはずだ。
だが、上級魔族ともなれば、この惨状でもかすり傷を受けてくれれば幸い、というレベルのタフさを持っている。
なので、できる限りの準備を整えてきたのだが、なんとかなってほしいものだ。
「やってくれたなぁぁぁぁあAAああああぁ!ニンゲェェェンンn!!!!」
案の定というか、残念なことにというか、奴は生きていた。
燃え盛る屋根を突き破り、老舗の宿屋だった大きな火葬場から、上級魔族の絶叫が聞こえてくる。
怒ってる怒ってる。
「攻撃に備えろ!構え!」
俺がうんざりとした気分でため息を吐いている間にも、衛兵隊は仕事をしている。
ローレリアの号令で大盾を構えていた集団が列を組み直し、仲間たちの前に陣取る。
あちこちで号令がやりとりされている。
恐らく、全ての弓兵と魔導兵は号令を待って攻撃の準備を整えているのだろう。
相手が相手だけに、説得を試みるだけ時間の無駄だ。
「第六波、放てぇ!」
気分を素早く落ち着かせ、少年魔導師団に再攻撃を命じる。
今度の攻撃は、主に水および冷気によるものだ。
先ほどまで全員で必死になって燃やしていた場所にそれらを叩き込めば、どうなるかは明白だ。
燃え盛っていた残骸が即座に鎮火し、立ち込めていた煙が冷気を含んだ強風によって吹き散らされていく。
魔法って本当に便利だな。
「馬鹿めぇ!ニンゲェェン、何を考えているぅ!」
一々芝居がかった喋り方をするやつだ。
個性という意味では面白いが、さっさとこの世からご退場願おう。
「目標は一人、総員、突撃に移れぇ!!」
剣を振りかざして突撃を開始する。
最初に飛び出したのは俺ではなく、大盾を構えた衛兵たちだ。
彼らは手間ひまをかけて補強した特別製の盾を持っており、敵に接するまで最前列を務めることになっている。
もちろん物理的な防御に加え、魔法防御も鍛えてあり、さらには全員に特別製の護符を配布、止めに盾自体に退魔装飾まで施してある。
運良く接触できれば、シールドバッシュで仰け反らせ、その隙に盾を振り下ろして足を潰し、できた隙を使ってメイスを振り下ろすという伝統的な機動隊戦法で相手に打撃を与えてくれるはずだ。
「突撃!突撃!」
鎮火したばかりの周囲全てから鬨の声が上がり、流石の上級魔族殿も一瞬戸惑っているようにみえる。
当然ではあるが、格上相手には多方向からの一斉攻撃が最も効果的だ。
全方位から攻め寄せても一度に接敵できる数は決まっているが、だからと言って相手は周囲の敵意を無視できるはずもない。
それにしても、装備一式を見せた時には全員何かを言いたい表情を浮かべていたが、飲み込んで素直に参加してくれたことはありがたかった。
俺だって明らかに突っ込まれるような不自然な物の出し方はしたくはなかったが、今回は特別だ。
レベルに見合っていない限界まで能力が高い装備を用いて、相手に立ち直る時間を与えずに無停止攻撃を続けなければ。
「ニンゲェえェンン!」
相変わらず妙なアクセントの叫びが聞こえ、直後に黒い光という器用な存在がこちらに向けて放たれる。
恐らく、何も準備なしに喰らえば盾の有無にかかわらず即死だっただろう。
だが、念には念を入れて準備した装備を身につけた衛兵隊は、それを何でもないかのように跳ね除けた。
「ば、馬鹿な」
変な喋り方だと思ったが、やはり演技か。
突撃しつつ呆れるという器用なことをしつつ、俺は唖然とする上級魔族の眼の前に迫った衛兵の背中を見た。
彼は全力疾走の勢いはそのままに、盾を叩きつけた。
普通ならば、逆に跳ね返され、重症を負うことになっただろう。
しかし、彼は上級魔族の顔面に盾を勢い良く衝突させ、相手を盛大にひるませた。
「ああAAAAAああぁぁぁぁぁ亜亜あぁ!」
退魔装飾の効力で接触面を焼かれた上級魔族は絶叫する。
しかし、周囲の衛兵たちはそれにかまっている余裕はない。
