鬼女と生贄の話 2/3
前回の続きです。お時間よければぜひ
「着いたぞ、ここがうちの家じゃ」
鬼女に案内され、1つの家へとたどり着いた。
その家はお世辞にも綺麗とは言い難い。植物が壁を伝ってはえ、奥の方に至っては木と同化してしまっている。
「ほれ、入れ」
「は…はい…」
引き戸から中へ入ると、外見と違い綺麗な居間が見える。だが、“綺麗”だけでは隠しきれない木材の劣化が所々に見られた。
部屋の中央には囲炉裏があり、弱々しい炎が揺れている。鬼女はそのすぐ横へ座った。
「どうした童。上がらぬのか?」
少年は黙り込み、玄関口から動けずにいたが、怯えつつ鬼女がいる居間へと上がった。
「さてと…ここがこれからおぬしが、10年間過ごす家じゃ」
「…」
「…軽く案内でもしようかと思うたが、腹が減ったのう。先に飯にでもするか」
鬼女は囲炉裏に火を起こすと、立ち上がって大きな壺の前へと移動した。その中に手を突っ込み、魚を2匹掴み上げる。
「今夜はこれでよいか…」
そう呟き、魚を串に刺して焼き始めた。
魚の焼ける匂いが少年の鼻に届く。少年は唾を飲み、顔を背け、腹が鳴るのを無理に抑えた。
「…何してるんじゃ」
「ぁ…いやっ…」
自分が食べようとしている魚を狙っていると思われれば、怒らせてしまうかもしれない。
少年はそう思い、必死に耐えた。
「…もうよいじゃろ」
焼き魚の香りが漂う中、鬼女の声が耳に届く。
だが、今はそれどころでは無い。腹の音が鳴らないようにする事で、精一杯だった。
「おい、童」
「…っ!」
体がびくりと震える。『気付かれてしまった』…そう思った。
「何をしておる、顔をあげよ」
「…っ」
怒らせてしまった…怖い…
だが、背くわけにもいかず、震えながら顔を上げた。
だが、目の前には湯気を上げる焼き魚が差し出されていた。それを握る鬼女の手も見える。
「…え?」
「じゃから何をしておる。はよう受け取れ」
「…ぁ…は、はい…」
焼き魚を受け取る。持っている手に熱が伝わって来た。
だが、少年は困惑している。
「…あ、あの…」
「なんじゃ?」
「こ…これ…食べて良い…ですか?」
「…はぁ?」
尋ねると、鬼女は不思議そうな表情を見せた。
だが、少年も不思議そうな表情をしている。
「当たり前じゃろう…なぜ、自分の分が無いと思うたんじゃ」
「ぇ…だって…」
鬼女は当たり前の事を言っている様子だが、少年にとってこれ程不思議な事はなかった。
鬼女のいる山へと送り出される前。まだ村にいた頃の少年は、昼中も夜中も外にいた。
親も兄弟も、頼れる人もいない。家など無く、村の端にある大きな木の下が彼の普段の居場所だった。
人前に出れば子供からはうしろ指を指され、大人からは嫌悪の目で見られる。
少年は捨て子だった。それも、他の村の人間が、勝手にこの村へ捨てていったのだ。
勝手に住み着いた小汚い子供に、救いの手を差し伸べる者は誰一人としていない。
少年は生きるため、そして少しでも村の者達から好かれるため。毎日糞尿を集めて捨てる仕事をしていた。
だが、それは“不潔だ”と逆効果となり、彼は村で蔑まれていたのだ。
そんな彼にとって、“食事を貰う”と言う事は産まれて初めて事…それと同時に、理解できる事では無かった。
「…おぬしに何があったのか知らぬが、冷める前にそれを食え」
「…で、でも…」
少年は困惑し、一向に手に持った焼き魚を食べようとしない。
「ふむ…そうじゃな」
鬼女は少年に指を指した。
「10年後におぬしを喰うと、言うたであろう?じゃが、今のおぬしは骨と皮だけじゃ。いざ喰うとなっても、骨と皮は嫌じゃからのう。今からしっかりと蓄え、食べ応えのある体にしてもらわなければいかん」
「…!」
「分かったらさっさと食え。あと、その体も洗ってやらぬとな。汚くては食えたものでは無い」
少年は食べられてしまうと言う未来を聞かされたのにも関わらず、目を輝かせた。
産まれて初めてまともな食べ物を食べられる。今まで食べてきた捨てられた残飯や、苦い雑草などでは無く…
今まで食べてきた物を思い出すが、頭から振り払い焼き魚へかぶりつく。
「ああ、あとうちとおぬしが両方家にいる間は、呪いが起こらぬようにしておいた。ひょんな事で死なれては困るから…の…」
「ぅ…うぅ…」
「ぬ!?ど、どうした!?」
少年は焼き魚を噛み締めたまま、涙を流していた。
その様子に鬼女は困惑する。
「お、おぬし…どんな生活をしておったんじゃ…」
「ぐすっ…お、美味しい…です」
「そ、そうか…なんも味付けしとらんがのう…」
少年の予想外の反応に、鬼女は慌てている。
「あ…ありが…」
「い、いや…礼などいらぬわ!」
「…でも…」
「よいか?おぬしの役目は、うちを楽しませる事じゃ!妖術を学ぶには、それなりに体調が良くないといかん。ならば、うちが食事を用意するのも当然の話じゃろうが」
少年は若干驚きながらも、微笑んでうなづいた。
「まったく…おぬしは自分の立場が分かっておるのか?」
「…分かって…ます」
「そうは見えんがのぉ…」
鬼女は不思議に思いながらも、自分の分の焼き魚を口へ運ぶ。
「…今日はそれしか用意出来ぬが、明日からはもう少しマシな物を用意しよう」
焼き魚を嬉しそうに頬張る少年を横目で見ながら、呟くようにそう言った。すると、少年は嬉しそうな声を出す。
「…!…ありがとう…!」
「…ふ、ふん…食べ応えのある体になってもらわねば、困るからのう」
「うん…頑張って、大きくなる…!」!
