20話【ミドガルズオルム】
――ずっと、寒くて暗い闇の底にいたような気がする。
どれほどの時が経ったのだろう。
気がつけば、目の前にいる人間たちが喜びに沸き立っているようだった。
目覚めた直後で意識が朦朧としていたが、どうやら自分はずっと長い間、地下の奥深くで冬眠していたらしい。
なぜ眠り続けることになったのかは、あまりに古い記憶に靄がかかっているようで、思い出すことができなかった。
そんな中、自分を堀り起こした人間の一人がこんなことを言った。
「あなた様を地中から助け出したのは我々です。もし伝承にあるように、あなた様が神の使いであるならば、言葉がおわかりになられますでしょうか?」
神の使い……というのはよくわからなかったが、自分は人間よりも遥かに強大な力を持っている。長く眠っている間に、崇められる対象にでもなったのだろうか?
その言葉に返事をしてみると、人間たちはさらに喜色を浮かべた。
「実は、あなた様にお願いがあるのです」
人間というのは、あまり好きな種類の生き物ではない。
言葉を話せるほどの知能はあるようだが、自分たちがこの世界で最も賢い種であると考えている節がある。
そのため、本音を隠して相手を言いくるめ、自分たちの望むように操れるとでも思っているのだろう。
実際、話を聞いてみると、それは明らかだった。
「昨今では、我々が崇めている神を信じようとしない不届き者が多くなっております。力を尽くしてはいるのですが、隣国の者どもは魔導機関なる自然の摂理に反する機械を次々に生み出し、自らの生活を楽にすることだけを考え、神に対する信仰など不要とまで言い捨てる始末。何卒、そのお力でやつらを罰してやってください。神罰を下していただいた隣国には考えを改めるように説いた上で、全ての財産を神の御下である我が国に捧げるように誓わせる所存でございます」
神の使いがどうと言っているが、要は、人間同士で戦争をしているところへ力を貸して欲しいという内容だ。
言葉だけは丁寧な初老の男が、こちらに頭を下げて頼んでいた。
助けた礼として、隣国との戦争に加担し、財産を没収することに手を貸せと素直に言われたほうが、余程わかりやすい。
大方、相手国に戦力で劣っているため、藁にもすがる思いで自分を掘り起こしたといったところか。
とはいえ……地中深くで眠っていたところを目覚めさせてもらった恩は、返さなければならない。
長い眠りから覚めたばかりで、何をするかも決まっていないのだから、相手の言い分を聞いてみるのも悪くないだろう。
最初から人間同士の争いに興味などないから、それでどちらが勝とうとかまわない。
――そうして、軍隊を指揮しているという初老の男の言葉に従い、隣国との国境にある砦とやらに足を運んだ。
いや……蛇の形態を取っている今は足がないから、這ってきたと言うべきか。
砦の内部にいたのだろう、金属の鎧を身にまとった兵士たちは、自分の姿を目に留めて慌てふためいているようだった。
やがて戦いが始まり、砦の兵士たちは何やら筒のようなものを用いて、魔力の塊を撃ち出してきた。
激しい光と音を伴い、爆発が起こる。
しかし、自分にはその程度の魔力による攻撃は意味を成さない。
地面が崩れ、歩みがやや遅くなるぐらいだ。
むしろ、周囲にいたファルファトリアの兵隊が爆風で被害を受けたようで、何やら騒いでいるのが鬱陶しい。
早く終わらせるため、相手の戦意を削ごうと砦の外壁を尻尾で薙ぎ払った。
人間にとっては、何重も石を敷き詰めた堅牢な砦かもしれないが、自分にとっては砂のような脆さだ。
バキバキ、と外壁が音を立てて崩れていき、その隙間から兵隊が流れ込んでいく。
あまり壊すと建物を再利用するときに使い物にならなくなるので、建物内部の掌握は人間たちに任せておくほうがいいだろう。
――砦を奪うことに成功し、兵隊が補給を済ませた後。
さらに進軍するのだと、初老の男は笑っていた。
「ふ、ふははは……これほど簡単に勝利できるとは、これもあなた様のおかげでございます。このままレイトルテまで攻め込み、不信心な者どもに神罰を与えてくれましょうぞ!」
この男に手を貸すのはこれで最後にしよう。
人間の争いでどちらが勝とうと興味はないが、なんとなく気分が悪い。
男がまだ何かを言いかけているのを無視し、目の前に広がる平野へと視線を向けた。
――そのときだ。
眼前に広がる平野のどこかから、自分と似たような魔力の波動を感じた。
かなり弱々しい気もするが……この感じは、おそらく間違いない。
ということは……この先に、自分と同じ竜種がいるのだろうか?
