9話【大きな卵のふわとろオムライス】
「いらっしゃいませっ。今日はコカトリスの卵をたっぷりと使ったふわふわオムライスがすんごくおいしいっすよ!」
元気にハリのある声でお客を店内に案内しているのは、すっかりウェイトレス姿が板についてきたネイリである。
さすがに埃にまみれたマントや泥が付着したブーツを履いたまま給仕をしてもらうわけにもいかないので、白と黒を基調としたウェイトレスに相応しい服を購入して着てもらった。
なかなかどうして、もともと愛嬌のある笑顔が魅力的だとは思っていたが、きちんとした衣服に着替えると、これはもうどこに出しても恥ずかしくない看板娘である。
「ネイリちゃんは今日も元気がいいね。それじゃあオムライスとやらを三つもらおうかな」
「ありがとうございます。オムライス三つっすね」
うんうん、開店初日は強盗事件が起こるわで色々と大変だったけど、あのときの判断は間違っていなかったようだ。てきぱきと働く彼女の姿を見ていると、なんだかこっちまで元気をもらえそうな気がする。
「あ、あの、イルルさん、今日は何を食べられるんでしょうか?」
「コカトリスの卵を使ったオムライスだ。とにかくうまい。まあ食べていくといいだろう」
「は、はいぃ! じゃあそれを二つお願いします」
「よかろう。しばつ待つがいい」
――はい。こちらはかなり個性的な接客をしているイルルである。
こんな感じになるだろうから、当初はイルルに店を手伝ってもらう気はなかったのだが、ネイリが懸命に働いている姿を見て、自分も手伝ってやろうと言い出したのだ。
しかしながら、不思議とあのような接客も需要があったようで、お客はイルルの言葉を嬉々として受け入れている。それどころか、もっと厳しい言葉で罵ってほしいとかいう変なファンまでついているようである。
断っておくが、ウチは料理屋だ。
そういうお店じゃない。
さてさて、今日の献立は――玉子たっぷりのふわとろオムライスに、鶏ガラスープである。
コカトリスの卵をふんだんに使い、自家製ケチャップで味付けしたチキンライスをふわりと包んだ半熟ふわとろオムライスだ。
ケチャップは、湯剥きした完熟トマト(※自動翻訳済)を丁寧に潰してから漉した後、塩と砂糖、それに香味野菜を紐でしばったものを投入し、弱火でじっくりと煮詰めてやった。
仕上げにワインビネガーを少量加えると、酸味がいい感じに味を引き締め、酢の作用で日持ちもよくなるので余ったぶんは冷蔵庫に保管しておける。
そうして完成した自家製ケチャップがあれば、チキンライスは半分出来上がったようなものだ。
コカトリスのもも肉を細切れにし、玉葱のみじん切りと一緒に炒めて香ばしい匂いがしてきたら、塩胡椒で味を調える。そこへご飯を豪快に投入したあとは、ケチャップの赤色が全体になじむぐらいに加えて一気に炒め混ぜれば、チキンライスの完成だ。
コカトリスの卵はかなり大きいので、一個で二~三人前のオムライスを包むことができる。
熱したフライパンにバターをたっぷりと溶かし、少量の生クリームを加えた溶き卵を投入すると、ジュワッと小気味よい音が響き渡る。
半熟ふわふわにするコツは、フライパンに投入した直後に箸で手早くかき混ぜてやることだ。
円形状になった半熟玉子焼きをくるりと巻いてプレーンオムレツを作り、熱々のチキンライスに乗せてやれば、ほぼ完成。
ちょこんと上に乗ったオムレツをナイフで切り開いてやれば、とろりとした半熟玉子がチキンライス全体を見えなくなるほどに包み込んでいく。
最後に上からケチャップをかけるかは、お好みでどうぞ。
付け合わせの鶏ガラスープは、巨大鶏といえるコカトリスの鶏ガラを香味野菜と一緒にじっくり煮込み、丁寧にアクを取って塩胡椒で味付けしたものである。
あっさりとした鶏ガラスープが、濃厚な半熟オムライスにとてもよく合う。
「はい、ネイリ。オムライス三つ上がったよ」
「はーい。すぐに持っていくっす!」
トトト、とやって来たネイリに、おれはふと疑問に感じたことを尋ねてみた。
「それにしても、ネイリはずいぶんと明るくなったな。その……ファルファトリアに復讐するとか言ってたときは、もうちょっと暗かったように思うけど」
「そりゃあ拾ってもらった恩もあるし、ネイリはやると決めたらしっかりとやる子なんすよ。村を襲ったやつらは憎いっすけど、今ここでそれを言っても何も始まらないっす。せっせと働いてお金を貯めたら、もっと強力な武器を買ってファルファトリアに乗り込んでやるっす」
うん、とてもいい子だ。
後半はどこまで本気なのかわからないけど、とりあえず前向きで明るいのは良いことだ。そうに違いない。
「なにをしている? そこで話し込んでいたら、せっかくのオムライスが冷めてしまうだろう」
「ああっ。すみませんっす、アネゴ! すぐに持っていきます」
