第二十話
2015/02/17 誤記を修正しました。ご指摘を頂いた皆様ありがとうございます。
74日目 深夜 ジラコスタ連合王国 コルナ村 大天幕
「とりあえず全員座れ」
兵士たちの目がない以上、小隊長たちを虐めても仕方がない。
エルドナ兵士隊長を前にして俺が指示をだすというのもどうかと思うのだが、彼は任せるといったきり愉快そうな顔でこちらを見ているだけだ。
「良い考えはあるか?」
領主様から恐ろしい言葉が聞こえる。
ありませんといえば面目丸つぶれ。
ありますといえば何か言わされる。
人類の勝利のため、俺の幸せな老後のため、最低でも軍制改革ぐらいはさせてもらいたい。
そう考えている以上、まだ表舞台からは退場したくはない。
ここは一つ、意見具申を試みてみよう。
「お役に立つかどうかはわかりかねますが、案が一つ」
一同の表情が明るくなる。
ズルをしたにせよ、俺には各国のナンタラ騎士団やらナントカ戦士団が潰走する中、敵に打撃を加えつつも兵士たちを生きて連れ帰ったという実績がある。
今回披露する方法も、別にそれを超えるものではない。
村への籠城、野戦築城、情報収集とまあ、前と大して変わらない手段だ。
物資の方は何とかしなければならないが、いくつか取っておいた方法でなんとかなるだろう。
「残念ながら、アルナミアの街に入ることはできませんでしたが、なんとか井戸のある村へは辿り着くことができました。
引き続き神聖騎士団への交渉は続けるとして、今あるもので何をすべきかを決める必要があります」
そこで言葉を切り、天幕内の一同に視線を向ける。
領主様、エルドナ兵士隊長、小隊長たち、そして曹長。
天幕の外には、たくさんと呼ぶには些か頼りない数の兵士たちがいる。
そしてコルナ村の住民たち、避難民たち。
「本音を言えば、今直ぐにでもあの城門を蹴破って突撃したいところであるが、まあ、そうもいかんからな」
苦笑しつつ、領主様は俺の言葉をフォローする。
領主様は勿論のこと、一兵卒に至るまでの全員が現状に不満を抱いている。
あの街は領主様のものであり、つまり領有兵士隊たちの家だ。
それが不当に奪われ、挙げ句の果てには入ることすら許されない。
不満を覚えないはずもない。
「領主様の仰るとおりです。
さて、まず設定するべきは大目標です。
色々と解決すべき課題は無数にありますが、最終的に何がしたいのかを決めなくては、目の前の問題をどう解決するかも決められません」
何を求めているのかを決めていなければ、何をするべきかもわからない。
当たり前といえばそうなのだが、中長期的な目標設定がなされてない事ほど恐ろしいものはない。
大目標は、手間をかけ、時間を惜しまず、出来る限りの情報を材料にして設定する必要がある。
状況に流されるがままにイベントに遭遇していくという行動は、物語ならば先が見えなくて面白いが、多くの人間の生命と財産に影響する軍事行動としては論外だ。
「言うまでもないが、我が領土の奪還だな」
領主様の言葉に、一同は口々に賛意を示す。
だが、残念なことにそれは大目標ではない。
「もちろんそれは必ず達成されなければならないことですが、最終目標の前に行うべきことです」
一同は不思議そうにこちらに視線を向ける。
この領地としてはその答えでもいいのだが、今は戦争中である。
目の前の政治的な問題だけを解決しておしまいにする訳にはいかない。
「今は魔王軍と人類との戦争が行われています。
この領地から軍を出すのかは置いておいて、我々は最低でも開戦前の土地をすべて取り戻し、そして二度と侵略されないようにする必要があります。
ここまでやって、初めて目標達成です」
原状回復と再発防止。
外因性の問題について設定する到着点としては悪くはないはずだ。
全員が考える目をする。
「私の考える大目標はこれです。
もちろん今日明日で出来ることではありませんが、そもそもが相手のある話です。
時間がかかってしまうことは仕方がないと考えています」
後ろ向きどころか、冒険的すぎる意見。
それでいて妄想とは言えないほど控えめに押さえた設定だ。
当然ではあるが、感情的な批判は発生しない。
「言いたいことはわかった。
それで、お前の言う大目標を達成するために必要なことを決めていけばいいわけだな?」
大目標を実現化するための中目標。
中目標を達成するための小目標の設定。
そしてそれらを行うために必要な行動や作業の洗い出し。
