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 ◆◇◆◇


 タトゥーの激しい父親と、心の闇の著しい母親からなる川嶋家に、第2子の長男として生まれた。


 父は昔、見た目だけは耽美なヴィジュアル系の、その実かなりハードコアな方向に振り切れたバンドのメンバーだったらしい。

 ネットもまだ普及していなかった時代。ヴィジュアル系を多めに取り扱う音楽雑誌へ耽美的な写真広告(記載された文章は耽美系ともグロ系とも読めるようにしてあるのがたちが悪い)を出し、そのヴィジュアルに誘われてやって来た無垢な観客へ、耽美とは程遠い害悪まみれの轟音ノイズを叩き付け、扉に細工をして外へ出られなくした上で阿鼻叫喚のライブパフォーマンスを繰り広げていたのだとか。

 ずっとホラ話だと思っていたのだが、自分たちが父の子供だと知った時点で出演拒否どころか出入り禁止にした老舗ライブハウスがあったことから、たぶん本当のことなんだろう。当時の父がやっていたバンドが、どれだけヤバいことをしていのかも推して知るべし、といったところだろうか。


 母も元はそうして誘われ、被害(?)に遭った観客のひとりだったそうだ。

 現在の母は、もう四十代も半ばを過ぎているというのに儚い少女のような容姿を保ち続けて穏やかに微笑む、左の手首にたくさんの傷痕を持つ女性だが、当時の母はそこへさらに危うさを、今よりも細く骨ばった身体に孕んでいたのだという。


 若かりし母は、その音楽とも言えない轟音まみれのライブに茫然とする中、父が客席へ水平にぶん投げたベースが直撃し、右腕を骨折する怪我を負う。

 普通ならもう二度とこのバンドのライブには来ないはずだが、何故か母は右腕をギプスで固められたまま次のライブにもやって来た。

 その次も。

 そのまた次も。

 そして暴れ回る父をじっと見つめ続けるのだ。


 父もバンドメンバーも、初めは何かの嫌がらせかと思ったのだが、やがて母がライブ後の打ち上げにまで姿を現すようになると、ほとんどの者がその考えを変えた。

 打ち上げの間中、ずっと父の隣りに座っているのだ。席を移動しても、ずっと。しかも何故かライブ中とは違って、父の方を一切見ようともせずに。

 それでいて少しずつ父の方へ近づき、肘が触れると元の距離に離れるということをさり気なくとはいえ何度も繰り返していたものだから、何だかんだで周りの人間は嫌でもピンときてしまう。

 最終的には、知らぬは父ばかりで周りは見守る、或いは面白がるといった状況となり、彼女をことさら危険視する者はいなくなってしまった。


 だが、それが彼女の狙いだった。


 周囲からの警戒の目も、ギプスも外れた頃。母は静かに、しかし迅速に行動を開始し、結果として父は見ず知らずの倉庫らしき場所で、全裸で床に磔にされた状態となって目を覚ますことになる。

 聞こえる足音に唯一動かせた首を向けて見たのは、左手首から血を流しながら、その血で自分の周りに何やら書き進めている女性――母だった。


 その後何があったのかを詳しくは語ってくれなかったが、母は「憧れと愛を同時に手に入れたのよ」と柔らかく微笑み、父は「生命の危機を感じる……というかぶっちゃけ死に瀕するほど愛されるってのは、男冥利に尽きるだろ」と豪快に笑っていた。


 とりあえず、父の言葉には頷けないと思ったのだけは確かだ。


 ◆◇◆◇


「やっと落ちた……」


 一バンドあたりの出演時間が短いイベントだし、そこまで汗はかかないだろうからと水洗いでも落とせるものにしておいて良かった……。これぞまさに不幸中の幸いってやつかも知れない。まあ、それでも結構な時間が掛かったのだけれど。

 ともかく、これでようやくひと息つける。

 まだ服装――黒一色――の問題があるにせよ、メイクとコンタクトレンズという一番の問題が解消されたのだ。これなら、さっきまで遭遇してきた人達でない限りは「変な格好の人間」で通るはずだ。


