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白紙の人生をゆっくり歩こう ~宝来奏絵のスロー・フォーチュンテリング  作者: C@CO


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3/10

第3話

 数日後、奏絵はカフェ「ノクターンテーブル」でコーヒーカップを再び傾けていた。


 チェリーと柑橘で混ざったアロマが鼻をくすぐる。


 今日のおすすめのコーヒーはアフリカの内陸国ルワンダで栽培されたもの。


 一口口に含めば、酸味と苦味の奥にあるジャムのような甘さが、彼女の目元を柔らかくする。


 カップをテーブルに置くと、目の前を横切るように、妖精のドロシーが飛んで行った。


 目線が彼女を追ってしまう。


 でも、目の動きはドロシーを追い続けることなく、途中で止まった。


 止まった目線の先、カウンターで注文をしているカップルに見覚えがあったから。正確に言えば、カップルの片方に見覚えがあった。


 テイクアウト用のアイスコーヒーを受け取った彼女と彼が奏絵の方を向くと、彼女、宮内沙羅は彼を引っ張るように迷いなく近づいてきた。


 そして、奏絵の所まで来ると、


「先日はありがとうございました」


 沙羅が勢いよく頭を下げた。


「……ありがとうございます」


 彼もつられたように頭を下げるが、


「ちょっと何よ、その言い方は」


「……いや、だって」


「だっても、なにも、ないでしょ」


 このやりとりだけで二人の力関係が垣間見え、思わずかすかな笑みを浮かべてしまう。


「別に構わないわ」


 そう言って、視線を動かす。動かした先は、しっかりと恋人繋ぎで結ばれた沙羅と彼の手。


「あれからについては確認するまでもないわね」


「はい!」


「なら、今日はこれから……も聞くまでもないか」


「はい! デートです!」


 先日の制服ではなく、デートのために気合が入った私服。


 その顔は「楽しみで楽しみでしょうがない」と雄弁に物語っている。加えて、「幸せで一杯だ」とも。


 そんな彼女を見つめる彼の瞳にも愛おしさで満ちている。


「そう。なら、楽しんできて」


「はい!」


 満面の笑顔を残した沙羅たちの後姿を見つめながら、奏絵の心は春の木漏れ日の温もりに包まれていた。


 ――もう、昔には戻れないわね。


 政治家に、会社や法人のトップを占っていた時。その頃は何も感じることは無かったが、冬の木枯らしに吹き晒されていたことを、奏絵は知ってしまった。


 かつては、政治、経済に関する様々なことを占っていた。それこそ、日本という国の未来へ向けた舵取りに関わることすらも。


 今は、沙羅のような恋愛事、恵梨果が抱えていた悩みなどを占う。かつての奏絵の客たちからすれば、ほんの些細なこと。「くだらない」と嗤うかもしれない。それでも、


 ――今が一番幸せだ。


「~~でございます! 大変ご迷惑をおかけしております。ですが、わたくしにいま一度チャンスをお与えいただけますよう、お願いに参りました! よろしくお願いします! よろしくお願いします!」


