第三話
目が覚めた時、俺は薄暗い空間に居た。
まるで徹夜明けの目覚まし時計の如く、なんかピーピー煩いのが聞こえるし、頭に響く。早く止めたい、そう思って俺は目を開ける。
視界が掠れている。寝起きって事を突きつけてくる。耳に入ってくる音を止めようと、そんな寝ぼけ状態で俺はコンソールを操作した。鳴っていたのはエラー音。よく見れば、俺の周囲には空間投影モニターが数窓浮かんでいた。
ああそうか。このエラー音は自己診断プログラムのエラー音だ。重大なエラーが発生した場合、こうして赤い警告表示と音で知らせてくる。
よく見れば、俺は席に座っていた。その席を取り囲むように配置されているコンソールに、左右の手で握っているのは操縦桿だろう。慣れた手つきで操縦桿にあるボタンを操作し、エラー表示を詳細表示モードに切り替えてエラー音をまず消す。赤い警告表示はそのまま。暗い空間での赤い光源、一番見やすい。
エラーの詳細表示を確認する。機体の各部に問題は出ていない。四肢も無事だし胴体、頭部も無事。だが動力がほぼ死んでいる。更にこの機体の頭脳とも言える管制システムも完全に沈黙。動力の制御系は管制システムに直結されているのだから、そりゃエラーだって鳴り響く。機体としては心肺停止状態だ。
ふと再び頭に鈍痛が響く。とっさに操縦桿を握っていた右手で頭を叩く。そんな事で改善されるわけないのにやってしまうというのは、なんとも滑稽。俺がまるで馬鹿みたいだ。
だが、そんな右手に俺の頭以外の何かが接触した。温かい。機械じゃない、多分人肌。でも俺の頭の位置になんでそんな物がある?
恐れ知らずでクールな俺は、ビビリを抑えつつ後ろを向いた。
そこにあるのは、赤い警告表示で照らされた。少女の裸体。すっぽんぽん。生まれたて。まだ発達途上な感じが残る、年齢的には一五前後だろうか。
だがなんという事でしょう。見慣れている。誤解を恐れずに言うなら、この娘の裸は見慣れている。何故だ。俺の恋人か何かなのか? 年下趣味? え、本当に?
「…“マシロ”?」
俺の口から出たのは、この娘の名前だった。マシロ。俺の仕事上での同僚、パートナー…よく覚えていないが、その辺りに近い。
この機体は二人乗りだ。下の席がメインパイロット、つまり俺の席。上の席が管制用<レプリカ>であるマシロの席。だから俺が振り向くと、自然にこの風景が広がる。裸なのは多分イレギュラー。一瞬俺も服着てるのか確認しちゃったよね。
安心してください、着てたよ。
ふと自然に、俺はコックピットハッチの開閉操作を行った。普通なら外界の成分分析等、詳細な確認をするべきだったのに、それを省略してしまった。そう気付いた時には既に機体胸部の装甲がスライドし始めていた時。
コックピットブロックが胸部からスライドしせり出す。俺はつい口を右手で塞いでしまうが、これが真空だったら無駄な事だ。
まぁそうなったらその時。機体の生命維持システムがハッチ展開前に警告を出す筈だ。息を止めながら冷静にその考えに行き着き、口を塞いでいた手をどけて、席から立つ。
外も外で暗かった。コックピット内部は警告表示のおかげでそれなりの明るさがあったが、それすらないのだから当たり前。
仕方ないので、俺は視界を意識する。その瞬間、俺の視界は明るくなった。こういう時は肉体強化措置を受けていた事に感謝する。よくやった過去の俺。まぁ強制施術だったんだけど。最先端で様々な強化を内包する反面、リスクは馬鹿みたいに高かった。成功率数パーセントを引き当てた俺は凄いのである。
周囲を見渡して分かったのだが、ここは間違いなく閉鎖空間だ。だが洞窟とかそういう自然の産物ではない、壁や床は明らかに人工物だ。
床の存在を確認して、俺はコックピットブロックから地面に飛び降りた。そして振り返り、自分の乗っていた機体を見上げる。
<ノウウィング>。俺がテストパイロットをしている機体だ。――たちと一緒に作り上げた、俺たちの機体だ。
「……あ?」
ちょっとまて、なんでそこで名前が浮かばないんだ。混乱する。思い出せない。大事な事の筈だ。忘れる筈がない。俺があいつらを忘れるなんてあり得ない。あり得ないあり得ないあり得ない。
だが、それがあり得てしまった。本気で思い出せない。健忘的なものではない。まるっきり記憶から抜け落ちてる。
俺は誰?――カガリ。
年齢は?――分からない。
所属は?――分からない。
家族は?――分からない。
洒落にならない。明らかに忘れてはいけない事だ。目の前のノウウィングの事は覚えている。だがよく考えれば、型番や製造目的すら思い出せない。それ自体がおかしい。何度も報告書で書いていた筈だ。
「…ワオ、その報告書の内容自体思い出せねえ。マジか~…」
さすがの俺もショックを隠せない。気持ち悪くなる程に精神がグラつく。ついには片膝をついてしまう。吐き気もあるが、それは流石に引っ込める。一線というやつだ。それを超えたら多分気絶する。今それはまずい。
