第十八話
70日目 昼 ジラコスタ連合王国 アルナミア街道 遅滞防御部隊の陣地
「そいつはまた、酷い状況じゃないか」
ようやく戻ってきた偵察部隊から状況を聞いた俺は、思わず内心を口に出してしまっていた。
ここからアルナミアの街までの間は、力尽きた馬匹や落伍兵、遺棄された物資で舗装されているそうだ。
状況があまりにも悪すぎることから盗賊まで逃げ出したらしく、武器のたぐいもそのまま落ちているらしい。
彼らはそのような気の滅入る光景を警戒しながら進み、まだ息のある落伍兵の集団に遭遇、見捨てるわけにもいかないので救助して帰還してきた。
つまり、友軍は限りある物資も貴重な落伍者も見捨てて一目散に逃げ出したというわけだ。
知りたくもない現実というやつだな。
「とりあえずご苦労様。
まずは疲れを癒して下さい。
昼食はまだですね?糧食班に言って何か暖かいものでも口にして下さい。
ああ、私からの命令だと伝えれば大丈夫ですよ。解散」
その言葉に報告を終えた偵察隊のメンバーは感謝の言葉を口にし、駆け足で糧食班の陣地へと向かっていった。
食料の備蓄は減る一方だが、困難な任務を終えた兵隊は腹いっぱい食べて休む権利と義務がある。
「曹長」
陣地を眺めつつ、後ろに立っているはずの曹長に話しかける。
今更だが、彼の名前が未だにわからんな。
「はい、次の偵察は準備ができています。
今回は通常の兵士のほか、狩人、エルフ、鍛冶の経験者を含めてあります。
馬車も使ってよろしいですね?」
まったく、彼がいれば俺なんて必要ないんではなかろうか。
兵士による護衛、狩人およびエルフによる詳細な偵察、鍛冶の経験者を入れることによる遺棄物資の目利き。
おまけに役に立ちそうなものを洗いざらい引き上げてくるための馬車の準備まで済ませているとはね。
「ありがたい。
直ぐに出発させてくれ。
わかっていると思うが、馬車が満杯になるか、誰かを拾うまで進めさせてくれ」
脇から中身を取り出せるように斜めに背中に括りつけてある荷物袋に手を突っ込み、干し肉を出す。
他の兵士に見つからないように曹長へとそっと手渡す。
「長丁場になるかもしれん、気分転換に食べるようにと伝えてくれ」
他の連中には秘密だぞという必要はない。
彼ほどの人物であれば、その程度のことは言われるまでもなく認識しているはずだ。
纏まった人数で陣地にこもる我々とは異なり、偵察隊は様々なストレスに晒される。
人類が負けかけているという実感を五感で味わいつつ、何かを探すという危険な任務。
本当であればもっと人数を付け、酒や煙草も持たせてやりたい。
だが、酒もタバコも大量にあるが、こいつらを出すのはまずいのだ。
何しろ、作業補助のためのものばかりなので、例えば『神酒』だの『明晰の紫煙』だのといった、単品でも無数の金銀財宝に匹敵するものしか持っていないのだ。
ゲーム時代に金に物を言わせて在庫は一生分といっていいほどあるが、在庫の問題ではない。
俺は一度だけ『神酒』をアルナミアで見たことがあるが、その時は国王陛下と同席している状態で、豪華な馬車に乗せられていた。
つまり、俺がNPCのショップで毎日のように購入していたアレは、国王の権威を示すための価値を持っていた。
この場にいる全員を連れて帰ると決めた以上、残念ながら表には出せない。
ちなみに、前者は飲むと五分間だけ全スキルに+10の効果、後者は一分間だけ全てのスキル発動を1秒で行うという効果がある。
「早速渡してきましょう。
失礼します」
既に出発寸前まで整えてくれていたらしい。
曹長は一礼すると、陣地の出口へ向けて駆け足で去っていった。
現在、この丘は無数の陣地で全周を覆われている。
槍兵が待機している塹壕、弩兵や魔導兵が詰める掩体壕、本部や医療班、糧食班とそれらを結ぶ連絡壕が張り巡らされ、更に丘の周囲には簡易的な柵を設けた。
どこからどう見ても陣地だ。
これならばドラゴンどころか砲兵の制圧射撃に襲われてもある程度は生き残れるだろう。
累計100人ほどで掘りまくった大型の掩体壕から馬車が引き出され、可搬式の防御柵が避けられていく。
まったく仕事が早くて助かるな。
「ちょっといいか?」
俺には勿体無いほどに素晴らしい部下たちの仕事ぶりを眺めていると、ドルフが話しかけてきた。
表情からして、どうやらあまり愉快な話題ではなさそうだ。
「何でしょう?もしよろしければ見回りでもしながらというのはいかがですか?」
ここは本部というだけあり、他の兵士たちも詰めている。
