第四章 第二話「母子」
警察から『現在、寧生によく似た少年を保護している』と連絡が来た。
電話越しの警察の話に、喜代永紅寧は手に持っているスマホを落としそうになりながら、警察署へ向かい走り出した。
ある夏の日に寧生が家に帰らなくなってから、2年と2ヶ月の月日が過ぎた。
忘れもしない、7月12日の夜。当時12歳の息子が一向に帰ってこないことに気がついた紅寧は、まず近所を捜索した。
激しく雨の降り頻る中、寧生が行きそうなコンビニ、公園、そして中学校周辺を探したが、見つからない。
片っ端から寧生のクラスメイトの家に電話をかけるも、誰も寧生の行方を知らないという。寧生と仲のいい輪廻にも、寧生を捜している旨のメッセージを送ったが、こちらは既読すら付かない。
寧生は決して優等生ではないが、積極的に夜遊びをするタイプではない。わけもなく突然家出をするような気性でもない。
警察に相談したところ、すぐに捜査が始まり、数日ほどして『多摩市中学生行方不明事件』として大々的に報道された。
いなくなった日に寧生の部屋を調べると、どうやら一度帰宅していたようで、通学鞄が部屋の真ん中に投げっぱなしになっていた。制服はハンガーにかかっていなかったため、鞄だけ家に置きに帰って制服でまた出かけた可能性が高い。
もし、その時自分が家にいれば、『どこ行くんだ?』くらいは訊いていただろう。しかし紅寧は、夜まで仕事で家を空けていた。
ーーもし私が家にいてやれたら、もっと早く寧生は見つかってただろうか。
紅寧はこの時初めて、母子ふたりの暮らしを呪いかけた。
そして、2年2ヶ月が経過しても寧生は未だ帰ってきてはいない。
ーーそんな寧生が、今、警察署にいるかも知れないというのだ。
自宅から3km先の多摩南警察署へ向かう。
普段なら電車を使う距離だが、電車を待つことすら我慢ならず、走って向かうことにした。いくら全力で走っても息は切れず、自分の体とは思えないほど疲労を感じなかった。むしろ肉体が疲れないことで、より心は焦りと苛立ちに強く駆り立てられた。早く着きやがれ、と叫びをあげる心臓を無視して歩道を駆ける。ブロック塀に肩を擦りそうになりながら、曲がり角を曲がる。
警察署が見える。
「待たせたな」
汗みずくになりながら警官に声をかける。
「いえ。お忙しいところご協力いただきありがとうございます」
警官が少年相談室のドアを開けると、そこには誰よりも見慣れた子供がいた。
寝癖だらけの頭、父・真実に似た穏やかな目元、ぼんやりとした表情。
「あ、母ちゃん!久しぶり」
あの頃と変わらない、中学生の変わりかけの声。
「……っ、いず……」
思わず名を呼びかける。
ーーしかしそれは、この少年の名ではない。
「……いや、……寧生じゃねえな。誰だおめー?」
何もかも息子と同じなのに、何かが決定的に違う。
ドッペルゲンガーを見たような不吉な予感が紅寧を駆り立てた。
「ネヲ」
寧生のような少年は、こちらをまっすぐ見つめながら寧生とは違う名を名乗った。
「誰が母ちゃんだって?産んだ覚えねえぞ」
警官がざわつく。
やはり別人なのでは、少年本人も否定しています、いやしかし……といった話し声が聞こえる。
「ねお。おめー、寧生を知ってるか?」
「うん。俺と似てるピザが好きで、輪廻と仲良い中学生」
「おめー、寧生の何だ?」
「『俺』。俺でもあったけど、俺じゃない」
「……そうか」
「おい安堂、私をぬか喜びさせやがったんだ。ちょっとこのガキ借りるぞ」
「いや、お母さん、それは……!」
「逃げも隠れもしねえ。ちょっと二人にしてくれ」
安堂が指示を出し、制服警官と共に少年相談室を出る。
物々しい沈黙が部屋を包む。
「腹減ったなァ。こういう時って警察がカツ丼出してくれるんじゃなかったっけ」
「それはドラマの話だな」
「母ちゃんって安堂さんと知り合いなの?」
「誰が母ちゃんだ。……まあガキの頃色々やってな、あいつによく補導られたんだよ」
「へェ」
「……で、ねお。お前の話をしよう。今日おめーはどこからこの警察署まで来た?」
「アミダ・ラボ」
「お萩の職場じゃねえか!?……お萩とはどういう関係だよ」
「俺を作ったのが輪廻」
「は……?作った?」
「うん」
「どうやって」
「なんか寧生の細胞から培養して作ったらしいぜ」
「ちょっと待て……寧生の細胞?」
紅寧の顔色がみるみる険しくなる。
「なんでそんなものを研究所が持ってんだ。誰が寧生に何をした!!寧生は今どこにいる!?」
「母ちゃん、ごめん……俺、死んじゃった」
「……嘘つくんじゃねえよ」
「本当だ。寧生はもういねえ」
「……なんで」
「それは今は言えねえ。そんで俺は、寧生の死から生まれた。……これだけは言っとかないといけねえって思った」
「…………」
言葉を失う。
そうかも知れない、とどこかでは思っていた。
毎日当たり前のように元気に外を歩き回り、そして当たり前に家に帰ってきた息子が、2年2ヶ月もの間どこにも姿を見せなかったのだ。それは、もうどこにもいないということを意味するのではないか。
それでも遺体などが発見されない限りは、親として生きてると信じるしかない。そうしなければ、息子がこの世に『いる』のか『いない』のかすら分からない、この生殺しのような状況の中で正気など保てなかった。
今だって遺体を見たわけではない。ネヲが嘘をついていると決めつけるのは簡単だ。だけどーーこんなにも似ている少年が目の前に現れ、寧生の終わりを告げてきた。
こんなにも何もかも寧生に似ている少年が、紅寧を前にして嘘やデタラメでそのようなことを言うわけもないと、紅寧は分かっていた。
「……お前は私に嘘をつかねえ。それだけは分かる」
やっとの思いで口を開き、声を絞り出す。
「おめーが誰なのか、今はどうでもいい」
「ただ……飯はちゃんと食えよ。誰だろうが……まだガキなんだからよ」
「母ちゃん……」
紅寧は立ち上がり、少年相談室のドアを開ける。
「おい安堂。邪魔したな……私は帰る」
すたすたと早足で歩き出す紅寧に、ドアの向こうの安堂が紅寧を止めようとする。
「おい、喜代永……」
「あいつは、寧生じゃねえ。それが分かった以上、ちょっと……ここにはいられねえ。じゃあな」
「喜代永!!」
安堂の叫びも虚しく、紅寧は魂が抜けたように歩みを進め、警察署の出口の向こうへ去って行った。
彼女は喪失を受け入れる時、誰かの胸には縋らない。
真実が死んだ時から、ずっとそうして生きてきた。




