第十六話
67日目 夕刻 ジラコスタ連合王国 アルナミア街道
「皆さん!とにかく足を止めないでください!
止まればもう動けませんよ!」
長い敗残兵の列が続いていた。
敵の攻撃は、当たり前といえばそうだが、他の地点でも行われていた。
さすがに彼らも完全に無能というわけではなく、主力陣地を囲うようにして警戒陣地を張り巡らせていたらしい。
だが、対する魔王軍も負けてはおらず、同時多発的に奇襲をかけてきたようなのだ。
俺は相当に運が良かったらしく、逃げ延びてきた連中から話を聞くと、いきなり飛来したドラゴンに襲撃されたり、森の中から出現したフォレストウルフの大群に食い荒らされた部隊もいたそうだ。
そんなわけで、俺のいた陣地のように持ちこたえた部隊もいたが、全体の結果としては全軍潰走をする羽目になった。
失地が増えるのは痛いが、主力部隊を可能なかぎり生存させる方を取ることにしたようだな。
まさかとは思うが、勇者様に全てを任せて全軍で防御とかいう頭の悪い計画じゃないだろうな。
いつどころか本当にできるかどうかも分からない人任せのプランなどさすがに選ばないとは思いたい。
だが、ついこの間に補給計画無しで大軍を動員するという華麗な戦争指揮を見せてくれただけに、不安は尽きない。
とはいえ、単なる筆頭鍛冶にすぎない俺には打てる手など無いのだが。
「おい!前が詰まってるんだよ!早くどかせ!」
前を進む別の部隊から苛立ちを隠さない怒号があげられる。
見れば、馬が疲れ果てたために立ち往生している馬車がいるらしい。
幌も何も無いところを見ると、輸送部隊のもののようだ。
「曹長、何人かと一緒に後ろからついてきて下さい」
俺の大好物である困った事態が発生したようだな。
まったく、俺は偉そうな役職は付いているが鍛冶屋なんだぞ。
どうしてこんな楽しい楽しい敗残兵の指揮官なんていう仕事をしなけりゃならんのだ。
「私はレーア・アルレラ=アリール辺境伯が筆頭鍛冶のヤマダです。
これは何の騒ぎですか?」
言われるまでもなく事情は把握できているが、質問するのも礼儀というものだろう。
「こっ、これは煉獄の魔術師様!」
なんだそれは。
俺の詰問を受けた年配の兵士は、聞きなれない呼び方をしつつ怯えたようにこちらを見てきた。
「私は筆頭鍛冶です。お間違い無きようお願いします。
それでこれは?」
道のど真ん中で馬車が立ち往生しているため、俺たちより後ろは完全に足が止まってしまっている。
ああ、この強制的な小休止でまた何人も脱落してしまうんだろうな。
こういう潰走の時に足を止めてしまうと、兵士からただの怯えた人になってしまうらしいんだよな。
「は、はい。
実はこの荷物運びが馬が疲れたなどと言い訳をしまして道を開けないのです。
直ぐに我々でなんとかしますので、筆頭鍛冶様はどうぞ先にお進み下さい」
そりゃあまあ、俺は准貴族なのだから気を使ってくれるのは嬉しいんだが。
馬は既に泡を吹いているし、御者は悲痛な表情で短剣を抜いたし、ああもう、どうとでもなれ。
「なるほど、それは大変ですね。
しかしながら、馬も貴重な辺境伯家の財産です。
申し訳ありませんが、今回は私の顔を立ててください」
それだけ言い放つと俺は御者の隣へと歩み寄る。
「それはやめておきましょうか。馬も戦友ですよね?」
短剣を持つ手にそっと触れ、もう一方の手を馬へと向ける。
「んーと、こういう場合は“リカバリー”と“アップ・ストレングス”でいいかな」
俺の手が輝き、先ほどまで瀕死だった馬は見る見るうちに覇気溢れる姿へと変わった。
いやまあ、荷駄馬なので別にそれほど威風堂々というわけではないが。
「俺の言っていることがわかるな?これ食っとけ」
テイマー目指して動物語とか学んでいたことがこんな形で役に立つとは思わなかったな。
とにかく俺の差し出した丸薬を、馬は躊躇すること無く平らげた。
「これでアルナミアまでは持つはずです。
行って良し!」
明らかに異常な一連の流れに、御者は唖然とこちらを見ているだけだった。
せめてもの情けで楽にしてやるしか無いと覚悟していた愛馬が、話に聞く神殿の回復魔法で元気になる。
