第十四話
67日目 昼 ジラコスタ連合王国 国境付近の川 警戒陣地
「敵襲!基準点4に敵軍発見!とにかく多い!総数不明!」
川の向こうに配置された哨兵が警告の言葉を発し、仲間と共に素早く渡河を開始する。
基準点4とは兵士が歩いて三十分ほどの距離に置かれた標識だが、障害物を多数設置した渡河点を渡り切るにはおよそ十分はかかる。
敵の接近を知らせるという任務である以上、彼らはやるべき事を済ませている。
「敵襲!総数不明!総員戦闘配置!伝令準備せよ!」
天幕から兵士たちが飛び出し、予め定められた持ち場へと駆けていく。
総数不明とは、来たるべき時に備えて用意された言葉である。
明らかにどれだけいるのかわからない、ちょっとやそっとの工夫や奮闘ではどうしようもない規模の敵が来たときにだけ使われる表現だ。
「大規模な敵軍接近、抵抗不能、増援を直ちに要請する。
行け!」
伝令が弾かれたように主力陣地へ向けて駆けていく。
向こうでちゃんと見ているかどうかはわからないが狼煙も上げられる。
「集合」
普段とは明らかに異なる口調の筆頭鍛冶に、違和感を覚えつつも兵士たちは従う。
日頃の彼は、いつも穏やかな口調を絶やさない人間だった。
しかし、今は違う。
「全員揃っているか?」
そこにいたのはいつもの彼ではない。
どこに出しても恥ずかしくない軍人であり、更に言えば歴戦の古強者を感じさせる迫力があった。
「はい!筆頭鍛冶殿!」
ここ数日でようやく全員が馴染んだフル装備姿の曹長が答える。
「既に本隊への伝令は出発している。
まず間違いなく撤退許可が来るはずだが、命令が来るまでの間、我々は現在位置を維持し、敵に損害を与えなければならない」
彼の言葉に兵士たちの中からざわめきが漏れる。
敵軍の具体的な数はわからないが、哨兵の報告から自分たちではどうしようもないだけの数が押し寄せているということだけはわかる。
それを、別命あるまで交戦せよというのは、あまりにも酷い命令だ。
「このような大軍を前にして、生きるために逃げろと命じることができない立場を呪いたいところであるが、そうもいかん。
諸君らの中にはわかっている者もいると思うが、あえて命じよう。
生きるために戦え。
我々の後ろには混乱した本隊、そしてその後ろには大陸に住まうすべての人々がある」
筆頭鍛冶から掛けられた予想外の言葉に、兵士たちは静まり返った。
既に兵士たちの中では公然の秘密になっている無補給状態に近い本隊は、恐らくマトモな決戦を行うことはできない。
機動力が無い部隊を前に出し、残りは全力で撤退するの精一杯というところまで来ている。
「ここでの敗北は、まず間違いなく大陸東部の陥落に直結してしまう。
逃げようにも、逃げる場所はない。
ならばせめて、前を向いて死のうじゃないか」
戦えば死ぬ。
守ってくれるべき本隊は確実に役に立たない。
逃げてもいずれ蹂躙される。
そのような最悪の状況下では、前を向いて死ぬという選択肢は魅力的に見えた。
戦場であるにもかかわらず、彼らには子供の頃に聞いた英雄譚の伴奏が聞こえてきていた。
百の敵を一人で退けた騎士。
無数の化物を焼き尽くす魔導師。
地の利を生かし大軍を翻弄するレンジャー。
巨大な化物を自身ほどの長さがある大剣で屠る戦士。
一生語り継がれていく、男であれば必ず憧れる伝説の存在。
それに、自分たちが加わろうとしていると確かに感じるのだ。
「筆頭鍛冶殿に意見があるものはあるか?」
兵士たちの覚悟が決まっていく雰囲気を確認した曹長が尋ねる。
少しだけ待つが、誰も口を開かない。
彼は口の端に笑みを浮かべた。
「それでは、筆頭鍛冶殿と英雄譚を創りあげたい戦士は一歩前へ!」
今度は待つ必要はなかった。
