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6話【オープン準備】

「くあ! こりゃあ懐かしくって涙が出てくるってもんだ! おかかに梅干し、味噌漬けの鮭がたっぷり詰まったおにぎりをこっちの世界で食えるとは、夢にも思ってなかったぜ。このツナマヨってのは初めて食べたが……いやはや、俺がいない間にも日本の食文化はどんどん進んでるってこったな。文句なしにうめえ」


 ――完成したおにぎりをリムリアさんとゲンジさんに振る舞ったところ、ゲンジさんは甚く感動してくださったようだ。


「お味噌汁も一緒にどうぞ」

「くぅっ! やりすぎだぞ、この野郎!」


 おにぎりだけでは寂しいので、汁物として作った味噌汁も好評だった。

 カツオ節の出汁に芳醇な磯の香りがする生海苔を加え、味噌を溶いただけのお手軽なものだが、日本人であるゲンジさんには郷愁を感じさせるものだったらしい。


「ジンが店を出したら、絶対に食いに行くからな!」


 お互い自己紹介のときに本名を名乗ったが、いつの間にかゲンジさんもおれをジンと呼ぶようになっているではないか。


「ええ。ぜひ来てくださいね」


 自分が作った料理を喜んで食べてもらうのは嬉しいが、さて……リムリアさんの反応はどんなものだろうか。


「なるほど……たしかにおいしいです。ゲンジさんと違い、わたしにとっては久々の故郷の料理というわけではないですが、これならば砦にいる兵士も満足することでしょう」


 梅干しおにぎりを食べたときに一瞬だけ動きが止まったような気もするが、リムリアさんも全てのおにぎりを完食した後にそんな感想を述べてくれた。


「持ち運びや作り置きが可能な点も良いですね。それに、自分で好みの具を選べるのなら、兵士が毎日の食事に飽きてしまうこともないでしょう」


 そう。それがおにぎりの大きな利点の一つである。

 少々乱暴な物言いかもしれないが、ご飯と相性が良いものなら、とりあえず適当に握り込んでしまえばいいのだ。

 もしかすると、それが定番となる可能性だってある。


「やはり、あなたに任せて正解だったようですね。砦に供給する兵糧の一部を、試験的に小麦から米に変更してみようと思います」


 どうやら、無事にリムリアさんの期待に応えることができたようだ。

 にこりと微笑んだ彼女は、懐から筒状の紙……いや、羊皮紙を取り出した。


「――それでは約束通り、あなたが一等地で店を開くことができるように手続きを進めます。もちろん、場所を貸し出すにあたって費用を請求したりはしませんよ」


 紙の製法も広く普及しているらしいが、重要な書類などには丈夫で長持ちする羊皮紙が使われることが多いのだとか。


「貸し出すのは土地と建物です。また、商売をするには色々と準備も必要でしょうから、少ないですが支度金を用意させていただきました」


 リムリアさんから、貸し出す条件が明記された羊皮紙とアテナ金貨五枚を手渡された。

 貨幣価値については改めて勉強していく必要があるが、支度金まで用意してくれるなんて、至れり尽くせりである。


「あの、本当にいいんですか?」


 精一杯頑張ったとはいえ、おにぎりを作っただけでここまで優遇されていいのだろうか。


「いいのですよ。高騰している小麦の代わりに、輸入した米を一部でも糧食に回すことができるのなら、削減できる費用は金貨五枚を遥かに上回るでしょうからね」

「はっはっは! リムリア総督は優しそうに見えて、なかなかしたたかな女性だからな。ジンも遠慮せずにもらっとけもらっとけ!」


 そんなゲンジさんの言葉に、リムリアさんの眉根がわずかに寄った気がした。

 女性にしたたかという表現は、あまり使わないほうが……。


「……まあ、もし兵士たちがどうしても米より小麦のパンがいいと言った場合は、ゲンジさんに責任を取ってもらうことにしましょうか」

「うぐ……」

「それと、今日は同郷の稀人に会えたということで厳しくは言いませんが、魔導機関の出力向上と効率化の報告書……提出が遅れていますよね? 先週には期待値を上回る成果を上げてみせると豪語していましたが、ゲンジさんも故郷の食事を久々に楽しめたということで、元気も出たでしょう。できれば今週中には提出していただけると嬉しいのですが――」