何とか立ち上がり、再び周囲を見渡す。ノウウィングは尻もちを付く形で壁を背に佇んでいる。周囲の状況から、元々ここに鎮座しているわけではないようだ。銀色の床についている幾つもの傷や汚れ。その上にノウウィングはある。後からここにこうなった。
ここまで自走してきたのか、<虚数格納庫>から出現した。その二択だ。その辺りは機体のログを見れば分かるかもしれない。
一度ノウウィングから目を離し、別の方向を向く。実は、他にも気になるものがある。十五メートル級のノウウィングが直立状態で入る程の巨大な水槽と、その中浮いている、ノウウィングと同サイズの人型機械。
駄目だ分からん。記憶欠落の一部に目の前の存在は該当するらしい。おそらくノウウィングと同じような目的で作られた機体と、その格納庫だろう。水槽の中の水がやや緑色で、鈍く発光しているようにも見える。水槽内の照明か、本当に発光しているのか。
しかし、覚えている事と忘れている事に随分と差がある。分類ごとに忘れているのならまだ良いが、そういうわけでもない。実際、虚数格納庫は覚えているのに目の前の水槽の事は分からない。あの機体が水槽内部に格納されているという事は同時期の技術だと思うのに。
なんだろう、記憶喪失というべきか記憶欠如というべきか。
自分がこの状態なのだ。マシロにも何かしら影響が出ている可能性もある。でもそれは後で確認しよう、今はこの辺りの捜索だ。
と言いたい所だが、実はこの空間、そこまで広くない。コンテナ式の建造物。施設の一区画だけが残った感じだろうか。
しかし出入り口が分からない。コンテナ式でも連結部に人間用のハッチもある筈だ。なのに見つからない。コンテナの上下が反転している? だが水槽内の機体は頭部がしっかり上に向いている。水槽のサイズ的に内部で反転した事も考え辛い。
そんなこんなでコンテナの四隅を歩いて確認した所、俺は亀裂部分を発見した。その亀裂から溢れてきているのは、土。しかも若干の湿り気がセット。嫌な予感しかしない。
振動がコンテナ内に伝わる。地震の類にしては振動が一定、だがそれよりも考えるべき事がある。亀裂部分の土が一気に崩れ始めたのだ。
ああああちょっとまって亀裂思ったより大きいです。それに比例して土が、大量の土がコンテナ内部に入ってきてます。
俺が埋まる!
だが断る!
自分の足に意識を集中し、バックステップ。その距離は優に五メートルを超える。それを連続で行ってノウウィングまで下がり、一度の跳躍でコックピットまで戻る。
自分の席に座り操縦桿を引く。コックピットハッチが閉じると同時に視界強化解除、外部モニターを起動する。全周囲モニターの一部が映り、外部の映像が辛うじて入る。
先程自分の居た壁面の近くは土砂で埋め尽くされていた。まだ振動は続き、それに呼応するように土が入ってくる。誰だこんな所でこんな振動出しているやつ。
ついには先程の水槽まで埋まり始めた。亀裂の入っていた壁面は崩壊を始め、それに伴って強度が落ちたのか、天井にも亀裂が入り、隙間から水分を多く含む土が振ってくる。ノウウィングの紺色の装甲にその重い土が当たり、その振動がコックピットにも伝わってくる。
その一騒動が落ち着いたのは、それから数分後の出来事だった。
▽▽ ▽ ▽ ▽
「なんという事でしょう。コンテナが数分で洞窟に早変わり」
崩落が落ち着いた後、俺は気を失ったままのマシロを抱いてコンテナから出ていた。今まで見えなかった月と空、そして天然の風。時刻はどうやら深夜帯らしい。
そして、外に出て初めて自分たちが入っていたコンテナの外見を見る事が出来た。正直コンテナじゃなくなっている。予想以上の劣化状態。
山の麓にあったコンテナが長い年月を掛けて土砂に埋まり、更にその上に植物が自生し山の一部になったらしい。先程の崩落でコンテナの外壁の一角が崩壊し、今では洞窟のような姿になってしまった。
内部に残したノウウィングを運び出したい所だが、今俺が抱えているマシロが目覚めない限りそれは難しい。だが彼女が起きるまでノウウィングのコックピットで待機していても、また何かの拍子に埋まりかねない。その為、一旦俺たちだけ外に出た次第である。
さて、これからどうしたものか。俺は相変わらず記憶欠落状態。今が何時か、ここは何処か。それを得る為にはどうするべきか。
決まっている、誰かに聞くべきだ。機械でも人でもいい。俺の知らない情報を知っている存在に接触を図るべきだ。
そんな存在、何処にいるか知らんけど。
駄目じゃん。
「…………」
ふとそこで、自分の抱きかかえていたマシロが起きている事に気付いた。無言でこちらの顔を見上げている。
「起きてたのか。声かけてくれよ」
「…………」
話しかけているのに無反応。まだ寝ぼけてます?
