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12話【食後のひととき】

「自分が作った料理を食べて、喜んでくれている人の姿を見るのが好きなんだよ。だから料理人になった……っていうのが、さっきの質問の答えかな」


 イルルがとっておきの酒とやらを奥の部屋から持ってきたので、おれはそれを飲みながら先程の問いに答えた。


「ただ……そもそもおれが料理を始めた理由は、あんまりほのぼのしたものじゃない。聞きたいなら、話すけど」

「ああ、聞かせてくれ」


 焼肉パーティーの余韻を壊すことにならないか心配だったが、イルルなら大丈夫だろう。

 彼女は、不思議と全てを受け入れてくれそうな雰囲気を持っているのだ。

 こういったところは、やはり数千年を生きている者の貫禄なのかもしれない。


「……おれの両親は互いに仕事をしててね。いつも帰りは遅かった。夜遅くに帰宅しても自分は仕事で大変なんだって顔をして、喧嘩してばっかりでさ。そんな二人の姿を見ているのがたまらなく嫌だった。なんていうか……一秒だってその場にいたくないって、子供心にも思ったもんだよ」


 親が喧嘩する姿を目の前で見せられるのは、わりと辛い。

 世の中にはもっとシンドイことがあると言う人もいるが、少なくともあのときのおれには、両親の喧嘩が世界で一番嫌な出来事だった。


「学校から家に帰ると、いつもお金が置いてあって、母親が料理を作ることは数えるほどだったな。もちろん、仕事をしてたら家庭のことに手が回らなくなるのは仕方ないんだけど……妹はまだ小さかったし、よく泣いてたっけ」


 店屋物ばかりの食卓は、料理は温かいというのに、妙に冷えきっていたような気がする。


「ある日、何を思ったのか、おれは学校の帰りにふらふらとスーパー……こっちでいう市場みたいなとこに行って、色んな食材を買って帰ったんだ」


 初めて挑戦した料理は、それはもう散々なものだった。

 野菜の皮剥きは虎刈りのように斑模様となっていたし、自分の指は切り傷だらけで、笑えないぐらいに痛かった。

 味付けも、塩と砂糖を入れ違えるという典型的な失敗をやらかしてしまうぐらいには、食えたものではなかったと言っておきたい。


「今のジンからすると、想像しにくいな。逆にちょっとだけそのときの料理を食べたみたい気もするが」

「当然、最初は怒られるわなんやらで、家庭内が余計にこじれたことは覚えてるよ」


 だが、おれはめげることなく料理を続けた。

 どうにか食えるものが出来上がるようになり、おいしいと評されるものが作れるようになる頃には、両親の喧嘩もずいぶんと減っていたような気がする。


「そのときの両親の心情はわからないけど、家へ帰ってきたとき、心が温まるようなおいしい食事が待っているっていうのは、やっぱり穏やかな気持ちになるんじゃないかな」


 おれが台所をほぼ任されるようになり、毎日のように家族の食事を作るようになると、両親は早めに帰宅するようになってくれたし、妹も明るい笑顔を見せるようになってくれた。


「ジンが料理をするようになったのは、家族のためだったのだな」


 食卓を囲む――という言葉があるように、家族が皆で食事をするというのは、本当に、とてもとても大切なことだ。


「もっとも、当時のおれはそこまで深く考えてたわけじゃないし、なんとなく料理を作り始めたんだけど」

「なんとなく、というのは便利な言葉だな。家族の仲を良くするには何が必要なのか、きっとジンは無意識的にわかっていたのだろうよ」


 イルルは、そんなことをつぶやきながら酒をぐいっとあおった。


「……かもしれないな。そのあとは、さっき話した通りだ。だんだんと料理自体が楽しくなってきたし、作ったものを食べてもらうのが嬉しくて、料理人になろうって決めたんだよ」


 これで、イルルが尋ねた内容にきちんと答えたことになるだろうか。


「さて、それじゃあ今度はこっちの番だ。おれからもイルルに聞きたいことがある」

「そう改まられると、なにやら怖いではないか。こう見えても、わしは小心者なのだぞ?」


 ここに嘘つきがいる!


「助けてくれたときから思ってたんだけど、なんでイルルはここまでおれに優しくしてくれるんだ?」


 異世界に飛ばされてすぐ、羽ブタやメタルアントに襲われているところを助けてもらい、かなり強引にだが魔力まで分け与えてもらった。そして、今もこうしてずっと傍にいてくれている。


「気まぐれでジンに付き合って時間を無駄にしたと思うほど、短い命ではないと前にも言っただろう。今日のように、うまい飯を楽しむ機会もあることだしな」


 たしかに、それで納得してしまいそうな自分がいるのだが。


「その、おれが聞きたいのは、気まぐれを起こした理由なんだけど」

「ふむ……なんとなく、だ」


 あ、そうきますか。さっそく活用するわけですね。


「いや、それは答えになってない……」

「わしは人間にすればジンと変わらぬ年齢と言ったが、それでもやはり数千年という時を生きてきたのは事実。思い返せば色々なことがあったものだ」


 彼女がレイトルテの入街税を支払うときに見せた、ラクシャード銀貨。

 あれはかなり昔のものだったらしいが、イルルがそれを持っていたということは、今のように人間が暮らす街に住んでいたこともあるのだろう。


「なんだ? わしの過去を知りたいとでも言うのか? やめておけ。嫉妬に狂うことになる」


 狂わないよ! 別な意味で何をしていたのか気になるけども!