 言わんこっちゃない。

 怒涛の反撃をまともにくらい、ゲンジさんはすぐにでも逃げ出したいという渋い表情に変わっていく。


「じ、ジン。リムリア総督の優しい心遣いにしっかりと礼を言っとけよ」


 あたふたと退室していったゲンジさんを見送り、おれがリムリアさんのほうを振り向くと、そこには何事もなかったかのように柔和な笑みを浮かべる彼女の姿があった。


「大切に使ってくださいね」

「あ、はい。ありがとうございます」


 差し出された羊皮紙を受け取る際、ふと思った。

 この人には逆らわないほうがいいな、と。



◇◇◇◆◆◆◇◇◇



 ――レイトルテの街、大通り。


 異世界に飛ばされたときはどうしたものかと思ったが、リムリアさんやゲンジさんの話を聞くと、わずかながら希望が見えてきた気がする。


「もとの世界に帰れる可能性だって、ゼロじゃないよな……って、あれ?」


 総督府から出て、教えてもらった場所へと向かう途中、念のために受け取った羊皮紙に書かれている内容を確認しておこうと思ったのだが、困ったことに文字がまったく読めない。

 喋る言葉は魔力によって自動翻訳されるようだが、文字までは無理ということか。


「そういうことだな。まあ、これについては自分で学んでいくしかないだろう。今はわしが代わりに読んでやる」


 イルルが読み上げてくれた内容は、リムリアさんが口頭で伝えてくれたものと変わりはなかった。

 彼女が総督として在位している間は、期限を定めずに土地建物を無償貸与するとのことだ。

 約束してくれたのがリムリアさんなので、在位中という条件は当然だろう。


「それにしても、リムリアさんってあんな若いのに総督か……すごいな」

「人間にしては相当な魔力を有しているようだったからな。おそらく、書類の山と睨み合いをしているだけの人物ではないのだろう」


 それはつまり、リムリアさんが戦場で戦うこともあるということか。

 魔力を持つ者は魔法を行使することもできるらしいが……あの物腰柔らかそうなリムリアさんからは想像もできない。後半、ちょっとだけ怖そうな面が垣間見えた気もするが。


「――お……ここかな?」


 目的の場所に到着し、建物を見上げる。

 外壁が煉瓦造りの二階建て。

 ピカピカの新築というわけではないが、定期的に掃除されていたのか、小奇麗でなかなか味のある建物だ。


 一等地というだけあって、この辺りは人通りも多いし市場までの距離も遠くない。

 鍵を開けて中に入ってみると、以前も何かの店舗が入っていたようで、一階は広い空間を取れるような間取りになっており、二階は居住に適した部屋配置となっているようだ。

 なんだかワクワクしてきたぞ。

 もともと、日本でも支店を任されることになり、心躍っていたところを異世界に飛ばされてしまったのだ。

 昂ぶった気持ちをぶつけるには、ちょうどいい。

 やってやろうじゃないか。




 ――それから数日は、店を開くための準備に費やすことになった。


 色々と揃えるものは多かったが、幸いにもリムリアさんからの支度金があったので、ちょっと欲張って魔導機関が組み込まれた冷蔵庫やコンロも購入してしまった。

 どちらも金貨一枚という高額商品だったが、非常に便利であるため、それだけの価値があるといえるだろう。


 ちなみに、貨幣価値は買い物をしていくうちになんとなくわかってきた。

 まず通貨単位は、ルナ。

 銅貨一枚が1ルナで、銀貨一枚で100ルナ、金貨一枚で10000ルナだ。

 銅貨が十枚もあれば腹一杯の飯が食えるし、銀貨一枚も出せば食事付きの宿に泊まることができる。

 それを踏まえると、金貨を五枚も用意してくれたリムリアさんには感謝の言葉しかない。


「食材を冷やす冷蔵庫に、火を吹くコンロか。これらに金貨二枚とは、ずいぶんと奮発したものだな。火を吹くぐらいなら、わしがやってやるというのに」


 届いた冷蔵庫とコンロを店内に設置していると、イルルがそんなことを言った。


「いやいや、だってお客がいる前で火を吹くのは無理だろうし、イルルだって竜だとバレたら騒ぎになって困るんじゃないの?」

「……ちっ」


 あれ?

