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第十九話


72日目 早朝 ジラコスタ連合王国 アルナミア街道 母の丘陣地


「どうしたものかな、何も思いつかん」


 気休め程度の増員がなされた陣地を眺めつつ、俺は内心が思わず口に出ている事に驚いた。

 確かに独り言は少なくない方ではあったが、このような後ろ向きな言葉を、誰に聞かれてもおかしくない場所で口に出す方ではなかったはずだ。

 ようやく登った太陽に照らしだされた陣地は、早くも活気に溢れだそうとしている。

 夜勤明けの兵士たちが眠そうな表情を隠そうともせずに天幕へと向かっていき、交代要員たちが表情を引き締めつつ持ち場へと向かう。

 仮説食堂からは炊事の煙が立ち上り、遺棄物資を回収に出る部隊が声援を浴びつつ出撃していく。


「こんな所にいたのか、探したぞ」


 ドルフ兵士長の声が聞こえる。

 どうやら俺を探していたらしい。


「現実とどのように向きあえばいいのかわからなくなってな。

 せめて景色だけでも良いものを見たいと思ったわけだ」


 昨晩の会議は、驚くべき内容で満ち溢れていた。

 軍主力の撤退、辺境伯騎士団の接収、神聖騎士団による行政権の収奪、辺境伯軍兵士隊に対するアルナミア死守命令。

 つまり、我々も含めた辺境伯領全体の切り捨てが決定されたというのだ。


「気持ちはわかる。

 正直なところ、泣き喚きつつベットに潜り込みたい気分だよ」


 せめて防衛戦に勝っていれば話も変わっていたのだろうが、初戦で敗退し、補給の失敗から全軍潰走。

 アルナミアの街で立て直しを図ろうとしていたそうだが、各国の補給部隊はまだ渡河の最中でここまで来ていない。

 そういったわけで、指揮官たちは心が折れてしまったのだろう。

 短期決戦から長期戦への方針転換が速やかに決定され、多国間連携の問題点、軍組織の構造的欠陥といった運営上の課題が共通認識として挙げられたのだそうだ。

 それ自体は実に喜ばしいことなのだが、長期戦体制への移行期間において、使い捨てると決定された戦力の中に我々が含まれているのがよろしくない。


「同感だよ。

 何はともあれ、ひとまずはアルナミアの街への撤退だろうな」


 現在のアルナミアの街は、暫定的に指揮権を神聖騎士団に接収されていた。

 あの街にはそれなりの規模の神殿があり、神聖騎士団はそれを防衛する義務があり、我が国が軍を引くというのであればそれを引き継ぐ。

 そこまではわかった。

 神殿を、そしてそれがある都市を防衛するという任務の都合上、指揮系統は統一したいという主張も、大いに頷けるものだ。

 だが、だから連合王国軍が再度進出するまでの期間、アルナミアの街の行政権を辺境伯領から神殿へ委譲しなければならないとなると首を傾げてしまう。

 神様とやらがどれだけ偉いのかは知らないが、行政権とは簡単に任せたり引き受けたりするものではないはずだ。

 神聖騎士団の人間に形だけの指揮権を与え、実際の運用は辺境伯に一任するというのが筋だろう。

 経緯を三回も説明してもらったのだが未だに理解ができない。

 だが、とにかく現実にそうなっているらしく、我々は自力でそこまで撤退して指揮下に入るか、もしくはここで孤立無援の防衛戦を続けるかの自由があるそうだ。

 心躍る二者択一であるが、できれば温かいベットの中で悲壮感に浸りたい。

 そういった次第で、撤退自体は俺の中では決定事項であった。

 

「領主様はお休みになられたのか?」

 

