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短編集『成長』

僕と先生の腕相撲日記

作者: 佐伯 修二郎

 こちらは新しく日記仕立てにした『僕と先生の腕相撲日記』です。

 3月20日をもって『僕と先生の腕相撲日記(旧)』は削除しました。「感想」や「いいね」をくださった方々、ありがとうございました。ぜひ、こちらも読んでいただけると嬉しいです。


 約8,000文字の短い物語ですが、成長の大切さや本当の強さとは何かを考えながら、心を込めて書きました。

 この物語が、誰かの心に少しでも響いてくれたら嬉しいです。

 



 ――第1話『先生との出逢い』――



 2019年4月15日(月)


 高校に入学して一週間が経った。新しい環境、新しいクラスメイト。でも、僕――若林わかばやし俊介しゅんすけは、もう少し疲れを感じてる。


 昔から気が弱くて、運動も得意じゃない。中学時代は目立たないタイプで、からかわれることも多かった。高校に入れば変わるかなって期待してたけど、今日も昼休みに同じようなことが起きた。教室の隅で弁当を食べてたら、クラスの数人が僕を見てクスクス笑ってた。その内の一人が近づいてきてた。


「なんでそんな猫背なん? シャキッとしろよ」


 そう言って肩を押してきた。わざと強めに。バランス崩して箸を落としちゃった。


「あー、悪い悪い!」


 悔しかったけど、何も言えなかった。「悪い悪い!」って言うけど、全然悪いと思ってなさそう。周りも笑ってる。言い返したら面倒になるだけだ。じっと耐えるしかないって思ってたら、突然背後から低い声がした。


「おい、お前ら」


 振り返ると、体育教師の神谷かみやまこと先生が立ってた。身長は180cm以上あって、がっしりした体格。腕はシャツの袖をピチピチに張らせるほど太く、肩幅も広かった。そして何より、顔は厳ついのに、いつも穏やかで優しげな表情をしてる。体育の時間でも、ただ厳しく指導するのではなく、できない生徒には根気よく教え、できたら大げさに褒める。その姿勢が生徒に人気だった。


「人の昼飯を邪魔するのがお前らの娯楽か?」


 静かに言うけど、迫力がすごい。からかってた連中は顔を引きつらせて、口ごもってた。


「そんなつもりじゃ……」

「なら、今すぐ謝れ」

「すみません」


 渋々謝って、彼らは逃げるように去った。静かになった教室で、僕は助けられた嬉しさと情けなさで複雑な気分だった。先生は落ちた箸を拾ってくれて、聞いてきた。


「大丈夫か?」

「あ、はい……すみません」

「謝る必要はない。飯、ちゃんと食えよ」


 そう言って肩を軽く叩いて去っていった。その手の感触が、なんか心に残ってる。


 放課後、体育館の前を通ったら、先生が一人で片手腕立て伏せしてた。ゆっくり、まるで重さを感じてないみたいに。全身が鍛え抜かれてて、力強くて美しい。思わず見入ってたら、先生が気づいた。


「お、若林か。どうした?」

「……先生って、なんでそんなに鍛えてるんですか?」


 気づいたらそんなこと聞いてた。先生は少し驚いた顔してから、腕を回しながら答えてくれた。


「うーん……まぁ、俺は昔から鍛えるのが好きだったってのもあるかな。それに、身体を鍛えておけば、いざってときに生徒を守れるかもしれないだろ?」


 素直にかっこいいと思った。


「じゃあ、もし努力すれば、僕でも先生みたいになれますか?」


 先生は目を細めて考えて、ゆっくり頷いた。


「もちろんだ。筋肉は裏切らない。努力した分だけ、必ず返ってくる」


 その言葉に何か弾けた。努力すれば変われるかもしれないって。


「先生、僕、先生に腕相撲で勝てるようになりたいです」

「ん? 腕相撲?」

「はい。僕、今のままじゃ嫌なんです。強くなりたい。だから、卒業するまでに、先生に腕相撲で勝ちます!」


 無謀すぎるって自分でも思った。でも、それが僕の決意だった。先生は一瞬驚いて、それから満面の笑みになった。


「いいじゃねえか! なら、しっかり鍛えろよ。若林の挑戦、受けて立つ!」


 こうして、僕の高校生活が動き出した。



 ――第2話『挑戦と敗北の日々』――



 2019年4月23日(火)