 もしかして今、おれって舌打ちされた?

 そんなことないよね?


 そうそう。そういえば冷蔵庫とコンロを購入するときに面白い話を聞けた。

 これらには魔導機関が組み込まれているので、当然ながら稼働させるには魔力を補充する必要がある。

 ただ、魔力を持った人間はそれほど多くないので、補充するときはお金を支払って補充してもらうのが一般的らしいのだ。

 電気やガスに料金が発生するように、魔導機関へ魔力を補充するのに料金が発生するのは、納得できる範囲の話である。


 だがしかし、おれはイルルに魔力を宿してもらったのだ。

 それはつまり、魔導機関に自分で魔力を補充することが可能ということを意味する。

 ちゃんと休養を取れば魔力は一晩で回復するそうだし、もし日本の飲食店でガス代と電気代が無料で使い放題となれば、泣いて喜ぶ人が続出するぐらいには驚異的なことだ。

 そうなると、これはもう購入するしかないってもんだろう。


 また、魔力を持っている人間でも、どれぐらいの魔力を有しているかは個人差があるため、一度調べておいたほうがいいだろうとのことだ。


「ふむ……それは感応石か?」

「うん。店の人がくれたんだよ。魔力量を調べるのならこれを使えばいいって」


 くすんだ色をしているが、この石は魔力に応じて光る性質を持っているらしい。

 薄っすらと光るぐらいなら魔法を行使することは難しく、辺りを照らすほどに眩しく光る場合は高位魔法すら自在に扱えるようになるのだとか。


 せっかくもらったので、店の一階にある窓を全部閉め、カーテンで光を遮るようにする。

 そうして暗闇の中、感応石を握って光るように念じてみた。

 すると、パァッと目を覆いたくなるほどの光が感応石から発せられ、室内を隅々まで照らしたではないか。


「ちょっ、まぶしっ……これ、かなり魔力量が多いってことかな」


 おれが念じるのを止めると、感応石は次第に光を失っていった。

 ……うーむ。やっぱりイルルはすごい存在なんだろう。

 体液を少しアレしただけでこんなことになるなんて……生き血を飲めば不老不死に近い存在になるというのも、かなり現実味のある話だ。


「ふむ。ちょっとだけ飲んでみるか?」

「いや、結構です」


 一杯いっとく? みたいな感じで生き血を勧めるのはやめていただきたい。

 たしかに、魔力を宿してもらって言葉が通じるようになったのは嬉しい。

 魔力量も潤沢で、色んな調理器具を使い放題となれば泣くほどに喜ばしいことだ。

 だが、さすがに気軽な気持ちで不老不死になりたいとは思わない。

 まあ……イルルも半分冗談で言っているのだろうが。


「これ、イルルがやったらどれぐらい光るんだろうな?」


 ちょっと魔力をわけてもらっただけで、あれだけ光ったのだ。

 イルル本人が念じれば、いったいどれほど明るくなるのか単純に興味があった。


「いいだろう。人間の物差しでわしの力を測れるか、その目でとくと見るが――」


 ――――瞬間、鼓膜を突き破るような爆音が店内に響き渡った。

 光るどころか、白熱するかのような輝きを放った感応石は、小爆発を引き起こして粉々に砕け散ってしまったのである。


「――……いや、まさか爆発するとは、わしも……その、予想外で」


 うん、なんというか、ここまで小さくなったイルルは初めてみたかもしれない。

 たしかに、人間の物差しで竜を測るのはよくないよね。

 桁外れの力を見せていただき、本当にありがとうございました。


 ……というのは冗談として、店内に被害がなかったのは幸いだった。

 爆発の瞬間、イルルが咄嗟に衝撃を押さえ込んだおかげだろう。

 貸してもらってすぐに爆発炎上でもさせようものなら、リムリアさんの態度が多いに変化すること請け合いである。

