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第2話

数秒眺めていただけなのに、彩陽を見ていると心が落ち着いてくる。アロマと同じように、リラックス効果があった。俺だけかもしれないが、彩陽は特別な存在になっている。彼女がいれば、ほかに友人がいなくても耐えられる。そう思った。

 視線に気が付いたのか、彩陽はこちらを見やった。眼鏡の奥の瞳がきらっと光る。中央にある茶色い虹彩は濃く、まっすぐに俺を見つめている。

「どうしたの、矢島君?」

 彩陽は尋ねた。

 ほかのクラスメイトは教諭に質問を続けている。手を挙げて教諭に食って掛かろうとしたり、隣近所の席の人に声をかけて課題について話し合っている者もいた。俺以外にも課題に反対なやつが多いことに安心する。

 人前で話をすることに慣れているやつのほうが少数という世の中だ。理由はめんどくさいからだろ。

 だが、俺の理由は違う。

 人前に出て話をすると、頭の中が真っ白になって、しゃべろうと思っていた内容が抜け落ちる。手足が震え、それが体中から徐々に口元へと集まってしまう。やっと第一声を発したと思っても、その声はか細く、聞き取ることさえ難しい声量になる。

 どうせまた、今回の課題の時も失敗するんだ。クラスメイトに笑われて、悲惨な思いをまた体験することになる。

もし、俺が前向きに生きる人間だったらどうだろうか。友人がいなくても笑って日々を過ごせるだけの精神が俺にあれば、世界は何色に変わるのか、すごく興味がある。

人間がそんな簡単に変われたら誰も苦労はしていないか。

そんなことを考えて、彩陽の質問に答えた。

「ううん。なんでも」

なんでもない。そう俺はただお前を見たかったとは言えない。言ってしまったらこの友好関係が崩れてしまうような気がしたからだ。唯一の友人を失いたくない。

「そう? ならよかった。何かあったら、私に遠慮なく言ってね」

 笑顔を浮かべて、彩陽はまた前に向き直る。

 俺はもう一度彼女の頬を目に焼き付けてから、自分の机の上に視線を落とした。

 教諭の話し声がまだ聞こえる。クラスメイトとの話し合いは終わっていない。

 突然、必死に頭を抱えたくなった。

 どうしようか、この課題。自分のことをアピールする課題なんて、何を言えばいいんだろう? 趣味とかか? 休日の過ごし方か? 言ってもどうせつまらないだろうな。俺のことなんか聞きたい人間はいないんだ。

 教諭が告げた。

「じゃあ、この課題は、一時間の一人ずつやっていくことにするか。順番は、出席番号順でいいな?」

「いやだー」と、出席番号一番の男子生徒が言って、クラスがまたどっと沸く。

「当日は、原稿を見ても構わないからな。男子は腹くくれよ。女子は大目に見てやるぞ」

「先生、それは差別ですよ」

 鋭い突っ込みが飛んでくる。

 それも予想していたのか、教諭の顔がさらに砕けた。授業を楽しんでいる。他のやつらもそうだ。学校に来ることが楽しくて仕方ないという雰囲気を出している。

真逆の位置にいることに焦りと不安を感じる。

クラスメイトは日々の生活に満足しているのだろうが、俺はまったくできていない。どうしてこうも差が出てしまったんだ? 友達がいないからだろうか。結局そこにたどり着いてしまうからなのか。それに俺の性格も関係している。ネガティブだから元気が出ない。なんで俺はこんな性格なんだ。本当に自分の性格を治したい。

 それからの時間、授業中の話はその課題のことでもちきりだった。結局教諭のごり押しでやることが決まった。決定打は、

「この課題をやらないやつは、内申書がさんさんたる結果になると思え」

 という言葉だった。

 心の中で大げさに落胆した。


 あの課題は出席番号順に行われるということがいくらか救いにはなった。

 数えてみると、あと数か月の猶予があった。その間に対策を考えなければ。

「ねえ、聞いてるの?」

「……え?」

 女性の言葉で我に返った。彩陽の声だ。高音域の甘いのに元気がある。

 視線を上げると目の前には、弁当箱を持って机の前に立つ彩陽がいた。困ったように眉の形を変えている。

 自分の声が届いたことで安堵の表情に素早く変えた彩陽は、

「よかった」

 と言って、前の席に腰を下ろす。

「矢島君、ずっと難しい顔してるんだもん。声かけても気づいてくれないし」

「ごめん」

 言ってあたりを見回す。クラスメイトは席を移動してところどころで弁当箱を開けていた。教室中に食べ物のいい匂いが一気に充満する。

 そうか、もう昼休みの時間だったのか。

「いいけど。どうしたの」

 彩陽は疑問を口にした。小首を傾げている姿が可愛かったので、どきっとしてしまったが、返答する。

「さっき出された、アピール課題のことを考えてた」

「ああ」

 同意を示すように、彩陽は首を縦に振る。

「そうだね、私たちにとっては大変な課題を出されちゃったね」

 俺と彩陽にはもう一つ共通点がある。それは性格だ。俺がネガティブに考えるように、彩陽もネガティブシンキングの持ち主だ。そのこともあって、一年生からはこうやって一緒にご飯を食べたり、帰り道を一緒に歩いたりしながら学校の様子を語り合っている。