「はあ……。なんかもう、疲れた……」


 ずっと続いていた緊張感からようやく解放されたことで、一気に疲労が襲ってきた。

 川縁に座り込み、身体を丸めて大きな溜め息をひとつ吐くと、四肢を投げ出して仰向けに転がる。そのまま、やたら密度だけが濃い数十分を思い返した。


「……異世界、だよなあ」


 思わず、ぽつりと口から漏れ出た言葉。そうだと頭で解っていたが、口にしたことで改めてそれを実感する。

 あの場を逃げ出し、城壁を越える際に見た景色。この川へ辿り着くまで、屋根づたいに見た街並み。そこに知っているものは何も無かった。

 そしてあの大部屋を飛び出す際に見た、床に描かれたもの。


 あれは魔法陣だ。


 母が昔、全裸に剥いて床に縛り付けた父の周りに、自分の血で描いたというアレだ。時折、家の本棚で遭遇する母の蔵書の中で目にするアレだ。それらによく似たものがあの大部屋の床にもあった。

 自分は、あれでこの世界に召喚されたに違いない。

 恐らく、魔法陣はステージ上の照明と同じ色の光を発していたのだろう。その為、同化してしまって見えず、だから気づかなかったのだ。

 気づいていればそこで戸惑い、行動を止め、脳天直下のフルスイングは無かったはずだ。そう信じたい。そして、もしそうであれば、たとえあのヴィジュアルであったとしても、もう少しマシな展開が待っていたはずだ。

 重ね重ね、タイミングが悪過ぎたとしか言いようがなかった。おかげで、この世界の情報……というか召喚された目的さえも知らないまま、こうして川縁に寝転がる羽目になってしまったのだから。いや、まあ気になる単語を耳にしてはいたけれど。

 ともあれ、


「やっぱりあれは事故だな、うん」


 半ば強引にそう結論づけると、疲労に身を任せつつ空を眺める。空は青く、白い雲は流れ、太陽が柔らかく世界を照らしている。

 ライブは日暮れ頃に始まったはずだが、こちらはまだ昼過ぎのようだ。複数あるなんてこともなく、ひとつだけの太陽が落とす影が、よく見るとゆっくりと動いている。途中で見かけた地平線も含めて考えると、ここも自分の居た地球と変わらない、太陽を中心に回る惑星なのだと思われる。詳しいわけじゃないので憶測になるが、生物の誕生する環境なんて、似たり寄ったりなのだろう。

 背の下にある地面は太陽の熱を受けて温かい。それでいて水辺なので空気は涼しい。風と、それがくすぐる草と、川で時折跳ねる魚の音。

 自然公園なのか単に未開発なだけなのか、街壁の内側でありながら周囲に人工物も人の気配も一切無い。

 うっかり寝てしまいそうになるほど、のどかな場所だった。


「……いや、うたた寝してる場合じゃないな」


 今がそうでも、これからもそうだとは限らない。特に身を隠したりはしていなかったので、目撃証言などを頼りにすれば騎士団はいずれここへたどり着くだろう。その前にこれからどうするかを決め、行動へ移さなければならない。


「ここを出るのが一番なんだろうけど……」


 メイクを落とし、コンタクトを外したことですぐに追われることは無いだろう。ひとまずの安心は得られたかも知れない。これでさっきまでとは違う地区に行けば、まだ何も知らないそこの住民とはやり取りが出来ることだろう。

 だが服装の問題が残っているのだ。

 確かに、何も知らない別地区の住民とコミュニケーションはとれるだろう。

 だが「変わった服装」という印象が残ってしまう。これを軽く考えるわけにはいかない。

 王様へフルスイングしてから今に至るまで、全身真っ黒な服装の人間なんてひとりも居なかった。

 メイクを落とし、コンタクトを外すことで顔が変わっても、服装がこのままであればいずれ結びつけられ気づかれてしまう。それでは意味がないのだ。いや、今後のことも考えるならばむしろ「顔が違う」というアドバンテージすら失うことになってしまうため、デメリットしかないと言ってもいいくらいだ。