学があるもの、細かいところに気が回るもの。
そういった連中を選抜して作った本部班は、最初こそ評判が悪かった。
パトロールの免除、常に安全な陣地内にいる事、戦闘でも最後まで出てこない事。
常識的に考えて、これが一般の兵士たちから見ておもしろいはずがない。
だが、内部崩壊の危険性を感じるまでもなく、全ては時間が解決してくれた。
時間を追うごとに暗くなっていく表情、常に疲れている顔、物理的に動きが少ないがゆえに課せられた長すぎる勤務時間。
最初こそ嫉妬の対象になっていた本部勤務は、今では罰ゲームの代名詞になっていた。
まあ、そんな事情はさておき、ドルフは快く連れ立っての散歩を同意してくれた。
70日目 昼 ジラコスタ連合王国 アルナミア街道 遅滞防御部隊の陣地 外縁部
「ご苦労様。異常ありませんね?」
前方からやってくるパトロールに片手を挙げて挨拶する。
こんな真昼間から異常があっては困るのだが、幸いなことに何もなかったらしい。
兵士たちも笑顔を浮かべて異常なしと伝えてきてくれた。
そのまま笑みを浮かべて通過を待つ。
「ご懸念はわかりますよ。
今は何とかなっていますが、いつまでもここに篭っているわけにはいきません。
それに、いつまでも篭れたとしても、まとまった数の敵に攻め寄せられれば全員仲良くあの世行き」
ドルフの言いたい事というのは、要するにいつまでもここにい訳にはいかないという話だった。
そんな事は百も承知なのだが、だからこうしたいという解決策も無しにそんな事を言われても困る。
「そうだろう?
だからこそ、全員に余力が残っているうちに移動するべきだと思うのだ。
あの神聖騎士様は、まあ、あれだ、事故にでもあってもらって、撤退しないか?」
今直ぐ実行したくなるほどに素敵な提案だが、それならば命令を受ける前にやるべきだった。
これだけの人数がいれば、必ず一人は秘密を漏らしてしまうだろう。
それはマズイ。
第一、味方がどうなったのかもわからない状況では、下がるにしてもどこまで下がればいいのかがわからない。
目的地のない逃避行をすればどうなるかは、ここに来るまでにさんざん目にしている。
「それは素敵な提案ですが、最終的にそれを選ぶとしても、まずは情報です。
敵はどこまで来ているのか、この周囲には他の部隊はいないのか、アルナミアの街はどうなってしまったのか、友軍主力はどこまで下がったのか。
具体的に与えられた唯一の命令が過大解釈してこのあたりの守備である以上、それが全部わかってから初めて私たちは何が出来るかを考えることができます。
安心して寝ることの出来る陣地があり、腹いっぱい食べることの出来る今のうちに情報を集めなければ、下がったところで待っているのは全滅ですよ」
別のパトロールが現れる。
うん、装備よし、態度よし、士気も目に見えては下がっていない。
「ご苦労様、何か異常はありましたか?」
しつこいようだが、異常などあっては困る。
とはいえ、パトロールをしている部下に会った場合に尋ねる言葉など、それほどバリエーションがあるわけではない。
「はい、筆頭鍛冶殿。
異常ありません!」
実に元気がよろしい。
よく見れば、何時ぞやに川原の守備を務めていたあの女性兵士じゃないか。
まだ笑顔を浮かべられるほどに精神的な余裕を保てているというのは素晴らしい。
若干自惚れさせてもらえば、それは俺の努力の成果もあるのだろう。
尽きない矢玉はそれだけで兵士たちの心に安心感をもたらす。
自分たちがしっかりとした武器と防具を与えられ、帰る場所があり、食べる食料があれば、もう勇気百万倍だ。
「ああ、そうか」
そこまで考えて、俺は気がついてしまった。
やればいいんだ、情報収集。
ある程度纏まった人数があり、士気も旺盛、安全な陣地もある。
少しばかり前に出て、積極的な情報収集活動に打って出てもバチは当たらないはずだ。
「ドルフ兵士長」
振り向いた彼の顔は、笑みを浮かべていた。
どうやら、何を考えているのかはお見通しだったらしい。
「俺とお前、あとはソウチョウで選んだ連中でちょっと遠出をしようじゃないか。
なあに、ちょっとどこまで行けるか試してみるだけだ。
前に送り出した連中は特別な何かは目にしなかったようだが、次は違うかもしれないしな」
別に前回の偵察隊が無能だったと言いたいわけではない。
彼らは何が何だか分からない状況下で、満足な訓練を受けたわけでもないのに一人も欠けること無く長距離偵察任務をこなしてきてくれたのだ。