 一年生の時は同じクラスで、二年の時は隣のクラスだった。今年は同じクラスに戻れたので心強い。

 ため息をつきながら、俺は自分の鞄から弁当箱を取り出してそれを広げる。

「うん。どうしようかな」

「どうって?」

「どうやって課題を乗り切ろうかなって話」

「ああ、そうね」

 今度は彩陽も一緒にため息をついた。

 彩陽と悩み事を共有していることはうれしいのだが、その悩みの種が大きすぎた。高校生活の大きな山場を迎えようとしていた。

 いったん悩んでしまうとその不安は、影のように付きまとう。拭いたくて別のことを頭で連想しても、不安感がそれを塗り消してしまう。なんだか絵の具の黒色に似ているように思った。どれだけカラフルな色で塗っても、その後から黒で塗りつぶしてしまえばそこはすべて黒になる。俺にとって不安とはそういうものなのだ。簡単に取り除けたらこんな性格にはなっていなかっただろう。自分のこれまで生きてきた過程を恨む。

 昼休憩は、弁当を食べて少ししたら時間が終わってしまった。会話も弾むことはなく、彩陽も席に戻っていった。

 黒板の横の時計を見ると、時間は午後十二時五十五分。授業の開始まで五分しかない。

 俺は気分を変えるために席を立った。トイレでも行って用を足そう。一緒に不安感も流せればいいのだが。

 教室を出て、緑の床の廊下に出る。まっすぐ進んでいき、トイレに入った。用を足して手を洗いに流しに近づいた。蛇口をひねって水を流す。透明な水を見ていると、不意に彩陽の顔が浮かんだ。あの透明感のある肌がさっきまで自分の目の前にあった。それだけで自分は幸せを感じる。

 重力に従って上から下へと流れる水に手を添えて彩陽のような水で手を洗った。

 しかし、その後に、備え付けられた鏡を見たのが間違いだった。磨かれて曇りもないが、そこに自分の顔が写っていると、それだけで俺はなんて暗い顔をしているんだ、という思考に襲われた。

 彩陽は魅力的なのに、自分には魅力のかけらもない。少なくとも外見ではそうだ。きっと中身も崩れているはずだ。彩陽は何で俺みたいな陰気な男に付き添っているのだろう? それが不思議でならなかった。

 俺のクラスには、集団の中心になる人物もいるし、外見がいいやつも、性格が明るいやつだっているのに、どうして俺とばかり話すのかな? 本心では、仕方なく付き合っているのかもしれないな。そう思うと、また不安感が心を支配した。

予冷が鳴った。がっちりつかまれたまま、俺は教室に戻ることになった。

教室に戻ると、ほとんどの生徒が席についていた。数人の男子グループが教室の後ろで談笑している。

横目に見ながら、俺は、自分の席に戻った。席に着くなり、横から彩陽が話しかけてきた。

「大丈夫?」

 第一声がそれだったことに疑問を持った俺は、首を九十度左に向けて言った。

「何が?」

 彩陽は俺の返答が不服だったらしく、続けた。

「だって、顔色悪いよ? せっかくの整った顔が台無しじゃない」

 さっきトイレの鏡で見た時はそんなこと思わなかったのに。

「大丈夫。それに、俺の顔色はもともと悪いから。整っていないしね」

 そう否定する。

「うーん。授業中体調良くなかったらすぐ言ってね?」

「ありがとう」

 心配してくれる彩陽に感謝する。

 午後の授業が始まった。担当の女性教諭は早速授業を開始した。

 異変を感じたのは始まって五分が経過した時だった。急に胸が苦しくなった。呼吸が誰かに遮られるように、全身へ供給する酸素が不足した。胸のあたりに違和感を感じた。呼吸が乱れ、息切れを起こしたところで、隣の彩陽が気づいた。

「大丈夫? 苦しそうだけど。保健室行く?」

 俺はうんと、頷いた。

 彩陽が教諭に俺の事情を説明してくれた。彩陽は一緒に行くと言ったが、俺はそれは彼女に悪いと思って断った。

 教室の後ろのドアから出ていく。ドアを閉める時、クラスメイトの視線が気になった。やっぱり目立ったのだろうか。進級早々、保健室にお世話になるとは思わなかった。

 保健室までの道のりを歩きながら、俺はクラスメイトが送った視線の意味を考えた。


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