出てきた一つ一つの要素を達成するための計画を立て、実行し、その結果を検証して改善する。
試験勉強だろうが世界大戦であろうが、行動の原則は変わらない。
さすがは領主様だ。
恐らく、物事の本質を正しく捉えるための教育と経験があったのだろう。
義務教育のあとに高等教育を受け、社会の荒波に何年も揉まれたあとに漸く気づけた真理に、会話の最中にあっさり到達されるとは。
話が早くて助かる。
「仰るとおりです。
まあ、辺境伯領の防備を固めるにしても、旧ナルガ王国領に打って出るにしても、まずは寝る場所の確保ですけどね」
目標が大きかろうと小さかろうと、喫緊の課題は優先して解決しなければならない。
現在の我々の戦力は七個歩兵小隊、一個工兵小隊、未だに付き合ってくれるエルフレンジャーが一個分隊。
少なすぎるどころか、補給も策源地も望めない現状では多すぎる数だ。
当然ながら戦力というものはないよりはあったほうがいいのだが、補給の目処が立たない中での大戦力というものは悪夢だ。
「極めて遺憾なことに、我々はアルナミアの街に入ることができません。
そうでありながら、今も間違いなく領主様のものであるはずのこの領地の安全を守る必要があります。
そして、当たり前のことですが、我々は勝っていようと負けていようと兵士たちを食わせてやらねばなりません」
領地を守り、そこに住む領民たちを守り、部下たちも守る。
やるべきことだらけで嫌になってくる。
「上に立つものとしては当然の義務だな。
それはいいとして、寝る場所については既に確保できているではないか」
俺の言葉を領主様が続けられる。
しかしながら、その認識は甘い。
「確かに私達には天幕がありますが、これでは足りません。
別に贅沢な生活がしたいわけではありませんが、私達はここを最低でも砦、できれば市壁付きの街にする必要があります」
俺の言葉に一同は失笑をすることもできずに唖然とした表情を浮かべる。
鄙びた寒村とまではいかないにしても、大した重要性もないこのただの村を、価値があるからこそ築かれる市壁で囲おうというのだ。
資金的な余裕、時間的な猶予、その他様々なものがあったにしても、そんなことをする必要性が存在しない。
今までは。
「大きな話だな。
だが、資金はどうする?私の宝物庫は領主館の中だ。
兵士の数は足りているかもしれないが、食料も残り少ない。
そもそも、どこから工員と資材を調達するのだ?」
ごもっともな質問である。
明日の食事すら気になる現状で、砦の建設など考えるだけ体力の無駄遣いだ。
「とても残念なことに、我々はアルナミアの街に入ることができません。
そして、我々はどんなことをしてでも兵士たちを食わせてやらねばなりません。
さらに、そこまでして維持しなければならない貴重な戦力を惜しまず用いて、アリール辺境伯領の安全を維持しなければなりません」
以前に比べて圧倒的に不利になった状況下で、今までと同じ状況を維持しなければならない。
補給の予定はない、増援のあてもない、国家の後ろ盾すら失われている。
圧倒的に不利な状況で、何とかしなければならない。
兵士たちに献身と忠誠を求めるには、あまりにも不誠実な現実。
「まあ要するに、足りないものがあるのであれば、買ってくればいいわけでして。
私の首を賭けてもいいですが、大河の此方側には手付かずの食料がまだ残されているはずです。
もちろん向こう側へ運び去られようとしているとは思いますが、一度に運べる量には限りがあります。
そして、撤退中の全軍が、まず自分達の兵士や武具を運ばなければなりません」
つまるところ、比較的安全な後方地域においては、まず兵士が優先的に運ばれているはずであり、食料は後回しになっているはずであると言いたいわけだ。
技術的な限界、あるいは設定から橋などかけられてはいない大河を超えるには、数が限られた輸送船、いや、輸送艇しか無い。
まず間違いなく、食料は残されている。
仮に当てが外れても、農民たちは優先順位の中から言えば最下位だ。
残念なことだが、絶対に、残されているだろう。
彼らを指揮下に入れることができれば、あるいは金銭で雇用することができれば。
ゲームならではのアバウトかつ非現実的な短サイクルでの食料生産が見込める。
地中の養分や細胞分裂速度は無視できるので、安全な農地を確保さえすればなんとでもなるだろう。
「言いたいことはわかったが、それをどうする?