相手が倒れないのをいいことに、次々と突撃し、引くついでに聖水を瓶ごと投げつける。
下級モンスター程度しか倒せないそれは、しかし嫌がらせとしては十分だ。
僅かな、そして地味なダメージを全身に対して与え、冷静に物事を考える余裕を奪い去る。
あちこちを焼かれ、そしてそこに塩をすり込むような真似をされた彼の怒りの度合いは想像したくもない。
怒り狂われることも問題ではあるが、どうせ戦った以上はどちらかが死ぬまで終わらないはずだ。
だとすれば、どのような形であっても冷静さを奪えたほうがいいだろう。
「離れろニンゲン!」
こちらの優位に進んでいるつもりだったが、やはり相手は上級魔族だったな。
奴の怒号とともに突風が吹き荒れ、押し寄せていた衛兵たちが吹き飛ばされていく。
無詠唱で中級魔法か。
さすが種族名に『魔』が入っているだけはあるな。
「頼むぜ、勇者さま」
完全に人任せの思考で突撃を継続する。
絶対無いだろうが火災で倒せれば御の字だったが、まあ、世の中そうそううまくは行かない。
前衛が吹き飛ばされた時に備えた槍兵や剣兵たちが次々と吹き飛ばされていく。
魔族というのは、読んで字の通り魔力に恵まれている。
人間ならば数発で昏倒という大魔法を連発した後に余裕があってもおかしくはない。
「馬鹿なぁぁぁっぁ!!」
絶叫しつつ吹き飛ばされる。
あの風圧は反則だろう。
だが、想定の範囲内だ。
吹き飛ばされる衛兵たちの向こう、勝ち誇った笑みを浮かべる上級魔族の更に反対側に、突撃を開始した勇者達が見える。
「おのれぇぇ魔族めぇぇえ!」
大サービスでそのようなことを言いつつ、地面に激突する。
畜生、痛いじゃないか。
「魔族め!」
痛みをこらえて飛び起きる。
改めて剣を抜き、相手の目を見る。
「俺と一対一で勝負しろ!!」
剣を相手に向けて突き出し、そしてしっかりと視線にぶつける。
この場に何人いようとも、俺とお前は一対一だ。
さあ、決闘を始めようじゃないか。
俺の視線は、そのようなことを物語っていた。
幸いなことに、相手もその気はあったようだ。
片手を突き出し、俺の目を見て笑う。
「面白い!」
その一言と同時に、殺到しつつあった勇者たちが魔法で吹き飛ばされる。
ああ、ダメだったか。
「さあニンゲン!かかってこい!」
予想通りの反応でありがたい。
相手に向かって駆け寄る不意打ちなど、うまくいくはずがない。
強権を発動しながら行われた提案を聞かされた時には困ったが、結果としてうまくいってよかった。
「魔族め!行くぞ!!」
剣先を相手に向けたまま突撃を開始する。
目指すは敵の喉元。
迫り来る視界の中で、奴は口の端に得意そうな笑みを浮かべている。
恐らく、指揮官らしい俺を一撃で消し飛ばそうとしているのだろう。
そうはいかない。
構えを少しだけ変えてみる。
「喰らえ!」
その言葉が合図だった。
今まで黙っていた弓兵達が、作戦に従って一斉に滅魔の銀矢を放つ。
一本あたり金貨八枚もする、矛盾した単価のものだ。
続いて、今まで攻撃を控えていた魔導兵たちが一斉射撃を開始する。
最低でもレベル10であり、物によってはレベル12相当のファイヤボールやアイシクルスピア、ウインドシザー、セイントボウが飛び出す。
続いてドワーフ達のライフル攻撃。
流浪の神官団によって聖属性付与されたそれらは、魔族に対して破滅的な効果を持っている。
さらにさらに、腕に覚えのある流浪の神官団メンバーによる聖属性魔法の攻撃までもが加わっている。
相手が上級魔族でなければ完全にダメ押しとなるそれらは、それだけの物量をもってもしても未だに不足していた。
上級魔族の頬に傷を作り、背中に突き刺さり、腕に深手を追わせ、足を焼き、全身に傷を負わせつつも、致命傷には至らなかった。