冬眠から覚めたばかりで、心細いなどと子供のようなことを言うつもりはないが、少しだけ嬉しくなった。
ズズズッと、地を這うように巨体を動かす。
「ど、どこへ行かれるというのですか!? まだ進軍準備は途中で――」
初老の男が制止する言葉を向けてきたが、もうそんなものはどうでもよかった。
地中から掘り起こした恩ならば、あの砦を陥落したときに返しただろう。
――広大な平野を進んでいくと、前方にはたくさんの兵が隊列を組んでおり、こちらを迎え撃つ姿勢を取っていた。
だが、すでに自分の興味はそんなところにはない。
迂回するようにしてすり抜けると、行かせまいと筒のような武器から魔力の塊がいくつも飛来した。
だが、それらも無視して目標まで一気に進む。
どんどん速度を増し、巨体で地面をえぐるようにして高速移動した。
そうして、目的の相手を前にして動きを止める。
……おかしい。
なぜだろう?
たしかに、ここにいると感じたというのに――――そこにいたのは、何の変哲もない人間の男だった。
人の良さそうな顔を強張らせ、こちらを窺っている。
「――――お前……誰だよ?」
◇◇◇◆◆◆◇◇◇
――ちょっと、今、すごく混乱している。
おいしい粕汁を作り、怪我をして疲れている兵士の方々に食べてもらったわけだが、そろそろ街に戻ろうとしていたところへ――恐ろしく巨大な蛇の登場である。
前線をすり抜けるようにして突破した大蛇が、真っすぐとこちらへ向かってきたかと思えば、おれの目の前で動きを止めたのだ。
その迫力たるや、すさまじい。
フォルムこそ蛇と似ているが、圧倒的な存在感は、間違いなく最古の竜種の一体――ミドガルズオルムであると告げていた。
イルルの竜の姿を見慣れていなければ、正直、ちびっていたかもしれない。
小さな村ぐらいなら、地面ごと丸呑みにされてもおかしくない大きさである。
ちなみに、混乱を助長しているのは、相手が放った一言だ。
――――お前……誰だよ?
そんな問いに、どう答えていいかわからない。
「……ボクと同じような竜がいると思って、魔力の波動をたどって来たのに……お前、ただの人間じゃないか」
そう言われて、ようやく一つの推測に思い至った。
こいつは、おれの魔力の波動とやらに反応してやって来たらしい。
もともと、何の魔力も持っていなかったおれが、今こうして潤沢な魔力を有しているのは、イルルが体液を……いや、魔力を分け与えてくれたからに他ならない。
だとすれば、魔力の波動が似ているのも道理であり、ミドガルズオルムはここに同種のイルルがいると勘違いしたのだろう。
もし仲間を探しているとかなら、イルルに引き合わせるべきか。
きちんと話をすれば、ファルファトリア側に協力するのを止めてくれるかもしれない。
――しかし……。
「まさかお前……竜の生き血を飲んだとか言わないだろうな?」
おや?
なんだかすごく怒ってらっしゃる気がする。
もしや、おれが竜を殺して生き血をすすったとでも考えているのだろうか?