 筋トレを始めた。でも、何をどうすればいいか全然分からない。本やネットを見ても専門用語ばっかりで頭が痛くなるし、ジムに通うお金もない。だから、とりあえず家で腕立て伏せと腹筋から始めた。最初は情けないくらいできなかった。腕立て伏せ10回で息上がるし、腹筋も続かない。それでも、やらないよりマシだと思って毎日やってる。


――――――――――――――――――――


 2019年5月15日(水)


 今日、初めて先生に腕相撲を挑んだ。体育の授業が終わった後、意を決して職員室の前で声かけた。


「先生、勝負してください!」

「お、いよいよか?」


 先生はニヤリと笑って、机を指さした。机の上で、先生のごつい腕が置かれた。岩みたいで、見るからに強そう。


「じゃあ、いくぞ」


 全力で握って、合図と同時に力を込めた。一瞬だった。何の抵抗もできず、先生の手で机に叩きつけられた。


「……え?」

「あはは、まだまだだな」


 先生は笑いながら肩を軽く叩いてきた。悔しかったけど、予想はしてた。筋トレ始めたばかりで勝てるわけない。でも、やっぱり負けると悔しい。


「……もっと強くなって、また挑戦します」

「おう。何度でも受けて立つぞ」


 こうして、挑戦と敗北の日々が始まった。


――――――――――――――――――――


 2019年6月13日(木)


 毎日、腕立て伏せとダンベルを使ったトレーニングを続けてる。最初は腕が痛くて仕方なかったけど、少しずつ慣れてきた。今日、また先生に挑戦したけど、やっぱり一瞬で負けた。


「まだまだだな!」


 悔しいけど、続けるしかない。


――――――――――――――――――――


 2019年7月11日(木)


 また先生に挑んだ。少し筋肉がついた気がしたけど、結果は同じ。一瞬で倒された。負けるたびに悔しいけど、諦めるつもりはない。


――――――――――――――――――――


 2019年9月17日(火)


 夏休み中も、休み明けも、筋トレを続けてる。今日は久しぶりに先生に挑戦。やっぱり負けた。でも、今回はほんの少しだけ耐えられた気がする。


「少し良くなってるぞ」


 先生がそう言ってくれたのが嬉しかった。


――――――――――――――――――――


 2019年11月14日(木)


 筋トレを始めて半年経った。体育の授業で「お前、ちょっとゴツくなってきたな」ってクラスメイトに言われた。今日も先生に挑戦したけど、完敗。毎回全力で挑んでるのに、先生はいつも余裕そうな表情で倒してくる。でも、挑戦するたびに先生が言ってくれる。


「いいぞ、少しずつ強くなってる」


 気づいたんだ。最初は歯が立たなかったのに、少しずつ耐えられる時間が長くなってる。先生もそれを感じてくれてるのかも。


「続けろ。若林の努力、俺はちゃんと見てるからな」


 その言葉が励みになった。


――――――――――――――――――――


 2020年2月13日(木)


 また先生に挑んだ。結構、筋肉がついてきたけど、やっぱり負けた。でも、前よりは長く耐えられた。少しずつでも進んでるんだって実感してる。



 ――第3話『仲間とともに』――



 2020年4月8日(水)


 今日から高校二年生になった。生活は相変わらず。授業を受けて、昼飯食って、放課後や帰宅後に筋トレ。そして定期的に先生に腕相撲挑んでは負ける。でも、体は確実に変わってきてる。腕が太くなって、肩回りも大きくなった。体育の授業で腕立て伏せをやると、昔は10回が限界だったのに、今は100回くらいなら軽々できる。クラスメイトの反応も変わってきた。


「お前、腕すげえな」

「なんかゴツくなったな。格闘技でもやってんの?」

「腕相撲しようぜ!」


 からかわれることは減って、筋トレの話題で話しかけられることが増えた。少し嬉しい。でも、先生にはまだ勝てない。どれだけ鍛えても遠く及ばない。


 今日、転校生の榊原さかきばら友真ゆうまがクラスに来た。背が高くて引き締まった体、目つきは鋭いけど落ち着いた雰囲気。そんな彼と昼休みに偶然話す機会があった。


「お前、結構鍛えてるよな」


 榊原が僕の腕見てそう言ってきた。


「まあ……ちょっとだけどね」

「腕相撲、得意?」

「得意……ではないけど、ずっと挑戦し続けてる」

「挑戦?」

「僕、体育の神谷先生に腕相撲で勝ちたいんだ。でも、まだ一度も勝てたことがない」


 榊原は少し驚いた顔して、それからフッと笑った。


「……なるほどな。面白い目標だ」

「榊原は? 運動得意なの?」

「まあな。俺、前の学校でレスリングやってたんだ。筋トレも専門的にやってたし」


 その瞬間、榊原なら僕に足りないものを教えてくれるかもって思った。


「なあ、僕に筋トレのコツを教えてくれないか?」

「俺が?」

「うん。僕、独学でやってるんだ。正直、効率いいのか分からなくてさ。でも、もっと強くなりたい。だから……頼むよ!」


 榊原は少し考えて、小さく笑った。


「いいぜ。面白そうだからな」


 こうして、本格的なトレーニングが始まることになった。


――――――――――――――――――――


 2020年4月9日(木)