そして、これだけの陽動を試みても、しっかりと本当に危険なものが何かを理解している。
「おのれぇぇぇええぇぇぇニンゲェンンーーー!」
ああ、やはりこれだけでは不足していたか。
絶望的な気持ちを抱きつつ、俺は突撃を続けた。
さらに上級魔族の胴体に数本の矢が突き刺さり、魔法が命中し、それでも相手は地面に立ってこちらを睨んでいる。
相手が茶番に本気で付き合ってくれているのだ。
最後まで付き合わなければ失礼だな。
腰を更に下げ、勢いを増し、突撃を継続する。
ありったけの退魔護符と、聖属性付与の剣でなんとかなれば。
そんな俺の甘い考えを、相手は見事に叩き潰してくれた。
四肢が千切れないのが不思議な勢いの水撃が全身を襲い、動きが止まったところで圧縮された空気の塊が質量と運動エネルギーの合わせ技で俺を襲う。
途切れ途切れの視界の端で、なんとか態勢をたてなおして突撃を再開した勇者たちが撃退されているのが見える。
「無理だったか」
剣だけは手放さず、それでも地面から引き剥がされて瓦礫へと突っ込む。
衝撃。
激痛が走り、面白いほどHPが減っていく。
立ち込めるはずの土煙は一緒に吹き飛ばされた水流によって最低限に抑えられていたが、それでも苦しい物は苦しい。
「…ねぇ……ねぇ」
何かが、聞こえる。
呼びかけに聞こえたそれに、意識が反応した。
そうだ、まだまだ動けるんだ、ここで倒れればお話が終わってしまう。
HPも自動回復分がようやく減少に勝った。
体はまだ動く。
呼吸を整え、立ち向かわなければ。
「死ねぇ!死ねぇ死ねぇ死ね死ね死ね死ね!!!!」
呼吸を整えつつ機会を伺おうと意識をしっかりさせると、何やら物騒な声が聞こえてきた。
「神の敵はコロスぅ!滅びろぉ滅びろぉぉおぉ!コロス殺す!滅びろぉぉぉぉぉぉ!」
いやあ、あれだね。
最近の聖職者ってのは、その、アクティブだね。
視界の向こうでは、既に生命活動を停止している上級魔族相手に攻撃を続ける、無力に見えるように偽装工作を施した、実際にはこの場で最強のミイナがいた。
俺だけが見えるステータスバーを信じるならば、敵は既に死んでいる。
だが、彼女の手は止まらない。
目を爛々と光らせ、両手を突き出すようにして、しっかりと握りしめた祝福された銀のダガー+10を突き刺し続けている。
もともと対魔族に効果のある銀装備を極限まで鍛え、ダメ押しに祝福し、止めとばかりに魔族対策のエンチャントを極限まで施して、おまけにボーナスが付く聖職者が使用する。
最高レベルの勇者が聖剣を振るうよりも効果が望める使用方法だ。
結果として、作戦はうまくいった。
総攻撃で倒せれば最高だが、そうはうまくは行かない。
そのための予備が俺だ。
自分のために用意できる全てを使って単騎特攻を試みる。
もちろんうまくいくわけがないとは思っていたが、やはりうまくいかなかった。
しかし、そのための勇者様である。
俺から見て反対方向から、時間差で勇者メンバー全員が突撃を開始。
とはいえ、お見通しだったのだろう。
俺が吹き飛ばされている間に、勇者メンバーも全滅。
これで終わりだと誰もが絶望したところで、真打ち登場という作戦を立て、流浪の神官団の待機していた高レベルメンバー全員が突撃を開始。
しかしながら、敵はそれでも対処できたのだろう。
残念なことに予想通り全員が打ち倒されている。
だが、流浪の神官団団長であるミイナは、それすら見越した最悪の事態に備えた賭けに成功した。
気配を消すアクセサリーを付け、本来のステータスを偽装する装備品を身にまとい、出来る限りの対魔装備で肉薄する。
聖職者というよりは暗殺者と呼ぶべき格好ではあったが、受け入れてもらえたのだから問題はなかったはずだ。
「死ネぇぇぇぇ!消えろぉ!私の目の前からキエロぉぉぉおおぉ!!!」
しかし、乙女の出して良い声音ではないな。