 それにしても、ここまでの全軍潰走というのはどうなのだろうか。

 持ちこたえてくれと思うことは贅沢ではないだろうし、そうではないとしても、もう少しなんというか頑張ってほしかった。

 魔王軍が攻め寄せており、どうせ逃げてもいつかは戦わなければならない以上、今のうちから出来る限りの献身をするということに異論はない。

 俺が何時まで経っても最前線で剣を振るい続けなければならない点は不満ではあるが、まあ、それは今だけだ。

 今の部下たち、そして辺境伯軍、ゆくゆくは連合王国軍、そこを通じて各国軍。

 戦略、作戦、戦術の概念と、それを支える軍隊という制度の改革。

 作戦を立てる者、戦闘を指揮する者、戦闘を行う者の分担がきちんと出来るようになれば、総数で優っているはずの人類は負けない。

 モンスターは相当な強さを誇る個体も多いが、レベルシステムやスキルシステムの恩恵を受ければ人間だってそれに相当する個体は生み出せる。

 以前の鍛冶講習のお陰で、元NPCである普通の人間であっても能力を上げることができるのは確認できている。

 あとは、仕組みを作るだけだ。


「ここへ来られるまでのお話は驚いたが、ひとまずは天幕でお休みになられた。

 かなりお疲れのご様子だったし、起こせと言われた昼食までは起きないと考えたほうがいいだろうな」


 僅かな手勢だけを連れての逃避行。

 我が領主様は籠の中の鳥とまではいかないが、それでも上流階級の人間だ。

 徒歩での長距離行軍は堪えるだろう。

 怯える兵士たちを叱咤激励しつつ、負傷した落伍兵に肩を貸し、襲いかかるモンスターたちを切り捨て、小休止だけを取りつつの強行軍。

 なにか違う気もするが、とにかく疲れて当然という点に間違いはない。


「正直なところ、どうしたら良いと思う?

 俺は兵士長なんていうご大層な身分を頂いているが、所詮は兵隊だ。

 貴族様方や正規の騎士階級のようには物事は考えられん」


 責任逃れではなく、正直な見解なのだろう。

 指揮官のようなことをやってはいるが、兵士長という階級はいわゆる下士官に相当する。

 与えられた方針の中での最善は知っていても、方針自体を考えるという教育は受けていない。


「随分と楽しい状況じゃないか。

 取り敢えず今日中に今後の方針を決めなければならないというのが素晴らしい。

 ドルフ兵士長、貴方ならどうする?」


 質問に質問で返す俺の言葉に、ドルフは笑い声のようなものを漏らす。


「どうもこうも、お前の言っていた嫌がらせ案でいいんじゃないか?

 領主様もとてもお気に召していた様子だったぞ」


 その笑い声に腹が立つが、極めて残念なことに俺に腹を立てる権利はない。

 これだけの人間がいる陣地において、驚くべきことに准騎士階級という序列で言えば第二位に相当する俺は、余計なことを言ってしまったのだ。


「全員で街に帰還し、あとは全てを監督したいらしい神聖騎士団相手に毎日無責任な要望を出し続ける。

 武器が足りない、兵士が足りない、軍資金がない、市民が飢えている、子供が怯えている、モンスターが強すぎる。

 早く何とかしてくれ、全部解決してくれ。

 支援を、増援を、給料を、監督を、あともちろん行政府としての仕事も。

 毎日毎日毎日毎日それを繰り返せば、どんな聖人でも嫌気が差して街から逃げ出すはずだ。

 もちろん、解決してくれるのであれば、優れた指導者の元、連合王国軍が戻ってくるまで大人しくしていればいい」


 開き直った子供の癇癪か捻くれた大人の嫌味でしかないその提案は、残念なことに領主様の心の琴線に触れてしまったようだ。

 曲がりなりにも正当性があるらしい権限に基づいて権力を握ったのだから、その義務を思う存分果たしてもらえばいい。

 我々は神の下僕にしか過ぎないのだ、偉大なる神により近い存在である神聖騎士団の皆々様に、面倒事は全部解決してもらおう。

 全知全能の神に使える高貴なる方々なのだ、このような些事などたちどころに解決してしまうに違いない。


「もしその程度のことは自分でやれと言われたら、今度は伍長まで総動員して連日連夜どんな些細な事でも裁可を貰えるまで会議を要求し続け、全てにおいて責任を持たされないようにする。

 会議のための会議を開くための会議の事前会議だったか、領主様には申し訳ないが、お前の上司にだけはなりたくはないな」


 全く失礼な話だ。

 懐かしの順法闘争にヒントを得たサボタージュ寸前の交渉を提案しただけではないか。

 

