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温度を感じられなくなった僕

作者: 燐鏡 剣斗

「熱を感じなくなった僕に、生きる理由はあるんだろうか」


僕は生まれつき身体が弱かった。

弱かったと言っても、普通の人に比べたら、という意味でだ。

風邪を引きやすかったり、怪我してもなかなか治らない、そんな体質だった。


ある夏の日の事だった。僕は幼なじみの彼女と一緒に買物に出かけていた。

人生で2度あるかわからない、そんな買い物をするために。

「これとかどう?シンプルだし、似合ってると思うよ」

僕は真っ白なウェディングドレスを指さし、そう言った。

「うーん、可愛いけど…もう少し派手目のほうが私は好きかな」

「そっか…やっぱり僕にはいまいちわからないなぁ」


ウェディングドレス。僕は生涯で今日以外の日に彼女のために真面目に選ぶことはないだろう。

それくらい、僕は彼女を愛してるし、彼女も僕を愛してくれているとは思う。

彼女の心の中を読むことは出来ないから僕のことを本当に愛してくれているかはわからないが、

日頃から僕に色々と尽くしてくれているし、愛してくれていると僕は思っている。


「あっ、これ可愛い!ちょっと試着してくるね!店員さーん!」

「はーい、ただいま!」

彼女は女性の店員さんと一緒にウェディングドレスを持ち奥の試着室へ行ってしまった。

「ふー…」

ここまで買い物に真剣になったのはいつぶりだろうか。僕は食べるものにこだわるタイプでもないので、

いつも買い物はさっと終わらせるし、長く悩むこともない。

「ちょっと疲れたな…」

僕は近くにあったソファに座る。

なかなかに座り心地が良く、質のいいソファだということはこだわらない僕でも分かった。


僕は自分の身体が弱いということはわかってるので、タバコも酒もしないようにしている。

ただでさえ弱いこの身体でそんなことをすればたちまち体を壊すのはわかりきったことだから。

「ふぅ…それにしても長いな」

着付けに時間がかかるのは分かっていたが、かれこれ10分位立ったのではないだろうか。

ただ単にそれくらい長く感じているだけでそんなには立っていないのだろうか…


「おまたせー!」

彼女の声に反応し下げていた顔を上げる。

そこにはさっきまでとは全く違う、少し派手目ながらも清楚な感じを出している彼女の姿があった。

「おぉ…」

あまりの綺麗さについ声が出てしまうほどだった。

「どう…かな?似合ってる?」

「うん、よく似合ってると思うよ。その…君が着ると派手さがあまり気にならない」

「えへへ、そうかなぁ…」

「僕はそうだと思う。本当に綺麗だし…」


「じゃあ店員さんこれください!」

「かしこまりました。ではサイズのほうを合わせますので少々こちらへ」

店員さんに連れられ彼女はまた奥の方へと行ってしまった。


僕はまたソファに腰掛ける。

「僕は幸せものだなぁ」

心からそう思っていた。自分がこんな幸せになっていいのだろうか。

神様は僕を常に見ていてくれたんだろうか。そう考えるのは多少のエゴか。

「この幸せが続けばいいな」


そう思った時、何やら外が騒がしい。

「なんだ…?」

そう思い立ち上がったその瞬間、僕の目の前は光で埋まっていた。

光に気を取られた次の瞬間、僕は強い衝撃とともに意識を失った。


























「…ぇ」

微かに声が聞こえる。意識ははっきりとしていない。

宙に浮いているかのような感覚だ。自分の体がふわふわと浮いている、そんな感じだ。

「…ぇ……よ!」

また微かに声が聞こえた。ここは…

「ねぇ…目を覚ましてよ、お願いだから!」

その声で僕ははっと我に返った。そして目を覚ます。


目を開くと真っ白な天井が見えた。横たわっている…?ベッドの上、だろうか。

確か何かにぶつかられたような感覚があって…それから僕の記憶はなかった。

多分ぶつかった直後に気を失ってしまったのだろう。せめてもの防衛本能だろうか。


「あぁ、良かった!目が覚めた…!」

僕が身体を起こすのと同時に彼女が抱きついてくる。体重をかけているつもりはないのだろうが、重い。

その重さに耐え切れず僕はベッドに倒れ込む。