ネイリはぺこりと頭を下げると、器用にオムライスセットを三つ運んでいった。
……うん、なんていうか、ネイリがなぜかイルルのことをアネゴと呼ぶようになっていることについては、深くは触れないでおこうと思う。
「――おお!? 今日はなんだか見慣れないもんを食わせてくれるみたいだな。なんだこりゃあ? 玉子焼きとは違うみてえだが……」
ちなみに、ゲンジさんは本当に毎日のように店に顔を出してくれている。
すっかり常連さんだ。
「なんつーか俺はよぉ、もっとこう純和風なもんのほうが嬉しい……ってなんじゃこりゃあぁぁぁぁぁ! めちゃくちゃうまいじゃねえかよぉぉぉ! 半熟の玉子にトマトがトマトでご飯が合わさってもうよくわかんねえけどうまいじゃねえかぁぁ!」
このように、ゲンジさんはおれが作るものを何でもおいしいと言って食べてくれるので、とても励みになっている。その豪快な食いっぷりを見て、他のお客もリピートしてくれているのではないかと思ってしまうほどだ。
――そうして客足が落ち着いた頃、ちょっとばかり毛色の異なるお客が店にやって来た。
鎧をまとった壮年の兵士である。
短く刈った金髪に、精悍な目つきは、年相応の経験を積んできた歴戦の勇士を連想させたが、気のせいか少し疲れているようにも見えた。
「いらっしゃいませ。こちらへどうぞっす――……てっ! ヘイトリッド隊長じゃないすか!?」
知り合いだったのか、ネイリが驚いたように声を上げる。
「……ん? その声……もしかしてネイリか? そんな服装をしているから、一瞬誰かと思ったぞ。元気にしているのか?」
「あ……ぅ、はい。元気にやってるっす。隊長こそ、なんでこの店に?」
「ああ。今日はリムリア総督に定期報告をするためレイトルテを訪れたんだが……総督から、腹が減っているのならお勧めの店があると言われてな。ここを紹介されたんだ」
ススス、っと無音でこちらに忍び寄ってきたネイリは、こそこそと耳打ちをしてくる。
「あ、あの、先日ジンさんに働いた無礼については、隊長には何卒ご内密に……なんでも言うこと聞くっすから」
一度は水に流したことだし、もともと誰かに言うつもりもないわけだが……女の子が気軽にそういったことを言っちゃあいけません。
「銃の扱いなんかを教えてくれたのは、ヘイトリッド隊長なんす。面倒見のいい優しい人なんすけど、苦労性というか、色々と抱え込むタイプの人なんで、ネイリがあんなことをしたなんて知ったら、隊長の胃に穴が空くかもしれないっすよ」
「いやはや、ネイリが砦を出て行ってしまったから心配していたが、こうして無事に暮らしているのなら一安心だ。どれ……このオムライスというのをもらえるかな?」
「あ、はい。ちょっと待っててくださいっす」
真面目そうな人だし、元部下がこの店で強盗事件を起こしたなんて言えば、胃がキリキリと痛むことだろう。
まあ、言いませんけども。
「――ふむ。なるほど……これは半熟の玉子で米を包んでいるのか。トマトの酸味が米とこれほどに合うとは、いや実においしい」
「いかがでしたか、お味のほうは」
ウチの看板娘が世話になったらしいので、せっかくなので挨拶をしておこうと声をかけた。
「ああ。あなたが稀人の料理人というわけですか。とてもおいしかったですよ。私は国境にあるロウスイ砦で隊長をしているヘイトリッド・バウといいます。砦にいる兵士たちも、おにぎりにはずいぶんと楽しませてもらっていますよ」
「ありがとうございます」
リムリアさんにこの店を勧められたと言っていたが、おにぎりを砦の兵士の食事に取り入れたらどうかと提案した顛末などは、すでに聞いているようだ。
「おにぎり以外にも、米というのは色々な料理に使えそうですね。また街を訪れたときは店に寄らせてもらいます。それでは――おっと」
席から立ったヘイトリッドさんは、よろりと体を傾け、慌ててテーブルに手をついた。
「すみません。少し立ちくらみが……はは、ちょっと疲れているみたいですね」
「た、隊長、大丈夫っすか? なんだかちょっと顔色も悪いっすよ」
心配したネイリが、ヘイトリッドさんの顔を覗くようにして言った。
「最近はファルファトリア側の行動も活発になってきている。隊長である私が気を抜くわけにもいかないからな」
きっとヘイトリッドさんは、責任感の強い人なのだろう。
「なにか、ネイリにできることはないっすか?」
「心配するな。あと半年もすれば長めの休暇をもらえるはずだ。そうすれば故郷に帰って猛牛ミノタンの肉でもたらふく食うさ」
ミノタン……なんだかギリシャ神話に登場する牛の化け物を微妙に可愛くしたような名前だが、猛牛というからには凶暴なやつなんだろう。
ヘイトリッドさんが言うには、彼の故郷であるクレタ地方にはミノタンという巨大な牛が生息しているらしい。
その肉を食べれば、病人でも飛び起きるほどに精がつくのだとか。
