こんな世界は嫌いだけどオムライスは美味しい
「お兄ちゃんおかえり、ご飯できてるよ〜」
「ありがと。あとで食べるよ」
「……だめ。まだ温かいから、冷める前に食べちゃって」
二階の自室へ向かおうとしたところで、居間から顔を出した加奈に呼び止められた。
夕食の匂いが鼻をくすぐる。確かに腹は減っているが、今は何かを食べる気分ではなかった。
それでも、加奈は譲らない。
仕方なく居間のテーブルに腰を下ろす。
「はい。今日は余った食材ごちゃ混ぜオムライスだよぉ」
「ありがと」
スプーンを動かしながら黙々と食べ進める。
加奈は頬杖をつき、こちらをじっと見つめていた。
いつもなら学校であったことを、うるさいほどに話しかけてくるのに。
「……なんかあった?」
「あったのはお兄ちゃんなんじゃないの?」
「え?」
「だって、変な顔してたから」
そう言って、加奈はわざと眉をひそめる。どうやら僕の表情を真似しているらしい。
「僕って、そんな怖い顔してた?」
「うん。不細工だった」
言葉選びが容赦ない。
「そっか。なぁ、妹よ」
「なんだ、兄よ」
「大切なものって、ある?」
「ん、家族」
即答だった。考える素振りすら見せない。
「お兄ちゃんと、お父さんと、お母さん。それだけ。他はいらない」
加奈の世界は驚くほど小さい。
登場人物は家族だけ。それ以上を望んでいない。
僕は兄として、言わなければならない立場なのだろう。
この世界は悪くない、と。
生きることは楽しいのだと。
「……その大切なものが、いなくなったらどうする?」
言葉にした瞬間、自分でも間違いだと分かった。
今の僕には、そんな問いを投げかける資格がない。
この世界が嫌いだ。
あの人を救ってくれなかった、この世界が。
「いなくなったら……」
加奈は少し考える。真剣な顔だった。
今さらだが、小学生に向ける質問ではない。
「泣くと思う。いっぱい泣いて、泣いて、泣き喚いて……死んじゃうかも」
小学生の口から出たとは思えないほど重い言葉。
「さすがは僕の妹だな」
「なんで褒められたか分かんないけど、まぁいいや」
加奈は笑い、僕はオムライスを口いっぱいに頬張る。
雑多な味が妙に優しかった。
僕は、いつか死ぬ。
彼女のことを完全に忘れてしまう、その前に。
それでも今は死ねない。
彼女に残されたものがあるから。
だからせめて、今できることを精一杯やろう。
⭐︎
「おはよ!」
下駄箱で靴を履き替えていると、後ろから肩を叩かれた。
振り返ると、笑顔の星奈さんが立っている。隣には同じクラスの女子生徒。
「月宮莉音。まさか名前すら覚えられてないとは思ってなかったわ、雨野君」
僕の反応で察したのか、彼女は自分から名乗ってくれた。
茶髪のボブヘアで、星奈さんとは違った雰囲気を持っている。
「ごめん、人の名前覚えるの苦手で……」
「クラスメートの名前くらいは、努力しなさいよ」
口調はきついが、気分を害した様子はない。
「林間学校も同じ班なんだから、これから関わるでしょ。よろしく」
「あ、そうなんだ。よろしくお願いします」
「……本当に興味ないのね」
「まぁまぁ、莉音。雨野君も悪気はないから」
星奈さんがフォローに入る。
今回は完全に僕が悪い。
そのまま三人で教室へ向かうことになった。
同時に入ると、一瞬だけ教室がざわつく。想定内だ。
席に着いて準備をしていると、男子生徒が近づいてきた。
「雨野」
人懐っこそうな笑みを浮かべ、わざわざ目線を合わせるためにしゃがむ。
「なに?」
「雨野って、星奈さんと仲いいよな」
「まぁ。同じ図書委員だし」
何度も言った説明だ。
「月宮さんとは仲いいん?」
「……今朝、初めて話した。多分印象最悪」
「ぶはは。何したんだよ」
「名前が分からなかった」
正直に言うと、彼は楽しそうに笑った。
「まだクラスメートの名前覚えてねぇの?」
「……うん」
「俺の名前も知らない?」
「……ごめん」
短い沈黙のあと、彼は笑った。
「夜久翔太郎。夜久でも翔太郎でもいい」
性格がいい人だと、すぐに分かった。
「最近、よく学校来てるよな」
「出席日数がやばくて」
「成績いいから先生悩んでたぞ」
「勉強はちゃんとしてるから」
「頭いいんだな。今度教えてくれよ」
「夜久は——」
「君付けいらねぇ。友達だろ」
軽く話しただけで友達認定。完全に陽キャだ。
「月宮さんのこと、気になるの?」
「あ、あぁ……まぁな」
分かりやすすぎる反応。
「好きなんだ」
「……分かるか」
顔を赤くして頷く夜久。
イケメンが照れる姿は、確かに絵になる。
「あれは手強いよ」
「分かってる。でも好きなんだよ」
「夜久なら普通に付き合えそうだけど」
「モテはするけどさ……」
嫌味がない。本当に。
「月宮さんの何がいいの?」
同時に声が重なる。
「何話してるの?」
星奈さんと、珍しく月宮さんも一緒だった。
「林間学校、同じ班だから」
夜久が自然にフォローする。
「……知らなかった」
「私と莉音、夜久君、雨野君、それと安曇君だよ」
指さされた先では、前髪で顔を隠した男子がスマホを触っていた。
目が合うと、小さく会釈する。礼儀正しそうだ。
「先生、露骨だな」
問題児と優等生を混ぜた班。意図は分かる。
「いっぱい喋ろうぜ!」
星奈さんも頷く。
月宮さんだけが、少し不機嫌そうだった。
周囲の視線が痛い。
やがてチャイムが鳴り、解散する。
「助かった……」
昼休み、夜久がまたやってきた。
「昼、一緒に食わねぇ?」
連れて行かれたのは屋上だった。
「普段は鍵かかってるけど、特別」
弁当を広げる夜久。
「すごい量だね」
「腹減るんだよ」
「自分で作ってるの?」
「妹と。親共働きだから」
「それ、全然恥ずかしくねぇぞ」
夜久は笑う。
「月宮さんに弁当作りてぇんだよな」
「本当に好きなんだ」
「当たり前だろ」
照れた笑顔。
「楽しいよな。誰かを好きになるって」
「……うん」
——とても、とても楽しかった。