さらに何事か囁いただけで、筆頭鍛冶が差し出した丸薬を当然のように口にしたのだ。
まあ、唖然としてしまうのも無理は無いのか。
「あの、筆頭鍛冶様、これは?」
どうにも気になるらしく素直に立ち去ってくれないな。
「怪しげな術を収めていますと、動物に自分の言葉を聴かせる必要がある時もあります。
ああ、さっき食べさせたのは一日だけ疲労を回復できる秘薬です。
高いものですが、お金は結構ですので、先へ進んでください」
それだけを伝え、返事を待たずに俺は立ち去る。
後は曹長が丸くまとめて敗走を再開させてくれるだろう。
まったく、どうしてこんな面倒なことをしなければならないのか。
「報告します。前方に妙な部隊を発見しました」
隊列の左右に出している斥候が駆け寄ってくるなり報告する。
自分の隊列に戻ったと思ったらこれだ。
今度は何だよ。
「妙な部隊というのは何ですか?」
視線を向けると、あの時に木に登って報告をしてくれていた兵士じゃないか。
無事に撤退ができてよかったな。
「人数は50人ほどなのですが、数騎の騎士がおり、どうやら街道を防御しようとしているようです。
陣地と呼べるほど立派なものはありませんでしたが、明らかにここに留まろうとしています」
督戦隊付きの遅滞防御部隊かな。
囚人兵か、あるいは脱走兵の寄せ集めか。
とにかくそういうのであれば気にしないで通りすぎることが出来るんだが、さてどうなるかな。
67日目 夕刻 ジラコスタ連合王国 アルナミア街道 遅滞防御部隊の陣地
「そこ!止まれ!」
なるほど、絵に描いたような捨て駒だな。
疲れきった様子の遅滞防御部隊を眺めていた俺に、このところでは珍しい高圧的な言葉が浴びせられた。
「私の部隊が何か?」
声の方を向くと、神聖騎兵といべきなのか騎乗して着飾った連中がこちら見ていた。
「貴様ら、戦わずに逃げ出してきたな!
この聖戦においてそのような惰弱が許されるとでも思っているのか!?」
いきなり随分な言い草だな。
三人とも馬ごと焼き尽くしてやろうか。
「大変失礼ですが、どちらさまでしょうか?
私はレーア・アルレラ=アリール辺境伯が筆頭鍛冶のヤマダです。
我々は防衛戦闘中に撤退命令を受け、アルナミアへ移動する最中です。
申し訳ありませんが、御用がなければ直ぐに移動を再開したいのですが」
無駄と知りつつも抗弁する。
確かに俺の部隊には損害といえるようなものはないが、だからと言っていきなり脱走兵扱いかよ。
いや、違うだろう。
察するに彼らは督戦隊なのだろう。
敵軍の足をとめるために、ここで少しでも兵士をかき集めようとしているのだ。
「馬鹿馬鹿しい。
嘘を付くのであればもっと考えて言うのだな!
どこの世界に兵隊と一緒にこんな後方をうろつく筆頭鍛冶がいるというのだ。
とにかく、貴様らは全員我が栄光ある神聖騎士団挺身隊に入ってもらうぞ」
残念だが、向こうの言うとおりだな。
筆頭鍛冶という役職名で部隊指揮官をやっているのは俺くらいのものだろう。
「そこまで言うのであれば、まあそういう事で構いませんが、あとで後悔しないでくださいよ。
伝令!」
この場でこれ以上抗弁を試みた所で効果はないだろう。
迎えを出してもらうために伝令を呼ぶ。
「エルドナ兵士隊長かウェル騎士団長か、とにかく誰でもいいので偉い人を呼んできてください。
このままでは筆頭鍛冶が死んでしまうと付け加えていただけるとなおありがたいですね」
俺が困難な命令を伝えると、伝令は狼狽えたように神聖騎士様と俺に視線を交互に向ける。
まあ、伝令とはいえ現状で自由にこの場を離れられるとは確かに思わないだろう。
「ああ、証拠がわりにこの剣を渡しましょう」
俺は腰から吊るしていた鉄の剣+10を渡した。
どう考えても俺以外には作り出すことのできない伝説級の一品だ。
こんなものを伝令に渡して嘘を付くような暇人がいる筈が無いので、きっと分かってくれるだろう。
「さあ、行きなさい!」
最後の部分に力を込めて命令すると、伝令は弾かれたように駈け出した。
「貴様!なぜ部下を行かせた!