「やめてくれ。

 もう今後は絶対に軍議で口を開くものか。

 曹長?」


 呼びかければ、即座に背後に気配が生まれる。


「はい筆頭鍛冶殿。 

 撤退の準備でしたら既に進められつつあります」


 優れた下士官は決して士官の期待を裏切らない。

 そういうわけなんだな。


「荷車や馬車の回収は既に始めさせています。

 しかしながら筆頭鍛冶殿、本当に兵士たちのいくらかは荷運びに回すのですか?」


 まあ、気持ちはわかる。

 時間のない中で俺の考えた撤退計画はこうだ。

 兵士たちの何割かを輸送部隊に転用する。

 手元にある荷車や馬車はもちろんのこと、退路に点在する放棄された荷車なども徴用し、遺棄物資をかき集めつつ退却する。

 兵士たちの何割かは武器を荷車に乗せ、僅かでも疲労を抑えつつ歩かせることもできるだろう。


「荷物が沢山あるとわかっていて、それを置いていくのは勿体無い。

 魔王軍の本隊とぶつかれば、いくらあっても足りなくなるだろうからな。

 後で後悔するより、今苦労しておいたほうがマシなはずだ」


 俺の言葉に、曹長は傍目でもわかるほどに納得の表情を浮かべた。

 盲信はせず、しかし理解は早いというのも優れた下士官の資質の一つだな。



72日目 夕刻 ジラコスタ連合王国 アルナミア街道 旅人の休息地


「天幕の展開急げよ。

 領主様だけお休みいただければいいとは思うが、できれば体調がすぐれない奴らもゆっくりさせてやりたい」


 さすがに撤退戦というだけあり、心身ともに打ちのめされ、体調を崩してしまう兵士も出てくる。

 出来る限りその重圧を軽くできるようにと気を回してきたつもりではあるが、軽減はできたとしても事実が変わったわけではない。

 とはいえ、潰走を転進へと変えることだけには成功できている。

 これ以上の状況の悪化を食い止めることが出来れば、少なくともある程度の戦闘力を維持できるはずだ。


「篝火を絶やすな!手すきのものは薪集めに参加しろ!」


 小隊長たちが声を張り上げている。

 腰を下ろしていた兵士たちの中から、何人かが立ち上がっていく。

 少なくとも、まだ士気を保てているようだ。

 

「まだまだやれるようですね」


 いつの間にか傍らに立っていた曹長が感想を述べる。

 兵士たちの大多数は士気を保てており、我々は未だに軍隊としての行動が可能だ。

 彼の言うとおり、俺達はまだまだやれる。


「周辺警戒に怠りはないように頼む。

 必要ならば俺も立つ」

 