 放課後、体育館の端で榊原に腕立て伏せをチェックしてもらった。


「まず、フォームを見直せ。お前、腕立て伏せの時に肩に力入りすぎてる。これだと腕じゃなくて肩の負担が大きい。腕相撲なら、もっと上腕二頭筋と前腕を意識しろ」

「腕立て伏せって、やり方でこんなにも違うんだ……」

「当たり前だろ。筋トレはやみくもにやるんじゃなく、どこに効かせるかが大事なんだよ」


 榊原は実際にやって見せてくれた。動きが洗練されてて、神谷先生みたいだった。


「次に握力だ。腕相撲はただの腕力勝負じゃない。握力が強くないと、相手の腕を制御できない」

「握力か……」

「ハンドグリッパー使え。あと、懸垂もやるといい。前腕を鍛えるには効果的だ」


 言われた通りに進めてる。今までの独学は効率悪かったんだなって実感した。筋肉痛に苦しむけど、鍛えた分だけ強くなってる気がする。


――――――――――――――――――――


 2020年6月18日(木)


 今日、また先生に挑戦した。


「お、また来たか。今度はどれくらい粘れるかな?」


 先生は笑いながら席についた。僕も深呼吸して、握力を意識しながら手を組んだ。


「いくぞ……せーの!」


 スタートと同時に力を込めた。今までと違った。先生の腕が、わずかに動いた。


「ほう?」


 先生の表情が変わった。僕の力が伝わってるのが分かる。そこから必死の攻防。押し倒せないけど、10秒以上耐えられた。


「なかなかやるな」


 先生が少し本気出した瞬間、腕を押し付けられた。負けた。でも、今回は明らかに違った。


「成長してるな、若林」

「……僕、強くなってますか?」

「ああ。少しずつ、だが確実にな」


 その言葉が何より嬉しかった。


――――――――――――――――――――


 2020年9月16日(水)


 相変わらず、榊原とトレーニングを続けている。今日また先生に挑んだ。前より耐えられるようになったけど、やっぱり負けた。でも、確実に手応えが増えてる。


――――――――――――――――――――


 2020年10月15日(木)


 今日も先生に挑戦。結構粘れたけど、やっぱり負けた。でも、今回は15秒くらい耐えられた気がする。少しずつ近づいてる。


――――――――――――――――――――


 2020年11月17日(火)


 また先生に挑んだ。榊原の指導のおかげで、握力が強くなってるのを感じる。それでも負けたけど、先生の腕がちょっとだけ揺れた。


「やるじゃねえか」


 先生が笑って言ってくれた。


――――――――――――――――――――


 2021年1月14日(木)


 冬休み明け、久しぶりに先生に挑戦。負けたけど、20秒近く耐えられた。確実に強くなってるって実感できた。



 ――第4話『積み重ねた日々』――



 2021年4月8日(木)


 今日から高校三年生になった。この一年で体がさらに変わった。腕周りが更に太くなって、肩幅も広くなった。クラスメイトからも「若林、もう普通にゴツいな」って言われる。入学当初、僕をからかってた連中も、今は気軽に話しかけてくる。正直嬉しかった。筋トレを始めて、学校生活や人間関係も大きく変わった。でも、目標は変わらない。先生に腕相撲で勝つこと。今まで何度も挑んで、何度も負けた。それでも、先生の手を握るたびに強くなってるのを感じる。


――――――――――――――――――――


 2021年4月14日(水)