もう一度いうが、食料を買おうにも私の宝物庫はアルナミアの街の中だ。
何をするにも金がない。
栄光あるジラコスタ連合王国の辺境伯としての役割を拝命するものとしてあまりにも品がないが、金がないんだ」
大事なことだからといって何度も繰り返さなくてもわかっている。
「なんとでも致します。
私はこれでも領主様に使える身です。
身銭など、領主様のためになるのであれば、喜んで全てを費やせます」
食料の購入にかかる費用など、想定の百倍だとしても些細なものだ。
仮にもゲーム内経済の一端を担っていた身としてすれば、どんなにぼったくられたとしても端金と言っても過言ではない。
「ああ、さすがに金額が金額です。
もちろん貸付という形にさせてもらいますよ」
持ち出しをすると言ったところで領主様はこちらを止めようとしてきた。
賃金の支払すら怪しい現状で、裕福な部下から金を巻き上げたと言われれば、領主様の名声は地に落ちる。
表情を見た限りでは、ここまでついてきてくれた部下から金を巻き上げるということを許せない感情から来ているようだが、どちらでも好ましいことだ。
だが、貸付という言葉に辛うじて自制が効いたようだ。
「私とて辺境伯領の一員です。
それに、前から一度、砦を作ってみたいと思っていたのです。
日頃ならば許されませんが、今は特別な時ですからお目こぼしください」
茶化した言い方に、エルドナ兵士長が苦笑した姿が見える。
別にいいじゃないか、それに、本音も混ざっている。
野戦築城も楽しいが、男に城塞へロマンを感じない者がいるだろうか?
いや、いるはずがない。
もしいたとすれば、それは戦略機動や砲爆撃に魂を売ってしまった者共だけだ。
いやまあ、絨毯爆撃や飽和攻撃に心踊らないわけではないが。
健気にも雑多な20世紀製旧式兵器を持ち出してきた敵の最終防衛ラインを、反撃すら許さずに21世紀式の軍隊が叩き潰した時は心が踊った。
「買い付けるとなると、行商人か。
だが、彼らの持っている荷は常識的に考えて馬車一台分だ。
涙がでるほどありがたい事は間違いないが、それでどうする?」
何か考え違いをされているらしい。
売り先が消滅した行商人から買い叩くと想像されたのだろう。
それはそれでありな話ではある。
だが、もし運良く行商人が無傷の積み荷を満載して来たとしても、個人事業主一人分の輸送量などたかが知れている。
それに、彼らは石材などは運搬していない。
俺が考えていたのは、それよりも規模が大きい話だ。
豪商との取引である。
それを今ここで言っても妄想と笑われておしまいだ。
やはり末席とはいえ士官である以上、弁舌ではなく行動と結果をもって自分を表現するべきだろう。
「確かに行商人を見かければ麦一粒残さず買い取る予定ですが、取引相手はできるだけ大きな商家を考えています。
伝手はあるので、必要なのはご許可だけです」
若干名を連れて後方へ移動し、それなりの規模の商家と契約を結ぶ。
領主様のお名前と、相手の目の前に積み上げる金貨を武器に継続的な取引を契約し、そうして手に入れた安定と資材を用いて拠点を築く。
今までは自由な行動が許されなかったから行わなかっただけで、目の前に領主様がいるのだから、許可を貰えばいい。
「まあ要するに、私達は引くに引けない状況なのですから、引かないで済むようにしなければなりません。
連合王国からの支援はありませんし、諸国軍も同様でしょう」
最低でも領内。
それがキーワードだ。
失地回復とは要するに再侵攻であり、踏みとどまっていたほうが楽に今後を展開できる。
困ったことにここは普通の村落であり、軍が防御拠点とするには余りにも多くのものが不足していた。
井戸があるのは良い。
街道が通じているのも好材料だ。
周囲に友軍が展開しているという事も素晴らしい。(神聖騎士団を友軍と言って良いのであれば、だが)
しかしながら、城壁がない、空堀もない、物見櫓も当然無い。
兵士たちは天幕で寝泊まりし、領主様すら村長の家に居候している。
野営中とすれば上等だが、間違えてもここを基地と呼ぶことはできない。
そして物資がない、補給がない、増援の予定もなければ、周辺情報もない。
ないない尽くしで思わず歪んだ笑みを浮かべてしまいたくなる。
「確かに、辺境伯を名乗る以上、自分の食い扶持ぐらいは何とかしなければならんな。
それで、伝手というのは確かなのか?