戦闘は終了しており、俺に続く第二の囮である勇者たちも、立ち上がれたが、困ったように止まっている。
嫌だなぁ、状況からして、俺が何とかしないといけないのか。
「よくやってくれました!」
できるだけ距離を作りつつ、限界まで伸ばした腕で肩を叩く。
相手は嬉しそうに敵の残骸を切り刻む乙女だ。
思わず使っていない腕で腹部をガードしていてもマナー違反ではないだろう。
「ええと、終わったということでしょうか?」
先ほどまでは歴戦の戦士ですら逃げ出しかねない表情だった彼女は、おっとりとした、という表現が似合ういつもの表情に戻っていた。
きっと先ほどまでのものは、上級魔族相手のストレスが与えた、一時的な何かだったのだろう。
そのような何かだったはずだ。
「終わりました、ええ、貴方のお陰で、全て終わりました」
俺は出来る限り相手を落ち着かせられるであろう表情を浮かべるように努力しつつ、言葉を続ける。
上級魔族は完全に死んでいることを示すステータスだ。
そして、事前にしつこいほど敵情偵察を済ませていただけあって、これ以上の敵はいないはずだ。
「御覧なさい」
クズ肉のようになっている上級魔族を指さす。
総攻撃で全身が傷つき、さらに彼女の容赦無い攻撃によって、全身に裂傷や刺し傷が生じている。
「皆さんの献身、そして貴方の力によって、上級魔族は滅びました。
ここでの戦いは、終わりました」
嫌だが、ガードに使っていた手を使って、ダガーを握るミイナの手を包み込んだ。
一気に奪おうとしては危険だ。
まずはこちらの体温を伝えて、相手の緊張を解きほぐさなければならない。
「ありがとうございました。
これで、この街は救われました」
ゆっくりと、しかし確実にこちらの体温を伝えて安心させる。
合わせて、今回の戦闘が集結したことも伝えた。
だが、彼女は気に入ったのかダガーを手放そうとはしない。
まあ、これは相当に良いものだから、気持ちはわかる。
「もう大丈夫ですよ、全て終わりました」
相手の目を見つめる。
冷たく凍った、そしてよくわからない何かで濁ったそれは、怖気を感じるものであったが、ここで負けてはならない。
少なくとも、聖属性な何かではあるのだ。
人間である俺にそうそう害があるものではないはずだ。
「貴方は、こんなになっても私から逃げないんですね」
不意に聞こえたそれは、余りにも小さく、聞き逃しかねない声量しかなかった。
逃げないのか?
そう聞こえた気はするが、今までの会話で出てくる内容としては、状況に合っていない気がする。
恐らくだが、聞き間違いか気のせいだろう。
それに、仮にも軍の責任者のひとりとして、協力者を前に逃げ出すことなどできるはずもない。
「とりあえず、ダガーは返してもらいますよ。
貴方には、もう少し武器らしくない物のほうが似合うと思います」
錫杖とか、総金属製の杖とかな。
一番大変な役どころを務めてもらったのだから、それぐらいの報酬はなければならないだろう。
「さあ!今のうちです!
鉱山に巣食うロックイーターも、今のうちに全滅させましょう!」
正直なところ、上級魔族を相手にした後であれば、大抵の相手はなんとでもなる。
予想以上に時間を取られたのだから、リカバリーは早急に行わなければ。
士気の上がった衛兵隊と冒険者達は、ありがたいことにこの日のうちに残る問題を全て惨殺してくれた。
思えば、この街に来たのはロックイーターを駆除するためであったというのに、驚くほどあっけない結末ではあった。
まあ、厄介な問題に巻き込まれるぐらいであれば、驚くほどに問題が解決してくれたほうがありがたい。
そういうわけで、この戦闘から二日後には、俺は前線へ友軍を連れて戻れることとなった。
2015年4月11日
感想にてご指摘を頂いた箇所を修正しました。
ご指摘を頂きありがとうございます。




