餅を買ったトッケビ
ある村の餅屋は、ふと、今まで行ったことのないところで餅を売ってみようと思い立った。
餅屋のこねる餅は、村で大評判だった。食べるとほんのり甘く、舌触りが良いからだ。宴会やお祭りがある時は、その餅屋が必ず呼ばれた。
ところが、村を出て、知らない村で餅を売り歩いても、餅は1つも売れなかった。おまけに、どんどん歩いていくうちに、餅屋は山の中に迷い込んでしまった。
夕方になっても、餅屋は山の中をとぼとぼと歩いていた。朝こねたばかりの餅はとても重く、彼の足取りは自然に遅くなった。この山には虎が出るといううわさがある。獣の吠え声が遠くから聞こえるたびに、餅屋はびくびくした。
もうすぐで、太陽の最後のかけらが沈むという時に、餅屋は竹やぶのそばにやってきた。
どこからともなく、奇妙な声が聞こえる。
「おい、そこの餅屋。お前の餅を、俺にも1つ売ってくれないか」
餅屋はその声を不気味に思ったが、なにせ餅はどっさり残っていたので、「いいとも」と答え、背負っていた木の箱を開いた。
「一番大きいのを、やぶに向かって投げてくれ」
と、言われたので、餅屋は白くて大きなもちを1つ取り上げ、竹やぶに放り込んだ。しばらくすると、むしゃむしゃと餅を食べる音が竹やぶの中から聞こえてきた。
「ああ、うまい。1つじゃ、とても物足りない」
餅屋は思わず、こう言った。
「そんな遠くいないで、近くに来たらどうだね」
すると、がさがさと笹をかきわけて、恐ろしい姿のトッケビが現れた。餅屋は怖くなったが、餅を食べてくれた大事なお客様でもあるので、何も言わないでいた。
トッケビは、餅屋が渡す餅を5つも食べ、満足して膨らんだ腹をなでた。
「うまかった。だが、俺は人間のお金を持ち合わせていないんだ。その代わり、お前に良いことを教えてやろう。もうしばらく、この道をまっすぐ歩いていくと、大きなお屋敷がある。そこで餅を売るがいい。そして、今晩は泊まっていけと言われるから、ありがたく泊めてもらうのだ。ただし……必ず守らなければならないことがある」
トッケビは、声をひそめ、餅屋に忠告した。
「案内された部屋以外は、決してのぞいてはならん。寝泊まりする部屋では、必ず4つんばいで歩き、出された料理は手も箸も使わずに食べるのだ。ああ、それと、もう1つ。自分のことを何か聞かれたら、はっきりと返事をしてはならん」
トッケビは、餅屋に青い小刀をひとふりくれた。
「これを、いざという時のために、持っていくがいい」
言うが早いか、トッケビは姿を消し、後には餅屋だけが残った。
餅屋は、教えられたとおりに、山の奥深くへと続く道をまっすぐ歩いた。すると、山の中とは思えぬほど大きく立派な屋敷があった。
扉を叩くと、下女が顔を出した。
「餅はいりませんか?」
すると、中から何人もの人が出てきて、餅を食べたいと口々に言った。餅屋は、木箱の中の餅を残らずこの屋敷で売り切ることができた。屋敷の主人は体の大きな、毛深い男で、気前よくお代を払ってくれた。
そのうえ、主人は餅屋にこう提案した。
「もう辺りはすっかり夜だ。山道を歩くのは人間には辛かろう。今晩は、ここに泊まっていくがいい。おいしい餅のお礼に、あなたをたっぷりもてなそう」
餅屋は、トッケビの言う通り、その屋敷に泊まることにした。下女が、一番大きな部屋に案内してくれた。途中にはいくつも扉があったが、餅屋は見向きもしなかった。宮廷料理かと見まがうばかりの豪華な料理が次々と運び込まれた。
餅屋は、下女に料理の世話をしてもらいながら、手も箸も、お椀さえ使わずに料理を平らげた。ちょっと部屋の中を動くのにも、両手足を使って4つんばいに歩いた。
下女は、餅屋のふるまいをじっと見ていたが、何も言わなかった。食後の酒を取りに彼女が部屋を出た後、餅屋はほっとひと息をついた。
その時、餅屋は食器をのせる盆のへりにごみがついているのを見つけた。捨てようとつまみ上げると、それは1本の黄色い毛だった。
下女が戻ってきて酒をつぐと、餅屋は舌をのばし、ぴちゃぴちゃと酒をなめてみせた。下女は呆れているようだった。
「あなた、本当に人間ですか?」
馬鹿にされているような口調でそう聞かれ、思わず餅屋は答えた。
「はい」
食事の後は、分厚い布団をしいてもらい、ぐっすりと眠った。だが、真夜中になって、雷のような音を聞いた気がして餅屋はふと目を覚ました。
部屋の中で、荒い息の音が聞こえた。餅屋ははっと布団の中で身を固くした。彼の周りをぐるぐると歩き回っているらしい、静かな足音も聞こえた。おまけに、生臭いにおいが漂ってきた。
フンフンと体の匂いをかがれている気配がして、餅屋は震え上がった。扉をすーっと開けて、何者かが次々と入ってくる。
雷のような音は、ずっと続いている。その音の正体に思い当たって、餅屋は真っ青になった。
獣が、のどを鳴らす音だ。
もう我慢ができなかった。餅屋は体を丸め、叫んだ。恐ろしいうなり声が上がり、何頭もの獣が、餅屋に襲いかかった。
ところが、つづいて聞こえてきたのは、獣の悲鳴だった。おそるおそる餅屋が布団から顔をだすと、月明かりの中で、大きなたくさんの虎が、血しぶきをあげながら跳ね回っていた。
虎たちが戦っていた相手は、青い小刀だった。小刀はいつの間にか餅屋のふところを飛び出し、虎たちを切りつけていた。あちこち大けがをした虎たちは、とうとう逃げ出した。残りの虎も、皆続いて飛び出して行った。
餅屋は、虎がいなくなった後で、布団から抜けだし、小刀を拾った。そして、屋敷の中に誰もいない様子であることを知ると、さきほど開けなかった他の部屋の扉を開けて回った。
最初の部屋には、人間の骨がぎっしりとつまっていた。2番目の部屋には、1頭の大きな虎が死んでいた。3番目の部屋には、目も眩むような黄金や錦など、素晴らしい財宝があった。
餅屋は自分の木箱に、入れられるだけの宝をつめて、屋敷から逃げ出した。そして、元いた村に戻ると、手に入れた宝で大きな店をたてた。その後餅屋は生涯安らかに暮らしたが、時折夜に、山に住むトッケビが餅を買いに来たらしい。