 けれど、感慨に浸り続けることは許されなかった。


 カフェがある交差点の斜向かいに止まった選挙カーのスピーカーから、男の声が大音量で響き渡る。先日とは違う候補者のだ。


 奏絵の目元を固くさせたうえで、


『女が妊娠したから堕胎させたい。どうしたらいい』


 その名前によって引き起こされた記憶が眉をひそめさせる。


 大臣も務めた与党の有力政治家だったが、今回の選挙では無所属で立候補している。党からは刺客も立てられた。


 なぜ? 週刊誌によって女性スキャンダルを抜かれたから。


 8年前も同じスキャンダルを彼は隠していた。週刊誌に抜かれた相手とは別の女性。


 ――懲りない男。


 隠しきる方法を知るために、占いにやって来た。


 祖母に連れられたその時10歳の奏絵を前にしても、彼は後ろめたさを見せることはなかった。


 占いの結果を聞いて、控えていた秘書に面倒くさそうに言った。


『おい! 後は適当に処理しておけ』


 あの頃の客には彼ほど驕った人間はいなかったが、男も女もみんな似たような空気を持っていた。


 ――もっとも、もう私には関係無いわね。


 と、奏絵が気がついたら、妖精のドロシーが目の前にいた。でも、彼女の視線は奏絵に注がれているのではなく、その後ろへ。


 つられて、振りむこうとしたら、


「ぴあっ!」


 頬にあたった冷たい何かに、思わず悲鳴を上げてしまった。


 心を落ち着かせて、もう一度振り向いたら、アイスコーヒーが入ったグラスを手に持った笑顔の梨々花の姿。


「梨々花。二度と今のようなことはしないで」


「ごめん。ごめん。二度としません」


 凍えるような奏絵の声にも動じず、梨々花は笑顔のまま前に座った。そして、


「あたし、今度の選挙が初めての投票だけど、あの候補者には投票しないなあ」


 選挙カーの方向を向いてそう言った彼女の顔からは一瞬だけ笑顔が抜け落ちていた。


 まるで、抜け落ちていたのは見間違いだったかのように、すぐに奏絵の方に向いた時にはパッと笑顔が浮かんだが。


「それ以前に、期日前投票で投票してしまったから、あの人に投票することはもうできないんだけどね。投票日の週末はアイドルのライブに行ってくるから」


「ふーん」


 奏絵は興味なさげに聞き流す。少しでも反応してしまうと、怒涛のように梨々花の今イチ推しの布教活動が始まるから。


 彼女の笑顔が今日も眩しいから、目もあまり合わせない。


 コーヒーカップを口元に運び、一口口に含む。


 ――そう言えば、梨々花と初めて会った時に飲んだコーヒーもこれだったかしら。


 チェリーと柑橘で混ざったアロマが過去の記憶を呼び覚ます。


 それは恵梨果との共同生活を始めて間もない頃だった。


『ねえ。あなた、タロット占いやっているの?』


 隣の席に座った彼女は、テーブルの上にたまたま置いていたカードに目をとめて、声を掛けてきた。


 この頃は髪を金色ではなくて茶色に染めていた。


 笑顔を浮かべていたが、今のように眩しくなかった。薄っぺらで、まるで仮面のように見えた。


 声も明るく弾んではいなかった。暗く重たいものを感じさせた。


『あたし、さっき、男に告白されたんだよね。ビビッて来るものが無かったから保留にしたんだけど。ねえ、OKするか、断るか、占ってみてよ』


『……なら、カードを引いてみる?』


 奏絵はカードの束を差し出した。


『上から一枚ずつ2回引いて。1回目はOKした場合、2回目は断った時のことをカードが教えてくれるわ』


 求めたことなのに、彼女は面倒くさそうに一枚引いた。


『OKした場合は「塔」。突然の破局、崩壊、予期せぬ痛み。良い恋にはならないわね。痛みがあなたの世界を壊してしまうかもしれない』


 彼女の眉がひそめられた。


『なら、2枚目を引いて……そう。断った場合は「隠者」。内省、孤独、閉じこもった時間。あなたを取り巻く世界は変わらない。今のまま』


『……あなたならどっちを選ぶ?』


『どちらを選ぶかはあなた自身。自分の人生はあなたが自分で決めるべきよ』


 彼女は舌打ちをしたそうに顔をゆがめた。


 それでも、迷いながらも一枚のカードを手に取った。


『こっちを選んだなら、壊れたあたしはどうなるの?』


 選んだカードは「塔」。


『なら、もう一枚カードを引いて。引いたカードがあなたのその先を教えてくれる。ただし、断っておくけど、カードを引いたら、「隠者」を選んだ時の未来を知ることは出来ないわ。それでもいい?』


 妖精のドロシーがカードを入れ替えた。


『……いい。引かせて』


 もう一枚、彼女はカードを引く。


『3枚目のカードは「太陽」。がれきの中から光を見出す。新しい希望。新しい世界があなたを待っているわ』


「ねえねえ。奏絵、私の話を聞いてる?」


 身体を揺さぶられて、過去から現在に引き戻された。


「……聞いてなかったわ」


「ぶー。ひどーい」


 結局、梨々花の恋愛は2週間で幕を閉じた。再び、奏絵の前に姿を現した彼女は俯いて、その表情を髪に隠して見せなかった。


『浮気された』


『そう』


『しかも、浮気相手は私の友達だった』


『そう』


『別れる』


『そうしなさい』


『でも、ムカつく』


 彼女の拳が力を込めて強く握りしめられていた。


 でも、見て見ぬふりをして、切って捨てるように言った。


『忘れなさい。そんな人間にエネルギーを費やすのは無駄よ』


 沈黙が下りた。聞こえてくるのは、カフェの喧騒とBGMのピアノの音色。


 それと、カップに入ったコーヒーを一口口に含んだ後、テーブルへ戻した時に触れる乾いた音。


 しばらくして、


『……ありがと』


 そう言い残して去った後ろ姿が彼女の茶色の髪を見た最後だった。


 2日後、髪を金色に染めた彼女は、


『私の名前は畑岡梨々花。親友になりましょ』


『……親友ってなに』


 それは奏絵にとって未知の存在だった。


 姿を消した母、師だった死んだ祖母、そして、占いの客。最近加わった姉的存在の恵梨果。


 これが奏絵の世界の全てだった。


『え? ……改めて聞かれると何かな? 何でも相談できて話せる人?』


『なら、無理ね』


『えー! なんで?!』


『占った人のことは個人情報よ』


『そうかもしれないけど。そっちは話せなくてもいいからさあ。親友になろうよー』


『いや』


 切って捨てても、梨々花が離れることはなかった。何度もアプローチしてきている。それは今日も。


「ねえ、カラオケに行こうよ」


「行くなら一人で行くか、他の友達を誘いなさい。私は塾に行く時間よ」


「いいじゃん。たまには親友の私を優先してくれても」


「誰が親友よ」


「つれないなあ」


 冷たい反応を返しても、傷ついた様子もなく、梨々花はいつものように屈託のない笑顔を浮かべる。


 もう数えきれないほど繰り返している。


 一度だけ、「なぜ」と聞いてみたことがある。


『なぜ、そんなに私に付きまとうの?』


『……愛?』


 ――アホらしい。


 とは思ったが、言葉にして口から出ることはなかった。


 ――そんなことをしてはいけない。


 なぜか、そう思ったから。


 その理由を奏絵は今でも分からないでいる。

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