「前回の人たちに加えて、私と数名、後は志願者というところでしょう」
その言葉に、彼は不満そうな表情を浮かべた。
「まさかとは思うが、俺に留守番をしろと言いたいんじゃないだろうな?」
気持ちはわかるんだがね。
腕に覚えがあるのならば、安全な陣地で延々と見張りを続けるよりは危険な強行偵察に身を投じたほうが遥かにマシというものだ。
だが、単なる現状維持が仕事だとしても、責任者は必要だ。
その後の言い争いは約一時間ほどになったが、結局のところはドルフに引いて貰う形で収まった。
70日目 夕刻 ジラコスタ連合王国 アルナミア街道 母の丘陣地東方 国境への道
「そうら!プレゼントだ!」
兵士が火炎結晶を投げつける。
誤解を恐れずにあえて言えば、要するに焼夷手榴弾である。
猛り狂う火の精霊が閉じ込められたそれは、衝撃による開放と同時に超高温に熱せられた水晶の欠片と炎を周囲に撒き散らす。
重度の火傷などという生やさしいものではない。
これを喰らったゴブリンたちは、一瞬にして体の一部を炭化させて絶命していく。
「弓兵!後ろを攻めろ!残りは続け!」
抜刀し、敵前衛に向けて突撃。
背中越しに兵士たちの雄叫びが聞こえる。
敵前衛はゾンビ騎士。
掲げられた盾に記されたナルガ王国の紋章が眩しい。
「まずは、一人っ!」
構えられた盾ごと敵兵を切り捨てる。
大変申し訳ないが、俺の持っている剣は並の防具では防げない。
「敵は僅かだ!引くな!押せぇ!押せぇ!」
伍長たちが声を張り上げる。
敵はおよそ50といったところか。
対するこちらはわずかに25人。
単純計算で戦力比は2:1だが、我々は整備の行き届いた武器を装備した戦意高揚剤で補強された精鋭だ。
レベル上げの材料となってもらおう。
「二人っ!」
剣を振り上げたゾンビ騎士を切り捨てる。
動きの遅いゾンビ相手に派手な殺陣は必要ない。
そもそもが、切り結ぼうにも相手がそこまでの動きを見せてくれない。
次の目標に狙いを定める。
「さんにんっ!」
忙しすぎて脳が疲れてきた。
三人目を両断し、四人目の腕を切り払い、五人目に突き刺し、六人目を蹴りつける。
僅かながらに出来た隙間を利用し、腰に差したファイヤーロッドを抜く。
「近寄るなっ!」
多少の火傷は覚悟の上で、至近距離から連続射撃。
こちらも熱いが、こうかはばつぐんだ!
俺の直線上にいた敵が一斉に燃え上がる。
ゾンビだかなんだか知らないが、とりあえず火が付くのであれば燃やしてしまえばいい。
「見よ!筆頭鍛冶が道を拓かれた!押せ!押せぇ!」
曹長が声を張り上げる。
その言葉に遅れをとる兵士などここには存在しない。
彼らは雄叫びを上げつつ次々と敵に襲いかかり、普通にやりあえば敗北が必至の状況を戦死者ゼロで乗り越えた。
「被害報告を頼む」
負傷者の手当が進む中、人数の関係で歩哨に立っている俺は曹長に声をかけた。
「はっ、五名が軽傷、三名が重傷です。
重傷者のうち一名は腕が切り落とされ、このままでは危険です」
短いながらも密度が濃い時間を送ってきただけあり、彼は聞かれる前に聞かれる内容を確認していた。
「腕をくっつけてこの薬を飲ませろ。
苦いが身体にいいぞ」
必要なときに使う事には何の異論もないが、そろそろ在庫がまずいな。
確かに俺は歩く補給処として大活躍を続けてきたが、所詮は個人に過ぎない。
それが二百人からなる中隊を支え続けているのだから、限界が見えてきたとしてもさすがに責められはしないだろう。
「はっ、誠に、ありがたくあります」
曹長は背筋を伸ばし、感じ入るような声で答えつつそれを受け取った。
在庫が気になる昨今ではあるが、こんな態度をとられたらこれからも断れないじゃないか。
「報告!報告です!」
曹長を見送っていると、戦闘直後に先行させた斥候が戻ってくる。
うんうん、何を見つけたかは知らないが、ちゃんと軍人してくれるな。
「どうした?」
きちんと仕事をしてくれているのは有難いのだが、どうやらあまりよろしいお話ではないらしい。
その証拠に、斥候は全力で戻ってきてくれたらしいものの、呼吸困難に近い状態になっている。
「落ち着け、ゆっくりでいい、何を見た?」
出来るだけ優しい声音を心がけつつ、彼がやってきた方向に視線を向ける。
今のところは土煙など異常は無し。
近く出来る範囲では空中も異常なし。
「あ、ありがとうござ、ございます」
やれやれ、相当な全力疾走で戻ってきたらしい。
よほどの大軍か、ドラゴンでも見つけたかな?