 だからここはすぐにこの街を一旦出てしまう方が良い。

 そうわかってはいるし、口にも出してはみたのだが、それでも踏み出せない理由がひとつあった。


 ぶっちゃけ丸腰なのだ。


 何らかの目的……いや、もう目をそらしても仕方ないな。あの神殿だか祭殿だかで、そう言ったのが聞こえていたのだから。


 勇者。


 そう、自分は十中八九、勇者として召喚されたに違いない。にも関わらず、召喚が失敗して魔人が喚び出されたのだという勘違いをされたのだ。

 返す返すも……いや、もうそこを繰り返しても仕方ないか。

 とにかく、おかげで支度金も最低限の装備や情報も貰えなかったのだ。勇者を召喚するということは、相応の事態が起こっているということになるのだが、それが具体的に何なのかも知らないままだ。

 いや、この街壁の高さや厚みを考えるに、この世界には危険な存在がいることが容易に想像できる。メイクした自分を「魔人」と呼び、問答無用で攻撃してきたことから「魔人」……魔に属する者への認識があり、それらと敵対していることもわかる。

 でもそれだけだ。

 それでこの壁のすぐ外にある危険度がわかる、というわけではないし、勇者としての最終目標が何なのかがわかるわけではないのだ。

 相対した騎士団の練度から考え、彼らで対処出来る程度だとすれば、さほど危険に感じなくともよいかも知れない。

 だが、彼らでは対処出来ないからこそ、これほどの厚みと高さのある壁を築いたという可能性もゼロでは無い。

 それに、この右腕にだって疑問点がある。

 あれだけの攻撃を凌ぎ切ったのだから、少々は騎士団・魔術師団より手強い魔物でもどうにかなるかも知れない。確かにそうだろう。

 だが、それと攻撃力があるかどうかは別問題だ。こちらは一度も攻撃をしなかった。防御特化で攻撃力ゼロという可能性を否定出来ない。攻撃に関しては未知数のままなのだ。防御だけで決定力不足だなんて、何処かの国のサッカーチームみたいだが、はっきり言ってジリ貧の未来が嫌でも見えてしまう。


 だがまあ、これだけ発展した街を作り上げるということは、そこへ至るまでに資材なり何なりの確保で外へ出ることもあっただろうし、そこで武装して危険対処することもあっただろう。そうした過程を経た結果として、こうして大きな街が成り立ったのだと考えれば、何だかんだで強化された身体能力だけでもどうにかなる気もする。

 それに、他の町や村との行商などでの遣り取りなんかもあっての発展だろうから、外の危険性についてはそこまで気に病む必要は無いのかも知れない。


 で、ここで新たな問題だ。


 その町や村って何処よ? いや、それを繋ぐ道はあるだろうけど、どんだけ離れてんのよ?

 一日でたどり着けない距離だったら? 食料も、それを買うお金も無ければ、野営する道具も知識も無いぞ?

 今、まさに今、ライブ前にはお腹に食べ物を入れないという個人的な取り決めもあって、空腹感が結構ヤバい。途中で野垂れ死にとか笑えないんですけど?


 というわけで、あまりにも不確定要素が多過ぎるのだ。

 だからと言って、ここに留まり続けるわけにもいかない。むしろ留まった方が野垂れ死にする。その可能性が少しずつ高まってきている。

 ……あれ? 今、空腹で動けないから寝転がってたんだっけ?


 何か危ないものを感じて跳ね起きた。その何かとは空腹感。

 結局どうあれ、追われていることを考慮するなら、一旦はここを出るしかない。

 壁を越え、他の人間に遭遇しないよう注意しながら街道を進む。あとはもう、野となれ山となれだ。

 開き直りとも言える覚悟が決まると、自分の中でカチリと何かが嵌る感覚があった。

 ふ、と口から笑みが漏れる。


「何で今それ思い浮かんじゃうかな」


 唐突過ぎるだろ、と小さくツッコミを入れると、強化された身体能力にものを言わせて一気に壁を駆け上がった。

 その先には未知が広がっている。だが、もう迷う心は無い。

 頭の中では或る音楽が再生され続けていた。その曲が背中を押してくれるのを感じる。

 続く言葉は決まっていた。


「迷わず行けよ、行けばわかるさ」


 行くぞ!

 1、2、3――。

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