「ボクにはわかるぞ。お前ら人間は、欲深い生き物だからな」
「いやっ、それは勘違いで――」
「くっ……傷の重い負傷兵はすぐにこの場から避難させろ! 動ける者は武器を取れ!」
ヘイトリッドさんが叫び、兵士たちが決死の覚悟で戦闘態勢を取った。
どうやら、ミドガルズオルムの言葉はおれにしか理解できていないようだ。
砦を襲った大蛇がふたたび現れたら、問答無用で攻撃するに決まっている。
さっきまで笑顔で話していた三人の兵士も、傷ついた体だというのに、おれをかばうようにして前に立った。
「ここは俺たちに任せて早く逃げてください。そして無事に再会することができたなら……」
「「あきらめろ」」
なんというか、この三人の兵士たち仲良いな。
いや……今はそんなことを考えている場合じゃない。
「邪魔を――するな!」
大蛇が怒りの声とともに、巨大な尻尾で地面を叩いた。
鼓膜をつんざく轟音とともに土埃が舞い上がり、地面にいくつもの亀裂が走る。
「や、やめろって! ……少しはこっちの話も――」
「うるさい!」
ダメだ……こいつ、人の話を聞こうともしない。
このままだと、兵士の人たちまで……。
「ジンさん! 早く乗ってくださいっす!」
ギャリギャリッ! っとタイヤが地面を擦る音を響かせながら、おれのすぐ傍で魔導車を急停車させたのは、ウチの看板娘である少女――ネイリだった。
「いいぞ、ネイリ! 特別ボーナスをあげたいぐらいだ」
「それは無事に帰れたらの話っす。ジンさん、喋ると舌を噛むっすよ!」
おれが即座に魔導車に乗り込むと、ネイリは思い切りアクセルを踏み込んだ。
わずかにタイヤが空転した後、砂利を巻き上げながら一気に加速する。
「すごいな。いつの間に運転できるようになったんだ?」
「そんなもの、さっきジンさんが運転してるのを見てたからに決まってるっすよ。というか、あんまり運転中に話しかけないでください。また舌でも噛んだらどうす――って、噛んだぁぁぁ! 噛んだところをまた噛んだぁぁぁぁ! 痛いっすぅぅぅ!」
「す、すまん! いや、でも、きてる! すぐ後ろまで迫ってきてる!」
やはりと言うべきか、ミドガルズオルムはおれを追ってきたようで、窓から身を乗り出して後ろを見やると、ものすごい質量の巨体が地面を這ってくるではないか。
「うぇ!? なんでっすか!? ネイリたち、何かあいつの気に障ることしたっすか!?」
「いや……たぶん、というか間違いなく、あいつが追ってきてるのは、おれだと思う」
ネイリは、とにかくおれをあの場から逃がそうとしてくれたのだろう。
そのせいで彼女まで一緒に追われる羽目になっているのだから、申し訳ないとしかいえない。
「ど、どこに逃げればいいんすか!?」
まさかレイトルテの街に逃げ込むわけにもいかないし、リムリアさんが指揮している軍隊がいる方角にハンドルを切るわけにもいかないだろう。
「と、とにかく、全力で逃げよう!」
ブォォォォン! という苦しそうな重低音が響く。
「といっても、もうこれが限界っすよ!」
魔導エンジンが焼きつくぐらいにアクセル全開で走っているというのに、一向に引き離せる様子もない。
――そして。
プスン、プスン……と、魔導エンジンから限界を報せる音が聞こえ、みるみるスピードが落ちていくではないか。
燃料切れ……ではなく、無理をさせたエンジンが本当に焼きついてしまったようだ。
「ど、どど、どうします?」
「と、言われても……」
真っ青になったネイリがこちらに助けを求めたが、無理なものは無理である。
「「あっ――」」
――そうして、すぐさま追いついてきた大蛇の尻尾が、しなるような動きで魔導車を弾き飛ばしたのだった。