 三年生になって初めて先生に挑戦した。腕が震える。全力で押してるのに、押し倒せない。


「いいぞ、その調子だ」


 先生は笑ってるけど、腕にこれまでと違う力が入ってるのが分かる。今までは圧倒的な力で倒されてた。でも今は、先生が僕の力を受け止めて押し返してる。


「……はあっ!」


 最後の力を振り絞ったけど、先生の腕が一気に動いて、僕の腕が机に押し付けられた。また負けた。息を切らしながら先生を見上げた。


「もうちょっとだったな」

「……ちくしょう」


 先生は笑いながら肩叩いてきた。


「本当に強くなったな、若林。最初にお前が俺に挑んできたときのこと、覚えてるか?」

「……覚えてます。何もできずに、一瞬で負けました」

「そうだったな。でも今は、ちゃんと俺に食らいついてる。お前は、立派に成長してるよ」


 嬉しかったけど、同じくらい悔しかった。あと少しで届きそうなのに。卒業までに絶対勝つって、改めて誓った。


――――――――――――――――――――


 2021年7月8日(木)


 また先生に挑んだ。先生の腕に以前より力が加わってるのが分かる。それでもやっぱり負けた。悔しいけど、手応えは確実に増えてる。


――――――――――――――――――――


 2021年10月19日(火)


 また挑戦。今回は40秒近く耐えた。でも、最後は押し切られた。あと少しなんだって感じるたびに、もっと頑張ろうって思う。


――――――――――――――――――――


 2021年12月16日(木)


 榊原とのトレーニングは続いてる。最近はさらに熱が入ってる。


「もう腕相撲のためだけじゃないな、お前の筋トレ」

「……そうかもね」


 確かに、最初とは目的が少し変わってきた。というより増えた。ただ勝ちたいだけじゃなく、トレーニングを学ぶのが楽しい。


――――――――――――――――――――


 2022年3月1日(火)


 卒業式まであと一週間。放課後、体育館で一人ベンチに座って三年間を思い返してた。入学した頃、気が弱くて、いじめられることもあった。そんな僕を助けてくれたのが神谷先生。あの時、先生に憧れて、腕相撲で勝つと決めた。何も知らずに始めた筋トレ。負け続ける日々。榊原との出会い。成長を感じながらも、先生の強さに届かない。今、卒業式を迎えようとしてる。天井見上げたら、涙がこぼれた。この三年間、本当に楽しかった。