「それで、何を見た?」
途切れ途切れでも話せるようになったのならば、もう大丈夫だろう。
後ろで曹長が休憩を切り上げさせる命令を出している。
うん、迎え撃つにしても引くにしても、まずは腰を上げないとな。
「ほっ、報告いたします。
ナルガ王国の、国民だったと思われる無数のゾンビがこちらに向けて移動中です。
数はわかりません、百でも二百でもありません、かなりの数です。
国境方面から街道を伝ってこちらへ移動中、遅いですが、確実に向かって来ています!」
なんともまた、最悪な状況だった。
数が不明なのは困るが、二百でもありませんということは、つまり少なく見積もって三百かそれ以上。
我々の独力でどうこうできる話ではない。
「こんな場所で受けきれる相手ではないな。
曹長?」
俺が振り返ると、既に兵士たちは既に腰を上げ、移動の準備を完了している。
優秀な部下を持つと仕事が楽になるな。
「直ちに陣地へ帰還する!
駆け足ではなくていいが急げ!」
うん、戦闘力に影響するレベルについてはそれなりにあがったが、それより何より、現状を知っている経験と知識の組み合わせで処理するようになってくれた。
所詮は頭でっかちの素人に過ぎない俺では、もうそろそろ彼らの上司は限界だろう。
「曹長、可能な限り早く撤退するぞ。
俺はできるだけ罠をしかけつつ行くから、連中を任せる。
陣地に戻って三日経っても俺が戻らないか、あるいは敵のほうが先に到達したら全員を撤退させろ」
士官としては失格な提案なのだが、曹長は浅く頷いただけでそれに同意してくれた。
彼ならば、一人も欠けることなく陣地へと帰還し、臨戦態勢を整えて出迎えてくれることだろう。
「ご武運を祈ります。
総員急げ!」
曹長の命令を合図に、既に隊列を整えていた兵士たちが歩き始める。
全く素晴らしい。
「さてさて」
既に友軍は撤退して視界から消えつつある。
つまり、俺はやりたい放題をしていいわけだ。
あの陣地はそれなりの圧力に耐えられるようになってはいるが、増援の見込みのないという点が良くない。
耐え切ることができたとしても、敵の大群を目視するというのは士気の観点からして好ましいとはいえないだろう。
前線を維持して全体に貢献するためには、あの陣地は絶対に死守しなければならない。
できることをできるだけやらなければな。
「作動、土造兵三五体、ファイヤーロッドも出し惜しみ無しとして、その他も用意。
ああ、ちょっと不安だから、土造兵をもう少し出しておくか」
やりたい放題ができる俺は強い。
まあ、正確にはキャラクターの能力が強いのだが。
土造兵とは、平たく言えば土で作ったゴーレムだ。
ゴーレムと呼べるほど上等なものではないが、一般的な兵隊程度には信頼が置ける。
ついでに言うと、彼らが出現した跡が気休め程度の空堀になる。
本来は採取中の護衛や、多数を呼び出しての採掘作業の効率化ぐらいにしか役目がない。
だが、決死の状況で、使い捨ての兵士が必要なときにはこれほど気軽に使用できる物もない。
ああ、できれば美人な精霊や可愛い妖精に囲まれて幸せな冒険生活を送りたいのだが、どうしてこうなるんだろうな。
「そこの二体、この多重結界石を置いてくれ。
そっちの五体はこのスコップを使って俺の立っている位置を起点に10m四方を囲うように空堀と土壁を作れ。
お前とお前は、それからお前も、この素敵なプレゼントをできるだけ遠く、草が多くあるところに置いてきてくれ」
野戦築城は大切だ。
スキルや魔法、アイテムを駆使して機動防御に近いことをやる予定ではあるが、拠点なしに出来ることなどたかが知れている。
特に今回のように圧倒的に不利な状況の場合、小さなことであっても積み重ねることが重要だ。
「それぞれの作業が完了次第、俺に張り付いて守れ、現在位置を固守、以上だ」
彼らには明確な命令をしなければならない。
アバウトな内容では、彼らは何をしていいのかがわからずに指示待ちになってしまう。
指示をだしてから三十分といったところだろうか。