だが、凶暴で数もそれほど多くないため、ミノタン専門の狩人もいるぐらいで、なかなか市場には出回らないとのことだ。
レイトルテがいくら交易も盛んで賑わっているとはいえ、何でも手に入るわけではない。
「うーん。ミノタンの肉で焼肉とかすれば、きっとすごくおいしいんだろうな」
「なんだ、その焼肉というのは? ただ肉を焼くだけか?」
おれの言葉を見逃すことなく拾ったイルルが、そんなことを尋ねてきた。
「たしかに焼くだけなんだけど、炭火を使って網の上で焼くんだよ。そうすると遠赤外線のおかげで表面はパリッと、中は肉汁たっぷりのままふっくら焼けるんだ。肉についている余分な脂は溶けて網をすり抜けていっちゃうし、またその脂が炭にかかることで食欲をそそる煙が吹き出し、肉が燻煙されてよりうまくなる。もちろん、肉そのものにも手作りのタレで味付けはするけどね」
「ほう……その味付けとは?」
「うーん。醤油ベースにするとして、イルルが買ってきてくれた酒やミリンに、生姜やニンニクのすりおろしを混ぜて……あ、リンゴも入れよう。それと蜂蜜を少し加えておくと肉がさらに柔らかくなるだろうし、仕上げに葱やゴマを散らして風味をつけたら、タレは完成かな」
「ふむ、それで?」
「あとは、そのタレに肉を漬け込んでおくんだよ。網で焼いたときにタレの香ばしい匂いと、溶け落ちた脂が炭火にかかって吹き上げる白煙で……うん、なんというかすごくテンションが上がる。おいしく焼き上げた肉を白飯にのせてかけこむ瞬間がまた最高で――」
そこまで話すと、イルルの手がおれの肩をがしりと掴んできた。
勢いよく、それはもう鎖骨がバキッと折れてしまいそうなぐらいの、力強さでだ。
あ、はい。なんとなく言いたいことはわかりました。
これは逆らえないやつですね。
でも、どうせなら――
「あの、ヘイトリッドさん」
「はい、なんでしょう?」
ネイリと会話をしていたヘイトリッドさんは、こちらの呼びかけに応じて振り向いた。
「明日は、まだレイトルテに滞在しているんですか?」
「ええ。なんでも明日は新兵の面接があるようで、私も出席するようにとリムリア総督から言われています。なので、砦に戻るのは明後日になるかと」
よし。明日は店も定休日だし、ちょうどいい。
「それなら、明日の夕方にこの店をもう一度訪れてもらえないでしょうか。おいしい食事を用意しておきますので」
「今日の食事も十分においしかったと思いますが……せっかくの誘いを断るわけにもいきませんので、ぜひ寄らせてもらうことにします。それでは」
そう言ってヘイトリッドさんは一礼し、ネイリに軽く手を振ってから店を後にした。
「――あれ? ジンさん。たしか明日は定休日じゃなかったっすか?」
隊長を見送ったネイリが、口元に指を当てて不思議そうにしている。
「ああ、そうだ。定休日だからこそ、クレタ地方とやらに牛を狩りに行くことにした。よかったら、ネイリも一緒にどうだ?」
その言葉の意味を理解したらしいネイリは、満面の笑みを浮かべて頷いた。
「さっすがジンさんっす! お人好しの上にバカがつくほどの超優しい人っす。もしこれでネイリが惚れたりしたらどうするんすかぁっ――ってブギュッ」
バカがつく……それは褒めているんだろうか?
勢い余ってウェイトレス姿のままおれに抱きつこうとしたネイリを、片手で顔面を掴むようにして止めたのは、他ならぬイルルだった。
「じょ、冗談っすよ、アネゴ。あ、つぶれる、つぶれちゃう――」
――翌日の早朝。
街へ入るときに入街税を支払ったが、特に街で問題を起こしていない者については、期間内の出入りに制限はないらしい。まあ、ちょっと外出するだけで銀貨一枚を取られるのでは、たまったものではない。
街を出る際に証明書が発行されるので、それさえ失くさなければ、再度お金を支払う必要はないのだとか。
……そういうわけで、おれは今、街道から外れた人通りのまったくない場所で、目隠しをされた少女と一緒にいた。
いや、変な意味でなく。
「ちょ、なんで目隠しするんすか!? クレタ地方に行くんじゃ……あわわ、ネイリをどうするつもりっすか?」
「少し黙っていろ」
イルルの一声。
「……はいっす」
うん、まあ、クレタ地方まではけっこう距離があるみたいだし、今日中に帰ってこないといけないからね。きっとこれが最速で目的地に着けるからね。
人から竜へと姿を変えたイルルが、背中へ乗るようにと首を軽く上下させた。
相変わらず、すごい迫力だ。
いつかはネイリにも正体を教えたほうがいい気もするが、この姿を見たら、アネゴどころでは済まなくなるんじゃないだろうか。
「な、なんだか足元がゴツゴツしてるんすけど、あ……なんかフワッとしたこの感覚はなんすか? いったい何が起こってるんすか!? 誰か教えてほしいっすうぅぅぅぅ――……」
こうして俺たちは、クレタ地方へと飛んだ。