「ほんとに立場を分かっておるのか…まぁ良い。妖術も明日から教えてやるからの。せいぜい10年後に喰われぬよう励め」
「うん…!」
それから、何度も季節は移り変わり、少年は鬼女から日々妖術を学びすくすくと育った。
しかし、着実に“10年後”は近づいているが、少年が鬼女の元から離れる事はなかった。
− 10年後
強い雨風が吹く中。山の中の一軒家にぼんやりと明かりがついていた。
その明かりの元にあるのは囲炉裏。そのすぐ横で2人の影があった。
「おーい、肩を揉んでくれんかの」
「分かりました」
「あぁ〜…そこじゃそこじゃ…」
姿形変わらぬ鬼女の肩を、成長した少年が揉んでいる。食事を終え、後は寝るだけと言う時に鬼女が肩を揉むよう少年へ言ったのだ。
「無理して重い物を持つからですよ」
「やかましいわ。年寄り扱いするで無い」
少年は鬼女に臆する事なく、年寄り扱いをする。彼は穏やかな性格に育ったものの、稀に鬼女を小馬鹿にする様な発言をしていた。
だが、鬼女はそれをあまり気に留めていない。
「しっかしまぁ…おぬしはいつまでここにおるつもりじゃ?」
「…」
鬼女のその問いかけに、少年はピクリと反応する。彼は未だ呪いを解くことが出来ずにいたのだ。
「…まだ、呪いは2つとも解けていないいので」
「うーむ…おぬしの実力なら、簡単に解けると思うんじゃがのぉ…」
少年は鬼女から教わった妖術を、確実に物にしていた。しかし、一向に呪いを解く事が出来ない。それを鬼女は不思議に思っていた。
「…“師匠”は、僕を逃したいのですか?」
「…ぬ!?いや、そうではないぞ!?おぬしを喰う気満々じゃぞ!?」
鬼女は慌てて否定をする。そこに、少年はさらに続けた。
「…じゃあ、いつ僕を食べるのです?」
「ぬ!?い、いや、それはまだ…」
「もう半年くらい前に、あれから10年経ちましたよ」
すると、鬼女は露骨に目を逸らす。
「いやっ…そのっ…お、おぬしはまだ肉が少ないのじゃ!もう少しだけ、待ってやってもよかろう!」
「…そうですか」
「そ、そうじゃ!じゃがまぁ、その間に逃げられてしまえば、どうにもならんがのぅ!」
それは、鬼女が半年前から言い続けている言い訳だった。
「…でも、僕はずっとここにいても良いんですけどね」
「ぬ、ぬぁ!?」
「師匠の事、好きですから」
「っっっ!じゃ、じゃからそれは偽の愛だと言うておろう!」
そう言う鬼女の表情は、嬉しそうにも見えなくは無い。
だが、すぐに表情を曇らせてしまった。
「…何度も…言っておろう。おぬしは人の子…こんな醜い鬼のそばにおるより、人の里へ帰った方が良いのじゃ」
「…」
鬼女は、10年を共にした事で少年へ心を許していた。
初めこそ、鬼女は彼を『喰うぞ』と怖がらせていが、その態度はそれの正反対。共に食事し、共に狩りをし、いつ何時でもそばにいた。
それ故に、少年へ愛着でも湧いたのだろうか。鬼女は本来の目的と、矛盾する事を言ってしまう。
「…その呪いはうちには解く事が出来ぬ。何としてでも、おぬしが呪いを解く事が出来る様にしてやるからの」
それを聞いて、少年はくすりと笑った。
「…では、ここで約束してください。“呪いが解けるまで、僕をそばに置いておく”と」
「…呪いをかけた、うちが言うのも何じゃが…こんな醜い鬼のどこがいいんじゃかのぅ…?」
「師匠を醜いと思った事は、1度もありませんよ?」
「ぬっぅ…まぁ良いじゃろう。約束しよう。呪いが解けるまで、そばに置いておく」
鬼女は複雑そうな表情で答えだが、若干笑みもこぼれていた。
…だが、その約束が果たされる事はなかった。
その日の夜中。山の麓の村の者達が“鬼狩り”と称し、山へ攻め入って来たのだ。