未だに陣地の構築は完了していないが、取り敢えず多重結界石の設置だけは終わらせることができた。
だが、のんびりと準備を整える時間は無くなったようだ。
「大層な数だな」
地平線の向こうに敵の姿が見えてくる。
何が数百だ。
どう考えても数千じゃないか。
「困ったなぁ。
相当大暴れしないとダメじゃないか」
俺は苦笑しつつ、腰の剣を確かめる。
精霊銀製の破邪の剣+10だ。
アンデット相手には破壊的な威力を発揮してくれる。
恐らくだが、中級魔族程度相手までは剣の性能だけで戦うことができるだろう。
兜も、鎧も、今回だけは全くの出し惜しみなしの高級品だ。
「陣地を作っている奴は作業を継続。
それ以外は戦闘態勢。隊形は横隊、10m間隔で散兵線を構築し、撃ち方準備」
俺の号令に、土造兵たちはファイヤーロッドを構えつつ互いの距離を取る。
彼らは基本的な能力は低いが、最後の瞬間まで命令に従ってくれる。
十分な装備が提供できる現状では、得難い人材であると言えよう。
「撃ち方始め」
極めて簡潔な命令を合図に、たった一人の防衛戦が始まった。
まあ、遠目に見れば一人には見えないのだがな。
土造兵たちが射撃を始める。
放たれた火炎弾は、まるで曳光弾のように光り輝きつつ敵へと向かっていく。
「よーし、どこを向いても敵ばかり。
男の見せ所だな、見せる相手がいないが」
絵に描いたような絶望的な遅滞防御戦闘で、どこまでできるかな。
両手のファイヤーロッドを発射する。
既に周囲の土造兵たちも攻撃を開始していることから、暗くなり始めていたはずの周囲は真昼のように明るい。
出来る限り撃ちまくって、撃ちまくって、撃ちまくろう。
「敵前衛はゾンビ、本隊もゾンビ、恐らくは後続もゾンビ。
芸の無いことだな」
自分の発射したファイヤーボールたちは、夜空を切り裂いて敵軍へと飛び去っていく。
まるで富士総合火力演習の夜の部のような美しい光景。
機関銃や機関砲のものとは異なり、目に見えている分しか発射していないという点は残念だが、まあそれは仕方がない。
「おいおい、早いな」
射撃開始から恐らくまだ1分と経っていないのに、早速射耗した奴が現れた。
まだまだ在庫はたくさんあるぞ。
周りを火の海にしたら、その次はジョークアイテムの打ち上げ花火を持たせた土造兵を突撃させてやる。
あれは四尺玉であると無駄に細かく定義されていたから、さぞかし綺麗な爆発を見せてくれることだろう。
いやはや、イベントごとが起こるたびに、積極的に参加していて良かった。
恐らく今後は使わないだろうと思いつつ、また何かの機会があれば盛大に場を盛りあげようと花火を作っていたために、今こうして活躍できる。
71日目 夜 ジラコスタ連合王国 アルナミア街道 母の丘陣地 頂上監視所
「曹長、異常はないか?」
交代のために兵士たちを連れて頂上へ到着すると、監視任務中だったソウチョウがこちらに向けて頭を下げて待っていた。
毎度のことではあるが、彼はどうしてなんでもきちんと把握できているのだ。
交代の時間にはまだ早かったはずなのだが。
「ドルフ兵士長殿、筆頭鍛冶殿はご無事でしょうか?」
曹長と呼ばれている古参の兵士が声をかけてくる。
伍長だの小隊長だのと細かく決めていると聞いた時には呆れたが、やってみるとこれは便利だ。
具体的に言えば、面倒が少ない。
生きて帰れたら、兵士隊だけでも採用しよう。
「無事だろうさ。
ちょっと先に進んだだけで目で見える範囲まで来ていた敵が一匹も現れないってことは、アイツがまだ戦っているってことだ。
何をどうやっているのかはわからないがな」
視線の向こう、国境方面の空は赤い。
何をやったのかは分からないが、とにかく向こうでは大規模な火災が発生しているようだ。
夜だというのに手元が見えるように感じるほどの明かり。
それは衰えるどころか、時間を追うごとに大きくなっていく。
恐らく、彼はまだ戦っているのだろう。
視界の端で何かが閃光を放つ。
あれは、なんだ?