「お~い」
「…………」
「…マシロさん?」
「…………」
正直に言う。俺はマシロの事をほとんど覚えていない。この娘が俺の仕事上の相棒で、管制用に製造されたレプリカで、優秀な個体だという事は覚えている。だが、マシロの個性、そうした事は一切覚えていない。つまり、どんな性格だったのか、そうした事を覚えていない。
だが、こんな無口だったのか?
こんな状態で機体管制を?
「…ちょっと待ってくれ。俺は記憶だけで済んだんだぞ?」
俺の肉体は脳機能を含めて強化されている。だから記憶領域の拡張や強化も行っており、記憶力にはそれなりの自信がある。そんな俺が記憶を失った。ただ事ではない。
レプリカであるマシロも同様だ。ただ、彼女は肉体面よりも内面強化を優先している。だから記憶に欠落が出ていても、俺よりは軽いだろう、そう思っていた。
逆だった。俺よりもダメージが大きい。記憶どころの話じゃない。意識すらハッキリしていない。言語を忘れたのか、話すという動作を忘れたのか。どっちだ。
ぞの答えはすぐに分かった。マシロは俺の腕の中から降りて、自ら立った。呼吸もしっかりしているし、眼球も俺の顔を応用に動いている。レプリカはこうした基本動作を最初から入力されている。これらを仮に、一次学習とする。
レプリカは人間の代用や通常の人間では困難と判断された職業用に製造されていた、筈だ。製造は一括して行われていた。そうした職業用に専門技術を入力する必要がある。二次学習、と呼ぶことにする。これにはコミュニケーション能力等も含まれている。
そう、この二次学習の部分だ。多分これが抜けている。いや、欠落してしまっている。最初からこの状態だったとは考えられない。
メンタルが死にそう。なんだこの状況、マジで腹が痛い。胃が痛い。顔を歪め、マシロを抱えたまま座り込んでしまう。
マシロはそんな俺を見て、自ら俺の腕の中から離脱し立ち上がる。そして絶望に打ち震え体育座りをしていた俺の頭を、優しく撫でる。
この動作はどちらの学習に含まれていたのだろう…。そんな事を考えてしまう。思考がマイナス側に偏ってしまっている。これはまずい、俺のメンタルはもっと強固な筈だ。きっとそうだ、前を見ろ、目の前の半裸の少女はもっと酷い状態なのだ。
「…とりあえず、周囲の探索からか…」
無口で無表情のまま俺の頭を撫でてくれるマシロを見て、ちょっとだけ元気が出た、と思うことにする。コンテナから出てから周辺の安全確認をしていない。せめてそれだけでも行いたい。
しかも今は夜だ。こんな森では野犬とか出る可能性だってある。
『ワオオオオオオォォォォ――――』
ほら、こんな遠吠えを合図に襲ってくる事だって――。
「マジかくそったれ!!」
体育座りから瞬時に立ち上がり、マシロを抱える。
遠吠え。狼か?
しかも地面がまた揺れ始めた。最悪なタイミングだ、背後の洞窟化したコンテナの唯一の入り口に再び土砂が落ちてきている。今からなら入るのは間に合う。だが出るのに手間が掛かる可能性が高い。
仕方ないので、その場からマシロを抱えて走る事を選択した。遠吠えの位置からして、まだ距離はある筈だ。この地震――地響き?――は野生生物にとってもイレギュラーだと思いたい。混乱に乗じて距離を取りたい。
脚力強化。腹ペコな状態でやりたくはない。なにせ結局は筋力だからカロリーは消費する。だが数秒程度の加速なら問題ないだろう。後で何か食わないとやばいけど。強化措置も万能ではない。
マシロもある程度なら使える筈だが、彼女の状態が分からない。俺よりも危険な状態にある可能性も高い。ならば俺が抱えて走るのが得策だ。俺はとにかく今出せる全力で地面を蹴り、走った。
「あぁ~……腹減った…」
絶対後で肉食ってやるぞちくしょう。