我々の下にいるという認識ができていないな!」
止める間もなく伝令が駈け出したことで神聖騎士たちが色めき立つ。
いつ俺がお前らの下になったんだよ。
まったく、早く社会的に抹殺してやりたいところだ。
「そう騒がなくとも従いますよ。
この陣地を守って敵を食い止めればいいんですよね?」
呆れたような表情を浮かべつつも、従うような趣旨の内容を述べる。
表面上だけでもそう言っておけば、どうせまずくなれば逃げ出すであろう彼らは何もいえないはずだ。
「そう、そうだ!
貴様、人の使い方は慣れているようだな?」
ほう、見るからに腐った貴族的な言動をしているくせに、俺の部隊の状況はある程度把握できる能力はあるのか。
これはこれは、評価を改めなければならないな。
「よし、雑事は貴様に任せるから後は何とかしろ!」
何なんだこの人達は。
そりゃまあ、自由にやらせてくれるのはありがたいが、そんな事でいいのか?
まあ、取り敢えず撤退の自由はまだ無いので、ここで何とか踏みとどまる方法を考えよう。
「それでは後はお任せ下さい。
曹長!」
声をかけると彼は直ぐに飛んでくる。
もちろん言うまでもなく分隊長たちも引き連れてだ。
ああ、彼のような人物が下についてくれて本当に良かった。
「偵察はすぐに出せます。
どのようになさいますか?」
見れば多重結界石を載せた馬車がこちらへ向かいつつある。
先程までは部隊の真ん中を進んでいただけなのに道を外れてこちらに向かいつつあるという事は、彼が手を回したのだろう。
まったく、彼はどこまで仕事が出来るのだ。
「丁度いいことにここは低いながらも丘だ。
反対側の斜面に本部を置く。
道に面した斜面に陣地を作らせろ」
しゃがみ込んで地面に地図を描く。
汚いものだが、こういう場合はおおまかな地形的特徴だけ伝わればいい。
少なくとも米軍と英国軍の教本にはそう書いてあったから信じよう。
「我々は街道を進む敵の迎撃を目的とする。
この丘に陣地を置き、横から殴りつけるような形で攻撃を行うわけだ。
ドラゴンなどによる空からの襲撃の可能性があるため、地面に深い溝を掘り、そこに兵士を並べてファイヤーロッドで攻撃させる。
攻撃に晒された場合には即座に溝の底にしゃがみ込むように言っておけ。
本部と物資の保管所などは全て反対側の斜面に置き、敵の攻撃を避けると同時にいざという時の撤退を容易にする。
何か質問は?」
塹壕掘って持久戦か、自分で命じておいてなんだが夢のかけらもない姿だな。
ファンタジー世界というより、第一次世界大戦という感じだ。
「見たこともない陣形ですが、確かに方陣を組んで敵を受け止めるには色々と不足していますからね。
私は特にありません、直ぐに命じますが、補給の方はどうなるのでしょうか?」
既に隣までやってきている馬車を見て曹長は尋ねる。
撤退中に工兵隊も回収できたために装備・人員ともに豊富ではある。
しかし、糧食その他消耗品は絶望的な数量しか無い。
このままでは直ぐにみんな揃って玉砕か敵前逃亡を選択しなければならなくなるだろう。
「ここにいた連中もあわせて、ざっと150人ほどだな。
まあ、一ヶ月は何とかできる。
半月を越えても補給すらないようだったら次の手を考えようじゃないか」
俺の言葉を信じてくれたらしく、曹長は笑みを浮かべると了解しましたと答えた。
「よし、直ちに陣地設営に移れ」
こういう場合、初動が大切だ。
多重結界石を始め、ありったけの魔道具を駆使して速やかに陣地を構築しなければならない。
唯一の救いは工兵隊を拾えたことだが、逆に言えば俺の私兵とはいえ、経験を積み、そして戦争以外でも役立つ彼らが置いていかれたという現状が恐ろしい。
多国籍軍である以上、他の国からも同じようにして動員された技能職がいるはずだ。
彼らも同様の扱いを受けてしまっているのだろうか?
騎士や弓兵といった軍事の専門職も重要だが、既に長期戦の様相を呈している今、後方支援能力を少しであっても削ることは、将来的によろしくない。
総力戦とは国家のすべての能力を結集して戦争遂行に当たることであり、例え一分野であっても能力を失えば、それはいつか必ず全体の弱点として現れる。
「ああ、それと」
俺は立ち去ろうとしていた曹長に声をかけた。
「補給部隊に言ってな、まずは全員分の飯を作らせろ。
食料は例の馬車に入れておくが、不足したら俺に言え」
まずは飯だ。
軍人さんの心を掴むには、それは必須だろう。