「おお、花火とは、なるほど」
彼の視線を追うと、遥かな向こうで炎だけではない色鮮やかな光が見えた。
これが噂に聞く花火というやつか。
実際に見たことはないが、大きな音と光を夜空いっぱいに描く、火薬の塊だと聞く。
「なんで持っているのかは分からないが、とにかくここから見える程の光を放つ量の火薬を投げ込んだわけか」
大太鼓を叩いたような、不思議な音が聞こえてくる。
思わず腰の剣に手をやり、周囲を見回すが、警戒している兵士たちに異常は見られない。
「ああ、兵士長殿、ご説明が遅れてしまい申し訳ありません。
理由はよく分からないのですが、花火を遠くで放つと、音だけが遅れて聞こえてくるのだそうです」
不思議ではあるが、空がなぜ青いのかと問いかけても意味が無いのと一緒なのであろう。
「そうか、助かる。
ああ、少し早いが交代だ、曹長に倒れられたら我々はお手上げになってしまう」
今までは少し休めばいくらでも働けたものだが、俺も歳をとったということなのかもしれんな。
まあ、アイツの用意してくれた武具一式を身に着けていれば楽にはなるが、休める時には休んでおくべきだ。
「ありがとうございます。
お前たち、ドルフ兵士長殿のお言葉に甘えて、おやおや?」
部下たちに声をかけようとした曹長は、楽しそうな声を発した。
どこかを見ている。
「どうした?ほほう」
尋ねようとした俺は、同じように楽しそうな声を漏らしてしまった。
視線の先では、あの親愛なる神殿騎士様たちが装具をつける時間すら惜しみつつ、自分たちの馬にまたがって逃げ出しつつある姿がある。
「どうやら、彼らも花火は見たことがなかったようだな」
それ以前の問題として、逃げ出すということが何を意味するか理解しているのだろうか。
我々に死守を命じたように、彼らも死守を命じられている。
何が起こったと声高に叫んでも、言い訳にしかならない。
「曹長、休みに入るところ申し訳ないが、頼み事をしてもいいか?」
俺の言葉に振り返った曹長は、既に何を言われるのかを理解しているかのように笑みを浮べている。
そんな彼の顔を、はるか向こうで再び放たれたらしい花火の閃光が照らしだした。
「撤退の準備でよろしかったでしょうか?」
アイツが曹長を可愛がる理由がよく分かる。
我々騎士階級の人間が自分の仕事だけをするためには、どれだけ多くの彼のような優秀な人間を部下にできるかにかかっている。
今までも理解はしていたつもりだったが、今回、痛感した。
「頼む。
アイツが帰ってき次第、時間を決めてできるだけ早く撤退しよう」
俺も、曹長も、アイツが帰ってこないとは欠片も思っていなかった。
そして、巨大な火炎の竜巻や、さらなる花火の閃光を次々と巻き起こしつつ、アイツは夜明けすぎに帰ってきた。
笑顔で、誇らしげに、そして遠目に見てもわかるほどに成長を見せて。
「いやあ、魔王軍は強敵でしたね」
革袋に入れた水を惜しげなく頭にかけつつ、アイツは笑顔でそう言った。
聞けば、一晩中ファイヤーボールを撃ちまくっていたらしい。
見えていたようにあちこちに花火を設置し、大火事が起こるように広範囲に渡って遠慮なく撃ちまくった結果として、魔王軍は日が昇る前に後退を始めていたそうだ。
代償としてあのあたりは全て燃えてしまったそうだが、誰も使う予定のない草原など、いくら燃えても困るものではない。
「それは良かった。それで、そろそろ私の話を聞いてもらってもいいか」
会話に入ってきたのは、先程から沈黙を続けていた領主様である。
我々に合流いただいたのは、今から少し前だ。
監視中の兵士が発見した時、安全な場所にいるはずの領主様は、街に向けて送り出したはずの偵察隊を束ね、神殿騎士たちの馬だけを連れていた。
本来であればありえないことだが、その他には僅かな護衛だけを従えて。