筆頭鍛冶のことを疑っているわけではないが、なにしろ今までの状況が悪すぎたからな」
領主様の心配は当然だろう。
そもそも、本隊は補給の失敗でガタガタになってしまったのだ。
規模で言えば大変に少ないとはいえ、根拠も無しになんとかなると言われて、それは良かったと無責任に喜べるはずがない。
ダメだった場合、失われるのは信頼でも誇りでも権威でもなく、人命なのだ。
「ご安心ください。
ヴィト大河沿岸で最も栄えているヴィトニアの街には何度も足を運んだことがあります。
主だった商家ならば目を瞑って歩いてもたどり着けます。
交渉に入るところまでは、まず間違いなくできます」
今も昔も、軍隊の補給についてはアウトソーシングが有効だ。
最前線へは軍の輸送部隊が用いられるが、後方までは民間業者に仕事をさせるというやり方は、驚くほど斬新というほどではない。
「まずは私の作った武具を代金として食料を買い取ります。
金貨もいいですが、そういった物も喜ばれるでしょうからね。
買い取るといえば馬車や人員も同様です。
負けておいて信じてくださいとは噴飯物ですが、いかがでしょうか?」
商売クエストでお世話になった商家の名前は未だに覚えている。
覚えているというか、それほど数がない。
そのいずれもが、この大陸の東半分を牛耳る巨大企業の本店だというのだからありがたい話である。
「ヴィトニアとなれば、ネイ家とブルア家、イフリ家あたりか。
行ってみたら品切れだったという結末だけはやめてもらいたいところであるが、行く前から心配していても仕方がないな」
何やらブツブツと呟きつつ、領主様はこちらを向く。
「筆頭鍛冶、全て任せる。
必要な物があれば全て持って行ってよい」
全面バックアップを頂けるらしい。
ありがたい話である。
「お任せください。
微力ながら全力を尽くします」
取り敢えずはありったけの馬車と道中で必要な糧秣、曹長に選ばせた信頼出来る精鋭と領主様の公認の証になる何かだな。
武装は必要最低限でいいだろう。
工兵たちに、面積を多めに見積もって縄張りをするように伝えておかねばならんな。
戻るまでの物資の方は何とかしなければならないが、これはいくつかの対策を考えてあるのでなんとかなるだろう。
75日目 昼間 ジラコスタ連合王国 ヴィトニア街道
「しっかし、ヴィトニアに行って何をするんかね」
背後を歩く兵士の話し声が聞こえてくる。
危険性が考えられないため、彼らには詳細な説明を行っていない。
それ故の発言だろう。
「商業都市ヴィトニアに行くんだぞ、買い物に決まっているだろう」
周りの連中にも伝えるつもりで口を開こうと思った時、曹長の声が聞こえてきた。
そういえば、兵士たちを統率する関係で、彼にだけは詳細を伝えていたな。
「買い物、でありますか?」
疑うような声。
まあ、それはそうだろう。
我々は本隊が補給の失敗で潰走する姿を見ている。
見るどころか、自らの身体で味わっている。
現状で最も不足しているものが食料であることは、末端の一兵卒に至るまで理解しているはずだ。
「考えても見ろ。
本隊は今、小さな連絡船にすし詰めになって川向うへ運ばれているはずだ。
騎士様、兵士たち、馬、馬車、剣、槍、弓矢、ひょっとしたら攻城兵器、天幕に整備用の道具。
それらを差し置いて、食料を運ぶと思うか?」
大変にありがたいことに、彼の言葉は力強い響きに満ち溢れており、俺ですら安心感を抱いてしまうほどだった。
彼は全く疑う姿を見せずに兵士たちに説明を続けた。
「それは、まあ、確かにそうですね」
自分よりも上の立場の人間が、自信満々に更に上の方針を説明する。
その人物が兵士たちに信頼されていれば、これは絶大な効果を発揮する。
曹長は俺が下士官に求める全てを遺憾なく発揮してくれているようだ。
「しかもだ、有り難いことに、必要な資金は全て筆頭鍛冶殿がお出しになられるということだ。
あの方は凄いぞ、見てみろ。
俺の剣も兜も、鎧も全部あの方の作品だ。
これだけの物を作れる方が、惜しみなく資金を出すのだ。