目に戦意を滾らせた彼らは、力強く一歩を踏み出した。
「諸君らは全く大した戦士だ。
俺の部下として付き合ってくれる事を誇りに思う」
蒼白な顔面に何とかして笑みを浮かべた筆頭鍛冶は腰の剣を抜いた。
息を吸い込み、口を開く。
「総員戦闘配備!敵軍を撃滅する!」
彼にしては大変に珍しい、怒号に近い命令だった。
命令を受けた兵士たちは互いに大声で発破を掛けあいつつ、それぞれの持場へ向けて一斉に駆け出す。
「ありがとうございました」
兵士たちが駈け出していった後、俺は森の中から現れたエルフたちに頭を下げた。
彼女たちの手には、俺が用意したマジックアイテムが握られている。
戦士の戦太鼓、戦乙女のフルート、レンジャーの竪琴、魔導師の革笛。
混乱を抑え、戦意を高揚させるアイテム勢ぞろいである。
兵士たちの耳に途中から届いていた伴奏は、幻聴ではなく実際に奏でられていたものだ。
ついでに言えば、兵士たちの朝食は野菜と戦意高揚剤のスープだった。
そんな事までして戦闘に駆り立てるというのは人間のやることではないのだが、今は非常事態だ。
それに、これだけの手段を持ちいらなければ前線指揮官として大軍を受け止める指揮など出来るものか。
俺はこれでもまだ常識的な日本人としての部分が結構残っているんだ。
「状況が状況とはいえ、兵士たちが哀れだな」
居残り組のエルフの中で臨時指揮官を務めているルディアという女性がこちらを睨みつけてくるが、まあ気持ちはわかる。
俺がやっていることは特攻命令であり、事前に手を尽くして拒否できない状況を作り上げている。
だが、上官が仕方が無いと言ってはいけないのだが、今の状況は全てを許容する。
「もっと全体の戦争計画がきちんと練られていれば、私だってこんな殺人のような真似事はしませんでしたよ。
とはいえ、私がやったのは彼らの意思を誘導することであり、彼らが真に勇敢な心を持っていなければ、それでも逃げ出していたでしょう。
私の部下たちを侮辱するような言動は謹んでいただきたい」
ゼロはどんな倍数を用意してもゼロにしかならない。
誘導があったとしても、兵士たちが前を向いてくれたのは彼らが郷土を守る兵士としての心を持っていてくれたからだ。
まあ、自己弁護なのだが。
「それで、私達にはどのような命令を?
死ぬまで戦えといわれれば逆らうことはできない立場だけれど、できれば一人ぐらいは逃がしてやってほしいものね」
随分と義理堅いことだ。
よくある愚かなニンゲンと誇り高いエルフという考えではなく、同じ大陸の住民と考えているからこその言葉なのだろう。
「この状況では物見の兵士だけで事足りるでしょう。
弓兵と共に敵を攻撃して下さい。
状況が本当に不味くなった時には、兵士たちもそうですが逃げて下さい」
抗戦が不可能になったときは、俺の死亡フラグが立つ時だ。
その時点での生存者を全員逃し、ありったけの手段を用いて敵に猛反撃を実施する。
生きるか死ぬかの瀬戸際になった時には、未来の不確定な危険性を憂いていても仕方が無いからな。
「その状況でも死ぬまで戦えと言われないのはありがたいが、先ほどとは言っていることが違うな。
前を向いて死ぬんじゃないのか?」
まだ若干の時間はあるが、今この時に難癖を付けられても困る。
「仲間がいる状態では使えない危険なマジックアイテムが幾つもあります。
後先を考えなくて良い状況になったら、それを片手に突撃しますよ」
俺の言葉にルディアは目を見開いた。
責任の取り方を知っていると思われたのだろうか。
まあ何でもいい。
「直ぐに敵が来ます。戦の準備をお願いします」
相手の答えを待たずに、俺はファイヤーロッド補充用の多重結界石を追加する作業へ向かった。
この程度の出し惜しみ無しは今の段階から始めてしまってもいいだろう。