 旅人の休息地と呼ばれるこの広場は、街道のアルナミア寄りに存在している。

 母の丘を引き払うときには敵軍の影も形もなかったが、今も追撃してきていないとは思えない。

 あと少しで安全な城壁が見えるというところで気をゆるめ、奇襲を受けてたのでは笑い話にもならない。


「少し外してくる、暫くの間はドルフ兵士長とお前に任せる」


 了解いたしましたと頭を下げる曹長に手を振りつつ、俺は資材置き場へと足を進める。

 そこでは、僅かばかりの鍛冶屋と、鍛冶経験者、一握りの志願者たちが賑やかに作業を行なっている。


「筆頭鍛冶殿!」


 槍を持った護衛の兵士が姿勢を正す。

 中隊長的な存在である俺に対する態度としては正しいが、正直なところ別にそこまで畏まってくれなくてもいいのだが。


「頼もしいな、交代までは気を緩めないように」


 笑顔を浮かべて兵士の肩を叩きつつ、鍛冶屋たちの方へと足を進める。

 剣を研ぐもの、防具を叩いて直しているもの、切り倒した木々から様々な木材を切り出しているもの。

 木槌で馬車の車輪を叩いている工兵部隊の姿もある。


「やっているな、俺も仲間に入れてくれ」


 いつぞやの訓練で指導した覚えのある連中が、表情を変えて立ち上がろうとする。

 それを笑顔で抑えつつ、置いてあった金槌を手に取る。


「具足とか、大剣とか、面倒なものは任せてくれ。

 こう見えて、俺も自分の店を出していた人間だ。それなりには仕事が出来るぞ」


 商人手伝いの経験を持つがゆえにこの場の手伝いを命じられた兵士たちが、整備の必要な装備品を持ち寄ってきてくれる。

 最初に手にとったそれは、随分と使い込まれた鉄の兜であった。

 縁は錆びており、何かとぶつかったのか凹んでいる箇所もある。


「これはまた、歴戦の兵士といった感じだな」


 兜をひっくり返し、内側にあて布をしつつ金槌を軽く叩きつける。

 ゲームのように数回叩けばエフェクトが発生して成功判定となってくれるとありがたいのだが、そう都合よくはいかない。

 慎重に、ゆっくりと、元の形になるように金槌を振るう。

 スキルだけでなんとかなっていた世界を無理やり現実にした代償なのか、鍛冶に関しては最大限の効率で作業が行えるという形で俺の能力は発揮される。

 簡単にいえば、試行錯誤しつつ何度も繰り返して実行できる事が、最適な角度、最適な力、最小限の労力で実現できるというわけだ。

 面倒といえば面倒だが、逆に人に教えるときに不自然ではなく達人技として伝えることができるので助かる。


「筆頭鍛冶殿、よろしければこちらを見ていただけないでしょうか?」


 かけられた声に視線を向けると、一見しただけでわかるほどに刃こぼれを起こしている片手剣が見える。

 これはもう、限界に近いな。

 ステータスを見ると、破損寸前の上に武器自体の耐久限界を越えようとしている。

 まあ、そんな便利なものを持ち出すまでもなく、金属疲労が目に見えるレベルにまで達している。

 ここには設備がないが、とにかくこれを何とかしようというのならば一度溶かして再利用するぐらいしか使い道がない。


「そいつは無理だな。あと何回か切り結んだら根本から折れるぞ。

 時間が勿体無いので別の剣を研いだほうがいい」


 整備する必要のある武具は無数にある。

 今だこの場所に持ち込まれていないものは無数にあるのに、今置かれているものも決して少なくはない。

 鍛冶屋の数には限りがあるし、明日の朝まで休めるとしても、明日は明日で楽しい敗走だ。

 今晩だけでもと無理をするわけにもいかない。


「持ち主にはこれを渡して、別の剣に取り掛かってくれ」


 おなじみの荷物袋から剣を取り出して渡す。

 特別ではない、単なる鉄の剣+2だ。

 使い慣れている剣の代替品としては問題は起こらないはずだ。


「よーし、取り敢えず防具の方から優先して整備するぞ。

 敵を倒せなくても、こちらの兵士が生き残ればなんとでもなる」


 俺の号令に、作業を行なっていた面々はそれぞれの言葉で答えつつ金槌を振り下ろし続ける。

 装備の優劣やコンディションは、生存率に直結する。

 それは現実の世界でも厳然たる事実であり、そしてステータスという絶対的な物が支配するこの世界でも真理であった。


「筆頭鍛冶殿、遅くなってしまい申し訳ありません」


 隣にオーロスが腰を下ろす。

 懐かしの主力陣地にて行われた研修において、主任のような立場を任せていた人物だ。

 合流できた敗残兵の一団の中にいた彼には、引き続き鍛冶経験者を含む技能者集団の取りまとめを担当させていた。

 行軍中であっても問題は無数に発生する上、少しでも休憩があれば彼らは出来る限りの整備作業を行わなければならない。

 そのため、同行しつつも会話をする機会がほとんど存在していなかった。

 そして今、彼は消耗品のチェックや糧食の残数を任され、額に汗しながら輸送班や糧食班との打ち合わせを終えて戻ってきたのだ。


「全部任せてしまっていたからな、気にしないでくれ。

 それで、何か足りないものはあるか?」


 武具の整備には、割にあわないとまではいかないまでも、驚くべきほどに様々な資材を使用する。

 それが個人レベルであればまだしも、中隊や大隊レベルともなれば相当なものだ。