「あぁ、気をつけて。まだ目を覚ましたばかりですからね、強い衝撃はいけませんよ。」

近くに居た看護師さんが僕の手を掴み脈を測る。

「安定していますね。詳しいことは検査をしてみないとわかりませんがとりあえずは大丈夫でしょう。」


そう言うと看護師さんは病室から出て行った。

「…何があったの?」

僕は衝撃を受けた時のことをよく分かっていなかった。

強い光が見えたと思ったら突然気を失うほどの衝撃を受けたことしか分かっていないからだ。

「実はね、私がサイズを測りに行った時に、居眠り運転をしてた車が店に突っ込んできてね…」

「居眠り運転…?」

「そう、運転してた人は壁にぶつかった衝撃で死んじゃったんだけど…」

「えっ、じゃあ僕はなんで生きてるんだ…?」

「車にぶつかった時に運良く身体が弾き飛ばされて壁と車に挟まれなかったのよ…」


幸運、というべきなのだろうか。命が助かったことは間違いないが轢かれた事自体が不運なのだろうか…

「でも、私はこうして生きていてくれたことが何よりも嬉しい…」

話している間もずっと彼女は僕の手を掴んだまま放さなかった。

それほどに僕のことを心配していたのだろうか。

「ごめん、心配かけて…」

「ううん、いいのよ。私は生きていてくれるだけで幸せだから…」

そういうと、彼女はベッドに倒れ込みすぅすぅと寝息を立てて眠ってしまった。

よほど僕のことが心配だったのだろうか。ずっと横で見ていてくれたのだろうか。

そんな彼女が居てくれて、自分は幸せものなんだと思った。


「入りますよ」

その声とともに医者が病室に入ってきた。

「おっ、ここでしたか。少しお話をしたいのですがよろしいでしょうか。」

「僕ですか?」

「はい。あなたに伝えなければならないこともあります。」

僕は言われたままに、彼女を起こさないようにそっとベッドから起きる。

「身体は大丈夫ですか?無理はしなくていいですよ。」

「大丈夫です、多少歩くくらいならなんとか。」

「そうですか。では、お手数かけますが診察室の方へ。」


僕は医者についていき、診察室へ来た。

「少しお待ちください。」

そう言うと医者は部屋の奥へと消えていく。

少しすると医者は奥から戻ってくる。

「さて、まずはこちらを。」

医者は手に持っていた缶を僕に手渡してくる。

「どうぞ、飲んでいただいて構いませんよ。」

僕は言われたとおり缶のプルタブを引き、開ける。

プシュッという音と共に飲み口が開く。


「どうぞ。」

言われるがままに僕はそれを飲んだ。

緑茶だろうか。僕は嫌いではないが、緑茶よりも紅茶のほうが好きだった。

一口飲むと、医者はあることを聞いてきた。

「さて、一つお伺いします。あなたは今どういうふうに感じましたか?」

どういうことだろうか。僕が頭を打って混乱してるかどうかを確認するためだろうか。

「そうですね…ただの緑茶が入った缶だと思いましたが…」

「ふむふむ。では、温度の方はどうでしたか?」


僕はその質問の意味がわからなかった。温度なんて気にするものでは…

そこで僕ははっと何かに気がつく。そして、もう一口、もう一口と何度も飲んだ。

そして、缶の中に入っている緑茶を飲み干した時、医者の言っている意味がわかった。

「先生、もしかして…」

「はい。多分あなたがお気づきのとおりです。それが分かったうえでもう一度だけお伺いします。」


それは、僕にとって残酷な一言だった。




「あなたが飲んだその緑茶の温度はどうでしたか?」





「…わかりません」












何日かたち、病院を退院して彼女と家へ帰るその道の途中。

僕は医者が言った言葉を頭のなかで何度も繰り返していた。



「あなたは事故が原因で熱を感じられない体になってしまいました。」

僕は、その言葉に絶望した。だが、まだ諦めたくはなかった。

「…治療方法はありますか?」

ほんの少しの可能性でも、欲しかった。しかし、医者の答えは想像と違っていた。

「残念ながら、効果的な方法は見つかっていません…

事故が原因で熱を感じられなくなる方はいるのですが、あなたの場合は少し特別でして…」

「特別…?」

「身体のどこにも異常は見られないんです。なのにもかかわらず、温度が感じられない。」

身体のどこにも異常がない…!?そんな、嘘だ、こんな体になったっていうのに!?