ひょっとしたらお前、買ったはいいが持ちきれないかもしれないぞ」
全くもって大した人物だ。
手元に考課表があれば賞賛の言葉で埋め尽くすほかないほどの下士官ぶりを発揮してくれている。
「失礼します、前衛より報告です」
感心して背後の会話に耳を傾けていると、前方から走ってきた伝令が声をかけてきた。
うん、ちゃんと軍隊できているじゃないか。
「どうした?」
いつの間にか隣に来ていた曹長が発言を促す。
はて、彼はたった今まで俺の背後で兵士たち相手に熱弁を振るっていたはずなのだが。
「前衛より報告です。
行商人がこちらに向かっています。
馬車は一台、年若い冒険者が二人護衛についています。
積み荷は小麦で、取引先があるので我々には売れないとのことです」
自分の命令がしっかりと実行されていることを確認できるのは幸福である。
事前に下した命令の通り、しっかりと前衛が警戒を行い、行商人に遭遇した場合の行動計画を実行している。
「よくやってくれた、直ぐに交渉に入ろう。
ああ、曹長」
傍らの曹長に声をかける。
「はい、筆頭鍛冶殿。
食料輸送用の空荷の馬車は既に用意ができております」
常々思っていることであるが、この人物はどこまで出来るのだろうか?
彼の後ろにはいつの間にか動き出した空荷の馬車が二台用意されている。
一台は行商人から買い取った食料を積み込むため、もう一台は、未完了のデイリー輸送クエストで放置していた食料品を積み込むため。
確かに事前に言ってはあったが、こうもスムーズに実行されると気持ちがいい。
「ありがとう。
よし、私と曹長、あとは君で先行しよう。
部隊の足を止める訳にはいかないからな」
信頼できる人間で固めているとはいえ、目撃者は少なければ少ないほどいい。
今回は、偶然にも馬車二台で行商をしていた時勢に疎い行商人から全てを買い取ったという設定だ。
「はい、筆頭鍛冶殿。
直ぐに向かいましょう。全隊このまま前進せよ!」
俺の提案に曹長は頷き、思わず竦み上がるほどの声量で前進の継続を命令した。
ここに来るまで苦楽を共にし、イヤになるほどの実戦と訓練を受けてきた精鋭たちだ、一人も欠けること無く、大した手間もなく、正確な歩調で合流できることだろう。
75日目 昼間 ジラコスタ連合王国 ヴィトニア街道上 待避所
街道には、馬車の待避所がいくつか設けられている。
基本的には野営をするための場所であるが、今回のように街道上での取引を行う場合にも用いられている。
街道の設置理由が軍の移動や伝令の行動を円滑にするもののため、道を塞ぐような事をする場合には待避所の使用が義務付けられている、らしい。
まあ、そのような面倒な理由を持ちださなくとも、小川や泉が近場にある、見晴らしがいい、暇な先人が竈もどきを作ったなど、使わない理由がない場所に設けられている。
「これはこれは、武名の名高いアリール辺境伯に名高いヤマダ筆頭鍛冶様ではありませんか」
開口一番がこれだった。
どうやら、全軍潰走の上に友軍を見捨て、さらに神聖騎士団に好き放題させている現状をなんとか誤魔化そうと流している噂でもあるのだろう。
行き過ぎた過大評価は困るが、人との会話を潤滑にする程度であれば逆に歓迎できる。
「丁寧なご挨拶痛み入る。
アリール辺境伯が筆頭鍛冶、ヤマダだ。
早速で申し訳ないが、積み荷を有るだけ売ってくれないか?」
あまり足元を見られるような交渉は好ましくないのだが、状況が状況だ。
気前よく買い取る事は今後のためにならないとも言えるが、逆に言えば、自己責任かつ自発的に押し売りに来てもらえることも期待できる。
現状は、金に糸目をつけずに、後者に期待すべき時だ。
「あるだけ、とは嬉しいお言葉です。
しかしながら、私ども行商人は、信頼ある売り先あっての商売でございます。
今日の銀貨のために、明日の金貨を捨てる者はいないとも申します」
随分と誠実な人間のようだ。
しかし、状況が悪かったな。
「売り先はコルナ村か?それともアルナミアの街かな?