 きちんと感応石の破片を掃除し終えてから、おれは街の工業区へと足を向けた。




「――今度は何をしに行くのだ?」

「そろそろ頼んだ包丁が出来上がった頃かな、と」


 客用のテーブルにイス、食器、調理器具などは概ね揃ってきたのだが、包丁は職人の方に依頼して作ってもらうことにしたのだった。

 包丁が綺麗に並んだショーウインドーの前で半日ぐらい立っている自信はあるが、贅沢は言わず、既製品でもいいかなと考えていた矢先、鍛冶屋の前でリュックに入れてあったイルルの牙のことを思い出したのだ。


 そのままの状態でも、尖っている部分でサクサクと羽ブタの肉を切ることができた竜の牙。

 これを包丁に加工できないものかと鍛冶職人に相談したところ(※イルルは了承済)、職人は牙を見るなりやたらと興奮し始めた。

 なんでも、大昔に巨大な竜の亡骸が発見されたことがあるらしく、その亡骸から牙や爪、角や鱗といった素材が採取されたらしいのだ。牙や爪を加工すれば柔軟さを併せ持つ最硬度の武器となり、角や鱗は大軍の進撃すら受け止める最高の鎧になったとかなんとか。


 鍛冶師にとっては、憧れの素材。

 イルルの牙は、その素材に酷似していたらしい。

 ぜひともこれで武器を作らせてほしいとお願いされたが、おれは断固として包丁を作るという意見を変えなかった。


 そんなすごい素材だと聞けば、なおさらこれで包丁を作りたくなろうというものだ。

 わりと大きめのサイズなので、牙一本から数本の包丁を作ることができるだろう。

 色々な用途に使える洋包丁、刺身用の柳刃包丁に、野菜を切るための菜切包丁などなど、鍛冶職人と小一時間は言い争い、泣きそうになった相手はなんとか包丁を作ることに同意してくれたのだった。


「――はいよ。あんたの言う通り、全部包丁に加工しておいた。代金は全部で金貨一枚だ。貴重な研ぎ石を何個も使い潰しちまったからな」

「ありがとうございます」


 心なしか、鍛冶職人が包丁を手渡すときに瞳を潤ませていた気もしたが、おれは出来上がった包丁に目を奪われてしまった。

 石でも金属でもない、しっとりとした艶のある感触は、装飾品としても十分に価値があるのではないかと思えるほどだ。加工する前も深みのある色味をしていたが、包丁を陽の光にかざすと、虹色のような色へと変わるのがまた美しい。

 危ない人のように思われるかもしれないが、ついつい包丁に頬ずりしてしまいそうな衝動に襲われた。


「そこまで褒められると、さすがのわしも照れるではないか。だが……夫婦とはいえ、妻の体の一部を包丁にしてうっとりと眺める姿は、なにやら狂気的なものを感じるな」

「そういう言い方されると本当に危ない人みたいに聞こえるからやめて!」


 体の一部って……。

 そこだけ聞くとホラー映画じゃないかよ。

 まあ、たしかに牙はイルルのものだが、包丁にするのは了承をもらったわけだし。

 というか……夫婦設定はまだ生きていたのか。




 ――さてさて、こうして色々と準備を整え、ようやく店がオープンできる状態になったわけである。


「ふむ……店の名前はどうするのだ?」


 通りにある他の店には、木彫りのお洒落な看板が吊り下げられている。

 文字の読めないおれに代わり、イルルが看板の文字を読み上げてくれた。


『焼きたてホカホカ 手作りパンの店パムパム』

『総督府御用達! 彫金師に御用の方はエイブラハム宝飾品店まで』

『薬で人生の全てを乗りきろう 安心安全の薬を届けるクロネコ薬局』


 店の名前、か。

 正直、あまり考えてなかった。


 もとの世界で働いていた店の名前を掲げるのも、何か違う気がするし……。

 うーん、どうしたもんか。

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