「申し訳ありません…私たちにはどうしようもないです…」



僕の中で現実が何度も僕を苦しめる。

実際今僕の手を握ってくれている彼女の体温を感じることが出来ない。

そんな自分が嫌で泣きそうになる。だけど、これ以上心配をかける訳にはいかない。

涙を流さないよう、ぐっとこらえる。

「どうしたの?」

心配そうに彼女が見つめてくる。

「…いや、なんでもないよ」

嘘をついた。僕は、心配をかけたくがないがために彼女に嘘をついた。

それがいいことか、と言われれば良くないといえるだろう。


「最近ちょっと変だよ?なんか隠し事してるみたい…」

「隠し事なんかしてないよ、安心して。」

「そう?それならいいけど…」

彼女の体温すら感じられなくなってしまったこの体が恨めしかった。

こんな体になってしまったことを恨んだ。幸せな所を一気に地獄へと叩き落とされた感覚だ。


日常生活に支障は出なかった。

温度を感じられなくなったとはいえ感覚が消えたわけではないので、

物を持ったり握ったりすることはできる。

ものを食べて美味しいとも感じるし、お茶を飲んでもそれがお茶だということは分かる。

だが、冷たいものを冷たいと、温かいものを温かいと感じることが出来ない。

一番困ったのはシャワーの時だ。身体に水が当たる感覚しか感じないので非常に気持ち悪かった。

温度を感じられないとここまで違和感を感じてしまうものなのかと思った。


そんなこんなで一ヶ月僕は温度を感じない生活を過ごした。

だが、日に日に僕の精神はすり減っていった。

一ヶ月たった今僕の心の支えはほぼ無いに等しかった。

今までの当たり前が当たり前じゃなくなったこの状態を生きていこうと思えるほど、

僕の精神は強くなかった。もう限界だった。いっそ死んだほうが楽なのではないかと思い始めた。

彼女に温度が感じられないということを隠すのも限界だ。

端から見れば僕の行動はすべて違和感だらけだろう。当然だ、当たり前の感覚がないのだから。


気が付くと、僕は砂浜を歩いていた。

自分でも気が付かないうちにここに来ていた。

別に悩み事があったら砂浜に来るという習慣がついていたわけではない。

ただ、無意識にここに来なければいけないと思ったのだろう。


「はぁ…」

足元を行ったり来たりする波の温度すら感じられない。

「残酷だよな、人生ってさ」

一人、砂浜に座り込みそう呟く。

誰もいない砂浜。近くに道路もなく、日が暮れかけているこの時間帯は誰も居ない。

ただ一人、僕だけがここに存在する。


「誰も、僕を見つけてはくれないんだろうな」

そんなことをつぶやき僕は立ち上がる。

そして、一歩、一歩と波の流れに逆らうように海の方へと歩いて行く。

足に当たる波の感覚。冷たいとは思わない。ただ、足に波があたっているなと感じるだけ。

ふとももが水の中に消え、そして腰から下が完全に水の中に埋まる。


「ごめん、ごめんよ」

僕は水の深い方へ歩きながら一人残してしまう彼女に謝っていた。

この声が届くことはないと分かっていたが、言わずにはいられなかった。

せめてもの、最後の償い。それが届かずとも、それを言葉にしておきたかった。


みぞおちから下が水に浸かり、そして胸の辺りまで水が迫る。

「さよなら」

そして、僕は水の中に―――





























「だめっ!」

突然誰かに服の後ろ襟を掴まれ、引っ張られる。

そして、水の中から引っ張りだされて砂浜まで引っ張られていく。

突然のこと過ぎて振り切ることすら出来なかった。


「はぁっ…はぁっ…」

自ら引き上げられた後、僕はしばらく海のほうを見つめたまま動けなかった。

海で溺れることが出来なかったことに未練があったからじゃない。

後ろを振り向くのが怖かった。だって、僕を助けてくれたのは僕の思い描いている人物なのだから。

「…っ、ばかっ!心配したじゃない…」

僕の後ろで涙声で怒る彼女の声が聞こえる。

「…ごめん、また心配かけちゃったね」

それしか、言葉が出てこなかった。

「本当に心配したんだから…いきなりいなくなったと思ったら…こんな所で死のうとしてたから…」

彼女の涙声は若干弱々しくなっていた。安心したからだろうか…


「君に心配かけたくなかった、苦労を掛けたくなかったんだ」

「今みたいなことがっ!」

突然彼女の声が強くなる。

「今みたいなことが、私にっ…心配かけてっ、苦労をかけてるっていうのよっ…」

「…ごめん」

「ごめんで済んだら警察はいらないっ…!」

「…すまん」

「言い方変えてもだめっ!」

「…君を置いて死のうとしたことは謝るよ、でももう君に迷惑を掛けたくないんだ…」