「やはり、一番不足するのは油ですね。

 当初はこれほどの量を何に使うのかと思うほど持っていたはずですが、今では厳重な警備で管理しなければならないほどに不足しています。

 それ以外にも不足しているものはありますが、何といっても一番は設備です。

 まあ、これは言っても仕方のない事ですが」


 この場所は、本来は隊商や冒険者達が休息をとるための広場である。

 鍛冶屋としての設備など、設けられているはずもない。


「油は、本当に危なくなったら言ってくれ、何とかしよう。

 それと、設備以外で不足しているものが他にあったら言ってくれ」


 アルナミアの街までは強行軍を行ったとしてあと二日。

 途中の村で補給を兼ねた宿営を行ったとしても三日で到着できるはずだ。

 通常であれば時間稼ぎ程度のことであっても、今はこれで十分だろう。




74日目 昼 ジラコスタ連合王国 アルナミアの街 城門前


「開門できないとはどういうことだ!」


 ここだけの話だが、領主様の声はとても綺麗だ。

 喉ではなく腹から出しているらしく声量に不足はなく、人格に影響されているのか気品すら感じる。


「私を誰だと思っているのか!

 そもそも、お前たちは神殿の所属であろう!我が兵士たちをどこへやった!」


 領主様についての話はいいとして、自分たちの街に入れないというのは想定外だった。

 色々あったにしろ、ここは辺境伯領だ。

 この街の行政権が神聖騎士団に一時的に渡っていたとしても、街に入れないということはありえない。

 しかしながら、現在の我々は領主様にお任せして閉じられた城門前で待機を続けていた。

 どう考えても長引きそうな気配から、兵士たちは整列ではなく大休止を行なっている。

 

「ええい、お前のような騎士ごときが何故私の相手を出来るというのだ!

 司祭様を出せ!何ぃ!司祭様が無理でもせめて副司祭様か騎士長が説明するべきだろう!

 貴様、私を誰だと思っているのだ!」


 領主様のお怒りはごもっともだ。

 というよりも、あの城門の上で偉そうにふんぞり返っている神聖騎士は自分の立場をわかっているのか?

 奴の前にいるのは辺境伯様だぞ。

 単なる騎士風情が偉そうに話を出来る相手ではないんだ。

 いや、まあ、今はそれが許されるような異常事態なんだろうがな。


「恐れながら、領主様」


 声をかけた俺に、領主様は一時的に怒りを抑えてくれたらしい。

 顔はまだ赤いが、声を抑えてこちらに目線を向けてくれる。


「彼らはどうしても我々を入れられない様子です。

 全く許されたことではありませんが、しかし今はここで押し問答をしている時間もありません。

 顔は覚えておくとして、いかがでしょうか、一時的に近場の村に拠点を構えるというのは?」


 今の我々には一個中隊の戦力がある。

 極端に言えば、この部隊が収容できる設備さえあればいいのだ。

 だが、そんなものは目の前の街以外には余程の後方までは存在しない。

 そして、後退することは許されていない。

 全く困った状況ではあるが、最初から辺境伯を全面に押し出しても開門すらしないというのだから、これ以上は時間の無駄だ。


「幸いにもまだ日が昇っています。

 今のうちに付近の村まで移動して、そこで状況を整理しましょう。

 それに兵たちも休ませてやらなければ、明日以降が怖いです」


 現在は大休止中であるが、これはあくまでも休憩でしか無い。

 数日単位ならばまだしも、数日、数週間、最悪の場合数ヶ月となれば、街に入る前の何もない場所に留まり続けることなどできない。

 まあ、単なる小さな村に一個中隊で押しかけたところで兵站の問題が解決できるわけではないのだが、やりようはある。

 大切なのは見せ方だが、まあ、準備は既に整えてあるのだし、やってみるか。


「領主様、我々は余力があるうちに行動するべきです。

 城門の中に入ってしまえば全ての問題が解決するわけでもありません。

 それに領有兵士隊の姿が見えないというのも気になります」


 外壁の見回りなどという仕事を兵士たちに任せずに騎士が行なっているというのは不可解だ。

 命令不服従ということはないだろうが、何か兵士たちを自由に使えないような事態が発生しているのかもしれない。

 さすがに兵士や領民たちを口減らしで皆殺しにしたとは思いたくないが、門前だというのに我々以外の人影がないことが不安を煽る。

 普段はあったはずの露天が影も形もないという事がさらに嫌な気分にさせてくれる。

 何にせよ、事前の情報収集もせずにあの城門の中には行きたくない。


「わかった、全く納得がいかないが、我が領地の城門を私の手で破るわけにもいかん。

 一番近い村というと、コルナ村だったか。

 だが行った所で何が、いや、少なくとも我々には屋根が必要だな」


 何かを言いかけていた領主様は、俺の頭上を見つつその内容を変えた。

 その目線をたどると、一目見ただけで憂鬱になりそうな黒雲が広がりつつあった。



74日目 夜 ジラコスタ連合王国 コルナ村


 暗い街道。

 話し声もなく静かに歩き続ける兵士たち。

 月明かりを覆い隠す黒雲と、体力を奪う雨。

 今の情景にタイトルを付けるとすれば、まさしく敗走という言葉が相応しい。

 