「たしかに人間の街で暮らしていた時期もあったな。だが、見知った相手はすぐに老いて先に死んでしまう」


 長命種の竜からすれば、人間の命は短く儚いものなのだろう。


「最後に同胞の竜と会ったのも、数百年以上も前のことだ。自分と同じ時を刻んでくれる者が傍にいないというのは、なかなかに辛いものだぞ。人間であるジンには想像しにくいだろうがな」


 親にしろ、兄妹にしろ、友達にしろ、自分が歳を取れば、周りも同じだけ歳を取っていく。

 それが当たり前の感覚であり、どこか安心する現象だ。

 しかし、自分だけが変わらず、周りだけが歳を重ねていくというのは、いったいどんな気分なのだろうか。

 もしかすると、それはとても孤独なことかもしれない。


「なぜこんな気まぐれを起こしたのかという問いは、長年にわたって積み重なり、こびりついたような感情も混ぜ込んだ想いを、一言で表わせと言っているようなものだ」


 それは……たしかに一言で説明できるものではないだろう。


「だが、強いて言うならば……独りでいることに疲れていたのだろうな。竜の生き血を飲めば不老不死に近い存在になれると言ったが……ああ、ちょっと飲んでおくか?」

「飲みません」


 お酒のついでに一杯飲んどく? みたいな感覚で勧めないでいただきたい。


「そうか? つまりは、竜も似たような存在なわけだ。まったく歳を取らないわけではないし、絶対に死なないわけでもないから、完全な不老不死ではないがな」


 最古の竜種が完全な不老不死であるならば、イルルも孤独を感じることはなかっただろうし、竜の遺骸が最上の素材として鍛冶師の憧れとなることもなかっただろう。


「ジンと出会った森は、人間が滅多に来ない場所でな。どれほどの時が経ったかは忘れたが、何も食べず、何も飲まず、わしはあそこで死んだように眠っていた。いや、そのまま永久に眠ってもよいとさえ思っていた。だんだんと意識が薄れていき、もう孤独を味わうこともないかと安堵していたところで……腹がグゥっと音を鳴らしたのだ」


 その言葉があまりに真に迫っていたため、イルルはさっき焼肉をたらふく食べたはずだが、何か夜食でも作ってあげようかと思ってしまったほどだ。


「笑ってしまうだろう。死の淵にいたというのに、あまりに腹が減って目を覚ましてしまったのだからな。わしは気怠い体を持ち上げ、森を彷徨い始めた。そこで――」


 ――おれと、出会ったわけか。


「見知らぬ人間が襲われていて、助けてみれば稀人の料理人だというではないか」


 ん? 待てよ。ということは……あのときのイルルはかなり弱っていたということか。

 だというのに、羽ブタやメタルアントを一撃で蹴散らした、と。

 やだ、怖い。


「……なんとなくわかったよ。あの出会いは、わりと運命的なものだったわけだ」


 腹を空かした竜がいて、異世界へと飛ばされてきた稀人の料理人と出会う。

 おれは別に夢見る乙女じゃないが、これを運命的な出会いと言わずして何と言うのか。

 彼女が気まぐれでおれに付き合ってみようかと思い至ったのも、無理はないかもしれない。

 立場が逆だったなら、おれだってそうする……かも?


「これで、ジンの質問に答えたことになったか?」

「ああ。なんとなく理解できたよ」


 ……さてと、そろそろ残りの片付けをちゃちゃっと終わらせて、寝ることにしましょうかね。

 おれがイスから立ち上がり、厨房へと足を向けると、イルルもゆっくりとした動きで奥の部屋へと姿を消した。


 うん? 奥にある酒樽へお代わりを取りに行ったのだろうか? などと思っていると、程なくして戻ってくる。

 彼女の手には、きらきらと黒光りする美しい鱗のようなものが握られていた。


「それ、もしかして……」

「ああ、わしの鱗だ」


 イルルの鱗――それはつまり、最古の竜種の鱗である。

 鍛冶屋が言っていた、鎧などに使われる最高の素材というやつだ。

 テーブルに置かれた数枚の竜鱗は、一枚一枚が重厚な重みを感じさせる立派なもので、光の反射により、黒一色ではなく虹のように輝くのがまた美しい。


「なんで………というか、鱗を剥いでも大丈夫なのか!?」

「問題ない。すぐにまた生えてくるからな。今は少しヒリヒリするが、どこの部分かは聞いてくれるなよ?」


 え、ちょっ、やだ。そんなふうに言われたら気になる。

 いったいどこの部位の鱗を剥いできたんだ。


「ゲンジとの会話が少しだけ聞こえた。わしは人間よりも耳が良いのでな。高出力の魔導機関を開発するには、丈夫な圧縮炉とやらが必要なのだろう? そのためには、魔力伝導性に優れ、オリハルコンを凌ぐ強度の素材を見つけなければならない……」


 たしかに、ゲンジさんはそう言っていた。

 遺跡で発掘されたオリハルコンに、魔法技術で精錬されたミスリルを合わせた特殊合金でも、圧縮炉の負荷に耐えることはできなかった、と。


「やってみなければわからんが、“それ”ならば耐えることができるかもしれん」


 この竜燐を、圧縮炉の材料に使う……?


「明日にでもゲンジに渡してやれ。もし足りなければ……また言うがいい」


 イルルにしては珍しく、語尾がちょっと弱気な感じになっている。

 やはり少しヒリヒリしているのだろうか。


「ありがとうな、イルル。でも、なんでここまで……」


 さっきと同じような質問をしてしまったおれに対して、彼女はにやりと笑い、何度も言わせるなとばかりに、こう言った。


「――なんとなく、だ」

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