それが本心だった。心からそう願ってた。

この先僕が彼女にかけるであろう負担を考えたら、そうしたほうが楽だと思った。


「こんな時だからもう言うけどさ、僕はあの事故から温度を感じられない身体なんだ。」

僕は、素直に打ち明けた。もう、これ以上隠すのも限界だと思っていたし、

今言わなかったら後悔すると思ったからだ。

だが、彼女からの答えは僕の想像の真逆だった。

「知ってるよ、そんなこと…事故にあった後あなたが目を覚ました時からずっと知ってたよ…」

「えっ!?」

「あなただけがあなたのことを知ってるわけじゃないよ、私だってお医者さんから聞いたよ」

「そんな…」

ずっと僕だけがその事実を知っていて、ずっと隠し通してるつもりだった。

でも、隠し通しているどころか、むしろ僕が彼女に負担をかけていることに気がついていなかった。


「じゃあ、なんで…そんな体になった僕に…なんでこんなにも!」

「そんなの、聞かなくても分かるでしょ?」

そう、聞かなくても分かっていた。でも、聞きたかった。彼女の口からその言葉を。

「あなたが、好きだから。ただ、それだけだよ。どんな体になったとしても、ね。」

たった一言。何の理由も根拠も説得力もない一言。だけど、その一言が僕にとっては救いだった。

「こんな、僕でも愛してくれるの?」

「もちろん、いまさらまた聞くの?」

彼女は泣きながらも笑顔でそう言ってくれた。


僕は泣きそうになった。だけど、泣いているところを見せたらまた心配されてしまう。

僕は黙って、彼女の近くへ行き、抱きしめた。

「ちょっと、どうしたのいきなり…」

「いや、今まで迷惑かけたから少しでも償いになればいいなと思ってさ」

「…ふふふっ、泣いてもいいんだよ?我慢しないでいいんだよ?」

彼女には全てお見通しらしい。そろそろ僕も泣くのを我慢するのが限界だった。


「…っ…うあぁぁっ…うあああああっ…」

「…ふふふっ、ぐすっ、ふふっ…」

声を上げて泣く僕と、優しく包み込んでくれるようにしてくれてたが、泣いてしまった彼女がそこに居た。

その時に僕は気が付かなかったが、僕は抱きしめた彼女の体温をしっかりと感じられていた。




























僕が死のうとした事件から2ヶ月。

あの事件の後の定期検診で病院に行った時、体温を感じられることに気がついていた。

まだまだ触った物すべての温度を感じることはできていないが、

人に触った時に人の体温を感じたり、一部の物の温度を感じるようになっていた。

医者は「いい方向に転がっていますね、このままなら元の間隔に戻るのも時間の問題かもしれませんね!」

と喜んでくれていた。


「準備出来ましたか?」

式場のスタッフが、僕を呼びに来る。

「はい、おまたせしてすいません。今行きます」

僕は椅子から立ち上がると、式場の方へと歩いて行った。


式場へ入ると、中には僕の親や関係者の人達が座って待っていてくれた。

「おいおい、新郎が先に来てどうすんだ、落ち着け落ち着け」

ここの式場の管理人でもある友人が僕に近寄ってきてちょっと皮肉を混ぜながらそう言った。

「ははっ、待てなくてね…」

「ま、お前らしいっちゃお前らしいな。じゃああそこの新郎席で待っとけ、今花嫁連れてくるからよっ」

そう言うと友人は式場の外へ出て控室の方へ向かっていった。


「(僕は、幸せものだ。)」

いまならこの言葉を噛みしめることができる。

一度は絶望の底に叩き落とされてしまった僕だからこそ、幸せを噛みしめることができるのかもしれない。

人生で何があるかはわからない。一瞬一瞬が大切なんだと今では思う。

僕は事故で温度を感じられない体になってしまったが、そのおかげで彼女との中を深められた。

神様は、見ているのだろうか。今のこの僕の幸せを。見ているのだとしたら、感謝したい。


「それでは、新婦の入場です!」

さっき控室に向かった友人が、いつの間にか僕の横でライトを浴びてしゃべっていた。

そして、その友人の声とともに式場の扉が開き、花嫁姿の彼女が入ってくる。


彼女は彼女の父親に連れられて僕のそばまで来る。

そして、僕の横に立った時に、小声で僕に言った。

「待たせちゃったね、ごめんね」

「いいんだ、今まで僕が君を待たせた分、今度はいつまでも僕は君を待ってあげるから」

そして、式が進みついにこの時が来た。

「新郎新婦は、この愛を永遠に誓いますか?」

その問に対して、僕達の答えはもう決まっていた。




























「永遠に、誓います」

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