前者ならば今売るか後で売るかの違いだが、後者となると難しいぞ」
恐らくだが、アルナミアの街に行っても買ってもらえるとは思われる。
だが、相手は辺境伯相手に高圧的に出れる神聖騎士団だ。
「アルナミアの街に、何かあったのでしょうか?」
質問はしてくるが、その表情に不安は感じられない。
恐らくだが、売り先はコルナ村なのだろう。
「アルナミアの街は、現在のところ神聖騎士団が統治している。
彼らにはアリール辺境伯様を上回る権限が持たされていて、笑える話であるが、我々は市壁内に入場することすらできないでいる。
行商人殿がもし行かれるのであれば、十分に留意するべきだろう」
そなたの信仰心を見せてもらうなどと勝手なことを並べて安く買い叩くのは目に見えている。
行かないとしても、このような情報はしっかりと伝えておかねばならんだろう。
領内を行き来する行商人たちに注意喚起を促すことも、我々の責務であるから仕方がない。
いくらなんでも自前の補給手段ぐらいは持っているだろうし、せめて流れの行商人程度はこちらで独占させてもらわなければ困る。
「それはそれは、神聖騎士団の皆様の武名は私のような行商人たちの間にも鳴り響いております。
知り合いに会った時には、現在のご活躍をしっかりと伝えておきましょう。
ですが、今回の訪問先はコルナ村でございます。
村の皆様にはとても良くして頂いておりますので、きっと今回も良き取引ができると確信しております」
こちらの言い分だけを聞く気はないということか。
有能なのは構わないが、こういう時には困るな。
「確かに、現場・現物・現実の三現主義は商売の基本だな。
何人か護衛を付けよう、心配せずとも、騎乗しているし、身元は確かだ」
この行商人にはしっかりとコルナ村の現状を見てもらわなければならない。
(今後を考えれば全く不足しているが現状は)十分な兵力、(取り敢えずやらせているだけだが)建設準備中の拠点、そして、変わらずに生活を営んでいる村人たち。
それらを目にして、目の前の男は商売のチャンスを発見できるはずだ。
「三現主義、ですか。
私どものような行商人にとっての真理ですね」
それはまあ、2014年の日本でも基本とされる言葉ではある。
良い言葉であることは間違いないとして、どうやら行商人の心は随分とこちらに向いてくれたようだ。
「そういうことであれば、護衛まで付けていただいたのですし、直ぐにコルナ村へ向かいます」
良い商人は行動が早い。
護衛付きで、比較的安全な街道で、仄めかす程度であるがビジネスチャンス。
これでゆっくりと休憩をされたのではこちらが困る。
「我々はヴィトニアに向かう。
護衛たちには言い含めておくので、もしコルナ村の後にヴィトニアへ向かうのであれば、往路だけではなく復路も護衛させよう」
彼が情報発信源となって行商人たちに特需の存在を伝えてくれれば手間が省ける。
こちらで手配した輸送部隊の損害はこちらで補填しなければならないが、勝手にやって来る行商人の損害は自己責任だ。
度を超えた損害は憂慮しなければならないが、街道の防衛はどちらにせよ行わなければならないわけで、そこまでの損害は出ないはずである。
つまり、三人の騎乗兵の一時的な離脱は、将来的には大きな利益を生む。
「それはありがたいお話です。
元々の予定でも、コルナ村で小麦を売った後はヴィトニアへ戻る予定でした。
せっかくのお話ですし、護衛の皆様に期待させていただきます」
行商人は笑顔でそう答え、会話は終わった。
簡単な挨拶の後に、護衛を連れた行商人は三騎の騎乗兵を連れて街道を移動していった。
「さて、日が落ちるまでにヴィトニアに着くだろう。
小休止を取った後は一気に移動するぞ」
視界の端に入りだした部下たちを見つつ、俺は曹長に命じた。
食料を買い取れなかったのは残念だが、まあ、幸運な行商人に出会えたことにして買い取ったことにすればいいだろう。
途中で信頼の置ける兵士たちに例の荷物袋から取り出した大量の交易用食料品を積み込ませ、二両の馬車で送り返したりもした。
行商人の護衛に、馬車の護衛に、ヴィトニア最寄りの待機所の警備隊。
随分と数が減ったが、俺達はようやく他の人類がいる場所に到達できた。