第二章 最終話「思い出③」
「ネヲ……!」
走り去るネヲはあっという間に見えなくなり、それでも輪廻は追おうとするが、力が抜けて両膝を床に打ちつける。
「痛っ……」
ネヲはもう止まらないだろう。そうなれば自分に出来ることは、ネヲが自力で真相に辿り着いてしまう前に、遅くなってしまったけどせめて自分の口から真相を打ち明けることと輪廻は心得た。
この真相は、一人で抱えるには重すぎる。絶対に一人で辿り着かせてはいけない。どれだけ輪廻が辛くても、罪悪感で身を焼かれそうでも、共に抱えなければいけない痛みだった。
輪廻の中の理性や愛情はそれをもう分かっている。今すぐネヲを追えと脳が叫ぶ。しかしーー全身が脳の命令を拒絶する。
しかし輪廻はそれで止まってはいられない。
思い出せ、思い出せ。輪廻はこの一か月間の記憶に思いを巡らせる。
ネヲのために止まれない理由がいくつある?
ネヲは、運動が嫌いなのにただ生き続けたくて、外に出たくてずっとリハビリを頑張ってきた。
ネヲは、秘密を抱える輪廻のことを分かっていて、それでも一度も責めなかった。
ネヲは、輪廻がこれ以上傷つかないために、輪廻の抱える秘密へ向かって走り出した。
輪廻がネヲを大切にすることで輪廻自身が傷つくなら、それすら壊すと覚悟して、走り出したのだ。
パァン!!
両手を広げ、震える膝を思い切り平手で叩く。
震えが止まり、殴打の痛みが恐れを麻痺させているその隙に輪廻は駆け出した。
「ネヲ!!」
自らの心を縛る全てを振り切り、もう二度と止まらないと言わんばかりに駆けていく。
ジリリリリリリリリ。
非常事態発生。重要研究対象、逃走。重要研究対象、逃走。発見者は確保お願いします。中学生くらいの私服の少年を見つけたら、至急確保お願いします。
けたたましい非常ベルの音と共に、建物内に緊急放送が鳴り響く。
輪廻はネヲを追うと決めたが、ネヲが今どこにいるかは輪廻にも、誰にも分からない。おそらく当てずっぽうに走り回って職員や警備員に追い回されているだろう。確たる行動パターンや目的があるなら話は別だが、無計画に逃げ回る人間の行き先は却って推理しがたい。
したがって輪廻は、ネヲを見つけることではなく真相からネヲを守る方へ舵を切った。
最上階へ駆け上がっていく。最上階には、輪廻とごく一部の関係者のみが立ち入りを許されたエリアがある。そして、そこへ決してネヲを近寄らせてはならない理由があった。
ネヲが立ち入る前に、立入禁止エリアに張り込む。ネヲを守るためにこの状況で残された輪廻に出来る事は、それだけだった。
最上階に辿り着き、廊下を左へ曲がり、非常灯のみが照らす薄暗いエリアに入ろうとすると、すでに十数名の警備員と数名の研究職員がそのエリアを取り囲んでいた。
「通してください!!」
輪廻が叫ぶと、皆一様に振り返る。
「萩ノ宵主幹。重要研究対象がこの中に逃げ込みました。今から確保します」
職員が指差したのは、ーー細胞培養室。
輪廻は青ざめる。
「待ってください!……私が話をつけます。この場は私に任せてください」
「しかし……」
「通して!そして誰もネヲに触れないで!!」
切羽詰まった輪廻の怒号に、職員たちは弾かれたように道を開ける。
男たちの間に出来た道を早足で通り過ぎ、社員証を部屋の前のリーダーにかざす。
重たい扉を開けるとーー呆然とした面持ちのネヲがそこに立っていた。その顔は、彼が手に持つスマホのライトで照らされている。
机の上にある資料に顔を向けたまま、目線だけが輪廻の方に向く。
「輪廻……」
「ネヲ!!」
扉が閉まり、ネヲが続けて口を開く。
「この紙に書いてあることって……」
「……嘘、だよな?」
息が止まり、胸の中が冷たくなる。
間に合わなかった。