 ――最終話『卒業、おめでとう』――



 卒業式の朝、校門をくぐった瞬間、いつもと違う空気を感じた。

 式のために身なりを整えた僕たちは、少しだけ大人びて見える。いつものようにクラスメイトとふざけ合いながら、これが高校最後の日なんだと実感する。


 体育館に入り、卒業式が始まる。校長の話、在校生代表の送辞、卒業生代表の答辞……すべてが終わりに向かって進んでいく。


 そして、卒業証書の授与が始まった。クラスごとに名前が呼ばれ、生徒たちが壇上で証書を受け取っていく。


 そして、名簿の最後にいた僕の名前が呼ばれる。


「若林俊介」


 ゆっくりと壇上へ歩き、校長から卒業証書を受け取る。それを胸に抱えながら、僕は思った。


 ――これで、本当に終わりなんだな


 席に戻ろうとしたとき、僕は足を止めた。そして、会場を見渡した。クラスメイトや教師たち、保護者の方々――そして、神谷先生がこちらを見ている。


 今しかない。最後の勝負を挑むなら、ここしかない。


 僕は振り返り、壇上に立ったまま声を上げた。


「神谷先生!」


 会場がどよめく。先生は驚いたような顔をしながら、僕を見た。


「最後にもう一度……勝負してください!」


 どよめきが歓声に変わる。クラスメイトたちが「おお!」「やるのか!?」と盛り上がっているのが分かる。

 先生は一瞬考えるような表情をした後、ゆっくりと立ち上がった。


「……分かった」


 先生は壇上へ上がり、僕の前に立った。そして、僕に向かって手を差し出す。


「お前の三年間の努力、見せてみろ」


 体育館の壇上で、僕たちは向かい合い、机に肘をついた。

 生徒たちは総立ちになり「頑張れー!」と声を上げている。教師たちや保護者の方々も、興味津々に見守っているようだった。


 僕は深く息を吸い、先生の手を握った。

 先生の手は相変わらず大きく、分厚く、逞しい。でも、今の僕はあの頃の僕とは違う。


 校長が、小さく笑いながら言う。


「じゃあ……始め!」


 勝負が始まった。


 僕は全力で押し込んだ。


 先生の腕が揺れる。


 今までと違う。圧倒的な力の差を感じていた、あの頃とは――


「おおっ!?」

「押してるぞ!」


 歓声が上がる。僕の力は、確実に先生の腕を押していた。

 先生の表情が変わる。今まで以上に真剣な顔だ。


「……やるな」


 先生の腕に、さらに力が込められたのを感じた。僕の腕はじりじりと押し返された。


 やっぱり先生は強い。結局、最後まで勝てないのか。そう思ったその時――


「頑張れぇ! 負けるな若林!」


 みんなの声援の中、榊原の声が鮮明に聞こえた。その声を聞いて、僕はこれまでのことを思い出した。


 先生や榊原と積み重ねてきた日々が、僕の学校生活を彩ってくれた。楽しかった三年間――僕は満足している。


 それでも……どうしても先生に勝ちたい。僕を助けてくれて、負けるたびに励ましてくれた、そんな憧れの神谷先生に――成長した僕の姿を見せたい。


 僕は歯を食いしばり、最後の力を振り絞った。三年間の”すべて”を込めた。


 僕の腕は、少しずつだが先生の腕を押し返していた。


 ――腕が震える。汗が滴る。限界が近い。


 あと少し。あと少しで――!


 その瞬間、先生が僕に小さく微笑み、そして呟いた。


「卒業、おめでとう」


 次の瞬間、先生の力が抜け、僕の手が先生の腕を押し倒した。


 一瞬、体育館に静寂が訪れたのを感じた。そして――


「おおおおおおおお!!!」


 体育館が歓声に包まれた。クラスメイトたちが大声で叫び、他の生徒や保護者の方々が拍手し、教師たちが笑顔で頷いている。榊原は上を向いて、涙をこぼしながら、僕のいる方にガッツポーズをしていた。


 僕は息を切らしながら、目の前の先生を見つめた。


「先生……」


 先生は満足げに笑っていた。


「負けたよ、完敗だ」


 その言葉を聞いた瞬間、涙がこぼれた。

 僕は、やっと先生に勝てたんだ。憧れの神谷先生に。


「ありがとうございました!」


 そう言って深々と頭を下げると、先生の大きな手が僕の頭を撫でたのがわかった。力強く、それでいて優しく。

 変わらず大きくて逞しく、温かい手だった。



 ***



 そうして卒業式が終わると、退場する僕を先生が呼び止めた。


「若林、本当に強くなったな」

「……まだまだです。でも、やっと一歩前に進めた気がします」


 先生は嬉しそうな表情を浮かべていた。


「で、卒業後はどうするんだ?」

「スポーツトレーナーを目指そうと思ってます。先生や榊原と出会って、トレーニングをして、成長する楽しさを知りました。だから、今度は僕が誰かの力になりたいんです」

「……いいじゃないか。お前なら、きっとなれるよ」


 僕は先生と固く握手を交わした。


 そう、この三年間があったから今の僕がいる。そしてこれから、また始まる。


 僕は、前を向いて歩き出した。



 ――エピローグ『続いていく道』――



 大学生活が始まった。

 僕はスポーツ科学を学ぶために、体育学部のある大学に進学した。高校時代とは違い、周りには運動経験のある連中が多く、僕はまた一から学ぶことになった。でも、それが楽しかった。


 筋トレやスポーツの理論を学びながら、僕は将来、スポーツトレーナーとして誰かの力になりたいと本気で思うようになっていた。


 ある日、スマホに通知が来た。先生からのメッセージだった。


『元気か? 大学生活はどうだ?』


 僕は先生からのメッセージに嬉しくなり、すぐに返信した。


『元気ですよ! 今度、久しぶりに勝負します?』


 少しして、先生から返信が来る。


『いいぜ。次は負けないけどな』


 短いやりとりだったが、なんだか嬉しかった。卒業しても、こうして先生と繋がっていられる。それが、僕にとって何よりの励みになっていた。


 大学生活は忙しかったが、高校の仲間たちともたまに連絡を取っていた。

 特に、榊原とは今でも交流がある。


「お前、ちゃんとトレーニング続けてんのか?」

「当たり前だろ。むしろ、こっちの方が本格的に学んでるよ」

「ほー、じゃあ今度は俺が教わる側になるかもな」

「そのときは、みっちり鍛えてやるよ」


 榊原は相変わらずだった。大学は別々だが、互いにトレーニング仲間としての絆は変わらないと信じている。


 高校を卒業しても、僕の道は続いていく。まだ夢の途中だ。

 いつかスポーツトレーナーとして、多くの人を支えられる存在になるために。


 今日もまた、僕はトレーニングに励む。


 おわり。


お読みいただきありがとうございました。 もし楽しんでいただけましたら、ブックマークや感想、レビューをいただけると励みになります。

連載中の『30歳無職だった俺、いきなり女性VTuberになる。』も読んでいただけたら嬉しいです。

よろしくお願いいたします。

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