2.ぺんぺん村の夜明け⑨ えげつないっていうか。
「うぐ……が……この、ノームが……よくも!」
「今はてめえもツノなしだろ――と、そうだ」
こちらをねめつける目を見て、思い出す。
「忘れるところだった。確か泥水をすするんだったな」
俺は薄く笑って、アドザの顔に手をかざした。
「たっぷり飲めよ」
「な……待て、やめ――」
続くはずの言葉は聞けなかった。魔法で現れた泥水がアドザの口に流れ込んだから。
「ごぼっ……が……」
アドザは咳き込み、泥水を吐き出す。変な場所に流れ込んだのか、鼻孔からも泥水が垂れている。
少し落ち着いたところで、俺はまた泥水を浴びせた。
落ち着いたところでまた。その繰り返し。
「ぐ……げぶ……」
アドザは息をするので精いっぱいといった様子で、もうやめろとすら言ってこない。泥まみれのベッドの上で、弱々しくうめくだけだ。
俺はベッドの上に飛び乗ると、泥汚れの比較的少ない部分に腰を下ろした。あぐらをかき、アドザの肩口をぽんぽんたたく。
「つらいよな。恥ずかしいよな。生き恥をさらすくらいなら死ぬ!……ってんなら、俺が手伝ってやるから遠慮なく言いな」
答えてきたのはアドザではなくミスティだった。困ったような顔で、
「ウィルさん、さすがにちょっとやり過ぎじゃないですか?」
「精神崩壊するまで云々言ってたやつに言われてもな」
「そうですけど……その人の顔とか、涙と鼻水と泥水ですごいことになってますよ。えげつないっていうか」
「だって俺、虫けらにも劣る汚物だもんよ」
言いつつも、アドザにかざしかけた手を引っ込める。
……まあ確かにちょっと趣味が悪いか。
少し冷静になってみると、底意地の悪い興は急速に冷めていった。
左手の杖を弄びながら思案する。
「さてどうすっかな。本当ならこのまま殺っちまってもよかったんだけど」
びくりと肩を震わせるアドザを一瞥して、続ける。
「お優しいミスティ様は、慈悲をお望みだし」
「いえ、別に殺っちまうのは止めませんよ」
間髪容れずに言うミスティ。
俺はきょとんと返した。
「そうなのか?」
「はい。いたぶり方が嗜好としてどうかと思うだけで。私だって人にどうこう言えるような人間じゃないですしね」
「ふぅん。まあ元々、お前の許可があろうとなかろうと関係はねえが……つまりは殺るだけなら、特に異存もねえってことだな?」
「はいです」
「大ありだ!」
割って入った声に、ミスティとふたりして声の主を見下ろす。
アドザは力なく横たわったまま、自身の叫びが引き寄せた反応に戸惑っているようだった。その顔を見るに、どうやらうっかり飛び出た心の叫びだったらしい。しょぼくれた小心者は、俺らの視線をおどおどと受け流し、
「わ、私は死ぬつもりはないっ……」
「なんだ? 急に元気になったじゃねえか。泥水お代わりいってみっか?」
「だからウィルさん……」
「冗談だって。こいつが生意気な口を利くからつい。なあ?」
笑いかけると、アドザはひっと身をすくませた。
「で、なんか言いたいことでもあんのか? お願いなら、それなりの態度で発言することを勧めるぜ」
促すことしばし。
アドザがふるふると口を開いた。
「お……」
「お?」