「筆頭鍛冶殿、見えて来ましたね」


 既に数人の出迎えの兵士たちに篝火と松明の手配を命じつつ曹長が声をかけてくる。

 優秀な人材が手元にいると助かるな。


「そうだな、ちょって行ってくる。

 何人かつけてくれ」


 俺の言葉に曹長は頷き、それを合図に数人の兵士たちが松明を手に背後へと回る。


「領主様!領主様!お待ちしておりました!」


 拙い演技力全開で俺は声を張り上げる。

 演目はそうだな、帰還、あるいは到着、だろうか。


「食料、天幕、全て準備が整っております!

 さあ、お急ぎください!」


 全速力で本隊に先行した我々は、出来る限りの準備を整えていた。

 荷車に乗せられるだけの天幕を満載し、まだ体力を維持できている兵士たちを優先して借りだしたのだから、これで準備を整えられなければ打首ものだが。


「ご苦労!」


 恐れ多いことに、領主様は御自らがこの茶番に付き合ってくださるようだ。

 

「人数分の食料、人数分の天幕、しっかりと準備いたしました。

 どうぞご安心ください!」


 こんな茶番一つで兵士たちの心が少しでも落ち着くのであれば安いものだ。

 本音を言えば、そもそもこんな事をしなければならない状況になっている事自体に問題があるのだが。


「ご苦労、本当にご苦労だった」


 俺が声をはりあげている間に接近してきた領主様は、声量を下げて再び労を労ってくださった。


「ありがとうございます。

 部下たちが優秀だったおかげで楽ができました」


 謙遜に聞こえるかもしれないが、本心である。

 本隊に先行して受け入れ準備を整えさせるメンバーの選別を曹長に任せたことは正解だった。

 彼は体力を残しており、そして様々な面倒事に対処できるであろう古兵を中心に、本隊の能力を削り過ぎない絶妙な数量を付けてくれた。

 そうして村へとかけ出した我々は、懐かしのエルドナ兵士隊長率いる領有兵士隊と再開した。

 彼らはアルナミアの備蓄食料が少ないことを理由に追い出されており、待機場所として指定されたこの村を守っていたらしい。

 国境で俺がやっていたことを真似て、村に近い草木を伐採して視界を確保しつつ、気休めレベルの柵を立てて、真似事の小隊を組織して。

 おかげで合流から先の計画立案はスムーズに進んだ。

 我々が持ち込んだ天幕を手早く展開しつつ、全員の所持金をかき集めて行商人から買い上げた食料を調理する。

 大規模ではないが複数ある各家庭の台所を借りて、ついでに避難民たちにも温かい食料を配布。

 エルドナと彼の部下たちには申し訳ないが、一晩の夜警を依頼し、敗走組は全員翌朝まで宿営。

 領主様と特に消耗が激しい者は宿屋や村長の家に収容する。


「私はいつでも我が領の兵士たちを信頼していたが、どうやらそれでも不十分な評価しかできていなかったようだな」


 領主様の顔に笑顔が戻るのも無理はない。

 これからどうしようかと悩んでいたことが、直近の問題だけとはいえ全て解決してしまったのだ。


「点呼の後に休憩に入る!

 今日の警備はエルドナ兵士隊長自らが率いてくださる。

 各自は調理中の食事を受け取り次第、適当な天幕で休め!」


 ドルフ兵士長の命令に兵士たちの表情も明るくなる。

 取り敢えず今日はゆっくりと休める、温かい食事もあるらしく、おまけに面倒な警備も免除。

 敗走の果てに待っているものとしては、十分以上に素晴らしい。

 まあ、小隊長以上はこれから楽しい軍議が待っているのだが。

 

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